詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

和合亮一「juice 」、近藤久也「ばらばらに赴く、メトロどこへ」

2021-05-06 16:30:48 | 詩(雑誌・同人誌)

和合亮一「juice 」、近藤久也「ばらばらに赴く、メトロどこへ」(「ぶーわー」45、2021年05月10日発行)

 和合亮一「juice 」は野菜ジュースをつくっている。「レシピなどは無視して 家にあるものあれこれ」を放り込む。

レモンを ひと垂らし ぐるぐると
風の音が強くなった気がして 窓を眺めると
すぐさま 竜巻のようなものが 追っていて
冷たくするために 氷の粒を入れて


 この二連目が、ちょっと微妙。「窓を眺めると」は和合がジュースをつくりながら、家の外を見るために「窓を見ると」という意味にもとれるが、実際にそういうときに見るのは「窓」ではなく「窓の外の光景」。そこへ「竜巻のようなものが」、迫っていてではなく「追っていて」(私はここで五分くらい、誤植かなあ、と悩んでしまう)、竜巻に対応するために「氷の粒を入れて」。
 もしかすると、「窓」って、ほんとうの窓ではなく、ジューサーの透明なガラスの部分?
 ジュースをつくるひとではなく、和合によってつくられるジュースのことを、ジュース以前の「素材」の方から書いたもの?

 よく磨かれたコップを
 なみなみと満たしていく
 虹色の雨が降りそそぐ

  慌てて天を見上げると

  大きな唇と
  口の中と
  のどぼとけ

 どうやら、ジュースの側から、書かれたことば、ということになる。「大きな口と」からは、飲まれていくジュースの新手ということになるが、最終連の一行は、こうである。

入道雲を入れるのを忘れていて


 「忘れる」の主語は、やっぱり人間だろうなあと、思うけれど、そんなことは気にしなくていいのだろう。つくろうが、つくられようが、ジュースにはかわりはない。ただ、うまいジュースにするには「入道雲」が必要である。しかし、そう思う「主体」も、人間であっても、ジュースであってもいい。その区別は必要がない。区別のないところまで動いていくということが大事なのだ。
 この、「主役」がジュースをつくる人なのか、つくられたジュースなのか、つくられただけではなく、いま飲まれているジュースなのかもわからないのが、「……(し)て」という文体である。
 全部引用しないとわかりにくいのだが、「……(し)て」は繰り返され、最終連もまた「忘れていて」でしめくくられる。まだ、完結しない、どこかへ動いている。この「どこかへ動いていく」という動きが詩を作っている。
 「……(し)て」は完結しない。
 ということは、この詩の主役がジュースをつくっているひとか、素材か、ジュースになってしまって飲まれている液体か、はたまたはそれを受け止めている肉体か、決着がついていないということである。決着(結末)を拒否している。
 「主語」が入れ替わって、学校文法では把握できない、でたらめな詩ということもできるが、いや、つづきはまだあるのだから(完結させていないのでから)、そんな勝手な「結論」はださないでくれ、と言われたら、それはもう、その詩のことばにしたがうしかない。
 ことばの「運動」があった、というだけなのだ。

 これは近藤久也の「ばらばらに赴く、メトロどこへ」にも言える。

最初の地下鉄に無愛想な
鰐や

ピエロや
紳士や
和服のお婆ちゃん
ピッピーが、成り金が
乗ってる


 このあと乗っているひとが列挙される。「結婚詐欺師が/詩人が/ノマドや/魔術師が」と「ノマド」が出てくるところが「今風」ではある。
 いったいどこへ行く列車なのか。

先頭で制服制帽の
運転士
進行方向の真逆
指さしている
便所のシュールな壁に
そんな絵、掛けられて飾られて
あっちゃの名前に
なって 気い悪せんといて


 この「て」は、和合の「……(し)て」の「て」とは違うのだが、つづけて読むと、ふたつの「て」から「結論」(結末)なんか気にしないで、「途中」だけ見てね、と言われたようで、私はなんとなく楽しくなる。
 ことばはどこへ行くかわからない。
 動き始めたら、ただその動きについて行ってみたい、という感じが、二つの詩から共通のものとしてあらわれてくる。

 

 

 


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小島数子「丘」

2021-05-05 09:11:19 | 詩(雑誌・同人誌)

小島数子「丘」(「るなりあ」46、2021年04月15日発行)

 小島数子「丘」の一連目。

冬の日の
今日
丘の頂き近くにある
小さな展望台へ
長い石段を
呼吸の翼を動かし
脚を浮かせるようにして
何も考えずに上っていく


 「冬の日の/今日」という少し変わった書き出しに誘われ「呼吸の翼を動かし」という行に驚かされる。次の「脚を浮かせるようにして」との呼応が、こころを解放してくれる。
 しかし、呼応はこれでおしまいではないのだ。
 三連目で、もっと大きな呼応にかわる。

いつだったか一度
丘の向こう側にある道から来て
見上げる頂きに立ったのだろう
どこかの楽団員らしい男の人が
アコーディオンを弾き始めたことがあった
音に振り返り
初めてその姿を見たときには
丘に棲む精霊が現れ出たと
思わなければならないのだろうかと
とまどったが


 「いつだったか一度」のために「冬の日の/今日」が書かれている。その「伏線」が「いつだったか一度」を鮮烈に思い出させる。「いつだったか一度」の「一度」は「初めて」と言い直され、さらにことばを緊張させる。そのあとに「丘に棲む精霊」が出てくる。これは「呼吸の翼」(天使)に呼応する。
 ここまでなら、ちょっとしたメルヘンである。
 それでも十分におもしろいが、私が、あっ、と声を上げたのは、これにつづく部分。

青空を背にして
景色を聴衆にして
胸に
もう一つ
光る胸を重ね
澄んだ空気を呼び入れ
自分の声を出すように弾いていた
しばらくして音が途絶え
その人がいなくなったあと
艶を増したように感じた丘


 「胸に」からの五行。これが一連目の「呼吸」そのものに重なる。「胸に」「澄んだ空気を呼び入れ」るは息を吸い込む、呼吸のはじまり。それがただの「呼吸」ではなく「胸に/もう一つ/光る胸を重ね」であると語られている。
 これは

「その男の」胸に
もう一つ
「別の誰かの」光る胸を重ね

 だと思う。「別の誰か」は楽曲の作曲家かもしれない。しかし、私は一連目の「翼」から「天使の」ということばを補いたくなるのである。「天使の光る胸」。
 天使になって、音楽を奏でる。
 私は天使の存在を信じているわけではないし、精霊の存在を信じているわけでもないが、おもわず天使と言ってしまうのである。精霊が天使に昇華(?)していくのもいいなあ、と思ってしまうのである。
 その天使を目撃した「記憶」があるからこそ、一連目で「呼吸の翼」ということばが出てきたのだ。
 この呼応に、目があらわれるような気がするのである。
 そして、その新しい視界のなかに、

艶を増したように感じた丘


 この「艶」もいいなあ。「色」が「豊か」になる。何かが新たにつけくわわって、存在が、そして生きていること自体が豊かになる。
 小島の書いている「丘」へ行ってみたくなるではないか。

 

 

 


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森文子『野あざみ栞』

2021-05-04 19:31:07 | 詩集

 

森文子『野あざみ栞』(思潮社、2020年08月01日発行)

 森文子『野あざみ栞』の「なめくじを生きる」。

人目につかないのが大切 生きのびるには
うごきまわるのは夜中 昼間は ひそむ
だが ぬめっと這った跡をけすのが むずかしい

  くいちぎられ きのう 植えたサラダ菜
  ぬるぬるの大集団が まずは 頭にうかぶ
  ぱらのつぼみも あわれな

 

  きらわれることをすなおに 受けいれる
  二本の触覚 フルに使いこなす
  なめくじを したたかに 生きる

  今の世 わたしが学ぶべきかもしれない

 ここには二つの視点がある。
 なめくじは、害虫といえるだろう。つくった野菜をだめにする。こまったものだ。
 しかし、そのなめくじに学ぶべきものがある。嫌われていることを知っていて、(というのは、人間の解釈であって、ほんとうは違うかもしれない)、それでも生きている。
 で、この「思い入れ/勘違い?」を、森は、

きらわれることをすなおに 受けいれる


 と書く。
 ここにおもしろさがある。
 森がどういう人間かわたしは知らないが、詩を読む限り野菜を作っている人(農家の人)という感じがする。いまの時代、農家を生きるのはなかなか厳しい。農家の人間関係も、時代が変わったとはいえ、厳しいものがあるだろう。「人目につかないのが大切」ということばが、そういうことを暗示している。森は、人目を避け(家族の目をさけ)、夜中に自分のしたいことをしているのかもしれない。そして、それは評価されるとはかぎらない。いっそう「不評」を買うこともあるに違いない。
 「きらわれる」という一言には、いろいろな思いが去来しているだろう。
 しかし、きらわれることを「すなおに」受けいれる。この、「すなおに」がとてもいい。不思議な「深さ/強さ」をもっている。
 「すなおに受けいれる」と決然として言ってしまうのではなく、「すなおに」といったあと、ちょっと間がある(一字あき、の間がある)。その「間」のなかで動いているこころを、わたしは思うのである。ほんとうは受け入れるべきではないかもしれない。しかし、ぐっとがまんして受け入れる。その「がまん」のようなものを「すなおに」と言い直す。
 そこにある「矛盾」。
 そこから森は一気になめくじに近づいていく。なめくじのなかに「したたかさ」を感じる。その瞬間の変化、その変化をささえる「すなおに」と、そのあとの「一字あき」でつかみとるというか、表現している。

 

 


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ティム・ヒル監督「グランパ・ウォーズ」(★★)

2021-05-04 09:04:18 | 映画

ティム・ヒル監督「グランパ・ウォーズ」(★★)(2021年05月02日、キノシネマ天神、スクリーン1)

監督 ティム・ヒル 出演 ロバート・デ・ニーロ、オークス・フェグリー、ユマ・サーマン

 長い間映画を見ていなかったので、映画をどうやって見ていいのかわからない感じがした。それで、気楽に笑える映画をと思い、見に行ったが……。
 大人向けというよりも、家族向け、子ども向けコメディーだから、セリフがやたらとはっきりしている。ニュアンスではなく、はっきりと、わかりやすく。これは演技にもあらわれている。アクションがオーバー。内に抱え込んでいるものがない。すべてを出してしまうを通り越して、すべてを型の枠に入れてしまう。
 こういうとき、役者は何を感じるのかなあ。
 まあ、デ・ニーロは「童心」に帰って楽しんでいるなあ。ドッジボールのシーンははしゃいでいる。クライマックス(?)の孫との一対一の対決、ジャンプしてボールを投げるときの姿勢など、どうやってとったのかわからないが、さまになっている。「やれたぞ」と喜んでいる感じがいいなあ。
 それにしてもね。
 「タクシー・ドライバー」の、痩せて、ぎらぎらした感じの青年が、こんなに腹が出た老人になるのかと思うと、人間の体は不思議だ。「レイジング・ブル」のときは落ちぶれていくボクサーを演じるために何キロも太ったようだが、そのときの「酷使」が影響しているのかも。よくわからないが、太って「愛嬌」が出てきたので、こういう老人役には向いている。クリストファー・ウォーケンが、痩せたまま(それでも、「ディア・ハンター」と比べると太ったか)と比べると、その違いがわかる。
 ユマ・サーマンは、かつてはデ・ニーロのような「体の線」があったが、今回は、それがない。まあ、コメディーだから、か。
 私が唯一笑ったのは、予告編でもあったが、デ・ニーロのベッドにヘビがあらわれるシーン。これって、「ゴッド・ファーザー」の「馬の首」だね。でも、あの映画、デ・ニーロは出ていないんだよなあ。デ・ニーロが出たのは「パートⅡ」。でも、おかしい。何か、記憶をくすぐられる。
 で、ね。
 ここまで書いてきてわかることは、これはやっぱり「記憶をくすぐる」映画なのだ。デ・ニーロの友人がクリストファー・ウォーケンである理由も、さらには「戦争」が何やら「ゲリラ戦」(ベトナム戦争のとき、はやったことば)を思い出させるのも。そのときはなかったドローンも出てくるけれど、これだって、それを駆使するのはアメリカ(デ・ニーロ)だからね。ユマ・サーマンも、かつては「戦う女」だったから起用されたのかも。とくに戦うシーンはないが、ふたりの「戦争」を、うすうす感じるのも「戦士」だったからこそ。
 たぶん、そういう「見方」も求められているんだろうなあというか、そういう「見方」も期待して映画はつくられているんだろうなあ。でも、私は、こんな「うがった」見方が嫌い。映画は、過去にどんな映画を見たかを思い出すためのものじゃない。過去を思い出すためのものではない。
 次はもっと違う映画を見たいなあ。
 コロナが拡大する中、映画館も「時短」営業になるようだが。

 

 

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阿部日奈子「俺は騙されてない」

2021-05-03 10:26:42 | 詩(雑誌・同人誌)

阿部日奈子「俺は騙されてない」(「ユルトラ・バルズ」35、2021年05月01日発行)

 阿部日奈子は文学を題材に文学を書く、いわゆるメタ文学という印象が強かったのだが、最近は、「巷の現実」を題材に詩を書くことが多いように見える。「俺は騙されてない」もその一篇。

 訴えろとおっしゃるんですか。ちょっと待ってください、ほかの人はともかく、俺は騙されてなんかいやしませんよ。問いただしこそしませんでしたが、うすうす、いや、かなりはっきり、怪しいと睨んでいたんです。窮鳥のふりをして懐に飛び込んできたこの女、訳ありだな、それに大嘘つきだなって。でもほら、嘘だけじゃ罪にはとわれないんですよね、なにか実害がないと。実害があって、騙された奴が騙した奴に復讐しないようにっていうんで、詐欺罪があるわけでしょう。俺は騙されたと思ってないもの。


 このあと、この「騙されたと思ってない」がさらに綿密に書かれていく。
 で、そうしたことばの動きのどこが詩なのか。詩はどこにあるのか。乱れない「文体」にある。「窮鳥のふりをして」の「窮鳥」は、私は、阿部の詩で初めて知ったことばである。ここに、阿部の「文学臭」があるといえばあるが、これに目を奪われていると、阿部のやっていることがわからなくなる。「窮鳥」よりも「論理展開」の綿密さに目を向けるべきだろうと思う。

(1)問いただしこそしませんでしたが、うすうす、いや、かなりはっきり、怪しいと睨んでいたんです。
 ここには、「予感」が書かれている。「予感」とは知っている、ということである。知っているから、騙されたことにはならない、が隠されている。これは起承転結の「起」。

(2)窮鳥のふりをして懐に飛び込んできたこの女、訳ありだな、それに大嘘つきだなって。
 (1)で語られたことが、捕捉される。「訳あり」は、いわば「巷の俗語」。何か隠しているな。その隠していることを言わない。これを「嘘」と呼ぶときもある。「大嘘つきだ」と知っている。嘘と知って聞いているのだから、騙されたことにはならない、というのである。(1)を言い直し、深めているという点では「承」。

(3)でもほら、嘘だけじゃ罪には問われないんですよね、なにか実害がないと。
 これは「転」である。「騙す」は「ことば(嘘)」だけでは被害にならない。「実害」ということばを手がかりにいえば、「嘘」は「虚害」である。阿部は「虚害」ということばをつかっていないが、ここに「虚」の文字を補うと、突然、阿部のやっていることが過去の作品とつながる。ことばでしか成り立たない「虚」を「巷の犯罪」のなかで動かして見せる。「虚構」。それが完成したとき、それは「文学」になる。
 起承転結の「転」は、一種の方法だが、一番おもしろいのは、やはり「転」かもしれない。そこには「起承」のことばの運動からの「飛/逸脱」がある。「切断」がある。そして、「切断」がおもしろいのは、そこに「本質」のようなものがどうしても覗いてしまうからである。阿部の場合でいえば「虚」。これなくしては、阿部はことばを動かせない。そこが、たとえば森鴎外の散文とは違うし、細田傳造の「おばさん文体」とも違う。細田は「虚」ではなく「実」の不透明さで「現実」を切り捨てて見せる。
 で、

(4)実害があって、騙された奴が騙した奴に復讐しないようにっていうんで、詐欺罪があるわけでしょう。俺は騙されたと思ってないもの。
 「実害」がないから、「俺は騙されていない」。これが「結」。「転」あと、「起」(出発点)にもどる。「騙されていない」。でも、微妙に違うね。(1)は「俺は騙されてなんかいやしませんよ」が(4)は「俺は騙されたと思ってない」と「思う」が付け加えられている。もちろん(1)は「俺は騙されてなんかいやしませんよ、と思っている」と付け加えて読み直すこともできないわけではないが、そうしない方がいい。
 というのは。
 このあと「思っていないもの」の「思う」が重要になってくるからである。「虚」は「思う」という動詞とともに動くのだ。

 二連目。

 たしかに金は使いましたよ、三百万くらいあった貯金が二十五万円だから、半年で
二百七十五万下ろしたってことです。だけど幸いまだ働けるし、最初からなかったと思えばどうってことない。そりゃ俺だって、貯金が底をついて、女が街金で借りてくれなんて言ったら、そのときは断ったと思う。


 「思う」がつづくのである。そして、このあと、途中を省略するが「金で済むことは、おれ、あんまり被害だとか損失だとか考えていません。」と「思う」が「考える」に変わっていく。ぼんやりしていた論理が、どんどん明確になっていく。「思考」になっていく。そうすることで「論理」が強靱(?)になっていく。
 いろいろ「反論」できるが、「反論」を踏み台に、さらに「考える」。考える(頭脳)というのは、いつでも「完結」をめざす。言い直すと「整合性」をめざす。世界には矛盾がいっぱいあるのだから、「整合性/論理の正しさ/論理の一貫性」を生きるということは、もう、それ自体「虚」なのだが、「虚」を生きると決めてしまえば「虚」が「実」になり、「実」が「虚」になる。「実」なんて、どうでもいい。ことばの整合性だけが重要ということになる。
 その「虚」と「実」の逆転(?)のようなものを、阿部は、最後の部分でこう展開する。

 だいたいね、詐欺っていうんなら、調書の取り方のほうが変じゃないですか。俺にあれこれ尋ねて、それを警察の人が一人称で作文して、俺に署名を迫りますよね。俺になりかわって俺の物語をこしらえているんだから、いわば人称詐欺でしょう。


 こう言ってしまえば、阿部の書いていることも「詐欺」である。「人称詐欺」である。阿部は、「俺」ではないのだから。
 「虚」を守るというよりも、「虚」を選び、それを選択し続ける。「思う」から「考える」に移行しながら、ことばを一貫させる。そのとき「文体」を緩ませない。同じレベルを守り続ける。持続する。そうすることで、ことばは「文学」にかわる。
 阿部の詩は長いが、短くては「持続力」が浮かびあがらない。「文体の持続力」の正確さこそが「文学」なのだから、長くなるのは自然であり、必然なのだ。

 

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夏目美知子「トーチカ」

2021-05-02 09:48:23 | 詩(雑誌・同人誌)

夏目美知子「トーチカ」(「乾河」91、2021年06月01日発行)

 夏目美知子「トーチカ」は、朝食の準備をしていて、ふいに「トーチカ」ということばを思い浮かべるところから始まる。「意味はわからない。音としてだけ覚えている。」何語だろう。

ロシアなのではないか。夜の雪原の向こうに眩しく瞬く
無数の灯りが見える。「トーチカ」という響きが、そん
な情景を思わせる。


 そのときはそのままにしておいて、夕方になって夏目は調べている。もちろん「トーチカ」は「ペチカ」のようなものではない。戦場の陣地である。
 そうわかったあとで、夏目はこう書いている。

自分の無知を恥じつつ、では、あれは何だったのだろう
と思って、ぼんやりする。冷たい空気が頬を刺す夜、雪
原の遥か遠くに見えた無数の灯り。

初めから無かったのに、まるで、あったものが消えたか
のような気持ちに陥る。

 この終わりの二連、特に最終連が、不思議に美しい。
 「トーチカ」をはっきり意識できずに、その音から情景を夢想する。それは、夢想だけれど、夏目には冬の夜の空気まで実感できる。でも、夢想は夢想。事実を知ると、それは消えてしまう。
 その夢想は事実に基づかないから、たしかに「初めから無かった」もの。
 でも、実感としては、はっきり存在した。
 そのために「あったものが消えた」ように感じる。
 ただ夢想が消えるのではなく(否定されるのではなく)、「あったものが消えた」と感じる。そう感じたと書く。この部分の丁寧さに、私は「正直」を感じる。
 この「正直」に至るまでのことばは、ちょっと小学生の「日記」のように作為がない。引用が逆になるが、一連目。

雨戸を開ける。部屋に朝の光が入って来る。足元でしき
りに鳴く猫に餌をやる。餌が食器に当たりカラカラと音
がする。私は朝食の支度をする為に、台所に行く。


 なんのてらいもない。「餌が食器に当たりカラカラと音がする。」には夏目の聴覚を感じることができるが、とくに珍しい(個性的な)何かを伝えてくれるわけではない。たんたんと時系列にしたがって、起きたこと(感じたこと)を書き続けている。それが「トーチカ」の「事実」を知ることによって変化する。知らないことを調べるにも、夏目の「正直」があらわれているが、知ることによって自分が変わる瞬間を、ことばにする、というところまではふつうは書かない。「そうだったのか」で終わることが多いのだが、夏目はそこからほんの少しだけ歩みを進めている。その「ほんの少し」がいいんだろうなあ。「ほんの少し」だからこそ「正直」が正直のままでいられる。
 それを支えるのが、詩全体のことばのトーンなのだ。自分の知っていること、直面していることを少しずつ積み重ねていく。その散文の動きが、最後に「少しずつ」が非常に大きい何かを引き出すことを教えてくれる。どんなに小さく見えることでも、一歩踏み出す、というのはその人にとっては「大きな」ことなのだ。その「小さい」を「大きい」にかえて見せてくれるのが「正直」なのだ。
 こういう正直に触れたとき、私は「はっ」とする。「はっ」としてどうなるわけではないが、「はっとした」ときは、「はっとした」と書きたくなる。

 

 

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細田傳造「いやいやながら浮かばされて」

2021-05-01 10:28:28 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「いやいやながら浮かばされて」(「ウルトラ・バルズ」35、2021年05月01日発行)

 細田傳造「いやいやながら浮かばされて」は、十五歳で老いて、黄金をためこんだために「睾丸を腐らせ」二十歳で死んだ人間が、墓に入っていたのだが、

壱百五十五年経った或る雨上がりの朝
攪拌されて 発酵されて
気化されて 蒸留されて
いやいやながら
娑婆の川靄にうかばされた
ヒト型に戻されて
男女両性具のついた幽体になった


 ときの詩。「攪拌されて 発酵されて/気化されて 蒸留されて」はウィスキーか何かをつくるみたいだなあ。ウィスキー(スコッチ)の原料の麦は、そのときどう思ったのかなあ。ここに書かれているのは麦ではなく「人間」のようだから、「気化されて」には「帰化されて」も含まれているかもしれない。たとえば日本人社会のなかで「攪拌され」(揉みくちゃにされ)「発酵されて」(いろいろな感情が肉体のなかで蠢いて)「気化されて」(都合のいい感情だけ選別されて)「蒸留されて」(さらに純粋化?されて)、そのあとで「娑婆」(社会)に「ヒト」として受け入れられて、という「経緯」が凝縮しているようだ。「ヒト型に戻されて」の「戻す」という動詞が、そういう不気味な「強制力」を感じさせる。「いやいやながら」は「ヒト型に戻されて」につながるのだろう。
 さて、それから(これから)、どうやって生きるか。
 細田は二つのことを書いている。

瞬間移動ができるので
あっちこっち動き回っている
おとといはキーウエスト ヘミングウェイの家
きのうはニューヨーク 休館中のメトロポリタン美術館で
ヴァン・ゴッホ展を見た


 いろいろな体験が、いろいろな人との出会いを可能にする。不可能はない。それは、細田はヘミングウェイにもゴッホにも感情移入できるというか、共感することができる。それがたとえ「休館中(ふつうのひとには閉ざされている)」ものであっても、細田には「開かれたもの」として迫ってくる。相手が、「攪拌されて 発酵されて/気化されて 蒸留されて」たどりついた世界の、その「過程」が実感として共感できるということだろう。
 しかしね、一方で、細田はこう言うのだ。

けさは札幌にいる
時計台の針が十時半を指したら
犬を連れた奥さんになって
公園の大通りを散歩してみるけれど
いかなる男の熱い視線も
スカートの中に吹いている
劫の風を
みることはできない


 「みることはできない」は「見せない」のか、「見せたとしても見えない」のか。つまり、拒否なのか、拒否していないけれど自分と違う生き方をしてきた人間には見えないという意味なのか。意味としては、拒否よりも、見えない(不可能)の宣言の方がはるかに強い。
 細田のことばは、私には、いつも何か「こわい」ものを含んでいる。
 ことばが「概念」(意味)にならずに、「もの」の不透明さをもって、そこに存在している感じ。「意味」をはねつけて、「自己流」(細田流/本音よりももっとなまなましい何か)に生きていて、その「なまなましさ」のなかに不透明な「共通感覚」があるところがおもしろい。引用では中途半端に省略してしまったが「金は睾丸を腐らせる(根性を腐らせる/性根を腐らせる(だめにする)」とかね。
 男は「おばさん詩(私がおばさんパレードと読んでいる一群の詩)」に対抗できることばを書くのがむずかしいが(谷川俊太郎さえ、できている感じはしない)、細田の詩は「おじさん詩」ではなく「おばさん詩」に通じるものがある。きょうここで指摘した「ふたつ(だれのこころとも共感できるということと、おまえなんかには私はわからない)」を平然と抱え込んで生きている。
 「おばさんパレード」を書くとき、細田の詩もいっしょに感想を書き並べたいと思う。


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Estoy loco por espana(番外篇97)Jose Manuel Belmonte Cortes

2021-05-01 08:50:06 | estoy loco por espana

レリーフなのに(レリーフだから?)、立体よりもなまなましい。

表現できないことがあるから、表現を超えるのだ。

何が?

表現したい欲望が。

作品は、単に対象を再現しているのではない。

対象をくぐりぬけて、作者の、表現したいという欲望があふれるとき、その作品は「生きる」。

私が向き合いたいのは、その作者の欲望、性欲であれ、食欲であれ、作者の肉体から出てくる欲望である。

 

Joseの作品には、具象を超えるなまなましい「肉体の欲望」がある。

それがおもしろい。

 

Aunque es un alivio (¿porque es un alivio?), es mas sexy que solido.

Va mas alla de la expresion porque hay cosas que no se pueden expresar.

Como? Que quiero decir yo? yo no puedo decirlo en espanol....

Pero trato escribir mas....

Yo siento el deseo de Jose, el deseo de expresarse.

La obra no se limita a reproducir el objeto.

Cuando el deseo de expresarse del autor se desborda a traves del objeto, la obra "VIVE". La obra puede vivir.

Lo que quiero enfrentar es el deseo del autor, ya sea el deseo sexual o el apetito, el deseo que emerge del cuerpo del autor.

El trabajo de José tiene un deseo fuerte, "deseo físico" que va mas alla de objeto.

Eso es interesante.

 

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