和合亮一「juice 」、近藤久也「ばらばらに赴く、メトロどこへ」(「ぶーわー」45、2021年05月10日発行)
和合亮一「juice 」は野菜ジュースをつくっている。「レシピなどは無視して 家にあるものあれこれ」を放り込む。
レモンを ひと垂らし ぐるぐると
風の音が強くなった気がして 窓を眺めると
すぐさま 竜巻のようなものが 追っていて
冷たくするために 氷の粒を入れて
この二連目が、ちょっと微妙。「窓を眺めると」は和合がジュースをつくりながら、家の外を見るために「窓を見ると」という意味にもとれるが、実際にそういうときに見るのは「窓」ではなく「窓の外の光景」。そこへ「竜巻のようなものが」、迫っていてではなく「追っていて」(私はここで五分くらい、誤植かなあ、と悩んでしまう)、竜巻に対応するために「氷の粒を入れて」。
もしかすると、「窓」って、ほんとうの窓ではなく、ジューサーの透明なガラスの部分?
ジュースをつくるひとではなく、和合によってつくられるジュースのことを、ジュース以前の「素材」の方から書いたもの?
よく磨かれたコップを
なみなみと満たしていく
虹色の雨が降りそそぐ
慌てて天を見上げると
大きな唇と
口の中と
のどぼとけ
どうやら、ジュースの側から、書かれたことば、ということになる。「大きな口と」からは、飲まれていくジュースの新手ということになるが、最終連の一行は、こうである。
入道雲を入れるのを忘れていて
「忘れる」の主語は、やっぱり人間だろうなあと、思うけれど、そんなことは気にしなくていいのだろう。つくろうが、つくられようが、ジュースにはかわりはない。ただ、うまいジュースにするには「入道雲」が必要である。しかし、そう思う「主体」も、人間であっても、ジュースであってもいい。その区別は必要がない。区別のないところまで動いていくということが大事なのだ。
この、「主役」がジュースをつくる人なのか、つくられたジュースなのか、つくられただけではなく、いま飲まれているジュースなのかもわからないのが、「……(し)て」という文体である。
全部引用しないとわかりにくいのだが、「……(し)て」は繰り返され、最終連もまた「忘れていて」でしめくくられる。まだ、完結しない、どこかへ動いている。この「どこかへ動いていく」という動きが詩を作っている。
「……(し)て」は完結しない。
ということは、この詩の主役がジュースをつくっているひとか、素材か、ジュースになってしまって飲まれている液体か、はたまたはそれを受け止めている肉体か、決着がついていないということである。決着(結末)を拒否している。
「主語」が入れ替わって、学校文法では把握できない、でたらめな詩ということもできるが、いや、つづきはまだあるのだから(完結させていないのでから)、そんな勝手な「結論」はださないでくれ、と言われたら、それはもう、その詩のことばにしたがうしかない。
ことばの「運動」があった、というだけなのだ。
これは近藤久也の「ばらばらに赴く、メトロどこへ」にも言える。
最初の地下鉄に無愛想な
鰐や
犬
ピエロや
紳士や
和服のお婆ちゃん
ピッピーが、成り金が
乗ってる
このあと乗っているひとが列挙される。「結婚詐欺師が/詩人が/ノマドや/魔術師が」と「ノマド」が出てくるところが「今風」ではある。
いったいどこへ行く列車なのか。
先頭で制服制帽の
運転士
進行方向の真逆
指さしている
便所のシュールな壁に
そんな絵、掛けられて飾られて
あっちゃの名前に
なって 気い悪せんといて
この「て」は、和合の「……(し)て」の「て」とは違うのだが、つづけて読むと、ふたつの「て」から「結論」(結末)なんか気にしないで、「途中」だけ見てね、と言われたようで、私はなんとなく楽しくなる。
ことばはどこへ行くかわからない。
動き始めたら、ただその動きについて行ってみたい、という感じが、二つの詩から共通のものとしてあらわれてくる。
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