詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小杉元一「耳は一月の坂へ」

2006-02-07 13:58:24 | 詩集
 「EOS」NO.8、小杉元一「耳は一月の坂へ」を読む。行の展開が自然でとても読みやすい。

もう喋ることはなくなった
季節はわたしたちをゆっくりと傷つけてきた
それでもお喋りはつづいていくが
聞こえないふりをする
眼はあかるい塵をおうばかり
それからだ
耳がみょうに透きとおってきたのは

 「眼はあかるい塵をおうばかり」という「お喋り」「聞こえる」とは断絶した「視界(視野)」への飛躍、その直後の「それからだ」という断定が巧みだ。「眼」への飛躍が一瞬、ことばを迷わせる。そして、断定の後「耳がみょうに透きとおってきた」の「透きとおる」という、再び視線への引き戻し。(「透明きとおる」という感じは、視覚意外、聴覚、ときには嗅覚や味覚もも感じ取るものだが、基本的には視覚から派生した表現だろう。)
 この素早く巧妙な攪乱が、「お喋り(口)」「耳」「眼」という肉体を融合させる。

 こうした肉体(肉体感覚)の融合が最初に提示されるからこそ

けれどもあなたの耳が最後に見たものは
海を走る白い声

 というような表現がスムーズに納得される。海を走る白い波、崩れる波頭の音。それを聞いているとき、眼は同時に見ている。聴覚と視覚が融合し、世界をひとつにする。

 そうしたことばの運動が

あなたの耳は落花する

 という美しいイメージに結びつく。「落下」ではなく「落花」。「落下」も視覚で確認することができるが「落花」はより視覚的だ。

 肉体(肉体感覚)が融合してことばを動かしている。だからこそ説得力があるのだと思う。
コメント
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