岩井八重美『水のあるところ』(編集工房ノア)を読む。どの作品もことばに無理がない。生活をくぐりぬけてきた落ち着き、抑制がある。
鍋の「縁を指でなぞる癖」。癖の中に、その人がいる。癖とは、けっして説明できないもの、肉体に染みついて、その人をつくりあげている何かである。
阪神大震災の後、岩井は台所に立ち尽くす。台所が彼女のいつもの場所、彼女の領分だからである。そこで何をするか。「鍋の縁をゆっくりとなぞる」。何のために。自分がいるということを確かめるためである。自分がいると確かめるということは、いなくなった誰かがいると知ることでもある。そのとき、岩井は思わず鍋の縁をなぞる。その指先が感じるのはなんだろうか。
最初の行「磨きあげたばかりの」と、2行目の「ゆっくり」がせつない。深い愛情がにじんでいる。大切な何かが、「磨きあげた」と「ゆっくり」にこもっている。指が触れるのは大切なものの記憶である。岩井は、その大切なものに、頭ではなく肉体で触れる。肉体で「なぞる」。
常に肉体にしたがうことばに飛躍はない。しかし、肉体にしたがうが故のまっすぐさがある。丁寧さがある。
なぞる
磨きあげたばかりの
鍋の縁をゆっくりとなぞる
こうして立ち尽くしていたあの頃
行き先のない思いは
慣れた台所で煮詰めるしかなかった
濃密な匂いと熱気の芯にあった
私が私でしかないという憤り
あの思いはどこへ行ったのだろう
縁を指でなぞる癖だけを残して
鍋の「縁を指でなぞる癖」。癖の中に、その人がいる。癖とは、けっして説明できないもの、肉体に染みついて、その人をつくりあげている何かである。
阪神大震災の後、岩井は台所に立ち尽くす。台所が彼女のいつもの場所、彼女の領分だからである。そこで何をするか。「鍋の縁をゆっくりとなぞる」。何のために。自分がいるということを確かめるためである。自分がいると確かめるということは、いなくなった誰かがいると知ることでもある。そのとき、岩井は思わず鍋の縁をなぞる。その指先が感じるのはなんだろうか。
最初の行「磨きあげたばかりの」と、2行目の「ゆっくり」がせつない。深い愛情がにじんでいる。大切な何かが、「磨きあげた」と「ゆっくり」にこもっている。指が触れるのは大切なものの記憶である。岩井は、その大切なものに、頭ではなく肉体で触れる。肉体で「なぞる」。
常に肉体にしたがうことばに飛躍はない。しかし、肉体にしたがうが故のまっすぐさがある。丁寧さがある。