柴田実「平田診療所」(「火曜日」99、2009年08月01日発行)
柴田実「平田診療所」は、子どもの時代にお世話になった「平田診療所」のことを淡々と書いている。ただ、それだけのことなのだけれど、読んでいて、こころが落ち着いた。「現代詩」というジャンルには入らない。ことばでことばを破壊し、新しいことばをつくりだしていく、新しいことばにあわせて現実そのものをつくりかえていく--という作品ではないのだが、私は、こういう作品もとても好きだ。
「平田内科の枇杷の木が/今年も実をつけた」ではじまり「平田内科の枇杷の木は/今年も実をつけている」。枇杷の木そのものに対して思い出があるわけではない。思い入れがあるわけではない。季節がくれば枇杷の木に花が咲く。木はただ実直に自然の摂理を守っている。そして生きている。それだけのことである。
そして、柴田は、まるで枇杷の木が自然の摂理を守るように、枇杷の花が咲く季節になると平田先生を思い出すのだ。平田先生のおかげで生きていられるのだ、と。平田先生のことろで同級生が死んだ。だから、その病院へは行くまいと、思ったこともあったが、それは子供時代の思い違いであった。先生は同級生を救えなかったかもしれないが、それは先生が何もしなかったということではない。いつでも、いのちとていねいに向き合っている。それが先生の摂理。
自分の摂理をまもって生きる、枇杷、平田先生、そして、同じように柴田も摂理をまもっている。いのちを救ってくれた先生への感謝を枇杷の花のころには必ず思い出す。それはささいなことかもしれない。けれど、そのささいなことが、たぶん社会を支えている。
柴田実「平田診療所」は、子どもの時代にお世話になった「平田診療所」のことを淡々と書いている。ただ、それだけのことなのだけれど、読んでいて、こころが落ち着いた。「現代詩」というジャンルには入らない。ことばでことばを破壊し、新しいことばをつくりだしていく、新しいことばにあわせて現実そのものをつくりかえていく--という作品ではないのだが、私は、こういう作品もとても好きだ。
平田内科の枇杷の木が
今年も実をつけた
先生はもういない
先生には二人の娘があって
二人とも
遠くの医師へ嫁いで行った
娘が嫁いでしばらく経ってからだ
次女にダウン症の子供が産まれた
先生はことのほか
その孫を可愛がっていると聞いた
先生の診察室の窓辺には
いつも花があった
幼い僕には
聴診器は冷たかったが
先生の触診は暖かく
病気が治りそうに思えた
枇杷のなる頃
小学校の同級生が
腸チフスに罹り平田内科で死んだ
初めての身近な死だった
伝染病の診療所には行くまいと思った
その頃だ
生まれて間もない僕が
肺炎にかかり
当時貴重だったペニシリンを
平田先生が米軍から手に入れ
命を救ってくれたと教えられたのは
あれから数十年
平田内科の枇杷の木は
今年も実をつけている
「平田内科の枇杷の木が/今年も実をつけた」ではじまり「平田内科の枇杷の木は/今年も実をつけている」。枇杷の木そのものに対して思い出があるわけではない。思い入れがあるわけではない。季節がくれば枇杷の木に花が咲く。木はただ実直に自然の摂理を守っている。そして生きている。それだけのことである。
そして、柴田は、まるで枇杷の木が自然の摂理を守るように、枇杷の花が咲く季節になると平田先生を思い出すのだ。平田先生のおかげで生きていられるのだ、と。平田先生のことろで同級生が死んだ。だから、その病院へは行くまいと、思ったこともあったが、それは子供時代の思い違いであった。先生は同級生を救えなかったかもしれないが、それは先生が何もしなかったということではない。いつでも、いのちとていねいに向き合っている。それが先生の摂理。
自分の摂理をまもって生きる、枇杷、平田先生、そして、同じように柴田も摂理をまもっている。いのちを救ってくれた先生への感謝を枇杷の花のころには必ず思い出す。それはささいなことかもしれない。けれど、そのささいなことが、たぶん社会を支えている。