風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

風邪ひきました

2006年05月23日 | チンゲル亭裏日記

19日から、危ないなぁと思いつつ、20日は乗馬に行って、21日は、朝から咳が出て、22日は一日寝ていました。
今日は、寝たり起きたり。

もっと早く、手立ては有ったはずと、何時もこうなってから気が付く季節の変わり目でした。

ふらふらしながら、PCの前に座っては、更新をしてしまって、見つかっては夫に叱られつつ、それでも、ブログや日記を書かなくては、一日が始まって一日が終わらない。

決して中毒になっているわけでもなく、誰かと会話をしているつもりなんです。
夫の心配はありがたいけど、キーに触らないと、却って不安定になるんです。
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昨日からのお友だち?

2006年05月23日 | UBから
不覚の風邪引きで、昨日、今日とお世話になっているお友だち。

トルコからの輸入品を扱っているお店で買ったゴム製の湯たんぽ。
<お湯がちょうど2L入ります。
それから、日本から持ってきているカシミアのパシュミナ。

このパシュミナは、モンゴルに住むなど思ってもいない頃、寒がりの私に娘が大枚をはたいてプレゼントしてくれたものです。
ずいぶん使い込んで、よれて居ますが、暖かさは変わりません。
何より軽いのがうれしい。
この二つが、大事に私を保温してくれています。



 写真にすると、見鰍ッが悪いですねぇ。 デモ娘からのプレゼントだから。。。(^^♪
最初はもったいなくて使えなくて、娘にしかられたからねぇ。
こんなに使っているのを知ったら、娘も満足してくれるかと。。。


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chingeltei

2006年05月22日 | モンゴルについて
 半年の休憩期間を置いて2年近くの間親しんできた「チ○○ル亭」の名前がなくなることは、考えたら、そうなんですねぇ。
自分勝手に書き散らしてきたことを、気持ちを込めて読んでいただいていたことを知り、そして、最初のページから「チ○○ル亭」の文字がなくなることで寂しいと感じてくださる方がいらっしゃったことに、喜ぶと言うより驚いています。

チ○○ルテイ地区に住んでいるから、チ○○ル亭と名づけたのですが、2年も使い続けていると《私の住んでいるチ○○ル亭》になっていたのかなぁと、お友だちのメールから感じました。
それで、今頃になって、止めることはなかったかなぁとちらりと思ったことでした。

おと年、HPを始めるにあたって、チ○○ル亭の名前を思いついたとき、なかなかのものだと、一人悦に入っていたのです。(笑)

フブスグルの、人っ子一人居ない、物音一つしない風景の中に置かれたとき、却って心豊かに一人ではないと感じられたこと。

チンゲル亭にいて、ボクト山を望み、庭の緑を見つつ、イフトイローからの騒がしい呼び声と車の騒音の中にいて、訳もなく孤独感や焦燥感に襲われたこと。

モンゴル人なんてこんなものと、あきらめて慣れようと努力していた毎日。

そして、環境を変える事によって、そうではない人もいることに気がつき、うれしくなって見たり。

レンガのアパートに取り囲まれ、自然と言えば四つある窓の一つからやっと斜めの方向ににボクト山が少しだけ見える住まいなのに、落ち着いていられることに不思議がりながら満足したり。

思えば、チ○○ル亭便りのHPは、毎回驚きの連続で「!」ばかりでした。
あの、新鮮な感動は、今思い出すと必死の形相でいたにもかかわらず、こっけいで、読み物のように自分でも楽しめます。

今のブログは、内面ははらはらしながらも落ち着いて書こうとしている、ちょっとUB生活の面では成長した(?)自分を見て、笑っています。

これも、読んでくださっている人がいるからなんでしょうね。
          マッシ バヤッララー(超 サンキュー)

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うれしいこと

2006年05月21日 | チンゲル亭裏日記

家主の、ビャンバさんが仕事から帰ってきて久しぶりに来てくれました。
咳をする私をいたわり、相変わらずの礼儀正しさで、ご挨拶でした。
いろいろと頼んでいたものを持ってきてくれたのですが、私たちが頼んでなかったものがありました。
それは、中国製のすだれです。
台所の窓からお向かいの家が丸見えなのが少々気になっていたのです。
何かをビャンバさんに請求するほどのことではなかったのですが、ちゃんと巻き上げ器の付いているすだれを、この窓にといって持ってきてくれました。
指摘されて、うん、やっぱりあるといいねぇ。
しかし、このモンゴルに巻き上げ器の付いたすだれってあるのねぇ。
裕福階級は、中国に行って買い物をすると聞いていますから、多分、いろんなものを買い込んできたのかもしれません。

頼んでも居ないものが届くなんて、こんなこと初めて。

昨日は、乗馬クラブに夫も始めて参加しました。
その時、馬がぬかるみに足を取られて唐黷サうになったために、馬体が回転し夫の体が緩やかに振り落とされそうになり、夫は自ら落ちました。
そしてそれに驚いて、直ぐ後ろを付いていた私の馬も驚き、ちょうどブッシュから鳥が飛び出したのとで、急に馬が体を動かしたために、私も馬から落ちました。

二人とも、どこも打ち身も怪我もなく、他の人を巻き添えにすることもなくすみました。
逃げた馬もすばやく、馬方さんと金井さんが捕まえてくれたので、これも大きなことにならないで、気持ちを落ち着けたら、それぞれの馬に乗ってとことことゲルに向かって帰りました。

それで、今日になって、夫が一句。
   落馬して はるさんにひかれて ゲル帰り

昨日は、落馬も含めて楽しんだことがわかって、一安心。
私の句は、風のこたろうのほうへ発表。
生まれて初めてと言えるくらい作ったことの無い俳句ですが、結構いいじゃない?一人でご満悦。
落ちた二人より、回りの人たちの方が心配して気を使わせているかも。

今日は、昨日一緒に行った方から、携帯メールを頂きました。
きっと心配してくださったのねと思うとうれしくなりました。
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奥テレルジ

2006年05月20日 | 

テレルジの奥のほうでは、春と冬の名残が混在していました。

春の先駆けを知らせる紫の花、黄色い可憐な花が、あちこちに咲いています。
小さな花が、土と草の間に静かに咲いているので、上ばかり見ていると見失ってしまいます。

時期が来たら、エーデルワイスやラベンダーが一面に咲きそろうそうですが、今は、まだまだ少ないです。



生まれて初めてかもしれない俳句を二つ。

      テレルジの 馬の背で見る さきがけの紫

      落ちてみて アラ私って 若いかも?
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ようこそ!

2006年05月19日 | UBから


          風のこたろう

 2006年4月から2006年3月までは、ブログ「チ○○ル亭便り」として、細々と続けてまいりましたが、2006年4月にチ○○ルテイ地区から引っ越しました。それで、チンゲル亭を返上しました。
これからはブログ「風のこたろう」として、再出発いたします。

「風のこたろう」は、日本で留守番中の愛猫「鼓太郎」の名前と、風のようにさらさらと生きたいという強い強い願望がこもっています。
オードリーは大好きな女性ですが、余りに私とのイメージがかけ離れているので、チンゲル亭返上とともにオードリーも返上して、おすみという学生時代のニックネームにいたします。
支離滅裂なネーミングがやっと統一されてきました。(#^.^#)


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ガン先生

2006年05月18日 | チンゲル亭裏日記

 日本語教師のガン先生が、我が家に遊びに来てくれました。
珍しく、遠慮をするモンゴル女性で、これは、本心かそれとも日本人のことを良く知った上で、礼儀として遠慮しているのか分からないときがあります。

大学の教師の部屋で何度か会い、次は、外のカフェで会い、やっと我が家へ来てくれることになりました。
前日になって、私の家ではご面唐ィかけするので、どこかカフェに行って会いましょうとメールが来ました。
それで、分かりましたと返事をして、待ち合わせ場所で会いました。

カフェでは、落着かないから、やはり我が家へとお誘いすると、手ぶらで来ましたから、行けませんといいます。

私は、お茶しか出しませんから、行きましょうと、腕を取って引っ張って帰りました。

約束どおり、お茶だけで話が進みます。
彼女は時にモンゴル人らしい歯に衣着せない言い方をしますが、それが、的を得ているので、面白いと感じます。
そして、日本人の人間模様を事細かに聞きたがります。

彼女にお茶を入れてあげたカップは、気に入ったのを国立でパートで一個だけ買ったものです。
同じ値段で、セットのカップが買えるのに、どうして一個だけ買うのか不思議に思うようです。
割れたら無くなってしまうでしょう?と、最後まで食い下がってきました。

そして、このアパートに備え付けのものかどうか、一つずつ尋ね、来年の帰国の時はどうするのか聞かれました。
欲しい人に、あげるといったら、それはもったいないと言います。

送料が高いから、送料を払っても持って帰りたいものはもって帰りますと言いましたら、少し、納得したようでした。

こうして、気楽に家に来ていただけるモンゴル人が、一人出来ました。

彼女は、日本語会話の勉強のつもりで居ますから、先生と呼びたがっていました。
最近やっと私の名前で呼んでくれるようになり、ずっと気楽に話が出来るようになりました。

彼女の、考え方は、ウランバートルの都会人のなかで働いて上にのし上がろうとしている人たちの中では、生きにくいようです。

違った意味で、控えめで恥ずかしがり屋の大学院生のマンチョクさんも、日本人の私には好感が持てるのですが、先生の間では、評価されにくいように見受けました。

二人の熱心さと優秀さが、正当に評価されますように。と、私の立場では、お茶を入れてお話をして、心で応援するしかありません。
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新たな体験

2006年05月18日 | SAVE THE CHILDREN
新人が5人も来ました。
それだけなら、今までも何とか乗り切ってきたのですが、落ち着きの無い、体の大きい、個性の強い男の子が一人混じっていました。

今までに無い体験で、あわや引っ掻き回されそうになるのを、金井さんが助けてくれました。

とりあえず、今日の授業を、大きな混乱もなく終えました。
それは、教室の中のことで、私の心は大混乱でした。

しかし、一つの救いは、最近欠かさずやってきている女の子が、ちゃんと私の目を見て、しっかりと日本語を聞き取ってくれていたことです。
何時もは、眠そうにしているのに。

その顔は、私の心の混乱をちゃんとわかって「がんばれ!」といってくれているようでした。

はぁーーーー。疲れました。
帰宅したら、ばったりと寝込んでしまいました。

私の強みは、疲れたり、混乱したりすると、どうしようもなく眠くなって遠慮せず眠ってしまうことです。

ちょうど目覚めたとき、夫が帰宅して、夕飯の支度をしていたら、混乱が過ぎ去っていました。

1週間かけて、何をしたら良いか。考えます。
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訃報

2006年05月17日 | 出会った人

            日本のご自宅での花 
            鮮明な写真がなくてごめんなさい


 彼女は、お父さんお母さんに娘のように可愛がられ、私たち夫婦にとっても、まさしく知り合った人と言えるような存在です。
日本からモンゴルに一緒に来て、若返ったように元気になって10ヶ月を過ごしたのです。
お父さんお母さんと一緒に、モンゴルの西と北の一帯を3週間の車での旅をしたりもました。
同じ敷地内のアパートに住み、娘たちと鼓太郎を日本に残してきた私たち夫婦をほんとに慰めてくれました。

先週末からなぜか思い出し、お母さんにメールをしたところでした。
今日、届いたメールに先週の火曜日、旅立ったとありました。
13歳の大往生でした。

奇しくも、今日は、友人の息子さんの早すぎる旅立ちの5回目の命日です。彼女と二人で、献杯いたしました。

花、安らかに眠ってください。
お母さんの、寂しさを思うと、どのように慰めてよいやら分かりません。

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モンゴル語訳の絵本

2006年05月17日 | UBから


絵本図書館からやってきたモンゴル語訳の付いた絵本。
(土曜日、遊びに行っていた私に代わって、Eさんが借りてきてくれました。ほんとにありがとう!)
明日のSAVE THE CHILDRENで、子どもたちに読んでもらいます。

今週土曜日には、絵本図書館にいけそうも無いので、このうちのどれか1冊か2冊を選びます。

この中で、「ぞうくんのさんぽ」は、日本で活躍中のオルティンドー歌手三枝 彩子さんが末オたと記入があります。

日本語の下の行に、手書きでキリル文字で記入されていました。
別の絵本には、ワープロで打たれた紙を貼り付けてあります。本当の手作り手弁当の末{です。
ボランティアで、細々と続けられています。

週に一度読んでもらうだけでも、おそらく、今ある絵本は直ぐになくなってしまうでしょう。

後は、子どもの能力に合わせた内容の絵本を、選んで、日本語で読んであげることをするしか有りません。
それは、それで、意味のあることですから、絵本があること事態がほんとにありがたいのです。
絵本を見せたときの、子どもたちの目の輝きをどなたにでも見せたい。





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