詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

誰も書かなかった西脇順三郎(82)

2009-09-10 10:48:16 | 誰も書かなかった西脇順三郎


 「☆(マチスのデッサンに)」。ことばが、とても軽い。軽く動いていく。なぜだろう。

ボア街の上にバルコニー
をもつ昔の貴族の家で
ひるめしをたべながら
ジャン・コクトオの友人の
ゴアオン夫人と話をした。

 ことばの「水準」が「脱臼」するからである。
 「ボア街の上にバルコニー/をもつ昔の貴族の家で」の「を」が学校教科書の文法を「脱臼」させたものだとすると、「昔の貴族の家で/ひるめしをたべながら」の「貴族」と「ひるめし」はことばの「水準」の「脱臼」である。私は貴族ではないし、フランス人でもないから「貴族」と「ひるめし」が同じ「水準」のことば(表現)であるかどうかは知らないが、私の日本語の感覚(私の日常会話の感覚)では、「貴族」と「ひるめし」は結びつかない。かろうじて結びついても「昼ご飯」である。「ひるめし」には、非常に俗っぽい響きがある。「貴族」が「聖」なら、「ひるめし」は「俗」。「ひるめし」は「貴族」が食べるものではなく、庶民が食べるものである。主語、目的語(補語)、動詞には、それが自然に結びついている「水準」がある。日常的な感覚がある。これを、西脇は「脱臼」させる。
 「貴族」と「ひるめし」。その組み合わせが、その世界を、軽くする。笑いを含んだものにする。

フランスの野原には麦や
虞美人草が沢山ある。
ロスィニョールが鳴く。

 この3行にも「貴族」と「ひるめし」のような「脱臼」がある。「フランス」と「虞美人草」。もちろんフランスに「虞美人草」があってもいいのだが、その「虞美人草」と「ロスィニョール」がいっしょに並ぶとき、あれっ、と思う。何?と思う。「ロスィニョール」というのは鳥なのか、虫なのかもフランス語を知らない私にはわからないのだが(あるいはラテン語? もっとほかのことば?)、日本語ではないことは確かである。
 ここでは日本語の音と外国語の音が並んでいる。ことばの「水準」(どこの国のことばか、という基準)が「脱臼」させられ、統一させられていない。そこに、不思議な軽さがある。

ローン河のほとりの葡萄園
百姓はゴッホのような帽子
をかぶってしやべつていた。
また野ばらのとげ先で
女のあごやへそのくぼみを
かく老いた男のために
杏子の実を一籠送る
ことを忘れてはならない。

 「貴族」と「日めし」に比べると、「百姓」と「しやべつている」には、違和感というか、「水準」のずれ--「脱臼」はない。「ゴアオン夫人と話をした」と比較すると、西脇は、主語が「聖」であるとき、補語や動詞に「俗」をぶつけて、「聖」の文体を「脱臼」させることがわかる。主語の「俗」に、「聖」の補語や動詞をぶつけて「脱臼」させることはない。
 「脱臼」とは「聖」か「俗」になる瞬間に起きる。
 「俗」を主語にしたとき、西脇は「脱臼」のかわりに「昇華」をぶつける。「俗」を洗い清める。「俗」のなかにある「美」を引き出す。
 「百姓」の、そのあとに出てくる絵。そして、その「絵」の内容。「女のあごやへそのくぼみ」。それは卑近なものであるけれど、「絵」になることで「美」になる。そして、その「美」は「百姓」そのものとつながっている。卑近な健康(いのち)という部分でつながっている。
 「聖」は「脱臼」させ、笑いを呼び、「俗」はその奥の「いのち」にふれることで「美」に昇華する。そのふたつの運動が、西脇のことばのなかにある。そのことが、西脇のことばの運動を軽くする。

 「野ばらのとげ先で」絵を描く--そういう不思議な美しさ、意外さのおもしろさも、ことばを軽くしている。「野ばらのとげ先」ではなく、たとえば「くじゃくの羽ペン」で描くとすると、それは、とてもつまらなくなる。
 「芸術」(絵)には、素朴を、自然をぶつける。そこにも「脱臼」がある。
 「脱臼」が西脇のことばを軽くする。



田園に異神あり―西脇順三郎の詩 (1979年)
飯島 耕一
集英社

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森川雅美「夜明け前に斜めから陽が射している」

2009-09-10 00:13:05 | 詩(雑誌・同人誌)
森川雅美「夜明け前に斜めから陽が射している」(「詩誌酒乱」3、2009年07月10日発行)

 いつからか、森川雅美は「頭」で「肉体」を書くことをやめた。これは、とてもいいことだと思う。もともと森川は「頭」で書くひとである。「肉体」を書くことにはむりがあった。「頭」で「肉体」を書くことをやめ、ただ「頭」で「頭」を書く--そうすることで「頭」そのものが「肉体」になった。
 「夜明け前に斜めから陽が射している」はふたつの部分からできている。(正確に語るかたるなら)と(いくつもの眼のうちに)。(正確に語るなら)の「正確に」という表現に「頭」がくっきりと出ている。「肉体」は「正確に」とはいわない。「肉体」は間違えることができない。「肉体」は知っているか、知らないかのどちらかであり、知っていることは全部正しい。間違えるのは(つまり、正確でないことをするのは)、「頭」だけである。
 卑近な例で説明する。たとえば、セックス。はじめてのセックスのとき、男は女のどこに自分のペニスをあてていいのかわからない。挿入の場所がわからない。これは「知らない」のである。そして女が「違う」といっても、それは男の「肉体」が「間違っている」というのではなく、その場所を「正しい」は思い込んでいる「頭」が間違っているというのである。「頭」であれこれ考えるから、間違える。あらゆる動物は本能で、つまり「肉体」で動くから、「教えてもらわなくても」間違えようがない。「教えてもらったこと」(何かで読んだり聞いたりして、知ったこと)を「頭」で整えて、そのうえで「肉体」を動かそうとするから奇妙なことが起きるのである。本人は、ちゃんと「肉体」を動かしているつもりかもしれないが、傍から見ると、「頭」を動かしているだけで、「肉体」が反応していない。
 「肉体」を書くには、「頭」を書くときとはまったく別の文体が必要である。森川は、そういう文体を、いまのことろ持っていない。そのことに気がついたのかどうかよくわからないが(私は、そんなにていねいな森川の読者ではない)、最近は「肉体」を書くことをやめて、「頭」を書いている。むりがない。とても読みやすく、また、楽しい。

 具体的にいうと……。(いくつもの眼の内に)の最初の部分。

いくつもの眼の内に射す一瞬の光とともに脳の古層で意味もなく囁かれる声の繰り返しに足をたち止めてはならぬと叱咤するのもまた脳の裏側の声でついにはとどかぬ脈であるなら畔に佇むことはすでに水からの細胞のひとつひとつに水源を感じつつなおいっそう下流の汚泥の中に半身を突き刺すことでありさらに言説は常に少なからず嘘を含み親しいものであればなおさらでありいいかえるなら体の内側に蛇行する廃道は首筋の辺りでより皮膜に近づき(後略)

 「脳」ということばが出てくるから「頭」というのではない。「頭」は、文と文をつないでいる「また」「(である)なら」「なお」「さらに」ということばによって「肉体」になっている。「頭」がそういうことばによって「肉体」になっている。「肉体」として動いている。
 森川は、「また」「(である)なら」「なお」「さらに」ということばによって逸脱しつづけることで詩を書く。この逸脱はセックスのエクスタシーと違って、けっして「自己」の外へは出ない。あくまで「頭」のなかで動き回る。
 もう動き回りすぎて、「また」「(である)なら」「なお」「さらに」ではどうすることもできなくなったとき、どうするか。「頭」というのは「天才」である。
 「いいかえるなら」。
 反復するのだ。
 人間の「肉体」が(たとえば、セックスにおいて)、反復することで、どんどん何事かを知っていく。より深い快感を手にいれることができるようになるのと同じように、「頭」は「ことば」を「いいかえるなら」という形で反復することで、その経験の厚みを獲得する。そして、「頭」自身が「肉体」になる。
 「また」「(である)なら」「なお」「さらに」と並列するだけではなく、「いいかえるなら」ともう一度、最初から並列をやりなおす。くりかえす。それが「頭」である。「頭」の文体である。
 すべては、語り直しなのだ。
 この地点から、(正確に語るなら)に戻ると、森川のことばの運動がとてもわかりやすくなる。タイトル(?)の(正確に語るなら)自体がすでに語り直し、「いいかえるなら」である。

正確に語るなら名前がない方がましだと
生成にひとつの陽が燃えつづけ
あることはいつでも裏切りであり
私たちは孕まれるため世界である

 何が書いてあるかわからなくなったら、その行間に「また」「(である)なら」「なお」「さらに」などのことばを補えばいい。どこまでいけば結論(?)に達するかわからないと感じたら「いいかえるなら」を挿入してみるといい。「いいかえるなら」はどこに挿入しても、まったく不都合は生まれない。それが森川の詩、「頭」で書いている詩である。
 森川の書いていることばは、どこへも行かない。森川の「頭」の中を、何度も何度も、ぐるぐるとまわるのである。同じことをしていて飽きないか--というのは、愚問である。「肉体派」にとってセックスに飽きるということがないのと同様、「頭派」がことばに飽きるということはない。ことば以外に好きなものなどないのだから。





山越
森川 雅美
思潮社

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