詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

塚本一期「外灯」

2007-07-12 22:23:45 | 詩(雑誌・同人誌)
 塚本一期「外灯」(「現代詩手帖」2007年07月号)。
 「新人欄」の入選作。その1連目。

あさの四時に
ごみ捨てにいって
そのかえりに
ひろばに立って
芝生をみていた
芝生は夜の青色とか
もってうまれた緑色とか
それと外灯のあかりと混じって
ふしぎにひかって

 「いって」「立って」「混じって」「ひかって」。動詞の連用形+接続助詞。動作がとまらないまま、動いて行く。動きが、そのままどこかへつづいていく感じ。「……って」を繰り返しののち、塚本は、ふしぎなことに、その動きの延長、未来ではなく、その動きの出発点を引き寄せる。
 2連目を省略して、3連目。

立っていると
こどもになっているというか
生まれると おもって
生まれたとおもったんだな
その芝生みたいな
そういうものから
それで母さんがいることを
おもいだした

 「その芝生」「そういうもの」「それで」。「その、それ」。先行することばを指し示すことば。「……って」の運動にのって、さらにさらに過去へ、資源へと意識をさかのぼらせる。
 そうしたことばに先行して「生まれる」「生まれた」があるのだけれど、「……って」と「その」「そういう」「それ」という指示代名詞が複合することで、資源、「生まれる」へ意識を動かしている。
 塚本はそういうことを意識していないかもしれない。たぶん、していない。ことばが塚本を動かして、詩を「書かせている」のだ。
 詩は自分で書くと同時に、ことばに書かせられるものでもある。書かせられてしまったことばを、どれだけ消さずに残せるかが詩人の資質のひとつだろうと思う。

 最終連。

みんなくるくるまわってそこから
出てきたんじゃないかとおもった
すごくきれいだったんだだから
そうだったらいいっていうか
そのほうがすごく
いいんじゃないかとおもって

 終止形を避け、あえて「……って」という形をとる。そうすることで、運動の動きをとめてしまわない。動いたままにしておく。解放したままのことばを方々に置くことで、言語空間そのものを解き放ち、いま、ここにあるものの前の(?)の世界を呼びよせる。
 そのとき、あたらしい世界が「生まれる」(生まれた)。
 こういう誕生(はじまり)は「すごく/いいんじゃないか」と思う。

 6月号の作品もそうだったが、蜂飼耳の選ぶ作品はとてもおもしろい。
コメント
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