福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

訴えられる覚悟

2007年02月14日 |   〇メディア・IT

■ '결혼' 정선경, 웨딩사진 공개
「結婚」、チョン・ソンギョン、ウェディング写真公開 
 [マイデイリー 2月14日] 



-内容省略-

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芸能関係の記事など、ほとんど読むことのない「ヲタク」がつい
目を通した記事だった。この女優のファンというわけではないが、
テレビでよく見ていたし、彼女の癒し系のキャラクターに
なんとなく親しみを感じているのだ。

それに、彼女は在日韓国人と結婚し大阪に住むことになっている
とも言う。

ところで、この記事のコメント欄に全く穏やかならぬ書き込みを
見つけてしまった。



vh4515というIDを持つネットユーザーが、

정선경한테 고소당할 각오하고 쓴다
(チョン・ソンギョンから訴えられる覚悟で書く)

なるコメントを投稿し、他のコメントとは桁違いの大量(?)の
照会数を稼いでいた。

これが、例の「アクプル(悪質な書き込み)」というやつなのか、と
思いつつ、ついつい「ヲタク」もこのコメントをクリックしてしまった。



しかし、その内容とは、「チョン・ソンギョンは昔、あるテレビ局で、
本当に言いたくないけど、あるテレビ局のある番組で...」(下線
部分)の1行で終わっていた。

このコメントには、「vh4515さんは他人を不安にするのが
仕事ですか??」、「訴えられたことは一回もないでしょう(笑い)」
など、コメントのコメントが付けられていた。

こうして「ヲタク」のある種の期待は見事に肩透かしを食らって
しまったわけだ。

それでも、ユーモア感覚溢れる(?)この憎めないイタズラに、
ついつい笑ってしまった「ヲタク」であった。



--- どうでもいい出来事ではあったが、韓国のネット世界の
日常から、その一コマを記録しておくことにした。


(終わり)

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「韓流」民族主義

2007年02月14日 |  〇文化・歴史

「韓流」とはいったい何なのか?あるいは韓国の民族主義とは?

韓国の芸能界とメディアの一角では、「韓流」と民族主義をめぐる
論議がまだ続いているようだ。

この種のテーマには、さすがに食傷気味の「ヲタク」ではあるが、
もうしばらくは付き合ってみたい。

今日、韓国経済新聞で、「民族」が一つの概念ではなく「正義」の
基準となっている韓国社会の現状を批判的に述べたエッセイを
読んだ。

読みなれたメディア関係者の文章とは一味違った弁護士の
寄稿文だった。

そんなに長くもない。つい、翻訳練習してみたくなった記事だった。
なお、韓国語原文は紙面の都合上、掲載を省いた。

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[韓経エッセイ] 「韓流」民族主義
(韓国経済新聞 2月14日)

金斗植<弁護士法人「世宗」 代表弁護士>

歌手兼芸能プロダクション代表であるパク・ジンヨン氏が「韓流から
民族主義的な傾向を取り除かなくてはならない」と発言したことが
きっかけとなり、芸能界で「民族主義」論争が起きた。

パク氏の発言について「芸能人にも国籍は必要だ」とか、あるいは
「韓流と民族主義を結びつけるのは不当だ」との批判もある。

しかし、パク・ジンヨン氏は韓流を国境を超えた自然な文化交流と
とらえきれない人々が、「韓民族は世界最高」などとする言説を
公然と唱(とな)えはじめたため、逆に各地で反韓流的な雰囲気が
形成されていることを心配しているのだと、私は理解している。

実際、最近の韓国ほど「民族」や「民族主義」という言葉が
溢れている国もない
ように思う。

文学や歴史における一つの潮流にとどまらず、政治や法律でも
「民族」が正義の基準になってしまっている

1960年代には国民教育憲章で「民族」中興の歴史的使命を叫び、
最近では「民族」のアイデンティティ確立や反「民族」的行為の処罰を
目的とした法律も制定された。

スポーツでも同じだ。

2002年のワールドカップで韓国チームを応援する熱気が通りを
赤い色に染めたことも、あるいは、普段、国内のKリーグに大した
関心も示さないのに韓日対抗戦には全国民が関心を集中させる
のも、韓国社会に溢れる強烈な民族主義を象徴していると
言える。

もともと、「民族」という言葉は日本がこしらえた用語だ。

この用語が頻繁に使われ始めたのも日本の植民地時代からだと
言われている。

しかし、皮肉なことには、日本よりもかえって韓国人の思考体系の
中に民族主義がより深く根付いている。

おそらく、日本の植民地時代や南北分断の状況を経ながら独立した
韓国は、「韓民族」という共同体概念の上に国家の独立や統一を
追及するしかなかったし、そのために民族主義的イデオロギーを
前面に掲げて国作りを進めて来た結果
なのではないかと
考えられる。

しかし、グローバル化の進む国際化の時代には、強烈な民族
主義がかえって国家の発展を阻害する。

特に同一の言語、同一の血統を持つとする韓国の単一民族
国家の思想は、強大な外国に対しては過剰に自己防衛的な
硬直した姿勢を取りやすく、逆にその他の国々に対しては
根拠のない優越感の形で現れやすい。

不必要に民族を強調すれば他民族の反発を買い孤立することも
あり得る。

実際、中国や日本、東南アジアで多くの人が韓国のドラマや
音楽、映画を好むのは、どこまでも個人的次元の話だ。

それにもかかわらず、アジアの芸能市場で韓国の芸能人らが手に
入れた個人的成功を、まるで国家代表のスポーツ選手が勝利を
収めでもしたかのような意味付けをしたり、あるいはマスメディアが
率先して「韓国ドラマが中国のお茶の間を占領した」だとか、
「韓国大衆文化の優秀性を世界に知らしめた」などと宣伝する
のは大きな問題だ。

こうした態度は、韓流の文化的純粋性を傷つけ、逆に世界に
広がる韓流のエネルギーそのものを消耗させてしまうおそれが
ある。

(終わり)


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離見の見

2007年02月14日 |  〇文化・歴史

離見(이견)의 見(견)」(離見の見)なる韓国語の見出しの付いた
コラム記事を読んだ。このブログでも何度か記録したことのある
朝鮮日報の同じ東京特派員の記事だ。

記事の書き出しは日本語の単語で始まっていた。

・・ ・・

離見の見(리켄노켄)’. 일본 전통극 ‘노(能)’에서 연기의
최고 경지를 이르는 말이다.
(「離見の見」。この言葉は日本の伝統芸能である「能」で芸の
最高の境地を表す言葉だ。)

・・ ・・

「離見の見」とは能の大家、世阿弥の残した有名な言葉である。
詳しくは知らないが、客席から見える自分(演技者)の姿を
見る心の目とでも言えばよいのか。簡単に言ってしまえば
「客観的な視点」という意味だろう。

それにしても、まさか、こういう言葉に韓国の新聞紙上(電子版)で
出くわすとは思ってもいなかった。

内容的には、外国人の「ヲタク」ですら襟を正したくなるような
韓国社会への「客観的」かつ辛口の苦言だった。

もしかすると、本国において愛国的な読者から「自虐」的だとの
批判を招くかもしれない。ある意味では勇気のいる「告発」だろう。

朝鮮日報については常々批判的な記事の多い「ヲタク」の
ブログだが、今回ばかりは素直に脱帽した。

--- 朝鮮日報もなかなか奥が深い。

大きなお世話であることは重々、承知はしているが、世阿弥の
「離見の見」という発想を、是非、信頼性の高い紙面づくりに
生かして行って欲しいものだ。

朝鮮日報には、りっぱな日本語版サイトもあるが、この東京
特派員に敬意を表しエールを送る意味で、敢えて全文の翻訳
練習に取り組んでみた。

なお、紙面の都合で韓国語本文の記録は省略した。

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[特派員コラム] 離見の見
(朝鮮日報 2月12日)

「離見の見」。この言葉は日本の伝統芸能である「能」の世界に
おいて芸の最高の境地を指す言葉だ。「心の目」で客席から
自分の姿を見つめる姿勢だと言う。他人の立場に立って他人の
気持ちを推し量る「易地思之」(韓国でよく使われる4字熟語)
よりも一歩先を行く思考法だ。「離見」の姿勢で次のような想像を
してみることも韓国を理解する手助けになるような気がする。

舞台は日本の国会質問。首相と野党議員が日本の国政運営の
あり方をめぐって次のようなやり取りをしたと想像して見よう。

野党議員:「このままでは日本人が韓国人のアカすりをする時代が
やってくるかもしれないと考えています」

首相:「政府が政策をあやまって韓国人の身体を洗ってあげる...
(笑い)何ておっしゃいました?」

野党議員:「『アカすり』ですよ!」

首相:「アカすりをしてやる時代が来るなどという表現は言いすぎ
ではないかと思います」

野党議員:「私もそういう可能性がなければいいと思ってます。
心配だから言っているんですよ!」

首相:「そんな可能性はありません。そうはなりません!」

想像はここまでだ。しかし、実際、多くの日本人が韓国でアカすり
観光を楽しんでいるのは事実だ。だからと言って、もし日本の政府を
批判するために、わざわざ他国の生業を引き合いに出す国会
議員や「そんなこと(日本人が韓国人のアカをすること)にはなら
ない」とむきになって答弁する日本の首相を見たらとしたら、怒りや
屈辱感を感じない韓国人がいるだろうか?

もちろん、この日本での国会論議はあくまで架空の話だ。しかし、
日本の首相を韓国のハン・ミョンスク首相、日本の野党議員を
ハンナラ党のチョン・ドゥオン議員、「アカすりと韓国人」を
「足マッサージと中国人」に置き換えさえすれば、そのまま韓国の
国会の公式議事録に記録された8日のやり取りになってしまう。

チョン議員が「(中国が文化大革命をする間、韓国が経済開発に
取り組んだ)結果、現在、中国に足マッサージ観光に行ける」と
発言するや、ハン首相は「ノ・ムヒョン大統領の失政で、韓国人が
中国人に足マッサージをする時代が来るなどという表現は言い
すぎだ」と反論した。何度繰り返して聞いても、「言いすぎた」のは
中国人に対してではなく、大統領と政府に対して「言いすぎた」と
いう意味にしか取れない。

このやり取りを中国の国民が聞いたと想像して見よう。「離見」の
目で見れば、言葉には尽くせない屈辱感を感じる中国人と、少し
ばかり経済が発展したのをさいわいに、口にしていいことと
悪いこともわきまえない韓国人の歪んだ自画像が鮮明に
浮かび上がって来はしないだろうか?

次にこういう仮定をして見よう。「アカすり発言」の三日後、
今度は日本の不法滞在者収容施設に入っていた韓国人8人が
火災事故で死亡した。犠牲者らは日本政府が管轄する公共
施設の中で、日本語で「鍵を開けてくれ!」と何度叫んでも誰も
助けてくれなかった。火災報知器すら鳴らなかった。もちろん、
これも舞台を韓国に、犠牲者を中国人に変えれば仮定の話では
なく現実だ(※)。

(※)2月11日、全羅南道麗水出入国管理収容所の火災事故で
9人の外国人収容者(うち8人が中国人)が犠牲になるという
惨事が起きた。

現在、日本には約4万人の韓国人が不法滞在している。毎年、
約8000人が収容所を経由して韓国に強制送還されている。
韓国は不法滞在者の数で1位(中国が2位)、強制送還者の数で
2位(中国が1位)。お金を稼ぎに技能・技術ビザで日本に入国する
外国人の中でも、中国、ネパール、インドに次いで韓国は4番目に
多い。依然として多くの韓国人が日本で日本人の足をマッサージし
身体を洗っているのだ。もし、韓国人が中国人労働者を扱うような
やり方で日本人が韓国人を扱ったとしたら、韓国人はどれほどの
悲しみと怒りをおぼえたことだろう。

韓国人は他国の人間を見下す立場にはない。他人を見下せば、
いつでも、どこからでもそれがブーメランとなってわが身に
跳ね返ってくる立場なのだ。しかし、韓国人は自分自身について
あまりに知らなすぎる。韓国人の言動や行いがどんな憎しみを
買い、どんな結果をもたらすのかについて全く無関心だ。客席から
見れば大げさな演技ばかりする大根役者が自分なのかもしれ
ない、などという省察をすることもない。「離見」の目に映る韓国の
姿がだんだん恐ろしくなってくる。

(終わり)

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