粕谷栄市『遠い川』(5)(思潮社、2010年10月30日発行)
「遠い川」は「三途の川」を思わせる。そこへ向かって歩いている老人。「永さ」は「死」によって封印される。そのとき「いま」は消える。消えるもののなかに「永遠」があることになる。無のなかにある「永遠」。これはまたまた矛盾である。だが、どうして人は矛盾を考えるのだろう。
「知っている」(知る)とは何だろうか。おもしろいのは、ここで「知る」の対象となっているものが「生まれる前から決まっていたこと」と書かれていることである。新しいものを知るのではない。すでにあるもの、けっしてかわらないものを人は「知る」。それ以外は、たぶん知らなくてもいいものなのかもしれない。
「生まれる前から決まっていたこと(決まっていること)」とは、「永遠」でもある。
「永遠」は自分で決めることではなく、最初から決まっている。人ができるのは、その「決まっている」ことを自分でやりとごること。自分で「終わらせる」ことなのだ。
「死」はやってくるものではなく、自分で選んで「生」を終わらせることではじめて生まれる。「生まれる前から決まっている」ことなのだけれど、その「決まっていること」は、待っていてはやってこない。
「生まれる前から決まっていたこと」、「永遠」は、ここでは「当然のこと」と言い換えられている。
この「当然のこと」ということばに出会うまで、私は見過ごしてきたのだが、粕谷が問題にしているのは「こと」なのだ。生まれる前から決まっていた「こと」。誰も知らない「こと」。不思議な「こと」。考えた「こと」もない「こと」。川である「こと」。この道をあるく「こと」。この「こと」。
いろいろつかわれているが、一番重要な「こと」のつかい方は、最後の「このことをするのだ」のというつかい方にある。
「こと」は「する」と緊密なつながりがある。「する」によって「こと」が生まれる。「する」によって「こと」になる。「する」によって「こと」が「当然」という「本質」を獲得する。
「する」が「永遠」をつくりだすのである。
人間と「永遠」は、「する」という動詞によって結びつく。
「それぞれの道」の「それぞれ」が重要である。「道」は一つではない。ひとりひとりに、それぞれある。「永遠」はひとつだが「する」は無数にある。その「無数」が「永さ」、つまり数えきれないもの、何かで計測できる「長さ」ではないことのあかしである。「それぞれ」あり、数えきれない「充実」として「永遠」が、そのなかに生きている。
「一人」。突然出てきたこの表記に、私は、強烈な光を感じた。その文字が、はじめてみる文字のようにページを突き破って、光っている。
『遠い川』の作品群では、粕谷はこれまで「独り」という表記を使っている。「遠い川」の書き出しにも、「暗い夜明け、老人が、独り、遠い川にむかってあるいている。」という表現がある。
その「独り」ではなく、「一人」。
ここでまた矛盾に出会うのだが、「一人」はほんとうはひとりではない。孤独ではない。「それぞれの道」を歩くそれぞれの人間のうちの「一人」。「無数」のうちの「一人」。「独り」と書いているとき、粕谷は「無数」の人間とは触れ合っていない。重なり合わない。けれど、「遠い川へむかって道を歩く」という「こと」を「する・こと」で、「こと」のなかで触れ合うのだ。「独り」で「する・こと」を無数の人が「する」とき、「独り」は「一人」にかわり、「こと」が共有される。
共有された「こと」が「永遠」である。共有されることで、「した・こと」が「永遠」になる。
「一人」の発見によって、粕谷は、「人間」になるのだと思う。「人間」になったのだと思う。
この発見に、「婚礼の日の身支度」(婚礼の衣装)が関わっているのはとてもおもしろい。「婚礼」は「独り」ではできない。それは必ず「相手」を必要とする。「独り」から「一人」になる最小の組み合わせが「婚礼」である。
「婚礼」を「出会い」と言い換えるとどうなるだろう。
「出会い」によって「独り」が「終わり」、「一人」が誕生する。「一人」が誕生するとき、人間は、他者と共有する「永遠」に触れる。変わらぬもの、生まれる前から決まっていたことに触れる。
その「出会い」が「人」ではなく、たとえば「もの」なら、その「婚礼」は詩を生み出すのかもしれない。その「婚礼」は、詩になるのだ、と言えるかもしれない。
詩のなかには、自ら選びとった「死」(終わり)と、死によって封じこめられ「新しいもの」としてあらわされた「永遠」が固く結びついている。

「遠い川」は「三途の川」を思わせる。そこへ向かって歩いている老人。「永さ」は「死」によって封印される。そのとき「いま」は消える。消えるもののなかに「永遠」があることになる。無のなかにある「永遠」。これはまたまた矛盾である。だが、どうして人は矛盾を考えるのだろう。
それは不思議なことだ。気がつくと、かつて考えたこ
ともないことを、自分はしている。それでいて、自分の
行く先が、その遠い川であることを知っているのだ。
老人は、それが、自分の生まれる前らか決まっていた
ことなのだと思う。どんな生涯を送っても、誰もが、こ
の道を歩くことになるのだ、と。
「知っている」(知る)とは何だろうか。おもしろいのは、ここで「知る」の対象となっているものが「生まれる前から決まっていたこと」と書かれていることである。新しいものを知るのではない。すでにあるもの、けっしてかわらないものを人は「知る」。それ以外は、たぶん知らなくてもいいものなのかもしれない。
「生まれる前から決まっていたこと(決まっていること)」とは、「永遠」でもある。
「永遠」は自分で決めることではなく、最初から決まっている。人ができるのは、その「決まっている」ことを自分でやりとごること。自分で「終わらせる」ことなのだ。
「死」はやってくるものではなく、自分で選んで「生」を終わらせることではじめて生まれる。「生まれる前から決まっている」ことなのだけれど、その「決まっていること」は、待っていてはやってこない。
老人が、独り、そこへむかって歩いている。人間が死
ぬのは、当然のことだが、おそらく、その前に、誰もが、
このことをするのだ。
「生まれる前から決まっていたこと」、「永遠」は、ここでは「当然のこと」と言い換えられている。
この「当然のこと」ということばに出会うまで、私は見過ごしてきたのだが、粕谷が問題にしているのは「こと」なのだ。生まれる前から決まっていた「こと」。誰も知らない「こと」。不思議な「こと」。考えた「こと」もない「こと」。川である「こと」。この道をあるく「こと」。この「こと」。
いろいろつかわれているが、一番重要な「こと」のつかい方は、最後の「このことをするのだ」のというつかい方にある。
「こと」は「する」と緊密なつながりがある。「する」によって「こと」が生まれる。「する」によって「こと」になる。「する」によって「こと」が「当然」という「本質」を獲得する。
「する」が「永遠」をつくりだすのである。
人間と「永遠」は、「する」という動詞によって結びつく。
暗い夜明け、一歩ずつ、歩いていると、それが分かる。
そうなのだ。その日がきて、数多くの老人が、それぞれ
の道を、遠い川にむかって歩いている。
「それぞれの道」の「それぞれ」が重要である。「道」は一つではない。ひとりひとりに、それぞれある。「永遠」はひとつだが「する」は無数にある。その「無数」が「永さ」、つまり数えきれないもの、何かで計測できる「長さ」ではないことのあかしである。「それぞれ」あり、数えきれない「充実」として「永遠」が、そのなかに生きている。
彼らは、全て、遠い昔の婚礼の日の身支度をしている。
自分もその一人だ。固く唇を結んで、私は思う。あの木
の舟のことろまで、自分も早く行かなければ、と。
「一人」。突然出てきたこの表記に、私は、強烈な光を感じた。その文字が、はじめてみる文字のようにページを突き破って、光っている。
『遠い川』の作品群では、粕谷はこれまで「独り」という表記を使っている。「遠い川」の書き出しにも、「暗い夜明け、老人が、独り、遠い川にむかってあるいている。」という表現がある。
その「独り」ではなく、「一人」。
ここでまた矛盾に出会うのだが、「一人」はほんとうはひとりではない。孤独ではない。「それぞれの道」を歩くそれぞれの人間のうちの「一人」。「無数」のうちの「一人」。「独り」と書いているとき、粕谷は「無数」の人間とは触れ合っていない。重なり合わない。けれど、「遠い川へむかって道を歩く」という「こと」を「する・こと」で、「こと」のなかで触れ合うのだ。「独り」で「する・こと」を無数の人が「する」とき、「独り」は「一人」にかわり、「こと」が共有される。
共有された「こと」が「永遠」である。共有されることで、「した・こと」が「永遠」になる。
「一人」の発見によって、粕谷は、「人間」になるのだと思う。「人間」になったのだと思う。
この発見に、「婚礼の日の身支度」(婚礼の衣装)が関わっているのはとてもおもしろい。「婚礼」は「独り」ではできない。それは必ず「相手」を必要とする。「独り」から「一人」になる最小の組み合わせが「婚礼」である。
「婚礼」を「出会い」と言い換えるとどうなるだろう。
「出会い」によって「独り」が「終わり」、「一人」が誕生する。「一人」が誕生するとき、人間は、他者と共有する「永遠」に触れる。変わらぬもの、生まれる前から決まっていたことに触れる。
その「出会い」が「人」ではなく、たとえば「もの」なら、その「婚礼」は詩を生み出すのかもしれない。その「婚礼」は、詩になるのだ、と言えるかもしれない。
詩のなかには、自ら選びとった「死」(終わり)と、死によって封じこめられ「新しいもの」としてあらわされた「永遠」が固く結びついている。
![]() | 化体 |
粕谷 栄市 | |
思潮社 |
