ツェラン「トートナウベルク」(谷口博史訳)(「未来」607、2022年04月01日発行)
野沢啓が、ツェランの「トートナウベルク」(谷口博史訳)を引用しながら「ツェラン、詩の命脈の尽きる場所--言語暗喩論のフィールドワーク」という文章を書いていた(「未来」607、2022年04月01日発行)。結論(?)のようにして、野沢は、こう書いていた。
「トートナウベルク」という詩は意識の乱れがことばのかたちとして定着され、そのことばの散乱こそがツェランの最終的に言いたかったことの暗喩となっているのであり、その伝えがたさの暗喩として彫琢されたものなのである。
私には、よく理解できない。「意識の乱れ=ことばの散乱」であり、それがツェランの「言いたかったこと」の「暗喩」になっている。「暗喩」であるから、その意味するもの(?)は正確にはわかりにくい、つまりつたえにくい(つたわりにくい)が、そのツェランにとっての「伝えがたさ」こそが「暗喩」の意味(暗喩でなければならない意味)である、ということだろうか。そして、野沢は、その「暗喩」のかたちが「彫琢されたもの」(美しい、あるいは完璧なもの)であると評価しているのだろうか。
これでは、まるで野沢の文章そのものが「暗喩」である。それはそれでかまわないのだろうけれど、私は、とても疑問に思う。
だいたい「意識の乱れ=ことばの乱れ」というが、いったい、ツェランの「意識=ことば」のどこが、どう乱れているのか。そのことが指摘されていない。野沢にとってツェランの「ことばが乱れている」(あるいは、意識が乱れている)と見えても、それはあくまで野沢の基準であって、ツェランにとっては「乱れ」はないと言えるかもしれない。他の読者にとっても「乱れ」は感じられないかもしれない。だいたい「彫琢されている」というかぎり、そこには「乱れ」というものはないのではないだろうか。もし「乱れ」があったとしても、それは完全に意図されたものではないのか。そうでなければ「彫琢」は偶然になってしまう。
これまでの野沢の「論」で、私が感じるのは、野沢が、たとえばツェランの詩を「評価している」ということは理解できるが、それを「どう読んでいるのか」がよくわからないことである。「トートナウベルク」をどう読んだのか、その「読み方」がわからない。なぜ「意識の乱れ」「ことばの乱れ」という表現が出てきたのか、私にはわからない。
ということは、どれだけ書いても、単なる繰り返しになるから、私自身がどう読んだか、そのことを書いてみたい。きのうの文章で引用したが、もう一度、引用する。長くなるが、全体を引用し、そのあと少しずつ、私の「読み方/誤読の仕方」を書いていく。
アルニカ、矢車草
井戸からの飲物、その上には
星の賽、
山小屋の
なかで、
記念帳に書かれた
(私の名の前には
どんな名が記されていたのか?)、
この記念帳のなかに、
今日、期待をもって、
書かれた一行。
思考する者から
心へと
到来するはずの
ことば、
森のコケ、平らにされず、
オルキスまたオルキス、まばらに、
酸味、あとになって、旅の途上で、
はっきりと、
私たちを運ぶ男は
それに耳を傾け、
小沼地のなか
丸太の
道をなかば進み、
湿り気、
とても。
*
私は、どんな詩でも「動詞」に注目する。この詩の「動詞」のつかい方には特徴がある。
アルニカ、矢車草
井戸からの飲物、その上には
星の賽、
ここには「動詞」がない。ツェランの書いた原文にはあるのかもしれないが、ここにない。動詞がないが、私は、どうしても動詞を補って読んでしまう。「散文」にして読んでしまう。つまり、アルニカや矢車草が「ある」(あるいは咲いている)、井戸からの飲物(水)が「ある」、その(水の)上には星の賽が「ある」。これは天に星があるとも、その星が井戸の水(あるいは水をいれたコップ)の上に映っているとも感じられる。私は、ここでは「ある」という動詞が避けられている、と感じる。「ある」のだけれど「ある」という動詞をツェランはつかうことを拒否していると感じる。これは「意識の乱れ」ではなく、明確な「意識の統一」である。
山小屋の
なかで、
ここでも「ある」が、拒まれている。山小屋が「ある」、その山小屋のなかで、なにかが「ある」。何かが起きた。起きたことが「ある」。何が起きたのか。
記念帳に書かれた
(私の名の前には
どんな名が記されていたのか?)、
この記念帳のなかに、
今日、期待をもって、
書かれた一行。
思考する者から
心へと
到来するはずの
ことば、
ここにはいくつかの「動詞」が書かれている。「書く/記す」「もつ」「思考する」「到来する」。主語と目的語は、「私は(そして、私の前の訪問者は)」、それぞれの「名前を」書く。さらに5W1Hを補うようにして「文章」にすれば「私は、訪問した山小屋で、その記念帳に、私は私の名前を書いた」である。それは「今日」のことであり、そのとき私は期待を「もっていた」ということになる。
そして、ここにも「ある」が省略されている。「書かれた一行(名前を書いた、その一行)」が「ある」。この「ある」を書かずに、ツェランは「書かれた一行(=ツェランの名前)」と書く。「ある」の代わりに、その一行が「期待をもって/書かれた」と書く。このとき、「期待」が「ある/あった」が存在していることになる。しかし、それを「ある」ではなく「もつ」という動詞でツェランはあらわしている。「もつ」のは「私」である。肉体の関与がある。「書く」もの「私」である。私は、そこに「ある/あった」、そして私の肉体をつかって名前を「書いた」。そのとき私は期待を「もっていた」。「期待をもつ」は意識の問題かれしれないが、私は「持つ」という動詞を頼りに、そこに人間の肉体そのものの動きを重ね合わせ、肉体としての人間そのものを感じる。(これは、「身分け=言分け」という問題を考えるときの、私の基本的な考え。)
これが、三連目の前半。つづく後半は、激変する。後半部分には「ある」がないのである。「はずの」ということばが特徴的だが、ほんとうならば「ある/はずの」、つまり「期待した(期待をもった)もの」が「ない」のである。つまり「到来する」が「ない」。「到来しなかった」という「ない」が「ある」。」「期待したもの」とは「ことば」である。「ことば」が「ない」。「思考する者」の「ことば」が「ない」。そして「なかった」という事実が「ある」。
「ない」が「ある」。
三連目が他の連に比べて長くなっているのは、この「ある」と「ない」の対比を正確に書こうとしているためだろう。そして前半の「ある」と後半の「ない」が、詩の途中ではただ一回だけつかわれている句点「。」によって切断されながらも接続しているのは、「ある」と「ない」が緊密な関係になるからだろう。ツェランにとっては「ある」と「ない」は切り離すことができないのだ。
書かれなかった「ある」と「ない」の拮抗は、次の連に(次のことばに)引き継がれていく。
森のコケ、平らにされず、
オルキスまたオルキス、まばらに、
森のコケが「ある」。それは平らにされず、つまり平らにされ「ない」で、そこにある。ツェランは、「ない」が「ある」ことに、まだ、こだわっており、それはオルキスに触れた部分にも引き継がれる。オルキスとオルキスのあいだには「まばら(に)」が「ある」。つまり「切断」がある。オルキスの「無(ない)」がある。
「ない」が「ある」ということを、人為だけではなく、人為以外でも(自然や宇宙においても)「ある」のである。
酸味、あとになって、旅の途上で、
はっきりと、
ここには「なる」という動詞が、突然、あらわれる。「あとになって」とは「時間が経過して」という意味だろうが、ここにあらわれる「なる」は、とても強い。
「期待していたことば」は「ある/あった」。しかし、それは「ない」。「なかった」にかわった。「ある」が「ない」に「なった」のだ。
それが「はっきりと」自覚できた。わかった。これは「はっきりと」「なった」である。あらゆることは「なる」。つまり変化する。「ある」は「ある」のままでは「ない」。「ある」は何かに「なる」のである。
「ある」が「ない」に「なった」ということを、その意識をツェランは「酸味」のようにはっきりと自覚する。これは「酸味」ということばが象徴的だが、単なる意識ではない。肉体に刻まれた感覚である。旅をすることで、それを、ツェランは肉体に刻み込んだのである。
そうであるなら、それまで書かれてきたことば、たとえば「アルニカ、矢車草」も、ただ旅の途中に見た(ある、を見た)という「意識」の問題ではなく、その「ある」がツェランの肉体に刻まれたということだろう。
私たちを運ぶ男は
それに耳を傾け、
ここには「運ぶ」という動詞と同時に「男」が突然出てくる。「私」でも「思考する者」でもない人間が出てくる。運転手が思考しない(考えない/ことばをつかわない)というわけではないが、あまり「ことば」に関与しない存在として登場する。その人間が、書かれていないが「ことば」に「耳を傾ける(=聞く)」。
彼は、その書かれていない「ことば」を、どこかへ「運ぶ」だろうか。
ツェランは書いていないが、「運ぶ」のである。
ツェランが書いているのは、野沢の論理にしたがえば「思考する者=ハイデガー/ナチス協力者」と「私=ツェラン/ナチスによって虐殺されたユダヤ人の遺族」の対面の記録だが、それは多くの「歴史的事実」のように、第三者によって「時間」のなかを「運ばれる」。そして、「歴史」という別のことばになる。
「耳を傾け」た人、聞いた人は、それをいつか「語る」。それは、ツェランの、もうひとつの「期待」だろうと、私は考える。
「ない」を越えて、希望が「ある」ものとして、ここで復活してきている。だが、それは保証されたものではない。あくまでもツェランの「期待」である。
小沼地のなか
丸太の
道をなかば進み、
ここで「進む」の主語はだれだろう。「男」だろうか。「私たちを運ぶ男」が「進む」のだろうか。そうではなく、ツェランかもしれない。あるいは、ツェランの書いたことばかもしれない。
ここでは「進む」という動詞と同時に「なかば」が重要な意味を持つと思う。
ツェランのことばに「耳を傾け(=聞き)」、それを「運ぶ男」。運ばれる「ことば」もしかしたら「小沼地のなか/丸太の/道」(つまり、不完全な道)を運ばれているのかもしれない。どこへたどりつくか、それはわからない。
不安のようなものが、漠然として「ある」。
湿り気、
とても。
最終連は、その漠然としたものが、漠然とした状態のまま、書かれていると思う。一連目の透明な澄んだ空気を感じさせることばとは、完全に違っている。星が見えるのは空気に湿気がないときである。湿気があるときは星は見えにくい。一連目に書かれている存在は、「湿気のない透明な空気」と「ある」ということばを補うことによって、さらに美しくなる。(一連目と最終連は「呼応」しているのであり、「呼応」することで世界をいったん完結させているのである。)
しかし、最終連のことば、「ある」ということばではとらえたくないたぐいのものである。むしろ「湿り気、とても。」は「ある」ではなくて、「ない」であってほしいというのが私の肉体感覚だが、ツェランの肉体感覚もそうであるかどうかはわからない。
私は、いま「肉体感覚」と書いたのだが、私はいつでも「ことば」を肉体で感じる。そのとき重要になるのが「動詞」である。「動詞」とは、野沢がつかっていたことばでいえば「身分け=言分け」が具体的に動く「領域」である。
「期待をもつ」、その期待が裏切られたとき、期待が「ある」から「ない」に「なった」とわかったとき、「酸味」というの肉体のなかに生まれる変化が「ある」。刻まれる。野沢は「意識の乱れ」と書いているが、私は「意識の乱れ」というよりも、肉体に刻まれたもの(私が感じる「酸味」のようなもの)を、ツェランのことばに重ねながら読む。
*
今回の私の感想は、あくまでも谷口博史訳に対する、つまり「日本語化されたツェランのことば」に対する感想であって、原語(ドイツ語)で読んだとき、同じように感じるかどうかわからない。またツェランが「ある」「ない」ということばに通じる表現をつかっているかどうもわからないのだが、日本語を読みながら私は、そう感じた。
野沢の「暗喩論」をめぐる文章に対する私の不満はいくつかあるが、そのひとつは、野沢がある作品を紹介しながら高い評価を書いているとき、野沢がその作品を評価しているというのはわかるが、どう読んだかがわからない点である。
いろいろな哲学者や評論家の文章を引用し、それを組み合わせる前に、野沢自身の、作品に対する具体的な意見を聞きたい。