熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

劇団民藝「浅草物語」・・・東京芸術劇場

2008年03月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   トニー・ブレア前英国首相や石原慎太郎知事が登場する「地球温暖化防止、世界と日本」シンポジウムと「浅草物語」のダブルブッキングをしてしまい、どちらにしようと迷ったが、結局、時間の早い方の劇団民藝の「浅草物語」に出かけて、そのまま、最後まで観てしまった。
   本当は、シンポジウムに出て、芝居は日を改めるのが正解だった筈なのだが、聞く内容は大体分かっていると言う気持ちもあったし、池袋の芸術劇場から、日比谷の東京フォーラムまでの移動も億劫でもあった。

   これまで、芝居は、蜷川幸雄の舞台が主で、それに、仲代達矢の無名塾や栗原小巻の俳優座が複数回で、他には、雑多なものを色々見てきたと言った程度で、結局あまり見ておらず、民藝の舞台は今回が初めてであった。
   大滝秀治と奈良岡朋子は、映画とテレビでしか見ていないが、素晴らしい役者であることは承知しているし、日色ともゑは、大草原の小さな家のお母さん役の声優だしTVなどで見る印象は非常に優しく女らしいチャーミングな女優と言う感じで、是非舞台で見てみたいと思っていた。
   ベテランのお二人は、もう80歳に手が届く年齢だが、実に若々しくて元気溌剌とした舞台で、大滝のとぼけた実に味のある演技にも、奈良岡の気風が良くて色香の衰えないカフェのマダムの妖艶さにも圧倒されて観ていた。
   日色は、印象どおりだったが、もう既に還暦を過ぎたベテラン女優で、甲斐甲斐しくて優しいいいお母さんになっていたが、さすがに、東京女で、ぽんと突っぱねる威勢の良さを見せてもらって新鮮な印象が加わった。
   
   小幡欣治作、高橋清祐演出のこの芝居は、赤紙の召集で戦地に赴く話が出てくる頃の戦中の浅草の下町の蒲団屋やカフェなどが舞台になっていて、悲喜こもごもの庶民の人情劇が展開されていて昔懐かしい郷愁を誘う。
   還暦を過ぎて隠居した酒店の大旦那鈴木市之進(大滝秀治)が、20歳も年下のカフェのマダム鏑木りん(奈良岡朋子)に恋をして、それに絡む人々を巻き込みながら繰り広げられる笑いと涙の物語であるが、
   市之進が、発奮して一代で財を成すが実は宿場女郎の息子であったことが明かされ、吉原の花魁上がりのおりんが、無理やり里子に出されて関係を絶たれて、一切拒絶して会わなかったわが子の、出征前の仮祝言に出席する為に新潟へいそいそと出発して行くところで終わる。新潟出発前の朝、市之進が、見送りに来て一緒に暮らして欲しい言った言葉にまんざらでもないりんの清々しい姿が、この口絵の写真である。
   大滝と奈良岡の、60年の風雪に耐えて磨きぬかれた、実に息と波長の合った軽妙かつ絶妙な演技が素晴らしい。
   それに、しっかり喰らいついて必死になって追っかけている日色ともゑの娘でありお母さんである大浦くみが光っている。

   冒頭は、1男4女の子供たちが、世話をしなくても良いのは好都合なので賛成だと言いながら、父の恋の相手が、吉原の女郎であったことを知って世間体が悪いと言って反対するが、優しい長女の大浦くみ(日色ともゑ)が引取り一緒に住む。
   りんのカフェの家主が市之進であることを知って、財産相続を子供たちが画策に来るなど、お決まりの家族騒動が展開されるが、未成年の孫に頼まれて、母をまいて吉原へ案内しようとして見つかる市之進の間抜けな行状など、しんみりした家族の交感などもあり下町の温もりのある生活がユーモアたっぷりで面白い。

   りんの方は、カフェで繰り広げられる人間模様が非常に面白い。
   家出娘を助けた筈が裏切られて、売春疑惑で事情聴取の為に警察へ連れて行かれ、自分の過去の人生を暴き出されて、自棄酒をしこたま飲んでカフェに帰って来て、くだを巻いて暴れている所に、捨てた息子が出征前に一目会いたいと新潟から出て来る。
   会うと言いながら、何を思ったのかドアにカギをかけ店を真っ暗にしてうずくまったまま、ドア越しの息子のナレーションだけで、追い返してしまう。
   諦めて行ってしまった息子の後姿を追うりんの悄然とした姿が哀れである。
   杉村春子に一寸イメージの重なる奈良岡を見ていたが、芸の素晴らしさは勿論だが、あの若々しくて匂うような色香は何処から出て来るのであろうか。
   歳を取るに連れて益々品や風格が出てきて美しく魅力的になって来る女優は稀有ではないかと思う。
   NHKの大河ドラマ「篤姫」のあのナレーションの素晴らしさは群を抜いて感動的である。

   ところが、この劇だが、宿場女郎の息子や元女郎のカフェのマダムと言った悲惨な運命を背負った人々の人生をテーマにしながら、決して、暗くて行き場のない舞台ではなくほのぼのとした温かい余韻を残すのは、小幡欣治さんの人間性の温かさだと思っている。
   戦中を舞台にしながら、赤紙が来て出征すると言う話や、兄が戦死したので家業を継ぐ為に芝居をやめて九州に帰ると言った話は出てくるが、戦争の悲惨さを殆ど感じさせないのもその所為かもしれないが、健気に必死になって生きようとする人々の姿を描くことによって、運命の過酷さ悲惨さを浮き彫りにしているような気がする。
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ダンテフォーラム2008「フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」

2008年03月15日 | 学問・文化・芸術
   森永エンゼル財団主催のダンテフォーラム2008「混迷の時代の叡智フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」がイタリア文化会館で開かれたので聴講した。
   哲学者今道友信東大名誉教授の「哲学から見たルネサンス」と言う演題の非常に格調の高い講演に始まり、樺山紘一氏の「ルネサンス:諸言語の饗宴」、田中英道東北大名誉教授の「芸術から見たルネサンス」と講演が続き、最後に、松田義幸実践女子大教授の司会で3氏による討論会が開かれた。
   聴衆は、テーマがテーマなので、教育水準の高い老壮年が主体のようで非常に熱心に午後の4時間聴講していた。
   私自身、講師たちの著書を読んでいて深く感銘を受けている人達なので、是非聞きたいと思って出席していたので、非常に有意義であった。

   一番身近に感じたのは、芸術を論じた田中教授の話で、レオナルド・ダ・ヴィンチの専門家であり、これまでに何冊か著書を読んで、その学識と造詣の深さに感じいっていたので、興味深かった。
   ルネサンスの芸術について、アラビアやモンゴル文明の影響について触れ、特に、最近の発見であるレオナルドの母親がアラビア人であった可能性が強いと言ったことに言及し、彼の鏡文字や、風景に人物を入れない技法などアラビアの影響を受けているなどと語っていた。
   元々、ルネサンスは、ギリシャ・ローマ時代の文化文明の復活・再生なのだが、当時最も進んでいたのはイスラム文化であり、これを通じての移入で、サラセン系の学問経由でアラビア語で入って来ているものが極めて多いと聞く。

   興味深かったのは、モナリザは、フィレンツェ第一の貴婦人であるイサベラ・デ・デスティの肖像画で、レオナルドが絶対に手の届かない高貴で教養豊かな神秘性を帯びた理想的な貴婦人への騎士道愛を描いたもので、この愛は、ダンテのベアトリーチェのそれに匹敵するという指摘であった。
   そう言われれば、モナリザは非常に神秘的だが、ラファエロの聖母には、世俗的で美しいけれど精神性は全く感じられないのも頷ける。

   田中教授は、素晴らしい芸術には、そこへ行ってその前に立ってナマのものを見ようと言う人を惹きつけて感動を与える魅力があり、その価値観を理解することが大切だという。
   その為には、見て考えて感動する見る目・鑑賞眼を養う必要があり、豊かな教養、感受性や宗教観が必要であり、絶えず習慣づけて勉強して訓練しなければならないと言う。
   日本の芸術教育について、樺山氏は、進んだのは技術教育だけで、芸術の素晴らしさを味わう為の鑑賞教育が決定的に遅れてしまったと嘆く。
   今道教授は、良いものを良いと認識できるココロザシ教育の復活が至上命題だと言う。

   特に、全員が、日本の教養教育軽視、乃至、欠如を嘆いていたが、俗に言うリベラル・アーツ教育の貧困さが日本の教育の致命傷だと言うことであろう。
   松田教授が、ナベツネに頼んで、古典の森、中公クラシックスを出版してもらったが、殆ど売れずに帰って来ていると嘆く。岩波も売れないようで、これが日本の教養水準の限界と言うところであろうか。
   余談だが、更に、冒頭で、このダンテフォーラムの聴講者は熱心だが、今の大学の授業では、授業中に学生の相当数は携帯を操作していて、授業が終わる頃には半数の学生がいなくなってしまっていると言う。

   偉大な芸術が生まれ出でるためには、ルネサンス期に、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと言った3大巨匠が同時に現れたように、創造の為の傑出した条件が整った時に起こるものであって、それはその瞬間限りであり、連続はない。
   パドヴァで成功していたドナテルロが、フィレンツェに帰ったのは、フィレンツェには批判する目がある、良いものは良いといってくれる人がいるからだ言ったが、これが、創造的な学問・芸術が爆発したメディチィ・イフェクトの真髄なのである。今道教授の話では、クリティクがあると言うことで、この言葉の意味は、良いものを発見すると言うことのようである。

   従って、文化は、偉大な文化遺産を修復して活性化することによって進化するのであって、遺産を守り再解釈し、その当時の時代を復元することに意味がある。
   法隆寺の金堂の壁画の消失や高松塚古墳の壁画の色彩退化などは、文化庁の怠慢・バンダリズムの極致で、文化政策の貧困の極みだと言う。
   フィレンツェの1966年のアルノ川の大洪水で、文化遺産が大きな被害を受けたが、その後の修復技術の進歩には目を見張るものがあり、この技術が、システィナ礼拝堂壁画の修復などに大いに貢献したと言う。
   21世紀は、観光の時代だと言う田中教授の指摘も面白いが、イタリアが過去の遺産で食っていると言うのも決して悪いことではなく、これこそ文化なのだと言うのである。

   
   
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天璋院篤姫展・・・江戸東京博物館

2008年03月14日 | 展覧会・展示会
   NHKの大河ドラマに因んで、両国の江戸東京博物館で、「天璋院篤姫展」が開催されている。
   展示は、故郷の薩摩、御台所への道のり、婚礼、将軍家定、大奥、幕府瓦解と徳川家存続、明治時代と言った調子で、篤姫の生涯を追って縁の品や歴史的な文物や遺品、手紙等の資料など豊富な品々が展示されていて、中々、興味深くて面白い。
   お客さんも老若男女、満遍なく多方面に亘っていて、テレビドラマの人気が偲ばれる。

   どうしても、篤姫の功績を前面に押し出した展示となり、主題は、風雲急を告げる幕末における篤姫の隠然たる政治向きの活躍が脚光を浴びる形となる。
   その頂点は、慶喜によって大政奉還された後の徳川家の成り行きで、官軍の隊長に宛てて徳川家存続を訴えた嘆願書で、結局、これによって、徳川家の存続が認められることになった。もっとも、これには、朝廷に嘆願書を書いた和宮の貢献も大きいのだが、
   言い換えれば、徳川幕府や幕臣たちは機能不全に陥っていたと言う事で、事実は多少異なるとしても、今の福田内閣の政局と同じで、危機的な一番大切な時に、統治能力が欠如していて何も有効な働きが出来なかったと言うことであろうか。

   篤姫たちの手紙が多数展示されていて、斉彬の養女では正室になれないと言った心配、子供が生まれない苦悩、西欧列強の開国要求に苦悩する将軍達の様子、etc.生々しい裏話が開陳されていて、これらの文書を読むだけでも興味が尽きない。
   ペリーの時の「蒸気船がたった四杯で夜も寝なれず」ではなく、欧米列強が5~60隻と言う大艦隊で押し寄せて来ていたようで、徳川幕府や大名たちの狼狽振りが良く分かる。

   斉彬たちの英明ぶりは、やはり、辺境の大名であった地の利を得て、琉球などとの密貿易やシナ等との交易で外界と接触していたことで、
   特に、アヘン戦争で清国がイギリスなどのヨーロッパ列強によって蹂躙されていたことを知り、その恐怖を真近に見ており、それに、長崎との接触やジョン万次郎からの情報など、インテリジェンスに優れていた所為であろう。
   このあたりは、良し悪しは別次元だが、国粋主義の徹底していた斉昭などの水戸との差は大きい。
   太平洋航路が開発される以前で、外国からの接触は、総て日本の西側からであったから、明治政府が、薩摩や土佐、長州勢の活躍で成立したのも当然であった。

   私自身は、徳川時代の平和と安定が日本の近代史において極めて重要な位置を占めていることを認めているが、世界に向かって雄飛しようと画策していた織田信長の天下が続いておれば、どれほど、日本がアジアを巻き込んで世界史を変えていたか知れないと思っている。
   事実、19世紀の半ば頃までは、中国とインドのGNPは、欧米より遥かに巨大で文化文明のみならず、経済的にも世界を押さえていたのである。
   そんなことどもを考えながら、篤姫展を見ていたが、結構楽しい時間を過ごすことが出来た。

   江戸東京博物館では、常設展示館で、同時に、「家康・吉宗・家達~転換期の徳川家」展を開催しており、また、前世紀半ば以前の懐かしい東京を版画にした「為替巴水展」も併設されているので、春の芸術鑑賞には丁度好都合である。

   
   
   
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市川右近の「ヤマトタケル」

2008年03月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに楽しい舞台を観た。
   猿之助のスーパー歌舞伎のはしりだとかで、私はロンドンに居たのでニュースでしか知らなかったが、スコットランドの保険会社の重役夫人が、ロイヤル・オペラで、「ドン・ジョバンニ」の観劇中に、ファンだったと言って猿之助の「ヤマトタケル」の話をしきりにしていたので、そんなに騒ぐほどの歌舞伎かと思って興味深く聞いていた。
   話が分かっているのかと聞くわけにもいかなかったのだが、今回初めて「ヤマトタケル」の公演を見て、これだけのサービス満点でスケールが大きくて楽しませてくれる舞台も少なく、成る程、シェイクスピアの舞台になれているイギリス人には当然だと思った。

   小碓命(右近)が兄の大碓命(右近二役)と喧嘩して殺害するのだが、この冒頭の場面から、舞台で「早替り」を演じ、幕切れ近くでは昇天したヤマトタケル(右近)が真っ白な大きな鳥となって「宙乗り」して3階席に消えて行くなど、見せ場があり、
   それに、上手く設営されて瞬時にダイナミックに転換する舞台では、豪華で派手な極彩色の美しい衣装を着た役者たちが、ドラマチックな音楽に乗って、舞台狭しと乱舞したり派手な立ち回りを演じるなど、とにかく、グランド・スペクタクルな舞台を見ているだけでも楽しいのである。
   熊襲の陣営の愉快な舞台設定、蝦夷征伐での富士の裾野での焼き討ちの舞台、大海原で大嵐に翻弄され弟橘姫(春猿)を生贄に奉げる船上の場、等々ダイナミック舞台展開は秀逸である。
   スーパーと言うのは、great、すなわち、素晴らしいという意味なのだが、歌舞伎本来を超越したほど素晴らしい歌舞伎と言うことなのだろうが、現代風スペクタクル歌舞伎と言うところであろうか。

   この「ヤマトタケル」は、梅原猛の原作を猿之助が脚本に起こしたと言うことだが、勿論、古事記と日本書紀の伝説を底本にしているので、殆ど、私たちの理解に近く、比較的忠実にトレースしている。
   兄殺しを責められた小碓命が、父帝(猿弥)に命令されて、西征の為に踊り子に化けて熊襲を急襲して倒し、熊襲から「ヤマトタケル」の名を貰い、更に命を受けて東に向かって蝦夷を平定する。
   最後に、息吹山で山神を倒すのだが、草薙剣を妻の元に忘れて来たので相打ちとなり病を得て大和への帰途中で亡くなってしまうと言う謂わば英雄の活劇譚なのだが、伏流には父帝に疎んじられる皇子の苦悩があり、これに、恋と部下達との葛藤などが絡んで、結構話題性は豊かである。
   蝦夷征伐の時に、父帝が、タケヒコ(段治郎)を部下につけるのだが、(日本書紀では、吉備や大伴部が供をすることになっているが、)後半、このタケヒコが、忠臣として重要な役割を果たすこととなり、確かに、この役を交互に務める右近と段治郎のダブルキャストである意味合いは良く分かる。
   段治郎の颯爽としたタケヒコの素晴らしい演技があってこそ、右近のヤマトタケルが光っていたと言っても過言ではなかろう。

   面白いのは、平和に暮らしているのに、鉄と米の文化を持った大和の人間が、我々の生活を脅かしていると蝦夷に語らせていることで、確かに、青銅ではなく、大陸から伝わった鉄器の使用によって生産力が向上して国力が増し、稲作によって農耕民として定着した大和文化が、日本の統一に大きく貢献した。
   それに、もっと興味深いのは、熊襲や蝦夷を蛮族や遅れた野蛮族として扱わずに、この舞台では、大和と同等の民族として遇していることで、征西・東征が、権力闘争としての意味あいが強かった言うことであった。
   最近、TV映画として製作された聖徳太子や卑弥呼の扱いなども、現代の人間のようなキャラクターとして描かれたりしているが、実際には、価値観などどうであったのだろうと考えて見ると面白い。

   猿之助の舞台は知らないが、この「ヤマトタケル」の舞台は、右近あっての舞台で、一寸気負いすぎの感じはするが、若い英雄としての成長を蛹から蝶への変態をビルトインしながら清々しく演じていて爽快である。
   それに、これまで、りゅうとぴあの舞台で右近のシェイクスピア劇を観ているが、やはり、本格的な発声法が身についているのか、台詞回しと言い、内面の表現の豊かさと言い、歌舞伎役者としては珍しく、舞台芸術の役者としての成長が伺われて将来が楽しみである。

   猿弥の帝等の重厚さ、門之助の皇后等の冴えた性格俳優ぶり、弘太郎の溌剌としたヘタルベ、寿猿の老大臣と尾張の国造の妻の何とも言えないほのぼのとした味、など忘れ難い。
   女形としては、笑三郎の倭姫の格調と品が出色で、春猿の弟橘姫は艶やかで美しく、勿論、兄橘姫とみやず姫を演じた笑也の芸の確かさと存在感は抜群だが願わくばもう少し新鮮さが欲しかった。
   とにかく、猿之助一門の創り出す舞台の楽しさは抜群で、さすがにみんな芸達者で素晴らしい劇団であることを証明している。
   

   
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千住博展(ハルカナルアオイヒカリ)・・・高島屋日本橋

2008年03月12日 | 展覧会・展示会
   殆ど真っ暗な会場の壁面に、大きなスクリーンに映し出された巨大な滝が青白い水煙を伴いながら静かに滝壺に落ちている。
   水琴窟のように澄み切った電子音楽の爽やかなサウンドが、おとぎの国の洞窟の中に入ったような雰囲気を醸し出していて、全く、異次元の世界にスリップアウトしたような錯覚を感じさせる。
   そんな素晴らしい千住博が創り出した空間が、東京のど真ん中・高島屋日本橋店に展開されている。

   これまでに、千住博は、ウォーターフォール作品を製作しているが、今回は「ハルカナルアオイヒカリ」と言うタイトルで、蛍光塗料で手漉きの和紙に壮大な滝を描き、その巨大なスクリーンに、ブラックライトとスポットライトを当てて、燐光のように幽かに妖しげな光を放ちながら揺れ動く(?)滝を浮かび上がらせている。
   動いているのは、客の真っ白なワイシャツやブラウスの襟元だけで、私の小指の白い包帯が幽かに巨大な蛍のように光っている。
   何時もは多くの絵などが壁面を埋めている広い会場は、間仕切りが取り外されて、総ての壁面に、単独の滝や、屏風のように連なる滝などが描かれて青白く光る滝のスクリーンだけで、真ん中には、所々に置かれた長いすしかなく、水琴窟の澄んだサウンドだけが生き物のようなリズムを刻んでいる。

   千住博の滝は、実に穏やかで静かであり、滝壺に轟音を轟かせて怒涛のように流れ落ちる滝ではない。
   白糸のように壁面を流れ落ちるような穏やかで実に優しい滝なのである。

   私自身は、日本のあっちこっちで、色々な滝を見てきたが、急流や断崖絶壁の多い起伏の激しい日本であり、比較的水量の少ない激しい滝か、傾斜した壁面を白い糸を引いて流れ落ちる滝くらいしか記憶がないので、千住博のイメージは、豊かな創造の世界であろうと思って鑑賞していた。
   巨大な滝が屏風のように延々と続いているのは、南米の3国に跨るイグアスの滝で、ここには、20回は訪れているが、中心の悪魔の喉笛などは途轍もない轟音を響かせて滝壺に流れ落ちていて、千住博の世界のような余韻も芸術的なイメージとも遥かに程遠く現実的である。
   北欧のフィヨルドの高みから流れ落ちる滝は、遠いので音が聞えず静かに糸のように流れ落ちているので、ややイメージが近いかも知れない。
   この千住博の作品は、ニューヨークで好評を博したようだが、あの厖大な水の塊が屏風のように流れ落ちているナイヤガラの滝のイメージを持ったアメリカ人には、正に驚天動地の一種スピリチュアルな哲学的な感慨を与えたのかも知れない。
   
   近付いて筆の跡を見ると、上部から薄い絵の具を静かに流して自然の流れで描いたような雰囲気があったり、筆で絵の具の飛沫を飛ばしてアクセントをつけたり、とにかく、その繊細な筆遣いにはビックリするが、それが、強大な絵として統一が取れているのだから、気の遠くなるような創造の時間との格闘があったのだと思う。
   東山魁威や平山郁夫のイメージとダブらせながら、絵を見ていたのだが、千住博の方が遥かに繊細で緻密である。
   奈良や京都の風景のイメージや幻想的なインプレッション風の風景画を比べてみても、千住の絵は、写真のように正確で、輪郭線がハッキリしているので浮世絵の雰囲気に近い感じがする。
   それに、とにかく、色彩感覚の凄さは抜群で、日本画で、これだけのイメージを膨らませることが出来るのかと思って感心して見ている。
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京都議定書を糾弾するG.プリンスLSE教授

2008年03月10日 | 地球温暖化・環境問題
   経団連の主張に沿った問題提起で「京都議定書以後の国際枠組みとセクター別アプローチ」日米欧3極シンポジウムが開かれたので聴講した。
   出席者は、日米欧の学者、経済団体や国際機関の役員、経産省担当官、そして、産業界は、石油、電力、鉄鋼等からで、正に、経団連の従来からの見解であるセクター別地球温暖化政策グループの集合と言う感じではあったが、私自身には、非常に勉強になった一日であった。

   まず、非常に興味を持ったのは、冒頭のグウィン.プリンスLSE教授の「Recent trends in adressing the climate change issue 地球温暖化問題に関する最近の動向」と言う講演で、京都議定書を激しく糾弾しながらセクター別アプローチが如何に優れているかを語り、洞爺湖サミットでの日本の指導的地位の重要性を強調していたことである。
   プリンス教授は、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)の長周期事象研究に関するLSE Mackinderプログラムのディレクターだが、長い間アフリカに住みアフリカ人と草の根活動を共にして医療関係の事業に携るなど広い分野の文明史の専門家であり、オックスフォードのSteve Rayner氏と連名で、昨年10月に「ネイチャー誌」に「Time to ditch Kyoto」と言う論文を掲載して、京都議定書を糾弾している。

   Natureの論文や講演を加味して考えると、プリンス教授は、まず、京都議定書の地球温暖化対策は、過去のオゾン層破壊、酸性雨、核兵器に関する非常にシンプルな条約のように扱っていることで、
   地球温暖化が、全地球を巻き込まなければならない極めて複雑な問題であることを無視して、核兵器と同じように二酸化炭素を扱って、各国が検証した目的とタイムテーブルに従って削減できると考えて、グローバルベースで直接温暖化ガスの排出量をコントロールしようとしていることで、これは根本的に間違っていると言うのである。
   
   京都議定書の更なる欠陥は、トップダウンで上から排出権総量を決めて、各国間の排出権取引を認めていることで、早い話が、この先5~10年グローバルベースの炭素価格がどのようになるのか、安定するのかどうかさえ分からないし、今でも、欧州の排出権取引スキーム自体が多くの深刻な問題を抱えており、投機に走ってぼろ儲けする輩が出て来ることである。
   元々、トップダウンで国際条約によって、腐敗するのが分かりきっているカーボン市場を創設すること自体が間違いであって、今後、中国やインドの工業化の進展と石炭への傾斜が進めばどうなるのか。市場経済において、権力が強制的に創設するコモディティ市場が上手く機能する筈がないと言う強い危惧を持っている。
   それに、京都議定書による温暖化政策は政治的な意思が強すぎて、京都議定書さえ上手く行けば総て温暖化問題が解決すると言った風潮を助長したのにも問題があり、このような運動はボトムアップであるべきだとも言う。

   そのほか、京都議定書やEU主導の地球温暖化対策については、色々な点から問題点を論じているが、相対的には、政府の介入を出来るだけ避けるべきで、民間ベースのボトムアップで対処すべきだと言う。
   しかし、唯一つ、政府が主導権を発揮して対処すべきは、地球温暖化対策の為にイノベーションを喚起することが最も大切であり、、低炭素社会の為のアポロ計画に匹敵するR&D戦略を打ち上げるべきだと言っている。
   カーボン価格をドラスティックに引き下げる為にも、今後これまで以上にエネルギー・インテンシブな経済産業社会化が進んで行く以上、クリーンなエネルギー技術の開発が急務であり、R&Dの役割は遥かに重要となる。

   プリンス教授は、
   そのためにも、民間私企業のイノベーションによる根元からのカーボン排出削減努力が益々重要となり、セクター別アプローチが最も適した方策である。
   サプライ・サイド、すなわち、モノやサービスを生み出す主体からの自主的な削減努力による果敢な地球温暖化対策が最も有効にワークし、この方面で、最も対応と技術的な貢献を続けている日本がイニシャティブをとるべきで、洞爺湖サミットがこのための千載一遇の好機だと主張するのである。
   今や地球温暖化運動の主導権はヨーロッパから環太平洋群、カナダ、中国、日本、インド、アメリカに移ったとも言う。

   私自身としては、セクター別アプローチにも問題が山積みだと思うのだが、このプリンス教授の見解も含めて、今回は、私自身があまり知らなかった新しい視点からの地球温暖化問題の提起があって、朝10時から午後の6時前までの長丁場のシンポジウムであったが、非常に興味深く聴講した。
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「母べえ」の夫・野上滋氏の読書

2008年03月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日ブログに書いた山田監督の映画「母べえ」に登場する父べえのドイツ文学者野上滋氏の獄中での唯一の楽しみは、読書であった。
   従って、差し入れに頼むのは、決まってドイツ語の専門書か高級な文学作品など高度な洋書で、我々の生活からは程遠い書物であった。
   トルストイの「戦争と平和」を読みたいので差し入れて欲しいとナレーションが流れたところで、風来坊の叔父(笑福亭鶴瓶)がその分厚い洋書を重ねて枕にしていびきをかいて寝ていたのは、ご愛嬌としても、戦前の学者は、正に最先端の或いは本物の学問を追求するためには、このように洋書と首っ引きで生活していたのであろうと思う。
   わがゼミナールの恩師もゲーテの「ファースト」を原書で読んだと語っていた。

   今のように書棚に収用されているのではなく、壁の一番上の棚の上に並べられたり、部屋の畳の上に山済みされている風景が実に懐かしく、本が貴重だった時代の雰囲気が良く出ていて、こんな貴重な平和な学究の生活を軍国主義と言う一枚岩の暴挙が蹂躙したのかと思うと堪らなくなった。
   しかし、思想犯で逮捕しておきながら、父べえの書物をあまり没収して持って行ったような形跡がなかったのが、一寸不思議であった。

   もう一つ、今と違うのは、古本の値段で、愈々生活に困って来たので、本を売って生活費を捻出しようとしたら、吉永小百合の母べえが、そこまでしなくても私が何とかしますからと答えていたが、やはり、専門書や洋書が貴重な頃で、かなりの値段がしていたようである。
   今では、新本をブックオフに持っていっても、公表は価格の10%で買いますと言っても、何とかかんとか言って精々50円で引き取ってくれれば良いところで、二束三文である。

   父べえの蔵書も、恩師の蔵書も書き込みが一杯で、差し入れの時には受け取って貰えないので、みんなで一生懸命に消しゴムで書き込みを消していたのが印象的だったが、ペンの書き込みではなく鉛筆と言うところが面白い。
   私のアメリカでのビジネス・スクールの時代の原書には、びっしり黄色やピンクのマーカーで線を引いてしまっているが、こんなのは、書き込みになるのであろうか。

   若い頃は、書き込みなどしなくて読み飛ばすだけだったが、この頃は、歳の所為もあって、随所にポストイットを貼り付けて、鉛筆で傍線を引き、特別な所は書き込みをしているが、それでも、必要な時に、大切な所を見つけ出すのは至難の業である。
   アメリカなどの洋書、それも、専門書や学術書では、必ず索引が付いているが、日本の本では、余程気が利いた専門書でない限り、コスト削減なのか付けていないが、これは、専門書としての価値を貶めているとしか思えない。

   戦前とは違って、現在は、とにかく、知識や情報に触れる手段が沢山あり、それに、楽しみや興味をそそる対象が無数にあるので、野上先生ほど本にのめりこむ事がなくなったが、こんなに、インターネットが便利になって、どんな情報にも自由にアクセス出来るようになっても、私には、やはり本が一番都合が良くて便利なような気がしている。
   あっちこっちに本を積み上げて、読めないのが分かっていても、また、本屋に出かけて行くのだが、この趣味ともつかない性癖は死ぬまで直らないような気がする。

   
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ジュリー・テイモアの芸術

2008年03月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ジャパン・ソサエティー創立100周年記念シンポジウムで、ジュリー・テイモアが、宮本亜門と共に「創造の作り手」について語った。
   ブロードウエイ・ミュージカル「ライオン・キング」で有名な演出家だが、私は、彼女のMETの「魔笛」の舞台をライブ・ビューイングの映画でしか見ていないし、ライオン・キングも断片的な映像でしか見ていないので何とも言えないのだが、この二つの作品を見る限り、豊かな発想やイメージは、極めてアジアやアフリカの影響が強いように思っていた。
   多少は、テイモアの略歴は知っていたが、今日の彼女のスピーチで、並外れた多くの芸術体験が、欧米の伝統からの束縛を離れた、独特なエキゾチックで色彩豊かな舞台を創り出しており、その芸術の秘密が少し垣間見えてきたような気がした。

   10歳でボストンの子供劇団に入って舞台に親しみ始めたのだが、14~5歳でスリランカとインドで国際在住プログラムを経験し、16歳の時にパリで黙劇を学び、オハイオ大やニューヨークで演劇を学ぶ一方、1973年に、アメリカン・ソサイエティのインドネシア仮面舞踏劇や影絵人形劇プログラムに参加している。
   1974年大学卒業後には、伝統演劇などのパーフォーミング芸術を集中的に学ぶ為にアジアに興味を持ち、ワトソン・フェローシップで、日本に来て、文楽などあっちこっちで人形劇の勉強をし、更に、自分でインドネシアに渡って5年間住んで、自分自身で国際色豊かな役者や音楽家、人形師を糾合した劇団まで結成している。
   バリ島でのスピリチュアルな経験等も含めて、このような若い時の異文化との遭遇と経験が彼女の芸術に強烈な印象を与えない筈がない
   テイモア自身が、今回のライオン・キングの発想は、大きくこれらの日本やインドネシアの体験から得ていると言っていた。

   日本人は、ごく普通の伝統芸術や人形劇でも、アウトサイダーのテイモアには、非常に新鮮な経験と感動を与え、インスピレーションの源になるのだと言う。
   このようなアジアの伝統的な人形劇や舞踏やガムランのような音楽は、語る言葉のない物語であったりストーリーがなくても、イメージと想像力を働かせて観客に理解させる力がある。
   このようなアジアの音楽とイメージが生み出す舞台芸術は、万人共通のものであり、国境を越えて伝わる。
   ライオン・キングの場合には、人間が仮面や装置を使って動物のイメージを演じているが、マスクも役者も両方とも演技をしており、これは、インドネシアの仮面劇のダブル・イベントを利用したもので、観客はイメージを膨らませて理解してくれると言うのである。

   茂木健一郎氏が、「独創的な発想や発明は、総合的な知がないと開花しない。そして、作品であろうがアイデアであろうが、不連続なものはひとつとしてなく、無から有を生じたり、忽然と出現すると言うことは絶対に有り得ない。」と言っている。
   私は、テイモアの場合には、本人も言っていたが、シェイクスピアやギリシャ悲劇・喜劇は勿論、マーハバーラタやラーマヤーナなど、色々な演劇やパーフォーマンス・アートに興味を持って勉強しており、とにかく、アジアもアフリカも含めて、色々な分野の芸術の経験と知識が充満しており、この豊かな経験と知が、テイモアの類稀なる創造性と感受性豊かな心を触発し、このような斬新な演出を生み出しているのだと思っている。
   以前に、ユーディ・メニューインのヴァイオリンととラビー・シャンカールのシタールの素晴らしい合奏を聴いて感激したことがあるが、WEST MEETS EAST.正に、美の炸裂である。
   テイモアのオペラや映画や演劇を観て、子供も大人も多くの人が、感動を共有出来ると言う秘密は、彼女の奥行きの深い幅の広い知の集積から生み出された芸術の豊かさにあるのではなかろうか。

   ところで、テイモアは、テンペストやタイタス・アンドロニカスなどシェイクスピア映画も手がけているようで、今回、さわりだけ放映して見せてもらったが、役者のケネス・ブラナーとは違った味で、面白そうである。
   小澤征爾の松本キネンのストラビンスキーの「オイディプス王」の演出が彼女の作品だとは知らなかったので、確か、TVから録画した筈なので、探して観てみたいと思う。
   テイモアのスピーチや宮本亜門との対話等は、1時間15分くらいの短い時間ではあったが、非常に密度の高い知的な素晴らしい時間を提供してくれた。
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三月大歌舞伎・・・仁左衛門の「廓文章」

2008年03月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大坂の名妓夕霧と親に勘当された大店の若旦那藤家伊左衛門の物語。
  編み笠と紙衣に身をやつした伊左衛門が、恋仲の夕霧を吉田屋に訪ねて来て、再会するのだが、客を取っている夕霧に嫉妬して恨みつらみを並べ立て拗ねながらも仲直りする。そこに、勘当が解けて見受けの為の千両箱が運び込まれて目出度し目出度しとなる、言うならば、全く他愛のない話なのだが、関西和事の代表的な舞台で、仁左衛門の決定版とも言うべき至芸を楽しむための舞台である。

   この舞台は、やつしの典型として、大店の若旦那が無一文になって極貧生活を送っていると言う設定で、紙で作った紙衣を着て寒い中を京都から大坂まで訪ねて来るのだが、
   舞台は、そんなことは全く無縁だと言う風情の一寸頭の弱い鷹揚なぼんぼんと言った感じで、それも、しまりのない女型で、これが、恋しくて恋しくて堪らない夕霧がやって来ても、狸ねいりをして拗ねると言う全く様にならない優男を仁左衛門は実に上手く演じていて、その三枚目ぶりは正に名演である。
   大店の若旦那なので世間離れした鷹揚さと、随所に関西で言ういちびりと言う雰囲気が出ていて本当に上手いと思って感心して観ていた。

   やつしの世界は、この面明りを用いた花道の出の編み笠を被り紙衣を着た伊左衛門の扮装と仕草に象徴されているのだが、後は、伊左衛門が紙衣を着ているだけで、やつしとは全く無縁な華やかな廓の世界で、その落差と浮世離れした展開が正に歌舞伎であり、理屈を考えて観るのではなく、舞台を楽しむべき典型でもある。
   そう思って観ていると、やはり、仁左衛門は絶品で、同じ近松からの関西歌舞伎でも、この舞台は、近松の心中モノとは違った善意の人ばかりが登場しているハッピーエンドの物語でもあり、関西オリジンの笑いとユーモアの世界を、軽妙でコミカルなタッチで演じており、現在の吉本にも通じる世界である。
   前回は、藤十郎、その前は仁左衛門の伊左衛門を観たが、やはり、この役は、関西歌舞伎役者の世界であろう。

   初めて演じたと言う福助の扇屋夕霧だが、病気上がりだが格の高い太夫を、少し控え目だが実に品良く、それに、優雅に演じていて、玉三郎とは違った、仁左衛門との魅力的な舞台空間を創っていて好感が持てた。とにかく、一つ一つのシーンが絵になっていた。
   この時は、伊左衛門に恋焦がれて病気になったと言う設定だが、実際の夕霧は、非常に活発でしっかりした頭の良い傾城であったと言うことである。

   吉田屋喜左衛門の左團次は、言葉の雰囲気も大坂と言う感じがしないので一寸異質だが、情に厚い善人として味のある主人を演じていたし、女房おさきの秀太郎は、言うまでもなく正にピッタリと言うか絶品で、当然、仁左衛門との呼吸と間合いは抜群である。
   太鼓持豊作の愛之助は、太鼓持を見たこともなく演じると言っていたが、軽妙なタッチが面白い。
   このように毒にも薬にもならない美しくてリラックスして楽しめる舞台は、非常に貴重であり、私などは、何時も楽しみにしている。
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M.フリードマンの教育バウチャー制度

2008年03月06日 | 政治・経済・社会
   一昨日のブログで触れたエーベンシュタインの本には、知らなかった逸話が色々書かれていて、信じられないような話だが、フリードマンは、応用数学者として「マンハッタン計画」に参画して、原爆の起爆装置の設計に関与したのみならず、日本軍の爆撃機の撃退のための対空砲の起爆装置の設計にも関わっていたと言う。
   言うならば、広島や長崎の原爆投下に、フリードマンは、いささかなりとも貢献したと言うのである。

   さて、リバタリアリズム・市場経済・資本主義の信奉者であったフリードマンは、麻薬を合法化すべしだとか貧困者・失業者・高齢者・病人・障害者の生活を政府が支援すべきではないとか一般通念とは違った理論も結構展開しているが、私が興味を持ったのは、教育バウチャー制度である。
   この制度は、学校の授業料支払いに使える利用券(バウチャー)を支給し、保護者や生徒が自分の選んだ学校に利用券を渡して事業を受ける仕組みである。
   従って、バウチャーさえ渡せば、小中学生なら、学区制など関係なく、何処の学校にでも行けるのである。

   何でも政府の支援や保護に反対するフリードマンが、政府の教育への関与を認める根拠は2点あり、一つは、外部効果で、教育のコストを上回る社会的な利益、すなわち、総ての子供に教育を受けさせる社会的利益、が期待できること、もう一つは、貧しくて子供を教育できない人々への温情的な配慮だと言う。
   この教育バウチャー制度は、特に下層階級の子供には大きなメリットになり、多様性・選択・競争を通じて子供に多くのチャンスを与えることが出来、既存の公立校も含めてすべての学校の質が高まる。しかし、この制度に一番反対しているのは、教職員組合など学校官憲者と言っている。

   一方、フリードマンは、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に反対している。
   これは、例えば、大学などの入学にマイノリティの学生に枠が与えられているが、本人の能力が環境に釣り合わない場合、優秀な私大に入っても落第する可能性が高く、個人の能力ではなく人種や階層で人を判断する風潮に繋がってダメだと言う。
   義務教育と高等教育は違うということであろうが、フリードマンの意思は、とにかく、教育の質の向上を図り全生徒に義務教育を受ける機会を同時に与えて、学校制度とその選択を自由に任せろと言うことであろう。

   この制度は、私立校への入学を容易にしてアメリカの公立校の質の向上を目指すことを意図したシステムでもあるようだが、
   果たして、この制度を日本に導入すれば、どう言う事になるのか。
   まず、授業料の問題だけでもないので資力にもよるが、出来るだけ評判の良い学校に生徒が集中するであろうが、その場合にどう対処するのか、少なくとも短期的には、大変な混乱を来たして収拾がつかなくなる可能性が高いと思われる。
   結局、日本の場合には、選抜のために何らかの試験を行うこととなり、別な教育問題を引き起こすことになるかもしれない。
   
   入試を行うのなら、今の大学の制度と同じで、義務教育課程の学校を全国区にするだけの話で、これは、今でも、私立学校で行われている制度と同じになる。
   それに、日本の場合は、アメリカと違って、かなり、公立校の水準や質が高いので、日比谷高校復活程度の対策を取れば良いような気がしている。

   フリードマンは、麻薬をオランダのように合法化すれば、麻薬対策への社会的コストが削減出来て、また、麻薬患者もその方が減少すると言っているが、教育バウチャー制度を導入すれば、神の手の導きによって、自然と、競争原理が働いて学校制度も質の向上を図りながら均衡するということを考えていたのであろうか。
   自由主義の権化とも言うべきフリードマンが、晩年最も力を入れたのが、この教育バウチャー制度だと言うのが面白い。
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山田洋次監督作品「母べえ」

2008年03月05日 | 映画
   戦争映画を見ると何時も思う、幸福な時代に生きていて本当に幸せだと。
   私など、好きなことをやって、自由勝手に言いたい放題を言って生きてきたようなものなので、特にそう思う。
   この山田洋次監督の映画は、一連の時代劇ではなく、時代が少しづつ怪しくなってきた太平洋戦争勃発直前に、東大出の独文学者野上滋・父べえ(三津五郎)が思想犯として特高に逮捕されそのまま獄中で亡くなってしまうのだが、残された妻佳代・母べえ(吉永小百合)と二人の娘が善意の人々に助けられながら、暗黒時代の戦時下日本を、必死になって生きて行く姿を描きながら、戦争の悲惨さを告発している。

   原作者野上照代さんが優しいのか、或いは、山田洋次監督の目線がヒューマニズムなのか、極めて暗くて逃げ場のないテーマを追いかけながらも、特高警察は別にして悪人なしの善人ばかりの登場で、極端な戦争映画の悲惨さを感じさせないのが良く、ちゃぶ台を囲んだ茶の間の温もりの中で、健気に寄り添いながら生きていく庶民の姿が実に良く描かれていて胸を打つ。
   あの当時の日本は、ハリケーン・カタリーナ級の大暴風雨が吹き荒れた歴史上一瞬の出来事だったのかも知れないが、多くの善良で前途有為な人材を根こそぎ吹き飛ばしてしまった実に悲しい時代であったことを、この映画は、数々の逸話を展開しながら我々に突きつけている。

   民主党大統領選で戦っているバラク・オバマの「合衆国再生」を読んでいてもフェアで民主主義の旗頭である筈のアメリカでも、選挙戦は、何でもありの酷い戦いのようで、決して綺麗な世界ではなさそうだし、日本の民主主義にも色々あるようだが、
   少なくとも、極端な思想に走っても公序良俗に反しない限り、思想犯として国家反逆罪に問われて獄死させられることはない。信教と思想の自由、言論の自由は認められているのである。

   学問一筋で、謹厳実直で不器用な愛すべきドイツ文学者を三津五郎が好演しており、さすがに、山田監督が「武士の一分」で感服したように芸の冴は素晴らしく格調の高い学者像が、一層戦争の無意味さ悲惨さを浮き彫りにしている。
   最後にナレーションで流れる三津五郎の獄中から手紙の語りが実に良い。
   同じ様に、ラストの臨終の床で母べえの吉永小百合が、次女に、もうすぐ父べえに会えるよと言われて、声にならない声で「嫌だ。生きている父べえに会いたい。」と次女に語らせる所など肺腑をえぐるほどの感動であった。
   エンデイングの字幕画面に重なって、冨田勲の音楽で歌うソプラノの佐藤しのぶの歌声が効果抜群である。

   吉永小百合の母べえは、日本の母の永遠の理想像を、自己の芸歴を総て凝集して描き切った改心の作ではなかったであろうか。
   実父・藤岡久太郎(中村梅之助)に逆らって毅然たる態度で夫を擁護して幸せだと言い切って席を立つ姿、夫父べえへの絶対の信頼と愛、娘達への深い愛情といたわり、周りの人々への思いやりとふれあい、吉永小百合が本来の持っている強さと優しさに加えて、考え抜かれてそれを超越した滲む出るような人間味、表情一つ一つを追いながら感動して見ていた。
   やはり、実に頭の良い心の充実した日本屈指の大女優である。

   その吉永小百合にピッタリくっ付いて素晴らしい演技を見せてくれた長女初子の志田未来と、次女照子の佐藤未来の姿は目に焼きついて離れない。

   異彩を放っていたのは、父べえの弟子で、陰となり日向となり野上母子を助ける書生の山崎徹・山ちゃんの藤岡久太郎で、丁度無法松のように恩師の妻母べえを密かに恋して尽くす折り目正しい若者を、殆ど経験から超えた年代の役者だと思うのだが、最初から最後まで実に実直に押し通し正にイメージに違わぬ好演であった。
   父べえの妹で野上久子・ちゃこちゃんの壇れいは、「武士の一分」に続いての登場で、映画に出てくる子供がポカンと見とれるほどの綺麗な人で、野上家の家族と全く同じ役どころ。
   月夜の晩、山ちゃんを見送りに行く途中、母べえの言葉に託してそれとなく男の存在の大きさを匂わせて恋心を語るところなど秀逸で、こんな純な時代があったのだと思って感に耐えなかった。美しいシーンである。
   暗い画面で、一人輝いているのが彼女で、大女優への予感十分である。

   地方の警察署長の梅之助の父親役は、重厚な演技で実に味を出していて母べえを引き立てていたし、大滝秀治の老街医者のユーモアたっぷりの枯れた演技も素晴らしかった。
   山田組の助演陣の達者ぶりは素晴らしく、笹野高史、でんでん、左時江達も好演。
   特筆すべきは、母べえの奈良の叔父・藤岡仙吉役の笑福亭鶴瓶で、俗な田舎モノの関西人丸出しの傍若無人な役どころで、長女には嫌われる居候だが、母べえが唯一心を許して付き合える心の支え、一幅の清涼剤とも言うべき地で行った様な演技が素晴らしい。

   この映画、あの悪夢のような戦争の動乱に翻弄されて健気に生き抜く母べえや子供たちの姿を描いただけではない。
   ほんの何十年か前、我々の記憶に生々しい時代において、賢い筈の我々が、如何に筆舌に尽くし難い愚行を働いて自分たちの生活を、そして文化文明を危機に陥れたかを激しく告発し糾弾する映画なのである。

   私は、戦後の混乱時代をかすかにしか覚えていないが、何時もながらの精緻を極めた舞台設定や時代考証の正確さ、登場人物たちのタイムスリップ振り、風の囁きさえも感じさせるような雰囲気を醸しだすカメラワーク等など山田映画でしか味わえない感動も特筆すべきであろう。
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ミルトン・フリードマンは生きている

2008年03月04日 | 政治・経済・社会
   書店の経済学書コーナーに、ラニー・エーベンシュタイン著「最強の経済学者ミルトン・フリードマン」が平積みされていたので興味をそそられて読み始めた。
   私自身、これまで、フリードマンの著書「政府からの自由」など何冊か読んだ記憶があるが、やはり、時代の趨勢かケインズ経済学の影響が強かった所為で、マネタリストのシカゴ学派の見解には注意を払わなかった。
   それに、私自身はガルブレイスの経済学に引かれていたので、どうしてもフリードマンには馴染めなかった。

   しかし、フリードマンの十分な調査と研究によって現実を示して、ケインズ経済学をはじめとした経済学の定説に挑戦して覆す爽快さは抜群で、これも、一種の帆船効果で、カウンターベイリング・パワーとして経済学自体を発展進化させた功績は大きい。
   フリードマンの最大の功績の一つは、レーガノミックスとしてレーガンの経済改革を支え、更に、サッチャーのイギリスの経済改革を推し進めた理論的支柱を提供し、今日の経済成長の礎を築いたことであろう。
   小泉・竹中改革も、フリードマン流のサプライサイド経済学の展開であった。

   この本でも言及しているが、
   「アメリカには当て嵌まらないが、海外での提言で特に重視したのは、国有企業の民営化だ。過去40年を振り返ってみて、世界の経済政策に理論面からこれほど貢献した人は、他に思いつかない。」
   郵政民営化はともかく、JRの民営化には目を見張るものがあるし、イギリスの経済再生を思えば、その影響力と効果は大きい。
   また、ひところ、小泉・竹中が何も経済復興のために経済政策をしなかったにも拘わらず、私企業の努力で経済が回復基調になったのだと、小泉・竹中経済政策批判が行われたことがあったが、小さな政府で政府が何もせずに自由な市場原理に任せるのが正しい経済政策であって、非難は筋違いだったということにもなるのである。

   さて、今日の日本の直面する財政危機に対して、「歳出抑制のために財政赤字を容認する」フリードマンの理論が役に立つのかどうか考えてみる価値があると思った。
   「財政赤字を削減するために増税すれば、政府の平均歳出額が増えることになり、再び赤字が増え、このプロセスが繰り返される。
   従って、政府が国民を脅かす規模にまで拡大したと考える私達としては、(1)いかなる増税にも反対し、(2)歳出削減を求め、(3)相対的に弊害が少ない財政赤字拡大を受け入れることが必要だ。」と言っている。
   日本の現実とは、多少差はあるが、更にフリードマンは、財政赤字が大変だと言うことになると慎重派は積極的に増税に賛成して増税するが、増税した瞬間に積極財政派は慎重派と袂を分かち、政府支出を増やし赤字が拡大すると言う。

   社会保険庁の杜撰さ等厚労省を筆頭とした政府の目を覆うばかりの現状などを考えても、新知事による大阪府の財政改革のように排水の陣を敷いて歳出削減すべき時期に来ているのだはないかと思う。
   民間企業であれば、とっくの昔に倒産していた筈の日本財政が生きていること自体が正に花見酒の経済だが、収支に合った財政に軌道修正すると言う根本原理に立ち返ってみる必要があると思っている。
   ルーズベルトのニューディール政策は間違いであったと断言するフリードマンの理論を、ケインズ経済学の亡霊に余りにも影響されすぎている日本人にとっては、もう一度考えてみる価値は十分にある筈である。
   
   
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春の訪れ

2008年03月03日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先月下旬から、暖かい日があったので、急に庭の花木も動き出した。
   黄色いクロッカスが花を開いたのだが、夕方には、鳥に食べられてなくなってしまっていた。
   最近、庭を歩いているのは、キジバトとつぐみとヒヨドリだが、どの鳥であろうか。
   玄関口に置いた鉢植えの印旛雀椿(?)の2センチにも足りない小さな赤い花に、どう見ても吸えるとは思えなかったが、大きなヒヨドリが嘴を突っ込んで蜜を吸っていた。

   電線にとまっていた二羽のキジバトが近付いたかと思ったら、お互いに寄り添って、キスするように嘴を左右交互に擦り合せ始めた。
   暫くすると、オスがメスの背中に飛び乗った。やはり、ハトも春なのである。
   カワセミが余り人目につかなくなったのも、巣作りをして子育てをし始めたためであろうか。

   急に足元から飛び立って庭木にとまった大きな鳥があった。口絵の写真のメスのもずである。
   2月9日の口絵写真は、オスのもずで、やはり、オスの方は精悍だがメスの方は体色が淡くてやさしい。   
   違いは、過眼線が、黒いのがオスで褐色がメス、それに、翼に白斑があるのがオスでないのがメス。鉤状の嘴は同じなので、もずだとすぐに分かるが、生き物を餌にしているので動きは敏捷で中々カメラには納まってくれない。
   もずは何処で恋をするのか、何時も単独行動のもずしか見たことがない。

   ところで、庭植えの草花だが、昨年は、球根を植えなかったが、去年の球根が芽を出し始めている。
   私が居たオランダやイギリスでは、道端などに植えっぱなしの球根が毎年花を咲かせているが、日本は湿度が高く梅雨があるので球根が腐るので、毎年球根を掘り起こすのだと言うことであったが、そうでもなさそうである。
   しかし、咲き続けるのは、クロッカスやムスカリ、スノードロップと言った小さな球根花で、水仙はとも角、そのままほって置けば、チューリップやヒヤシンスは、球根が十分に育たないので、花が咲かないか、咲いても貧弱である。
   原種チューリップは、毎年咲くのだと知人が言っていたが、オランダのチューリップ畑では、球根を大きく育てる為に、花をつけると瞬時に花を刈り取ってしまうのも良く分かる。

   今日、六本木ヒルズ49階のセミナー会場の窓から、東京の街を見下ろしたら、中国からの黄砂の為か、日中だと言うのに薄暗く、近くの渋谷の高層ビル群さえ良く見えないくらい霞んでいて、上海の空を思い出した。
   黄砂でさえこの程度に酷いとすると、中国の温暖化ガス混じりの汚染大気が日本の上空に達していない筈がないと思って一寸恐怖を感じた。
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ニューヨーク紀行・・・14 USAは過去の国?未来の国?

2008年03月02日 | ニューヨーク紀行
   アメリカに着いてケネディ空港からニューヨークのセントラルに向かう途中、眼前にニューヨークの街のパノラマ風景が現れる。
   長いマッハッタンをT字型に見るのだから、細長く屏風のようにかなり広い範囲のニューヨークが一望できるのだが、今回の第一印象は、随分、古びてしまったなあと言う感慨であった。
   もう、36年も前だが、初めてこの風景を見た時には、アメリカと言う巨大な国の底力を見せ付けられたようで、圧倒されてしまったが、今回見たニューヨークのスカイラインの印象は、当時と殆ど変わっていないのである。
   それに、ニューヨークの黄金時代を支えてきた道路も橋もトンネルも、もう寿命が来ている感じであるし、ブロードウエイのタイムズスクエアも5番街の目抜き通りの姿も最近は殆ど変わっていない。

   今、急成長を続けている上海もそうだが、ドバイなど新興の都市などには、ガラスとスティールの直方体の近代的なビルが林立しているが、ニューヨークのスカイラインは、くすんだレンガ色の階段状の建物や、高層ビルでもエンパイヤ・ステイトビルのように頂上に近付くと細くなるようなビルが多く、大半の建物は、半世紀以上も前に建てられているので古色蒼然としているのは当然かも知れない。
   それに、街へ向かう途中のハドソン河畔の工場や倉庫は荒れ放題でどこか寂れていて、工業が隆盛を極めている等と到底思えない。
   このような印象は、アムトラックで、ニューヨークからフィラデルフィアへ向かう途中の車窓からも、延々と続く廃墟と化した工場跡地や落書きだらけの風景を見て同じ様に感じた。
   尤も、ニューヨークでもフィラデルフィアでもセントラルの一部で大規模な開発が行われているが、しかし、全体としては、既に、アメリカの時代を謳歌していた20世紀の前半から頂点に上り詰め、完成されてしまった感じである。

   それでは、何故アメリカがあれほどまでに長期経済成長を遂げることが出来たのであろうか。
   破竹の勢いで驀進する日本経済に押されて、アメリカは深刻な危機感に見舞われて、アメリカ人が本当になって真剣に日本経済と企業活動を研究し分析した「Made in America」が出版されたのが1989年だが、
   その直後、1990年代に入って軍事技術であるインターネットが開放されたために、丁度、経済社会が情報産業化社会への移行期にあったのでこの波に乗り、また、ベルリンの壁の崩壊とソ連の瓦解によって自由市場経済市場が一挙に拡大し、これらが相乗効果で経済のグローバリゼーションをプッシュして、アメリカ人の企業家精神に火をつけたのである。
   一時的に、ITバブルで中断したが、IT技術の産業への導入・活用によってビジネスのパラダイムを根底から変革して生産性の拡大を促進し、フラット化したグローバル経済が起動して世界同時好況を成し遂げてきた。

   ところで、前述したアメリカ経済の様相だが、製造業については、GMやフォードなどの凋落を見れば分かるように、アメリカ国内での実体は極めて厳しく、iPodのアップルを筆頭にIT関連製造業でも、殆ど外国のファウンドリを活用したアウトソーシングやオフショアリングが主体で、国内は空洞化の一途を辿っていると言う状態である。
   アメリカ経済の好調は、ITを駆使したサービス産業、特に、ファイナンシャル・エンジニアリングを駆使してどんどん新商品を展開してマネーゲームで拡大を続けてきた金融関連産業の貢献が大きく、それに、住宅価格の高騰をエンジンに膨れ上がった信用膨張による消費塗れの経済が呼応してバブル状態の好況が続いてきた。
   こんなことが永続する筈がなく、今のサブプライム問題は、正にこの金融経済の蹉跌である。

   私自身は、今回のサブプライム問題を引き金としたスタグフレーション(?)と一連のブッシュ大統領のイラク介入で、アメリカ経済の凋落と言うと言い過ぎだが、しかし、徐々に地盤沈下して行く前兆が見えてきたと思っている。
   ドルがユーロと並列的な基軸通貨としての地位に近付いてくると世界経済は流動的となり、丁度、イギリスのポンドが、アメリカの台頭で、徐々に経済的覇権をアメリカに譲り渡して行った時のことを想像させる。
   
   何れにしろ、私の今回のアメリカの印象は、アメリカも日本と同じ様に、時代遅れになった多くの残滓を背負いながら生きている初老の国になったのだなあと言う思いである。
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日本経済新聞社編「されど成長」

2008年03月01日 | 政治・経済・社会
   最近まで日経の一面に掲載されていた「成長を考える」が、加筆訂正されて出版されたのが、このブログのタイトル「されど成長」である。
   「優雅な衰退」なんて無責任だ! 縮むパイを奪い合う社会に未来はない。高齢化、格差拡大などを解決出来るのは、成長を実現する活力ある社会だけだ!
   竹中平蔵ばりの問題意識で展開される現在の日本経済レポートと言ったところだが、面白いのは、この企画が立ち上がった時に、担当記者が日本経済のダイナミックな成長を経験したことのない、デフレ不況で日本経済の凋落局面しか経験したことのない2~30代の若手ばかりなだったので、今更、成長なんて、と言う反応だったと言う。
   正にパラダイムシフトと言うか、私のように経済成長論を主体に経済学を意識して学んできた人間にとっては、今昔の感があって感動的でさえある。
   
   経済成長論には、多くの見解があって夫々問題点を内包しているが、貧富と同じで、時間と空間の概念が重要な位置を占めていて、過去現在未来や、他の経済主体との格差や変化との相関関係が極めて重要になる。
   早い話、今日のようにフラット化・グローバ化した経済社会においては、(現在一時的に不況局面にあるとしても)世界全体が同時好況を謳歌していたり、或いは、成長街道を驀進し急速に変化を遂げている国家経済が存在する場合など他の国家経済が成長を続けている限り、成長の止まった経済は益々貧しくなり、優雅な衰退など有り得ないのである。

   この本の第1章は、「何が起きているのか」と言うタイトルで、フリードマンの「フラット化する世界」が提示している問題意識等を軸に最近のグローバル経済社会の動きと対比させながら、日本経済や企業活動が如何に時代の趨勢から遅れて来たかなどをレポートしその現状と問題点を浮き彫りにしている。
   第2章では、格差の問題を取り上げている。弱肉強食の市場原理主義を貫けば、当然勝者と敗者を排出し格差が拡大するが、しかし、経済成長を図るためには、競争原理を働かせて、企業家やイノベーターにインセンティブを与え経済を活性化しなければならない。
   公正か効率か、厚生経済か市場原理主義か。出る杭は叩かれる日本と違って、アメリカでは、強者が突っ走って成功することによって弱者がそのおこぼれに与ると言うトリクルダウン理論も結構人気がある。

   第3章は「阻むもの」と言うタイトルで、成長を阻む、疎外する要因について論じている。
   冒頭で、三洋電機のエンジニアが、アップルのスティーブ・ジョブズに、記憶媒体を内蔵した携帯音楽プレイヤーを提案し提携して開発しようとしたが、会長に「あきまへん」と言われて、幻のiPodに終わってしまったと言う逸話を披露している。こんな会長を頂く会社だったから、素晴らしい技術を持ちながら経営危機に直面するのだと言わんばかりである。
   NTT向けの通信システム、電力設備、大手銀行の情報システム・・・日本の電機大手の中核顧客は規制業種や公的セクターが多くて、言うならば「心地よい鎖国」市場の中にいる。これが災いして、日本のIT産業のガラパゴス化が進み、その最たるものは、携帯電話で、技術は最高だが世界に通用しない。
   これらは、ホンの一例に過ぎず、世界の潮流に着いて行けずに制度疲労してしまい、発想さえカビついてしまった日本の経済社会全体が、経済成長阻害要因となっていると容赦のない論陣を張っている。
   先日、NHKの日本経済論争で、イギリスの経済学者が、日本は知識情報化社会にキャッチアップ出来なかったのが問題だと言っていたが、要するに、時代の潮流に日本の経済社会が同期出来ていないと言うことである。
   
   第4章は、「糧になるもの」、第5章は、「何を変えればいいのか」と言うところで、色々な成長への取り組みや試みを取り上げて貴重な提言をしているのだが、一般に流布している経営理論などを、実際の実業などのケースを例にあげて論じており分かり易いのだが総花的で論拠が拡散しているのでパンチ力に欠けるのが惜しい。

   最後に、「解説」と言うページで、小林慶一郎氏が、「市場による正義は可能か」と言う一文を寄せているが、この中で「循環する格差」と言う論点が一寸気になったのでコメントしてみたい。
   格差の要因は、「スキルバイアスのある技術変化」、すなわち、高いスキルを持つ個人(高学歴、熟練労働者)の生産性が高まり収入も増えるのに対して、低いスキルの人々(非熟練労働者)は生産性が伸びず収入が減る、すなわち、この技術変化のトレンドによると一般的に考えられている。
   技術の大きなパラダイムシフトが起こると、旧来の技術体系に対応した技術は陳腐化して非熟練労働者が増加する。これが大きな格差を生み出し、技術変化の程度等によって、格差の拡大幅や大きさが変動してサイクルをうつ。
   現在の格差の拡大は、世界経済のIT化やサービス化が進んで、製造業の技術が陳腐化し、それらの潮流に乗り遅れた人々が取り残された為に格差が拡大したのであって、サービス部門(特にIT,金融)において技術の標準化が進み、教育インフラがサービス産業に対応したものに変化すれば、格差は縮小して行くと言う。

   「スキルバイアスのある技術変化」による格差の存在については異論はないが、現在の賃金格差は、グローバリゼーションとIT革命によって、「要素価格均等化定理」が働いて、日本の非熟練労働者の賃金は、同じ労働であれば、そのスキルの程度に応じて最低の最貧国の労働者の賃金に同一化すると言う世界的均等化の結果であって、むしろ、グローバリゼーションが徹底すればするほど格差は拡大して行く筈である。
   言い換えれば、例えば、いくら高度なITエンジニアでも、その賃金水準は、同じ仕事をしているインド人、或いは、もっと賃金が低い国のエンジニアの賃金に同一化されるということで、賃金格差は、日本国内だけではどうしょうもないことであり、政府の特別な政策とサポートがない限り賃金格差は縮まらないと言うことである。
   
      
コメント
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