詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

柴田実「平田診療所」

2009-09-16 11:35:49 | 詩(雑誌・同人誌)
柴田実「平田診療所」(「火曜日」99、2009年08月01日発行)

 柴田実「平田診療所」は、子どもの時代にお世話になった「平田診療所」のことを淡々と書いている。ただ、それだけのことなのだけれど、読んでいて、こころが落ち着いた。「現代詩」というジャンルには入らない。ことばでことばを破壊し、新しいことばをつくりだしていく、新しいことばにあわせて現実そのものをつくりかえていく--という作品ではないのだが、私は、こういう作品もとても好きだ。

平田内科の枇杷の木が
今年も実をつけた
先生はもういない
先生には二人の娘があって
二人とも
遠くの医師へ嫁いで行った
娘が嫁いでしばらく経ってからだ
次女にダウン症の子供が産まれた
先生はことのほか
その孫を可愛がっていると聞いた
先生の診察室の窓辺には
いつも花があった
幼い僕には
聴診器は冷たかったが
先生の触診は暖かく
病気が治りそうに思えた
枇杷のなる頃
小学校の同級生が
腸チフスに罹り平田内科で死んだ
初めての身近な死だった
伝染病の診療所には行くまいと思った
その頃だ
生まれて間もない僕が
肺炎にかかり
当時貴重だったペニシリンを
平田先生が米軍から手に入れ
命を救ってくれたと教えられたのは
あれから数十年
平田内科の枇杷の木は
今年も実をつけている

 「平田内科の枇杷の木が/今年も実をつけた」ではじまり「平田内科の枇杷の木は/今年も実をつけている」。枇杷の木そのものに対して思い出があるわけではない。思い入れがあるわけではない。季節がくれば枇杷の木に花が咲く。木はただ実直に自然の摂理を守っている。そして生きている。それだけのことである。
 そして、柴田は、まるで枇杷の木が自然の摂理を守るように、枇杷の花が咲く季節になると平田先生を思い出すのだ。平田先生のおかげで生きていられるのだ、と。平田先生のことろで同級生が死んだ。だから、その病院へは行くまいと、思ったこともあったが、それは子供時代の思い違いであった。先生は同級生を救えなかったかもしれないが、それは先生が何もしなかったということではない。いつでも、いのちとていねいに向き合っている。それが先生の摂理。
 自分の摂理をまもって生きる、枇杷、平田先生、そして、同じように柴田も摂理をまもっている。いのちを救ってくれた先生への感謝を枇杷の花のころには必ず思い出す。それはささいなことかもしれない。けれど、そのささいなことが、たぶん社会を支えている。

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誰も書かなかった西脇順三郎(88)

2009-09-16 07:40:42 | 誰も書かなかった西脇順三郎

 「夏(失われたりんぼくの実)」は最初に俳句のような不思議な1行がある。俳句なのかな? 「人間の記号が聞こえない門」。「人間」の「間」と「門」の向き合い方がとても気になるのだが、「聞こえない」ことのなかに、何かを見ているのかもしれない。

黄金の夢
が波うつ
髪の
罌粟(けし)の色
に染めた爪の
若い女がつんぼの童子(こども)の手をとつて
紅をつけた口を開いて
口と舌を使つていろいろ形象をつくる
アモー
アマリリス
アジューア
アーベイ
夏が来た

 「アモー」からはじまる行の展開がとても好きだ。耳が聞こえないこどもに読唇術を教えているのだろうけれど、その聞こえない耳へむけて発せられる音の美しさ。口の形が、他の存在と結びつく。そのとき、こどもの「肉体」のなかで何が起きているのだろう。わからないけれど、そこにも音楽がある、と感じさせる音の動きだ。
 こどもは、若い女の「口」という肉体の門をくぐって、世界につながる。聞こえないけれど、聞こえないまま、若い女の口の動きに自分自身の口の動きを重ねる。「肉体」の重なりが、「肉体」のなかで音になる。「アモー/アマリリス/アジューア/アーベイ/夏が来た」。突然、やってくるいままでと違う音。その瞬間、その夏は「光」である。音のない世界の、「肉体」のなかの闇(?)から、「声」、まぼろしの「声」になって噴出してくる真っ白な光のように感じられる。 
 そして、「アモー/アマリリス/アジューア/アーベイ/夏が来た」というリズムだけを引き継いで(と、私には感じられる。リズムだけ、というのは「意味」を引き継がずに、ということである)、新しい行が展開する。

オルフェ コクトオ ガラス屋の背中
オルフェの話を古代英語で読まされた
ブリタニアの日のかなしみに
暗い空をみあげるのだ
ガラスの神秘
カーリ(詩の女神)の性情
連想を破ることだ
意識の解釈をしない
コレスポンダンスも
象徴もやめるのだ

 その新しい展開のなかで、ふいに、西脇のことばの運動を、西脇自身で解説したような2行が登場する。「連想を破ることだ/意識の解釈をしない」。そこに詩があると、西脇はいっているような気がする。
 連想を破る。「アモー/アマリリス/アジューア/アベーイ」という音の動きのように。そこには音があるだけで、それらのことばを結びつけるものはない。音は、音そのものに分解される。なぜ、「アモー」のあとに「アマリリス」かなど、解釈してはならない。ただ音だけになる。
 オルフェも、コクトオの書き直したオルフェも、きっと「意味」を解釈してはだめなのだ。ただ、そこにある「音」として、あじわう必要があるのだろう。
 必要--などということばを書いてしまうと、そこには、もう「意味」が入ってくるから、こんなことは書いてはいけなかったのだ、とふと思う。




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岬多可子「領分」

2009-09-16 00:36:57 | 詩(雑誌・同人誌)
岬多可子「領分」(「左庭」14、2009年08月30日発行)

 岬多可子「領分」のことばは、ことばの「領域」が少し私の感覚と違う。違うのがいけない、というのではなく、その違いの中に、ふっと吸い込まれて、あれこれと考えてしまう。
 1連目。

てくらがり という
ちいさな薄闇のなか
生きていたものたち
刃も使い 火も使う
薄い闇で 口元を覆い
種の蜜を しつこく啜ったりもする

 「てくらがり」というのは、手によってできる暗がりのことである。それはもちろん明るい時は問題にならない。光が(日が)陰り始めたとき、自分の手によって、手本が暗くなり、手を使った仕事が少し不便になる。少し不便だけれど、手は手で(肉体で)いろいろなことを覚えているから、それなりに動くことができる。私は、そんなふうに「てくらがり」の「意味」を考えている。
 この手が手で知っていること、肉体が覚えていることを、岬は「生きていたものたち」と定義しなおしている。
 ふーん。なるほど。
ことばにはなりきれないいのち、未生のいのちが生きている。それが「てくらがり」という「領域」なのだ。
そして、その「領域」では、岬の手が(肉体が)動くだけではない。手が動くとき、その手に触れるものがある。たとえば夕御飯を準備する。その時、魚が、野菜が手に触れる。その魚や野菜の「肉体」が、「てくらがり」という「領域」のなかで触れ合う。「てくらがり」は、岬の「肉体」と、魚や野菜の「肉体」が「いのち」を触れ合わせる「場」でもあるのだ。
 「いのち」と「いのち」を触れ合わせるためには、明るい光ではなく、静かな暗さ、「てくらがり」が必要なのだ。他者の、魚や野菜のいのちを切ったり煮たり焼いたりする暴力を和解させるためには、光ではなく「てくらがり」が必要なのだ。

 こういうことは、しかし、どういえばいいのかわからない。だから、岬は、ことばを動かす。ことばで、まだことばになっていない「領域」へ踏み込んでゆく。ことばにしようとする。
 つまり、詩を書く。

そして 針と糸で編みあげる
羽は 飛ばさない一語の代わり
実は 落とさない一語の代わり

うなだれて
みずからの影をしたたらせ
できた薄墨のような
みずたまり の そこしれず
赤い小えびや青いたまご
視線や感情
沈ませて 静まらせて

 ここにも不思議なことばがある。「みずたまり の そこしれず」。「そこしれず」は限りない、無限という意味だと私は理解しているが、「みずたまり」がたとえ比喩だとしても、そこに「無限」があると想像するのは苦しい。
 けれど、そのことばの運動が苦しいだけに、その苦しい部分に引き込まれてしまう。
 むりをしてでも言いたいことがあるのだ。

 台所の、シンクの「みずたまり」。それは「つくらがり」の別の形なのだ。シンクの「みずたまり」は「てくらがり」なのだ。だから、「みずからの影をしたたらせ/できた薄墨のような」ということばがある。「みずからの」、つまり「自分の」影、その「薄墨の」(「てくらがり」では「薄闇」だった)なかで、いろいろなものを和解させる。「赤い小えびや青いたまご」と、岬自身の「視線や感情」も。
 この「和解」を岬は、「沈ませて」という物理的な運動で書いたあと、すぐに「静まらせ」
と「精神」に通じることばで定義しなおす。

 物理(もの)から精神へ。岬のことばは、そんなふうに動き、深さ、広さを獲得する。それはいつでも、「わたくし」を広げ、深める運動なのだ。

だれもまだ 起きてこない 朝方
だれもまだ 帰ってこない 夕方
周囲の明暗は いそぎうつりかわり

てくらがり という
いつも熱っぽく湿った薄闇のなか
わたくしが おこなっているのは わたくし

 最終行は、「わたくし」が「わたくし」に「なる」――と、私は読んだ。
 ことばにならないものを、いまあることばを微妙にずらした形で動かしながら、ことばにする。隠れて見えない存在を、運動を、ことばのなかにすくい取り、そのことばの運動としての精神を「わたくし」と定義し、新しい「わたくし」になる。
 新しい――とはいっても、それは、ことばにならないまま、「てくらがり」のような「領域」にひそんでいた「わたくし」だ。だから、それは「わたくし探し」の運動といってもいい。
 そうやって獲得した領域を、岬は「領分」と呼んでいる。「わたくしの領分」、誰のものでもない、自分の「分」と。


桜病院周辺
岬 多可子
書肆山田

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