豊原清明「秋の盛り場」ほか(「白黒目」25、2010年10月発行)
豊原清明のことばには無防備なところがある。そして、その無防備であることが世界を豊かにする。防御「枠」(壁?)がないために、豊原と遠くが一気につながってしまうのである。
秋亜綺羅が「論理」の構造を解体し、「論理」を切断することで「解放」(自由)を獲得しようとするのに対して、豊原は最初から「解体」するべき「もの」を持っていない。自分を守る「壁」がないというのは不安な状態かもしれないが、それはそれでまた、読者に(私に)不安というものの美しさを教えてくれるから不思議だ。不安なんて、ほしくない。そうはわかっていても、その不安を美しいと思うときがあるのだ。
「秋の盛り場」の1連目。
「生きている感じ」「胸がさらさら」「布団のシーツが/きらきら ぞくぞく」。それは、「切断」されながら「つながる」。だれも結びつけなかったものが、つまりそれまではほかのものとつながっていたものがいったん切断され、それから豊原のことばによって結びつけられる。そこには「論理」のかけらもない。ここでいう「論理」とは「学校教科書」の「論理」のことだけれど。
言いなおそう。
「生きている感じ」は、一般的には「胸のどきどき」とか「興奮」というようなことばといっしょになる。高まる動悸が「生きている感じ」であることが多い。「熱く」なるとき「生きている」感じがする。
けれど、豊原は、その胸を「さらさら」と結びつける。たしかにすがすがしい、さわやかな何かを感じたとき「生きている」という感じはする。けれど、それには一種の「前提」がある。いままでは「さわやか」とは感じなかった状態を生きていた、という「過去」を前提としている。暑苦しい夏、山を登る。動悸が激しくなる。そして山頂。風が吹き渡る。涼しい。生きている。広々とした風景。あ、生きている。--そういうときは、それまでの肉体の苦労が「過去」なのである。
豊原は、そういう「過去」を書かずに(説明せずに)、いきなり「さらさら」をもってくる。
私たちが一般的に「さわやか」な感じを説明するのに、苦しい「過去」を前提とするという論理のなかでことばを動かしている、豊原はそういう「論理構造」、ことばの通路の「枠」を必要とせず、「枠」を乗り越えて動いていく。
豊原にある「過去」は「生きている」ということだけなのだ。そしてそれは「過去」ではなく「生きている」の「いる」が指し示しているように「いま」なのだ。「いま」があふれて、豊原の肉体から流れ出ていく。その流れる、つまずかず、スムーズな感じが「さらさら」。そして、その流れたものは布団のシーツに出会って「きらきら」「そくぞく」に瞬間的にかわる。
ここでもまた、豊原のことばは「学校教科書の論理」とは違った動きをしている。
布団のシーツが「きらきら」「ぞくぞく」。感じたことがありますか? 読んだことがありますか? 感じたことがないし、読んだこともない。けれども、わかるような気がする。いや、わかりたいのだ。「きらきら」と「ぞくぞく」が同居するシーツ。どうすれば、そういう「もの」に出会えるのか。
豊原は、ものすごいことを書いている。
えっ? 秋になるだけで、シーツが「きらきら」「ぞくぞく」になるの?
違うなあ。
「なる」のじゃなくて、それは「ある」のだ。
豊原のことばの運動は「なる」ではなく、常に「ある」の発見なのかもしれない。
秋亜綺羅のことばは、ことばを解体しながら、ことば以前に「なる」。そのための運動である。「現代詩」のまっとうな方法を生きている。
豊原のことばは、解体などしない。もともと構築されていない。そういうことばが動いて、さまざまな「もの」に出会う。そして「もの」がもっている「ある」を見つける。「ある・状態」を発見する。そういうものを発見し、ことばにするとき、豊原は、その「もの」に「なる」のだけれど、その「なる」の変化のスピードが速すぎて、「ある」として存在してしまう。
そう感じたとき、豊原は秋に「なる」のではない。秋として、そこに「ある」のだ。
「生きている感じが/もの凄くあって」と豊原は書いているが、その「もの凄くあった」という1行にも「ある」が隠れている。豊原は、いつでも生成するのではなく、「ある」なのかもしれない。
「ある」と「なる」。「なる」と「ある」。
これは、説明しようとすると、ややこしいなあ。うまく説明できない。
たぶん、この「ある」の感覚が豊原を「俳句」と結びつけているのだと思う。「俳句」の「一期一会」。何かと出会い、その瞬間、私が私ではなくなる。私を超えて、私と他者とが溶け合って、どこまでもひろがる「無限」(永遠)に「なる」。俳句の成立する一瞬を、そんなふうに「なる」ということばで説明できると思うが--その「なる」が「なる」で終わらない。「なる」のが「俳句」なのではなく、その「なる」を「ある」という状態として存在させるのが「俳句」なのだ。
「なる」はだれでも「なる」ことができる。けれど「ある」はだれでも「ある」というわけにはいかない。
なぜなら。
矛盾した言い方になるが、ひとはだれでも「ある」という状態に「ある」からだ。(もっとほかの「哲学用語」で説明すべきなのかもしれないが、私はそういう用語にはとてもうといのでできない。)
「ある」から「なる」へ、そしてその「なる」を「ある」に。
これはことばで書いてしまうと簡単そうだが、難しいなあ。できないなあ。そのできないことを、豊原は瞬間的にやってしまう。
無防備の力なのだと思う。ひとは「ある」から「なる」へ到達したとき、その「なる」を守ろうとする。(「ある」から「なる」になるのも、まあ、いまの「ある」を守るために「なる」を選ぶということがあるかもしれない。)ところが豊原は「自己保存」のために「枠」をそこでつくろうとはしない。もともと「枠」をもっていないので、「なる」が「ある」にかわってしまうのかもしない。
「猪の怒り」の2連目も好きだなあ。そこには「秋の盛り場」と類似の行が繰り返されている。
不定型だけれど「俳句」そのものだねえ。外を(庭か、家の前の道か……)を掃いているほうきの音、それを聞きながら目をつむる。眠る。そうすると、体がほうきの音に「なる」。「なる」のだけれど、いま、豊原は「なる」を超えて、ほうきの音そのものとして「ある」。「肉体」は消え、消えることによって、肉体を超越して、そこに「ある」。
「黒髪の塊」の1連目も不思議だ。
「なる」ということばが「家になっちまった」という行につかわれている。その「なる」は次の瞬間には、「千、億単位の一軒」に「なる」。そして、そこに「ある」
この行のなかの「千、億単位」と「一」のことばのなかに「ある」と「ある」の秘密が隠されているかもしれない。
「僕」は何にでも「なる」。「千、億」のすべての「もの」になる。一期一会の出会いのなかで、「僕」と「千、億」の可能性としての「僕」に「なる」。「千、億」に「なる」のだけれど、「僕」は「僕」で「ある」。いつまでも「一」である。
そういうことばの運動が豊原の特徴だ。

豊原清明のことばには無防備なところがある。そして、その無防備であることが世界を豊かにする。防御「枠」(壁?)がないために、豊原と遠くが一気につながってしまうのである。
秋亜綺羅が「論理」の構造を解体し、「論理」を切断することで「解放」(自由)を獲得しようとするのに対して、豊原は最初から「解体」するべき「もの」を持っていない。自分を守る「壁」がないというのは不安な状態かもしれないが、それはそれでまた、読者に(私に)不安というものの美しさを教えてくれるから不思議だ。不安なんて、ほしくない。そうはわかっていても、その不安を美しいと思うときがあるのだ。
「秋の盛り場」の1連目。
生きている感じが
もの凄くあって
胸がさらさらとして
布団のシーツが
きらきら ぞくぞくして
秋やなあ
と、
秋なんだなって思います
「生きている感じ」「胸がさらさら」「布団のシーツが/きらきら ぞくぞく」。それは、「切断」されながら「つながる」。だれも結びつけなかったものが、つまりそれまではほかのものとつながっていたものがいったん切断され、それから豊原のことばによって結びつけられる。そこには「論理」のかけらもない。ここでいう「論理」とは「学校教科書」の「論理」のことだけれど。
言いなおそう。
「生きている感じ」は、一般的には「胸のどきどき」とか「興奮」というようなことばといっしょになる。高まる動悸が「生きている感じ」であることが多い。「熱く」なるとき「生きている」感じがする。
けれど、豊原は、その胸を「さらさら」と結びつける。たしかにすがすがしい、さわやかな何かを感じたとき「生きている」という感じはする。けれど、それには一種の「前提」がある。いままでは「さわやか」とは感じなかった状態を生きていた、という「過去」を前提としている。暑苦しい夏、山を登る。動悸が激しくなる。そして山頂。風が吹き渡る。涼しい。生きている。広々とした風景。あ、生きている。--そういうときは、それまでの肉体の苦労が「過去」なのである。
豊原は、そういう「過去」を書かずに(説明せずに)、いきなり「さらさら」をもってくる。
私たちが一般的に「さわやか」な感じを説明するのに、苦しい「過去」を前提とするという論理のなかでことばを動かしている、豊原はそういう「論理構造」、ことばの通路の「枠」を必要とせず、「枠」を乗り越えて動いていく。
豊原にある「過去」は「生きている」ということだけなのだ。そしてそれは「過去」ではなく「生きている」の「いる」が指し示しているように「いま」なのだ。「いま」があふれて、豊原の肉体から流れ出ていく。その流れる、つまずかず、スムーズな感じが「さらさら」。そして、その流れたものは布団のシーツに出会って「きらきら」「そくぞく」に瞬間的にかわる。
ここでもまた、豊原のことばは「学校教科書の論理」とは違った動きをしている。
布団のシーツが「きらきら」「ぞくぞく」。感じたことがありますか? 読んだことがありますか? 感じたことがないし、読んだこともない。けれども、わかるような気がする。いや、わかりたいのだ。「きらきら」と「ぞくぞく」が同居するシーツ。どうすれば、そういう「もの」に出会えるのか。
豊原は、ものすごいことを書いている。
秋やなあ
えっ? 秋になるだけで、シーツが「きらきら」「ぞくぞく」になるの?
違うなあ。
「なる」のじゃなくて、それは「ある」のだ。
豊原のことばの運動は「なる」ではなく、常に「ある」の発見なのかもしれない。
秋亜綺羅のことばは、ことばを解体しながら、ことば以前に「なる」。そのための運動である。「現代詩」のまっとうな方法を生きている。
豊原のことばは、解体などしない。もともと構築されていない。そういうことばが動いて、さまざまな「もの」に出会う。そして「もの」がもっている「ある」を見つける。「ある・状態」を発見する。そういうものを発見し、ことばにするとき、豊原は、その「もの」に「なる」のだけれど、その「なる」の変化のスピードが速すぎて、「ある」として存在してしまう。
秋やなあ
そう感じたとき、豊原は秋に「なる」のではない。秋として、そこに「ある」のだ。
「生きている感じが/もの凄くあって」と豊原は書いているが、その「もの凄くあった」という1行にも「ある」が隠れている。豊原は、いつでも生成するのではなく、「ある」なのかもしれない。
「ある」と「なる」。「なる」と「ある」。
これは、説明しようとすると、ややこしいなあ。うまく説明できない。
たぶん、この「ある」の感覚が豊原を「俳句」と結びつけているのだと思う。「俳句」の「一期一会」。何かと出会い、その瞬間、私が私ではなくなる。私を超えて、私と他者とが溶け合って、どこまでもひろがる「無限」(永遠)に「なる」。俳句の成立する一瞬を、そんなふうに「なる」ということばで説明できると思うが--その「なる」が「なる」で終わらない。「なる」のが「俳句」なのではなく、その「なる」を「ある」という状態として存在させるのが「俳句」なのだ。
「なる」はだれでも「なる」ことができる。けれど「ある」はだれでも「ある」というわけにはいかない。
なぜなら。
矛盾した言い方になるが、ひとはだれでも「ある」という状態に「ある」からだ。(もっとほかの「哲学用語」で説明すべきなのかもしれないが、私はそういう用語にはとてもうといのでできない。)
「ある」から「なる」へ、そしてその「なる」を「ある」に。
これはことばで書いてしまうと簡単そうだが、難しいなあ。できないなあ。そのできないことを、豊原は瞬間的にやってしまう。
無防備の力なのだと思う。ひとは「ある」から「なる」へ到達したとき、その「なる」を守ろうとする。(「ある」から「なる」になるのも、まあ、いまの「ある」を守るために「なる」を選ぶということがあるかもしれない。)ところが豊原は「自己保存」のために「枠」をそこでつくろうとはしない。もともと「枠」をもっていないので、「なる」が「ある」にかわってしまうのかもしない。
「猪の怒り」の2連目も好きだなあ。そこには「秋の盛り場」と類似の行が繰り返されている。
生きている 感じが
凄くあって
郷愁もなく
ただ ほうきの音、
気持ちよく、
眠るばかり
眠る体の音がする
不定型だけれど「俳句」そのものだねえ。外を(庭か、家の前の道か……)を掃いているほうきの音、それを聞きながら目をつむる。眠る。そうすると、体がほうきの音に「なる」。「なる」のだけれど、いま、豊原は「なる」を超えて、ほうきの音そのものとして「ある」。「肉体」は消え、消えることによって、肉体を超越して、そこに「ある」。
「黒髪の塊」の1連目も不思議だ。
今日、ヨーグルトを一箱食べた
僕は泣いた
原っぱが泣いたから
家になっちまった
千、億単位の一軒家の
連なり
「なる」ということばが「家になっちまった」という行につかわれている。その「なる」は次の瞬間には、「千、億単位の一軒」に「なる」。そして、そこに「ある」
この行のなかの「千、億単位」と「一」のことばのなかに「ある」と「ある」の秘密が隠されているかもしれない。
「僕」は何にでも「なる」。「千、億」のすべての「もの」になる。一期一会の出会いのなかで、「僕」と「千、億」の可能性としての「僕」に「なる」。「千、億」に「なる」のだけれど、「僕」は「僕」で「ある」。いつまでも「一」である。
そういうことばの運動が豊原の特徴だ。
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