白石公子「雪解け水のふきだし」(「現代詩手帖」2月号)の最後の4行が美しい。
傘にへばりついていた雪が融け、水になって傘の先から広がり始める。その形を漫画の「ふきだし」のようだと思って白石は見つめている。水は表面張力の力で、先端が丸くなっている。それを「とろみのある」と表現している。いい比喩、肉体感覚あふれる比喩だな、と思う。
一方、観念的で比喩というには厳しいなあ、と感じるものもある。
雪の日。窓ガラスにはりついた雪(ぼたん雪?)は風にあおられているのか、すこし窓を登る。それから重さゆえに、棒線を描いて滑り落ちる。それは「わたし」と「彼」は会話にならない会話に似ている。空中をただよい、見えない壁、透明な壁(ガラス窓のようなもの)にへばりついて、落ちてしまうものである。
白石は、そうしたやりとりを漫画の「ふきだし」のなかの文字のように、自分の外に差し出し、客観的にみつめようとしている。
お茶を入れるために湯をわかすという日常の姿を借りながら、やかんから吹き出る蒸気の「ふきだし」を利用して、その「ふきだし」のかたちのなかにことばを囲い込もうとしている。あるいは窓の外の風景をたどり、風景のなかの曲線をたどり、せりふのための「ふきだし」の枠をつくろうとしている。そうした部分の描写。
風船もまた「二次元的」に描けば「ふきだし」の形である。
「ふきだし」をりようすることで、ことばを客観化しようとしている。「わたし」と「彼」の間の会話を点検し直そうとしている。
いや、そうではなく、ただ「ふきだし」にして、部屋に浮かべ、飾ってみたかっただけ、と白石は言う。
私には、この二つの比喩が噛み合っていないように思える。肉体と精神が噛み合っていないように思える。やかんの「ふきだし」は上下運動である。傘から漏れる雪解けの水は同心円(遠心力的)である。一方は垂直運動、他方は水平運動である。
もっとも噛み合わないからこそ、この詩の「わたし」と「彼」の噛み合わない意識というものを象徴していることにもなる。しかし、こうした噛み合わない感じは、どうも「気持ちが悪い」。書こうとしているものが定まらないまま、書き始め、唐突に中断したという感じがする。
「連載詩」という形をとっているから、こうした中断は最初から予定されているのかもしれないけれど……。
玄関に立てかけていた傘から
とろみのあるふきだしが
様子をうかがいながら
こちらに広がりはじめている
傘にへばりついていた雪が融け、水になって傘の先から広がり始める。その形を漫画の「ふきだし」のようだと思って白石は見つめている。水は表面張力の力で、先端が丸くなっている。それを「とろみのある」と表現している。いい比喩、肉体感覚あふれる比喩だな、と思う。
一方、観念的で比喩というには厳しいなあ、と感じるものもある。
雪の日。窓ガラスにはりついた雪(ぼたん雪?)は風にあおられているのか、すこし窓を登る。それから重さゆえに、棒線を描いて滑り落ちる。それは「わたし」と「彼」は会話にならない会話に似ている。空中をただよい、見えない壁、透明な壁(ガラス窓のようなもの)にへばりついて、落ちてしまうものである。
白石は、そうしたやりとりを漫画の「ふきだし」のなかの文字のように、自分の外に差し出し、客観的にみつめようとしている。
お茶を入れるために湯をわかすという日常の姿を借りながら、やかんから吹き出る蒸気の「ふきだし」を利用して、その「ふきだし」のかたちのなかにことばを囲い込もうとしている。あるいは窓の外の風景をたどり、風景のなかの曲線をたどり、せりふのための「ふきだし」の枠をつくろうとしている。そうした部分の描写。
昔水路だったという道の曲線を
濡らした人差し指でたどってばかりいたのは
音も立てずに床に落ちる
わたしたちのやりとりを
ゆるやかに囲ってみたかったから
言葉の首元をくくって
色とりどりの風船のように
宙吊りのこの部屋に
浮かべて見たかっただけ
風船もまた「二次元的」に描けば「ふきだし」の形である。
「ふきだし」をりようすることで、ことばを客観化しようとしている。「わたし」と「彼」の間の会話を点検し直そうとしている。
いや、そうではなく、ただ「ふきだし」にして、部屋に浮かべ、飾ってみたかっただけ、と白石は言う。
私には、この二つの比喩が噛み合っていないように思える。肉体と精神が噛み合っていないように思える。やかんの「ふきだし」は上下運動である。傘から漏れる雪解けの水は同心円(遠心力的)である。一方は垂直運動、他方は水平運動である。
もっとも噛み合わないからこそ、この詩の「わたし」と「彼」の噛み合わない意識というものを象徴していることにもなる。しかし、こうした噛み合わない感じは、どうも「気持ちが悪い」。書こうとしているものが定まらないまま、書き始め、唐突に中断したという感じがする。
「連載詩」という形をとっているから、こうした中断は最初から予定されているのかもしれないけれど……。