詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小柳玲子「月夜の仕事」

2007-07-29 12:30:46 | 詩(雑誌・同人誌)

 小柳玲子「月夜の仕事」(「葡萄」54、2007年07月発行)
 小柳は父の死を描いている。死は不可解なものである。その不可解なものを不可解なまま描いている。

「月夜の戸締りは これはまた難しい」博士咳き込む 鍵束を観客に見せる
「あれたちはどんな隙間からも入ってくる
 鍵穴といえども油断はできん」
舞台の右手に扉が出てくる 若かった父の部屋だ
「しずかに!」父の字で貼り紙がしてある 化学式を解いているのだ
差し込み式の鍵穴からうすい明かりがもれている
「あれたちは天窓から」博士が言う 博士のような父が言う
博士は月夜に殺されるのだ 父は月夜に
客席は一面のサンマでざわめき

私は『月夜の仕事』という本を書いたのだった
三十年前 とりとめもない月が昇ってくる表紙絵だった
ビーカーを高く掲げた父が言う
「ごらん 月の光がこんなに溜まっている」
そこで幕が下りる物語だった

 月夜は美しい。人間の死を考慮しない。その美しい月と、父の死という悲しみ。それをどうやって折り合いをつけるか。
 「ごらん 月の光がこんなに溜まっている」。たぶん、実際に父が小柳にそんなふうにして語ってくれたのだろう。そういう体験が、ことばとものとの不思議なあり方、実際は違うのにことばでは出現してしまう世界--ありえないものをあるように出現させてしまうことばの力を、小柳の魂に吹き込んだのかもしれない。小柳が父から学んだものはいろいろあるだろうが、「化学」ではなく「文学」--ことばの力で世界を新しく出現させるとうい方法、ことばのなかに美しい世界を定着させる「ことば・化学」というものを学んだのだろう。ことばとことばがぶつかりあい、今までなかった世界を出現させる「ことば・化学」というものを、小柳は学んだのだろう。
 そして、

私は『月夜の仕事』という本を書いたのだった

 「書く」ということを「仕事」にしたのだ。
 ことば、ことば、ことば。ありふれたことばも、出会い方次第で、不思議な化学反応を起こす。不可解で、美しい反応をおこし、不可解のまま美しい結晶になる。
 「書く」という行為がなければ、小柳は父の死を受け入れることがむずかしかったかもしれない。「書く」という行為が小柳を支えている。意識的にか、無意識にかわからないが、人間は家族の誰かから何かを美しい形で引き継ぐものなのだろう。

 「ごらん、お父さんへの思い出がこんなに溜まっている」とことばを変えて、この詩をかかげたいような気持ちになる。小柳のお父さんに教えてやりたい気持ちになる。小柳のことも知らないし、もちろん小柳のお父さんも知らないのだが、そんなふうに語りかけることで、ちょっと幸せ(人を愛する喜び)をわけてもらった気持ちになった。

コメント
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