風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ゆみこさん

2006年05月17日 | チンゲル亭裏日記

「招き猫」 http://www31.ocn.ne.jp/~poohco/
と言うサイトを運営している「ゆみちゃん」に、久しぶりにメールをしました。

鼓太郎とであったのは、「あげ猫 たずね猫」と言う別のサイトです。
彼女が里親を募集しているところに行き会って、鼓太郎が我が家にやってきたのです。

母が老健に入所し、長女が中国へ行き、5人家族が3人になった隙間を鼓太郎が小さい体で埋めてくれました。

犬派を自認していた私が、こんなに猫にはまってしまうとは思いもよらず、
乳離れしたばかりの小さなあどけない鼓太郎の存在が、これほど慰めてくれるとは思っても見ませんでした。

UBに来て、縁あってワンちゃんや猫ちゃんを一時預かることになったのも、日本で鼓太郎を世話していたからです。
若し、鼓太郎との縁がなかったら、お預かりすることになったでしょうか。

もう、鼓太郎も5才になって、あの頃の頼りないくらいふわふわの毛並ではなくなりましたが、終生室内飼いのお約束どおりに暮らしていますから、猫世間を知らず、人間と思って穏やかに静かに育っています。

一度、妹猫をと思い、捨て猫を連れてきたのですが、浮ェってえさも食べず、おしっこもしなくなり、あわてて、クリニックの先生に里親探しをお願いしたことがありました。
玄関から一番遠いところのカーテンの陰に隠れてしまったときの後姿を、今も思い浮かべては、かわいそうなことをしてしまったと反省しています。

今は、長女と二人で穏やかに静かに暮らしています。
8月に帰国したら私たちのことを認知してくれるでしょうか。
今回は、母の所にも行く予定ですから、いままでで一番短期間の帰国同居になります。彼の私たちへの反応はどんなものになることでしょう。

そんなことを思い出しながら、しばらくゆみこさんに連絡を取って無いことに気づき、鼓太郎の写真入で近況をメールをしました。
今は、ご主人が上記のサイトを運営していらっしゃって、鼓太郎とであったサイトは無くなっていました。

寄り合い所帯のようだったサイトですから、それぞれが、独立して、それぞれのサイトを立ち上げたのでしょう。

鼓太郎はもう5才ですから、それ以上の期間猫が好きでボランティアで猫の里親探しを続けていることになります。
良縁を結ぶってことは、すごいことです。
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今日、手に入れたもの

2006年05月16日 | UBから
 せんっけんの彫り物を頂きました。
午前中、雪に降り込められて作ったそうです。
石鹸とは、思えない美しさで、帰りは手でささげ持って帰りました。
タイでは、果物を彫るそうですが、今日の作品はモンゴルに売っている石鹸です。
石鹸の色に合わせて、タンャの花です。

モンゴルの石鹸は、乾燥しているためか、欠け易く彫りにくいとおっしゃっていました。
手ごろな粘りのある石鹸を、探していらっしゃるそうです。



お次は、ウルギー直送の刺繍の作品です。
丸いのはピンクッション。
ボシェットは、青年海外協力隊員がデザインして作らせたものだそうです。







真ん中は、同じ人から、先月買ったフェルトのミニマット。
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変わり易い天気

2006年05月16日 | モンゴル風景
 
  20分後⇒







昨日は、20度以上気温が上がりました。
気の早い人は、タンクトップで歩いていました。
ところが、昨夜は、戦車がエンフタイワン通り(平和通)を、走っているのではないかと思うくらい、激しい音を立てて風が吹き荒れました。

今朝も、風が強くぼたん雪が横に振っていました。
出勤の夫は、あわてて分厚いコートを着込んで行きました。
さぞ、冷たかったことでしょう。

12時半ごろが一番雪と風が強く、書き込みをしようとしたら、とたんに雪がやみ日が射してきたので、あわてて、もう一枚晴れた写真を撮りました。


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チンゲル亭改め風のこたろう

2006年05月15日 | チンゲル亭裏日記

去年4月に、UBへ再度やってきて、HPの「チンゲルテイ便り」は、そのままの形で残し、新しくブログをはじめました。

一年経って、今年の4月1日の引越しを期にいろいろ考えた結果、昨日からチンゲル亭とオードリーの名前を返上しました。
おすみの書く「風のこたろう」のブログとして再出発しました。

中身はなーんにも変わりません。
チンゲル亭を出て気分一新したことだし、ブログの整理して見ました。ネーミングだけね。。。

こちらに来て、妙に気持ちが落ち着くのは、なぜかなぁと考えてみました。
田舎で育った私ですから、庭があって、窓からの山の景色は絶対に捨てられないと思っていたのです。

ところが、引っ越して見て、窓から見えるのは、隣の建物で、庭には、草一本生えてなくて、季節を感じるのは、屋根に積もった雪だけと言う環境なのですが、なぜか、気持ちが安定しています。

空気感覚や、すれ違うモンゴル人の視線が、外国人に慣れていて妙に緊張しなくて良いのか、食材の買い物をしても歩いて帰れる距離にある、そして、何より、日本人が集まる人の良いマスターの居るサクラベーカリーが徒歩一分に有って、寂しくなったら、帰りを心配せずに行くことが出来る。

チンゲル亭に居た頃、何度いまさくらに行きたいと思って、断念したことか、、、

今すぐ、行きたいと思ったら何も気にせず行けるところがある。
いいなぁー。

そのおかげなんだろうか、多分、そうなんだろう。
それに、静かなのだ。
静かだと寂しいのかと思ったら、決してそうではない。
以前の、車の音、修理の音、モンゴル人の叫び声、大きな通りに面した車の修理屋が軒を並べていた荒々しい空気が伝わってきて、気持ちにささくれを作っていたのかもしれないなぁ。

テレビをぼんやり見ている時間が、かなり少なくなってきているし。
気持ちも、前向きになってはじめて、後ろ向きになりそうだったことに気が付くものなんだ。

いろんなことに、区切りをつけ、未練を残さないことも大切なんだなぁ。
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窓からの景色

2006年05月15日 | UBから


19時35分 夕日 窓からの景色は、こんな風になりました。



夫のスモーキング ルーム(覆い付きのベランダ)から見えるボクト山と青い屋根は、サーカスの建物



我が家の日当たりの良い庭?と人気歌手 Bが住むという噂の向かいの建物。
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日本食

2006年05月14日 | UBから
UBに、どんどん日本のものが入ってきています。
今日, 「ウランバートルお出かけ日和」http://chie.cside21.com/では、お豆腐とゆばが出現したと情報を頂きました。

このサイトは、いろんな情報を頂いて重宝しています。
デモ、一度も訪問したことがありません。
貴方の知らないところで、御礼を申し上げます。ありがとうございます。

メルクーリに売っている豆腐は、お箸で突き刺しても持ち上がるような硬い豆腐です。
常温の水に浸して売っているので、入荷したその日の午前中に買わないと、腐ったにおいを放ちます。
あたらしい?と確認したら、必ず「シン(モンゴル語で新しい)」と答えが返ってきますが、自分の鼻で大豆のにおいがするか確認します。
異臭がしたら、大げさに駄目だよとジェスチャーをします。

それでも、新しい豆腐のにおいを確認したときはうれしくて、かって帰ります。
最近のヒットは、薄く切って冷蔵庫で水切りしたのを、小麦粉か片栗粉を付けて揚げます。
油揚げもどきが出来て、さくさくっとして鰹節があったら最高!

そして、次のヒットは魚のフライの冷凍食品。
ツェギーに頂きました。
そして、かなり後になってスカイショッピングで見つけて買ってきました。その時はウフフ、と喜びながら、もって帰ったのです。

最初、ツェギーにもらったとき余りに大量でどうしようかと思っているところに、国内の遠来のお客様が、バスの時間待ちに我が家(前のアパート)にいらっしゃ居ました。
お昼に作ったら、食べる時間が無いので、お弁当にして持っていってもらいました。
ご飯とフライだけのお弁当。。。ソースだけは、日本製のとんかつソースがまだ残っていました。

そのお客様の一人が、一ヶ月くらい後の昨日も、仕事でUBに上ってこられて、夫と会ってお茶を飲んだそうです。
その時のお話がまた傑作。

前回のお弁当がとってもおいしくて、彼は、すぐさま全部食べたそうです。
もう一人の方は、もったいなくて、半分残して家に持って帰ったとのこと。
お二人の、心模様がイメージぴったりでとてもおかしく、喜んでいただいたことがうれしく、一日楽しく過ごしてきた上にまた楽しい話題をもらって、ほんわかの一日の締めくくりでした。

おいしい魚のほとんど無い生活をしているので、魚を頂くとほにとにうれしいのです。
この白身魚のフライは、日本で食べたら、こんなにおいしいと思えるかどうか疑問なのですが、我が家の二人だけのマイブームでなく、他の日本人の方もおいしいと感じるのだなぁと思ったことでした。




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今日は母の日

2006年05月14日 | チンゲル亭裏日記

朝一番で、娘から電話が届く。
殆ど、用事はメールで済ませているので、声の贈り物が一番うれしい。

元気そうで何より、母の日を覚えていてくれてありがとう。

私たちの一時帰国を、心待ちにしてくれているようです。
うれしいなぁ。
ほかほか気分。

夫の母にも、電話しなくちゃ。

今日のUBは、快晴。
電話も隣に居るようにはっきりくっきり聞こえて、それも、母の日の贈り物だね。
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乗馬クラブ

2006年05月13日 | モンゴル風景
2回目の乗馬クラブに行ってきました。
2週間の間に、確実に春がやってきていました。

モンゴルで一番先に咲く薄紫の花が、そして2番目の黄色い花が、咲いていました。
馬の上から見ると、地面に花が落ちているように咲いています。茎が殆ど地上に見えていません。

そして、枝の先が赤く染まっているような木。

とびやそのほかの鳥たちが空を飛び、かもが川を泳ぎ、野リスが走り、兎が走り抜けました。

川の氷が解けて、川岸にわずかにへばりつくように残っています。
その断面は、白と薄いブルーと、かすかに緑がかったブルーと、幾層にもなっていました。

時々、氷が自然に割れて川に落ちる音は、猟銃を撃ったような音がします。

川の流れもとても速くなって、水がとてもきれいに澄んでいました。
その急流を渡るときは、かなり浮ュて、つい視線がうつむいて流れを見てしまうと、馬もろとも流されているような気がしました。

金井さんの「目を上げて、渡る先を見て、馬の鼻を上流に向けて」と言う大きな声が聞こえなかったら、川の真ん中で立ち往生したと思います。

そして次は、山登り。風を受けて、馬方さんのゲルからトレッキングしてきた場所を眺め、これからの順路を確認。そして昇った後は下り。

20キロを、4時間くらいかけて馬を歩かせました。
2回の休憩では、水分補給と飴を一個。
ゲルに帰ってから、お昼ご飯です。

汗をかくくらい暑いゲルの中で、スーテイチャを飲み、ご飯の上に載ったサラダのようなものがおいしく、さしずめにんじん丼が、飛んでおなかに入りました。

確実に腕をあげていく周りの人たちを見て、私もかなぁと思ったことでした。

来週は、夫も行きそうな気配に喜んでいます。

乗馬初心者は、カメラ持参禁止です。危険なため。
写真は有りません。私の胸の中にあります。


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そしてもう一つの分かれ

2006年05月12日 | チンゲル亭裏日記

ツェギーに、今夜電話をしました。
仕事は、どんな様子なのだろうと心配になったからです。
そして、余りに突然だったので、夫も唖然として、新しい通訳さんに、ツェギーから直接引継ぎをして欲しいことが一つ有ったのを思い出したのでした。
もう雇い主ではないのですから、夜になっての電話は、夫からかけるわけには行かないと言うので、渡りに船とわたしから電話をさせてもらいました。

10時、まだイデレーちゃんは眠っていないようです。
新しい雇い主さんは、出張中なので、仕事は月曜日から始まるそうです。
それで、今日と明日は奥様と行動を共になさっているとか。
仕事は、始まってなくて、職場に挨拶に行ったとのこと。

明日、奥様との用事が早く終わるようだったら、帰りに学校に立ち寄ってくれると約束が出来ました。

もう、自分の通訳ではないのですから、申し訳ないのですが、重要なセミナーの通訳は、彼女がとても苦心して、やり遂げたものです。
夫から指導するより、彼女からしてもらったほうが良いとの判断です。

そして、不安感を持っている新しい通訳さんに、何とか、その気になって働いてもらいたいと思うのです。
彼の名は、アルタイ(アルタイ山脈のアルタイです。アルタンだと金という意味になります)そのまま居ついてくれると良いのですが。

そして、ツェギーとはもう今までのようになれなれしくは出来ないなぁ、新しい雇い主さんとの仕事に期待し燃えているらしい彼女の様子を電話で感じて、これもまた一つの別れなのだと寂しく感じたことでした。

明日、よろしくね。
そして、ひとまず、さようなら。
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ウツカ君

2006年05月12日 | チンゲル亭裏日記

去年10月6日に、SAVE THE CHILDRENの活動を始めて、今日で27回、ハイラスに有る施設に通いました。

ゲル地区にあるということで、夫と何が起こるかわからないとかなり心配をしました。
ちょうど、息子に日本語を教えて欲しいと言う依頼が夫の元に届き、わたしがゲル地区に通うについて、ガードをすることで、日本語の会話を自力で習得するのならと言うことで、ウツカ君がやってきました。

必要以上にゲル地区を浮ェっていた私には、救世主のように思えました。

いつしか、私も活動になれ、ゲル地区もそんなに危険があるわけではないことが分かり、信頼できる女性の運転手さんが見つかってからは、すっかり彼の存在する意味がなくなってきました。

決まった運転手さんになり、毎回、待ち合わせ場所を連絡する必要がなくなったので、ウツカ君のほうから、前日に連絡をしなさい。そして、単語を覚えて、私たちの会話を良く聞いて、分からないことは質問しなさい。と申し渡しました。すると彼は休みがちになり、今日で3週続けて連絡がありません。

今日、お手伝いをしていただいていたKさんがしばらくお休みをすることになり、これでボディーガードの必要が全くなくなったので、これを期にウツカ君のお仕事にも決着をつけることにしました。

せめて、明日、昼食をと提案したかったのですが、仕事で忙しいとのことでした。
彼の理解できる言葉で、過不足なくローマ字で伝えるには、文章を考える必要があります。
そして、返事を考えているときに。
”naniga" と言うメッセージが届きました。
お昼に会うというのは、何のためにですかと言う意味のようです。
それで、「SAVE THE CHILDRENのウツカの仕事は今日で終わりです。長い間ありがとうございました。7月に日本に行ったら頑張ってください。」と返信しました。

わかりましたと言う返事は、モンゴル人は殆どの人がしません。
ですから、返事を期待していなかったら、「ほんとに、ありがとうございました」と返信が来ました。

こんな返事をもらったら、辛くなるじゃない。
どのように表現すれば、より良く伝わるかばかりを考えていたので、不意を突かれました。

これは、一つの別れなんだなぁ。。。
彼のやる気のなさばかり責めていましたが、いざとなると、寂しいものなのね。
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