粕谷栄市『遠い川』(3)(思潮社、2010年10月30日発行)
「いま」という「時」のなかにあらゆる「時間」が見える--と昨日書いた。そういう「いま」は、いわば「夢」のようなものである。「夢」のなかにもあらゆる時間が一斉に雪崩込んでくる。時間の流れを無視して、過去と未来がみさかいなしに動いている。
そんなことを考えながら、「秋の花」を読んだ。そして、読みながら、昨日考えたことが昨日考えたことなのか、それとも「秋の花」を読んだために、そう思ったのかわからなくなった。「秋の花」を読みながら感想を書こうとしているのだが、私のことばは何か昨日へもどろうとしている--忠実に(?)「秋の花」を読むのではなく、昨日の方へ昨日の方へと「誤読」を誘うのだ。
死んだと思っていた女が、死ぬ前に会いたいと言ってきた。そういうことは現実にあるかもしれない。しかし、私はこの書き出しの「死ぬ前に」を、女はこれから死んでいくので、今のうちに会いたいと言ってきた、という「正しい」読み方をしなかった。できなかった。「誤読」した。女は死んでいる。その死んでいる女が、「死ぬ前に、一度、顔が見たい」と言ってきた--つまり、過去の時間へ来いと粕谷を誘っていると読んでしまったのだ。「遠い昔に別れた女」に会いに行ったのではない。女と会うために、「遠い昔」へ行ったのだ。
そういうことは常識的な「時間」の考え方からすると絶対にありえないことだが、粕谷の「時間」は常識の時間とは違う。「いま」のなかにはあらゆる時間があるのだから、粕谷の行動は常識の時間とは無関係なのだ。遠い場所へ行くのと同じように、遠い昔へ行くことができるのだ。「いま」のなかに「過去」があるのだから。「夢」のなかに「過去」があるように。「夢」の中では「いま」も「過去」も「未来」もみさかいがないように、交じり合って存在するのだから。「いま」とは「夢」なのである。
そして、実際、ここには「夢」ということばが出てくる。「それができたのは、たぶん、それが夢のなかのことだったからだろう。」しかし、これは、なんともいえず不思議なことばである。
「それができた」の「それ」は、別れた女に会いに行くことである。「それが夢のなかのこと」の「それ」も、別れた女に会いに行くことである。そうするとますます、別れた女が「いま」生きているのではなく、過去に死んでいて、夢の中で過去の女に会いに行くという私の最初の「直感的誤読」が「誤読」ではなくなる。「夢」のなかだから「時間」はでたらめに動く。「初めて」はけっして「初めて」とはかぎらない。「初めて訪れる町なのに、萩の花の咲く、彼女の家への細い小径を、私は知っていたから」というのは、初めてではないからだ。「初めて」は間違いだからだ。粕谷は「遠い昔」何度もその道を歩いて彼女に会いに行ったのだ。「夢」のなかだから、その最初の体験を、「初めて」と呼んでいるだけなのだ。初めて彼女の家へ行ったときの強烈な思い出が、「夢」のなかのできごとを「初めて」にしてしまう。
粕谷は「遠い町」(たぶん)に住む別れた女に会いに行ったのではなく、別れた女に会いに「遠い昔」へ行ったのだ。こういうことは「現実」にはできない。けれど「夢」のなかでは、そういうことは簡単にできる。時間旅行は誰にでもできる。
けれど、粕谷はこれを「夢」とは言わない。「夢のなかのことだったからだろう」とは書いているが、これは「逆説」の一種である。もし、そこに書かれていることが「夢」なら、思ってもしようがない「思い」が詩の後半に出てくるからである。大切な思い、「いま」それを書いておかなければならない「思い」が後半に出てくるからである。それは「夢のなか」で動くことばではなく、「いま」粕谷の「肉体」とともに、「ここ」にあるものとして動いている。
「夢」のなかで粕谷は「遠い昔に見た夢」に出会う。「遠い夢のなかで」と粕谷は書いているが、それは遠い「昔の」夢のなかで、なのである。「昔」(過去)と「いま」は区別がないから、粕谷は「遠い夢のなかで」と書くのである。その「遠い昔の夢」のなかで、ふたりは、黙って萩の花をみつめる「未来」を夢見たのだ。
「夢」には「過去」と「未来」が入り交じり、自在に動く。そういう「夢」を見ることができる「いま」という時間だけがこの世には存在する。「過去」も「未来」もなく、ただ「いま」だけがある。
「いま」という「時」のなかにあらゆる「時間」が見える--と昨日書いた。そういう「いま」は、いわば「夢」のようなものである。「夢」のなかにもあらゆる時間が一斉に雪崩込んでくる。時間の流れを無視して、過去と未来がみさかいなしに動いている。
そんなことを考えながら、「秋の花」を読んだ。そして、読みながら、昨日考えたことが昨日考えたことなのか、それとも「秋の花」を読んだために、そう思ったのかわからなくなった。「秋の花」を読みながら感想を書こうとしているのだが、私のことばは何か昨日へもどろうとしている--忠実に(?)「秋の花」を読むのではなく、昨日の方へ昨日の方へと「誤読」を誘うのだ。
静かな秋の日、遠い昔、別れた女に逢いに行った。風
の便りに、この世を去ったと聞いていたが、思いがけな
く、死ぬ前に、一度、顔が見たと言ってきたからだ。
死んだと思っていた女が、死ぬ前に会いたいと言ってきた。そういうことは現実にあるかもしれない。しかし、私はこの書き出しの「死ぬ前に」を、女はこれから死んでいくので、今のうちに会いたいと言ってきた、という「正しい」読み方をしなかった。できなかった。「誤読」した。女は死んでいる。その死んでいる女が、「死ぬ前に、一度、顔が見たい」と言ってきた--つまり、過去の時間へ来いと粕谷を誘っていると読んでしまったのだ。「遠い昔に別れた女」に会いに行ったのではない。女と会うために、「遠い昔」へ行ったのだ。
そういうことは常識的な「時間」の考え方からすると絶対にありえないことだが、粕谷の「時間」は常識の時間とは違う。「いま」のなかにはあらゆる時間があるのだから、粕谷の行動は常識の時間とは無関係なのだ。遠い場所へ行くのと同じように、遠い昔へ行くことができるのだ。「いま」のなかに「過去」があるのだから。「夢」のなかに「過去」があるように。「夢」の中では「いま」も「過去」も「未来」もみさかいがないように、交じり合って存在するのだから。「いま」とは「夢」なのである。
永いこと、音信不通で過ごしてきたのだ。逢ったとこ
ろで、何があるわけでもないが、急に、懐かしく、逢い
たくなった。自分も、もう先のない老人だ。
それができたのは、たぶん、それが夢のなかのことだ
ったからだろう。初めて訪れる町なのに、萩の花の咲く、
彼女の家への細い小径を、私は知っていたから。
そして、実際、ここには「夢」ということばが出てくる。「それができたのは、たぶん、それが夢のなかのことだったからだろう。」しかし、これは、なんともいえず不思議なことばである。
「それができた」の「それ」は、別れた女に会いに行くことである。「それが夢のなかのこと」の「それ」も、別れた女に会いに行くことである。そうするとますます、別れた女が「いま」生きているのではなく、過去に死んでいて、夢の中で過去の女に会いに行くという私の最初の「直感的誤読」が「誤読」ではなくなる。「夢」のなかだから「時間」はでたらめに動く。「初めて」はけっして「初めて」とはかぎらない。「初めて訪れる町なのに、萩の花の咲く、彼女の家への細い小径を、私は知っていたから」というのは、初めてではないからだ。「初めて」は間違いだからだ。粕谷は「遠い昔」何度もその道を歩いて彼女に会いに行ったのだ。「夢」のなかだから、その最初の体験を、「初めて」と呼んでいるだけなのだ。初めて彼女の家へ行ったときの強烈な思い出が、「夢」のなかのできごとを「初めて」にしてしまう。
粕谷は「遠い町」(たぶん)に住む別れた女に会いに行ったのではなく、別れた女に会いに「遠い昔」へ行ったのだ。こういうことは「現実」にはできない。けれど「夢」のなかでは、そういうことは簡単にできる。時間旅行は誰にでもできる。
けれど、粕谷はこれを「夢」とは言わない。「夢のなかのことだったからだろう」とは書いているが、これは「逆説」の一種である。もし、そこに書かれていることが「夢」なら、思ってもしようがない「思い」が詩の後半に出てくるからである。大切な思い、「いま」それを書いておかなければならない「思い」が後半に出てくるからである。それは「夢のなか」で動くことばではなく、「いま」粕谷の「肉体」とともに、「ここ」にあるものとして動いている。
私にできることと言えば、黙って、そこに坐っている
ことだけだった。二人、並んで坐って、広い湖とそのほ
とりで、風に吹かれる萩の花を見ているだけだった。
(彼女は、本当に私の昔の彼女だったのだすうか。)
この世で、人間は、さまざまな時間を過ごすが、こう
して、遥かな日々、睦み合って暮らした女と過ごす、自
分だけの淋しい花のようなひとときもある。
二人は、いつまでも、そうして坐っていた。日が暮れ、
あたりが暗くなって、遠い夢のなかで、二人が見えなく
なるまで、そうしていた。
「夢」のなかで粕谷は「遠い昔に見た夢」に出会う。「遠い夢のなかで」と粕谷は書いているが、それは遠い「昔の」夢のなかで、なのである。「昔」(過去)と「いま」は区別がないから、粕谷は「遠い夢のなかで」と書くのである。その「遠い昔の夢」のなかで、ふたりは、黙って萩の花をみつめる「未来」を夢見たのだ。
「夢」には「過去」と「未来」が入り交じり、自在に動く。そういう「夢」を見ることができる「いま」という時間だけがこの世には存在する。「過去」も「未来」もなく、ただ「いま」だけがある。
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