平田守純詩集『フルーツバスケット』(ふたば工房)を読む。筆者は2003年4月23日没。遺稿集。
信頼に足るものとはなんだろうか。
平田は一個のトマトを信頼している。ある日、トマトが信頼に足るものだと確信する。このトマトは比喩ではない。本当のトマトである。充分に熟したトマト。光沢が見事なトマト。それはある日の朝を輝かせる。
何も考える必要などない。
トマトは何も考えずに、ただ熟す。そして、その見事さの背後には太陽の光があり、豊かな大地があり、育てるものの充分な愛情がある。そうしたものを満喫してトマトは熟す。自己完結することで一個の屹立した存在になる。
「急速に明るくなった玄関」。それは、太陽の光で急速に明るくなったのではない。熟したトマトの発見、トマトが信頼に足るものだと発見した平田によって明るくなったのだ。
「詩」はこの「急速に明るくなった」にある。こころと世界が一体になった瞬間、肉体と世界がトマトの発見を通して一体になった瞬間にある。
誰もが同じようにトマトを発見すれば世界はかわる。それがどんな「任意の朝」であろうと、トマトをみつめ、その美しさで世界が「急速に明るくなる」と感じた瞬間に世界は変わるはずだ。
この作品には、ただ純粋に自己完結していくもの、自己完結したものへの深い信頼がある。
トマト
早朝
急速に明るくなった玄関に
トマトが置いてあった
拳ほどの
光沢の見事な
充分に熟した
トマト一個
任意の朝
うっちゃって
街路に出ると
いたるところの辻々に
同様のトマトが置いてあった
多くは辻の中央に
とくに
少し離れた角の近くに
多くは一個
稀に二、三個
信頼に足るものとはなんだろうか。
平田は一個のトマトを信頼している。ある日、トマトが信頼に足るものだと確信する。このトマトは比喩ではない。本当のトマトである。充分に熟したトマト。光沢が見事なトマト。それはある日の朝を輝かせる。
何も考える必要などない。
トマトは何も考えずに、ただ熟す。そして、その見事さの背後には太陽の光があり、豊かな大地があり、育てるものの充分な愛情がある。そうしたものを満喫してトマトは熟す。自己完結することで一個の屹立した存在になる。
「急速に明るくなった玄関」。それは、太陽の光で急速に明るくなったのではない。熟したトマトの発見、トマトが信頼に足るものだと発見した平田によって明るくなったのだ。
「詩」はこの「急速に明るくなった」にある。こころと世界が一体になった瞬間、肉体と世界がトマトの発見を通して一体になった瞬間にある。
誰もが同じようにトマトを発見すれば世界はかわる。それがどんな「任意の朝」であろうと、トマトをみつめ、その美しさで世界が「急速に明るくなる」と感じた瞬間に世界は変わるはずだ。
この作品には、ただ純粋に自己完結していくもの、自己完結したものへの深い信頼がある。