野谷美智子『コレクション』(洛西書院、2007年07月15日発行)
不思議な文体である。ことばの奥にもっと別のことばがある、という印象がある。最初は舌足らずな感じ。そして足りない分だけ象徴性が強いという印象。その象徴性にひっぱられるように読むのだが、すぐには何かが出てくるという感じでもない。
ほんとうに書きたい何かがあるのだが、その何かを正確に書くために、余分なことばを脇へよけるようにしてことばが進んで行く--そんなふうにことばを書き進めている姿が目に浮かぶ。
タイトルになっている「コレクション」が一番おもしろかった。
「指」がさまざまに変化する。そして、その変化の奥に「あの人の」記憶がある。
棚にある「指」はすべて記憶の指。「銀色の指」はどこで見た指だろうか。エルグレコの絵のなかでないのは確かだ。(エルグレコの描いた指は、そのあとで明確に書かれているのだから)無花果を掴んだままの指は芝居で見た指だろうか。水瓶のなかに浮いている指は本で読んだ指だろうか。
指。指。指。
記憶が積み重なって、記憶を解きほぐす。記憶が積み重なって、記憶の奥からほんとうの指があらわれてくる。ほんとうの指があらわれるまで、野谷はことばを積み重ねる。指を拾い集める。
「指」は形を変えて別の作品にも登場する。「くせ」。
甘皮のことだろうか。ささくれをひきちぎる。
「むずがゆい」「痛い」は「コレクション」のなかにあった「痛みと痒さがからみあい」に通じる。
野谷の感覚は触覚に集中し、だからこそ触覚と深い関係のある「指」に思いが集まるのかもしれない。
そっとそっと、慎重にことばを重ねながら、最後は「無理」を承知で「ひきちぎる」。その瞬間血がにじむ。その感じが快感なのだろう。指先にとどまらず、野谷の一番大切な部分へと、その快感はつながっていくのだろう。
「くせ」の最後の2行。
この告白(?)は美しい。肉体がある。肉体がある、という美しさだ。野谷に会ってみたいなあ、という欲望にそそられる。
*
抑制されていたことばが野谷に逆襲して(?)、ふいに動くのだろうか。そのとき、野谷がふいに身を隠すことを忘れて表に出てしまうのだろうか。そういう部分に、何とも言えない不思議な魅力がある。「街角」の次の部分も印象的だ。
「そうだ」とは、確かに野谷がつかっているように、自分自身のそれまでの考えから別の考えへ突き進むための掛け声かもしれない。
「コレクション」にはいくつもの「そうだ」が隠れれている。書かれていないけれど、連と連の変わり目、その1行空きに「そうだ」を補って読むと、野谷のこころの動きがよりリアルに伝わってくるかもしれない。
「そうだ」と声にならない声を出して、野谷は、連から連へと渡り、自分自身へ近づく。肉体へ近づく。
不思議な文体である。ことばの奥にもっと別のことばがある、という印象がある。最初は舌足らずな感じ。そして足りない分だけ象徴性が強いという印象。その象徴性にひっぱられるように読むのだが、すぐには何かが出てくるという感じでもない。
ほんとうに書きたい何かがあるのだが、その何かを正確に書くために、余分なことばを脇へよけるようにしてことばが進んで行く--そんなふうにことばを書き進めている姿が目に浮かぶ。
タイトルになっている「コレクション」が一番おもしろかった。
一本の線があって
それが国境である
指は そのどちら側でも
同じように動く
指を買いませんか
という声を聞いた
指を売りませんか
という声を聞いた
*
女はいくつもの棚を作り 指を飾っている 銀色の指
無花果を掴んだままの指 水がめの中に浮いている指
なめまわしたい 噛み切りたい 撫でてほしい 女は
そっと溜息をつく
それにしてもエルグレコの絵の中の指が忘れられない
ひどいボロをまとった男でも指だけは違う 天蓋のつ
いた寝台で 絹の夜具をすべらせて愛撫をくり返した手
だ 十字架を担うキリストもそう キリストは確かに死
んだあの指だけは死んでいないと思ってしまう
女はいつもその棚に戻る ヴァイオリンを奏でている指
がある 聞こえる筈のない旋律がまわりを浸し 眼の中
一杯に指の影が乱舞する 痛みと痒さがからみあい 絶
望的な指との遠さに耐えきれず 女は声を上げる あの
時の あの人の指が消えていく
「指」がさまざまに変化する。そして、その変化の奥に「あの人の」記憶がある。
棚にある「指」はすべて記憶の指。「銀色の指」はどこで見た指だろうか。エルグレコの絵のなかでないのは確かだ。(エルグレコの描いた指は、そのあとで明確に書かれているのだから)無花果を掴んだままの指は芝居で見た指だろうか。水瓶のなかに浮いている指は本で読んだ指だろうか。
指。指。指。
記憶が積み重なって、記憶を解きほぐす。記憶が積み重なって、記憶の奥からほんとうの指があらわれてくる。ほんとうの指があらわれるまで、野谷はことばを積み重ねる。指を拾い集める。
「指」は形を変えて別の作品にも登場する。「くせ」。
あきもせずテレビドラマを見ている
ありふれた話だと思いながら
何度も手の爪の生えぎわをむしっている
むずがゆい感じで
生えぎわの皮がはがれてくる
うすくつながっている皮を
無理にひきちぎると
痛いけれど息をのむ快感がある
甘皮のことだろうか。ささくれをひきちぎる。
「むずがゆい」「痛い」は「コレクション」のなかにあった「痛みと痒さがからみあい」に通じる。
野谷の感覚は触覚に集中し、だからこそ触覚と深い関係のある「指」に思いが集まるのかもしれない。
そっとそっと、慎重にことばを重ねながら、最後は「無理」を承知で「ひきちぎる」。その瞬間血がにじむ。その感じが快感なのだろう。指先にとどまらず、野谷の一番大切な部分へと、その快感はつながっていくのだろう。
「くせ」の最後の2行。
爪の生えぎわから血がにじみだすと
乳房の先がピリピリする
この告白(?)は美しい。肉体がある。肉体がある、という美しさだ。野谷に会ってみたいなあ、という欲望にそそられる。
*
抑制されていたことばが野谷に逆襲して(?)、ふいに動くのだろうか。そのとき、野谷がふいに身を隠すことを忘れて表に出てしまうのだろうか。そういう部分に、何とも言えない不思議な魅力がある。「街角」の次の部分も印象的だ。
そうだ
呼吸をしているというだけで
ヒトは安心してヒトを憎むことができるのだ
大勢のヒトと
黙ってすれ違っていくこともできるのだ
死んだ人には
何か余分な言葉が要るようで
「そうだ」とは、確かに野谷がつかっているように、自分自身のそれまでの考えから別の考えへ突き進むための掛け声かもしれない。
「コレクション」にはいくつもの「そうだ」が隠れれている。書かれていないけれど、連と連の変わり目、その1行空きに「そうだ」を補って読むと、野谷のこころの動きがよりリアルに伝わってくるかもしれない。
「そうだ」と声にならない声を出して、野谷は、連から連へと渡り、自分自身へ近づく。肉体へ近づく。