指田一「鉛筆」(「詩文学」158 、2007年07月01日発行)
「鉛筆」の書き出しである。何が書いてあるか一読しただけではわからない。わからないのに引きつけられる。鉛筆だけがくっきり見える。キャップ(たしかに、昔はそういうものがあったなあ。今もあるのかな?)筆箱は「ことば」だけの存在である。冒頭の1行ではないけれど「息を吹き返したのは鉛筆だけだった」という世界だ。
これは、そういう世界になるように、指田が文体を工夫しているということなのだが。
その「鉛筆」から、鉛筆の記憶へ。少女が鉛筆の芯で蟻を突き刺していた記憶へと、指田のことばは動いてゆく。先生が少女に注意している姿に。少女が先生に何か答えている姿へ。
指田(幼い指田)は突然、思いもかけない「事実」を知る。鉛筆って自分で削るのではなく、母親が削るものだったのか。そういう世界があるのか、と。
そして、指田は想像する。想像のままに、ことばは動いてゆく。
この想像に、幼い指田の日常が入り込んで、いきいきとしている。書いていないけれど、指田の家では居間に布団を敷く。布団を敷く前にはテーブルではなく、ちゃぶ台の脚をたたんで壁に立て掛ける。そういう生活だから、鉛筆を母が削るということはない。「削って」とたとえ頼んでみても「だめだよ、内職で忙しいんだから」という答えが返ってくるだけだ。自分で、手間隙かけて削るしかない。そして、自分で削ったものだから、それで蟻を突き刺すなんてことはしない。蟻を鉛筆の芯で突き刺す少女は自分で鉛筆を削らないからだ。--というようなことを感じている。もちろん、正確にそう感じたわけではない。自分とは違うと感じただけだ。だから、そういう「批判」はことばにはならなかった。ことばにならないまま、ずーっと、いままで隠れていた。それが、今、表にでてきて、指田にことばを書かせている。
ことばがことばになるまでには時間がかかる。体験が必要なのだ。
忽然と彼女が現れ
消えた
あいつ バイオリンを習いに西ドイツへ留学したんだ
小学校の時の同級生が別世界をぶちまけた
白い煙にぼくは取り巻かれた気がしたような気がした
バイオリン 指 ナイフ 鉛筆を削る母は別世界から戻ってきまし
たが 彼女は 彼女は鉛筆で列をなす蟻を突き刺しています まだ
まだ終了しません
鉛筆で蟻を突き刺すという行為(類似した行為)は、少女から別の少女へと引き継がれている。母親は少女の鉛筆を削るというようなことはもうしていない。そういう仕事(?)は引き継がれていない。(もっとも、これは少女たちが自分でナイフをつかって鉛筆を削るようになったからではない。)
指田が何をしているひとなのか私は知らない。知らないけれど、たぶん、この詩は学校で起きていることを目撃(直接、間接かはわからない)して、ふと、それに類似した世界を指田自身が体験したことを思い出して書いたのだろう。
子供たちはそれぞれに得体のしれない闇をかかえこんでいる。子供たちは、それが何か「判らない」。判らないけれど「感じる」。そして「感じ」に突き動かされている。
その「感じ」をどうすればいいのだろう。指田は解決策を提言しているわけではない。ただ「感じ」そのものに共感している。共感といってもそれが正しいとか、同じ気持ちという意味ではない。そういう「感じ」があることを、ただ書いている。何が書きたいかわからないけれど、どういうものになるかわからないけれど、画家がただ手を動かして鉛筆でスケッチするように、鉛筆の動くままにスケッチしている。
その「感じ」が、不思議に説得力がある。魅力的である。そうせざるを得なかった「少女」への思い、そうしなかった自分自身への「思い」が、ことばの底に流れているのを感じる。
息を吹き返したのは鉛筆だけだった
キャップをはめられ筆箱に並べられている
筆箱とキャップは消えたまま
名称だけが鉛筆のまわりをまだうろうろしている
物質が消え名称だけが
「鉛筆」の書き出しである。何が書いてあるか一読しただけではわからない。わからないのに引きつけられる。鉛筆だけがくっきり見える。キャップ(たしかに、昔はそういうものがあったなあ。今もあるのかな?)筆箱は「ことば」だけの存在である。冒頭の1行ではないけれど「息を吹き返したのは鉛筆だけだった」という世界だ。
これは、そういう世界になるように、指田が文体を工夫しているということなのだが。
その「鉛筆」から、鉛筆の記憶へ。少女が鉛筆の芯で蟻を突き刺していた記憶へと、指田のことばは動いてゆく。先生が少女に注意している姿に。少女が先生に何か答えている姿へ。
鉛筆を削るのは母親だったんだ
指田(幼い指田)は突然、思いもかけない「事実」を知る。鉛筆って自分で削るのではなく、母親が削るものだったのか。そういう世界があるのか、と。
そして、指田は想像する。想像のままに、ことばは動いてゆく。
彼女が眠ると娘の机から居間のテーブルへ筆箱を移す母 娘には部
屋があり机があった(と勝手に決める) 居間には布団は敷かない
(と勝手に決める) テーブルの脚を折り畳んで立て掛けたりしない
(と勝手に決める) 母は西ドイツ製のナイフで鉛筆を削ろうとして
丸まった芯を見守っている ノートにねえ 文字や数字の化石に成
っているよ(と勝手に決める) ここでぼくの母を登場させようか
だめだって 内職が忙しい 貧しいかどうか子どもには判らない 感
じるかどうかだ 子どもは
この想像に、幼い指田の日常が入り込んで、いきいきとしている。書いていないけれど、指田の家では居間に布団を敷く。布団を敷く前にはテーブルではなく、ちゃぶ台の脚をたたんで壁に立て掛ける。そういう生活だから、鉛筆を母が削るということはない。「削って」とたとえ頼んでみても「だめだよ、内職で忙しいんだから」という答えが返ってくるだけだ。自分で、手間隙かけて削るしかない。そして、自分で削ったものだから、それで蟻を突き刺すなんてことはしない。蟻を鉛筆の芯で突き刺す少女は自分で鉛筆を削らないからだ。--というようなことを感じている。もちろん、正確にそう感じたわけではない。自分とは違うと感じただけだ。だから、そういう「批判」はことばにはならなかった。ことばにならないまま、ずーっと、いままで隠れていた。それが、今、表にでてきて、指田にことばを書かせている。
ことばがことばになるまでには時間がかかる。体験が必要なのだ。
忽然と彼女が現れ
消えた
あいつ バイオリンを習いに西ドイツへ留学したんだ
小学校の時の同級生が別世界をぶちまけた
白い煙にぼくは取り巻かれた気がしたような気がした
バイオリン 指 ナイフ 鉛筆を削る母は別世界から戻ってきまし
たが 彼女は 彼女は鉛筆で列をなす蟻を突き刺しています まだ
まだ終了しません
鉛筆で蟻を突き刺すという行為(類似した行為)は、少女から別の少女へと引き継がれている。母親は少女の鉛筆を削るというようなことはもうしていない。そういう仕事(?)は引き継がれていない。(もっとも、これは少女たちが自分でナイフをつかって鉛筆を削るようになったからではない。)
指田が何をしているひとなのか私は知らない。知らないけれど、たぶん、この詩は学校で起きていることを目撃(直接、間接かはわからない)して、ふと、それに類似した世界を指田自身が体験したことを思い出して書いたのだろう。
子供たちはそれぞれに得体のしれない闇をかかえこんでいる。子供たちは、それが何か「判らない」。判らないけれど「感じる」。そして「感じ」に突き動かされている。
その「感じ」をどうすればいいのだろう。指田は解決策を提言しているわけではない。ただ「感じ」そのものに共感している。共感といってもそれが正しいとか、同じ気持ちという意味ではない。そういう「感じ」があることを、ただ書いている。何が書きたいかわからないけれど、どういうものになるかわからないけれど、画家がただ手を動かして鉛筆でスケッチするように、鉛筆の動くままにスケッチしている。
その「感じ」が、不思議に説得力がある。魅力的である。そうせざるを得なかった「少女」への思い、そうしなかった自分自身への「思い」が、ことばの底に流れているのを感じる。