詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ペドロ・アルモドバル監督「ボルベール〈帰郷〉」

2007-07-05 15:12:13 | 映画
監督 ペドロ・アルモドバル 出演 ペネロペ・クルス、カルメン・マウラ

 女性は(あるいは母親は)何でも受け入れる。と、書いてしまうと誤解を招くだろうか。しかし少なくともペドロ・アルモドバル監督はそう考えているように思える。いや、そう感じているように思える。
 「帰郷」というタイトルが暗示しているのは、そして、故郷もまた何でも受け入れる母親であるということである。
 故郷でペネロペ・クルスが体験したこと。父親に強姦されて妊娠したということ。それに母親が気がつかなかったということ。ペネロペ・クルスの悲しみと怒りと、愛してほしいという願いが、このときから入り交じる。単純に、どれかひとつの感情になることができない。そして、深い孤独のなかにいる。
 そして、その母親はといえば、夫に娘を強姦されただけではなく、隣の女とも浮気された。その現場を目撃し、母は山小屋に火をつけて二人を殺してしまった。二人を殺しながら、身を隠すことで、死んだのは自分だという「架空の話」のなかへ消えてゆく。(ペネロペ・クルスはこの「架空の話」を事実と勘違いしている。故郷を離れてしまったために、そこで何が起きているのか知らない。)母もまた、そうして孤独のなかに生きている。
 映画を見ていると、故郷の人々は、そういう「事件」をすべて知っているということがわかる。「孤独」にも気がついていることがわかる。知っているけれど、それぞれが「架空の話」を生きていくなら、それはそれで受け入れる。警察なんかにつきだしたりはしない。現実を受け入れ、何ができるかを自ら選んで生きてゆくことの方が「正義」よりももっと正しいと信じているからだ。人が何をしようと、そのことについて人が苦しんでいるなら、その苦しみに寄り添い、いっしょに生きることの方が、いのちにとっては大切だということを知っている。
 「孤独」のままでいたい、我慢していたいなら、我慢できるだけ我慢していないさい。でも、つらくなったらいつでも帰っておいで。故郷はいつでも抱き締めてあげるよ、というのだ。
 母も同じである。娘が帰ってくればいつでも抱き締めたいのだ。
 そして、この映画のすばらしいところは、この「母」というのは、「母-娘」という関係での「母」にかぎらないところだ。女はすべて「母」である。娘であっても、母の「母」になれるのだ。なってしまうのだ。母親がペネロペ・クルスに「許しておくれ」というとき、ペネロペ・クルスは娘ではなく、「母」として母を受け入れる。
 他の女を受け入れるときも同じである。友人として受け入れるのではない。「母」として受け入れるのだ。「世界で一番大切なものはおまえだよ、おまえが生きていることが一番うれしいよ」という感じで受け入れる。憎んでいても、その憎しみを振り払って、「愛しているよ」と受け入れる。
 母とは年代ではない。時間のつながりではない。時間をかきまぜてしまう宇宙なのだ。いのちがうごめく宇宙なのだ。
 そんなふうに何でもかんでも受け入れていけば「矛盾」が起きる。混沌としてしまう。それでいい、とペドロ・ナルモドバルは言う。宇宙は(そして故郷は、あるいは「母」は)巨大だ。ささいな矛盾を正すために無理などしない。むしろ矛盾を楽しむ。何かと何かがぶつかるたびに、そこから何か新しいものが生まれてくる。そしてその新しいものとは、なぜだかわからないが古いもの、なつかしいもの、温かな涙だったりもする。その瞬間がうれしい。そのうれしさを「よし」とする。



 抽象的なことを書きすぎたかもしれない。
 今書いた抽象的なことを抜きにして、映画の細部が非常におもしろい。アルモドバルの細部へのこだわりがすばらしい。
 ペネロペ・クルスが夫の死体をかたづけるシーン。たとえば、ペーパータオルにじわーっと血が浮き上がってくるシーン。夫の死体を埋めた近くの木に墓銘碑がわりに文字を刻むシーン。自転車のハンドルの匂いをかいでみるシーン。文字にしてみると、なんのことかわからないようなシーンが、いきいきとしている。肉体存在そのものとして迫ってくる。何の関係もないようなものが入り混じりながら女の体をつくっている。
 象徴的なのが、ペネロペ・クルスが夫の遺体を処理しているときに隣のレストランオーナーが尋ねてくるシーン。ペネロペの首筋に血がついている。
 「どうしたの?」
 「何でもないわ、女だから何でもあるのよ」
 ああ、ほんとうに何でもあるのだ。何があってもいいのだ。すべてを受け入れ、受け入れた瞬間に「母」になる。「故郷」になる。
 これはアルモドバルの「帰郷」でもある。ふるさと讃歌、母親讃歌、女性讃歌である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入沢康夫と「誤読」(メモ49)

2007-07-05 14:26:23 | 詩集
 入沢康夫『唄--遠い冬の』(書肆山田、1997年07月10日発行)。

「これ」も ことば
「それ」も ことば ことば「も」 ことば
そして「ことば」も やつぱり ことば

ありとあらゆることば その向う側に
いつたい何があるか 知りたいかい

きみにだけ 教へてあげよう 内緒だよ
地霊(グノーム)みたいな黒いこびとが一人
悲しい顔をしてしやがみこんでゐるのさ
               (「ことば・ことば」)

 これは何かを語ったことになるだろうか。ことばの向こう側に地霊みたいな黒いこびとがいる。悲しい顔をしてしゃがんでいる。そのことと私たちがつかうことばはどう関係しているのか。これではわからない。わからないけれど、そんなふうに書きたかったのだろう。
 「知りたいかい」と問いかけてはいるが、ほんとうは入沢自身が知りたいのだろう。

 「近世風の恋路」の末尾。

私はひとりごつ
〈イッペンコーコーのココロザシ〉
〈イッペンコーコーのココロザシ〉
何がゆゑの
何がための 物言ひなのか 呪文なのか
自分でも とんと見当もつかないまま……

 意味はない。(ほんとうは意味があるのだが、意味がわからないのでは、ないに等しい。)しかしことばは肉体にしのびこんでくる。それが「唄」である。肉体のなかで「地霊みたいな黒いこびと」を育てるのである。それは「悲しい顔」をしているかどうかはわからないが、わからないものの向こう側に「わかる」ものが存在するはずだと教える。

 「時の経つ間--ある小旅行のやや克明なメモ」。その冒頭。

 今年一九八八年の旧暦文月十五日の夜は、生れ故郷の〈M〉市に
向かふ寝台特急〈I〉山号のなかで過ごした。翌朝十時十何分かに
〈M〉駅到着。

 〈M〉〈I〉という頭文字。その向こうに、単純に「松江」「出雲」を想像する。ことばの向こうにはそういう「実体」がある--とは、しかし私は考えない。「黒いこびと」のような何物かが存在するとは考えない。
 〈M〉〈I〉の向こうにあるのは、「松江」「出雲」を想像させる力である。ことばは、想像力をひっぱりだす。そして、その想像力は、読者が生きてきた時間をひっぱりだす。読者自身の経験がことばに反映され、ことばを読んでいく。作者の体験がことばを支えるのではない。読者の体験が、そこに存在することばを支える。作者は一人であるが、読者は複数だ。読者の数だけ、そのことばの読み取り方が違ってくる。〈M〉〈I〉を「松江」「出雲」と読み取っても、その読み取り方がおのずと違ってくる。路地の一本一本まで思い浮かべられる読者もいれば、日本列島の地図の位置しか思い浮かばないひともいる。ラフカディオ・ハーンを思い浮かべるひともいるかもしれない。特急の乗り心地を思い浮かべるひともいるかもしれない。さまざまに思い浮かべるものは違うが、〈M〉〈I〉がそういう思い浮かべをうながしていることだけは確かである。
 ことばの向こうにあるのは、実は、読者の経験である。ことばを読むひとの経験がそこにある。人間は知っていること(体験したこと)しか知ることができない。ここから「誤読」が始まる。人間は誰もが自分の体験はかぎられたものであることを知っている。そういう自覚があるからこそ、他人の体験(ことば)にふれることで自分の体験を補いたいと欲する。夢を見る。その夢のなかに欲望が、祈りがまぎれこみ「誤読」へとつながる。しかし、この「誤読」はいつでも「真情」なのである。
 〈M〉〈I〉という頭文字。そこに「松江」「出雲」を読み取りたいというのは、入沢を知っている読者の欲望である。小旅行は、入沢の故郷松江への小旅行である。「〈L・H〉資料室など見学。」という文字を見れば、そこにラフカディオ・ハーンをあてはめてみたいというのが読者の(私の)欲望である。入沢は頭文字を利用することで現実を仮構化したいのかもしれない。仮構化することでふるさととの距離をとりたいのかもしれない。しかし、読者は入沢の思いを裏切り、つまり「誤読」して、そこに故郷そのものをさがしてしまう。そして、頭文字であること、何かが隠蔽されていることを利用して、読者は「松江」ではなく、それぞれの故郷へ帰ることも可能なのだ。恩師に会うとか、なつかしい街並みを歩くとかいう行為を、自分の体験にしてしまうことが可能なのである。「誤読」とは、そうやって自分自身の体験を追認すること、欲望を発見することでもある。

 「告別 Ⅱ」のなかに、

(観念の中にしか存在しない「邦」にむかつて

 という1行がある。「観念」がどこまでの領域をもっているのかわからないが、あらゆることがらは、読者の、読むひとの経験のなかにある。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする