詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ナボコフ『賜物』(12)

2010-11-14 21:27:48 | ナボコフ・賜物
ナボコフ『賜物』(12)

 詩のなかのおもちゃの説明を小説の主人公はつづける。

それは繻子のだぶだぶのズボンを履いた道化で、白く塗られた平行棒に手をついて体を支えていたが、ふと突かれたりすると、

  滑稽な発音の
  ミニチュア音楽の調べにあわせ

動きだした。

 詩と、地の文がなめらかに交錯する。地の文から詩へ移り、またそこから地の文へもどってくる。
 自分の書いた詩とともに、その詩の思い出を語っているのだから、そうするのは自然にも受け取れるが、この「芸術(詩)」と「現実(地の文)」垣根のなさがナボコフそのものなのかもしれない。
 「芸術(詩)」と「現実(地の文)」を入れ換えるとわかりやすいかもしれない。
 「現実」と「芸術」の垣根のなさがナボコフである。あらゆる現実はことばにした瞬間から「現実」ではなく「芸術」になる。
 これはある意味で苦悩である。苦痛である。ナボコフはリアルな現実に触れることができないのだ。ことばが現実を芸術に変えてしまい、いつでも芸術を生きるしかないのである。
 つまり。
 いま引用した部分に則していえば、「滑稽な発音」。これは、どうなるだろう。詩だから「滑稽な発音」という表現は成り立つ。ふつうの暮らしではそれは「発音」ではない。「発音」というのは人間がある音を出すことである。「もの」が音を出すときは発音とは言わない。「滑稽な音」(滑稽なノイズ--の方がぴったりくるかもしれない)の音楽。けれども、ナボコフは、「発音」を地の文へ引きこんでしまう。間違いとは言わないが、一種の奇妙な感じを文体全体に漂わせてしまう。
 そういう他人とは違うことばの空間・ことばの時間を、ナボコフはただひとりで生きるのである。

 「発音」という訳語が、どれくらい正確な訳なのか私にはわからないが、その訳をとおして、そんなことを考えた。




ナボコフの一ダース (ちくま文庫)
ウラジミール ナボコフ
筑摩書房


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和田まさ子『わたしの好きな日』

2010-11-14 00:00:00 | 詩集
和田まさ子『わたしの好きな日』(思潮社、2010年10月25日発行)

 和田まさ子『わたしの好きな日』。これは待望の詩集である。何年か前に「現代詩手帖」の投稿欄(新人作品蘭)で和田まさ子の作品を読んだ記憶がある。「壺」と「金魚」。たいへんな傑作である。どこかに感想を書いたような気がするが、どこに書いたか忘れてしまった。どうして「現代詩手帖賞」を受賞しなかったのだろう。金井美恵子は2篇の詩で手帖賞を獲得しているのに。高岡淳四以来の詩人の登場だったのに。
 私は、その2篇以外を見落としている。投稿をつづけていたのかどうかもよくわからない。どこか他の場所で書いていたのかもしれない。私はあまり本を読まないので気がつかなかった。こうやって詩集になってみると、リアルタイムで和田まさ子の作品に接してこられなかったのが非常に悔しい。誰か、ほかの人は和田の作品に触れつづけていたのだと思うと、それだけでジェラシーを覚えてしまう。こんな天才詩人を誰が独占していたんだろう。
 また、「現代詩手帖」の年鑑アンケートに答えたあとで詩集に触れたのも悔しい。アンケートに答える前だったら、絶対に「今年の収穫」としてこの詩集をあげたのに……。

 こんな愚痴(?)をいくら書いてもしようがないので、その絶品「壺」について書こう。あ、しかし、この作品をほかの人に紹介するのは、いままで隠れていた(?)詩人だけに、なんだかとても惜しい。きっと和田を隠していた詩人たちもこんな気持ちだったんだろうなあ。
 さて、「壺」。

あいさつに行ったのに
先生は
いなかった

出てきた女性は
「先生はいま 壺におなりです」
というのだ
「昨日は 石におなりでした」
ははあ 壺か
「お会いしたいですね せっかくですから」

わたしは地味な益子焼の壺を想像したが
見せられたのは有田焼の壺であった
先生は楽しい気分なのだろう

先生は無口だった
やはり壺だから

わたしは近況を報告した
わたしは香港に行った
わたしはマンゴーが好きになった
わたしはポトスを育てている
わたしは
とつづけていいかけると
「それまで」
と壺がいった
聞いていたらしい

「模様がきれいですね」というと
「ホッホッ」と先生が笑った
わたしは壺の横にすわった
だんだん壺になっていくようだ
わたしもきれいな模様がほしいと思った

 和田の詩では「もの」が生きている。「もの」とは人間以外のもののことである。別のことばで言いなおすと、「人間」以外の「もの」がことばを発する。「いきる」とはことばを発することである。ことばを発して交渉することである。
 そして、ことばというのは「共通語」のことではない。自分自身の(もの自身の)ことばである。独自のことばである。それは「間違っている」。「もの」がしゃべるということ自体が間違っているのだから、しゃべられたことばが間違っていないはずがない。
 とはいいながら、ことばには間違っているも正しいもない。生きていればことばを発する--ただそれだけである。そして、ただそれだけのことを実に単純に、実におかしく、実に無意味に和田は書いてしまう。
 この軽さ。この速さ。軽さと速さのなかで無意味は意味を超越する。「もの」になってしまう。

 私は何を書いているか。わからないかもしれない。私は、わざと抽象的にわからないように書いているのだ。だって、悔しい。こんなおもしろい作品を誰かがずっーと隠していた。それがやっと出てきた。そのおもしろいものについて私が書いてしまうのは何だか惜しい。私だって和田の作品を隠しておきたい。でも、和田の作品を知ってももらいたい。矛盾した気持ちで私は分裂してしまう。
 だから、わざと、わからないように--私にだけわかるメモとして感想を書くのだ。

 ここに書かれている「壺」は何かの比喩ではない。比喩を超えてしまって、ほんとうに壺である。美しい壺を見たら黙っていることなどできない。おもしろい詩を読んだら黙っていることができないのに似ているかもしれない。そこで語ることは、何を語ってもけっきょく自分の「近況」である。ひとは自分しか語れないのである。(こうやって感想を書いている私にしたって、和田の詩の感想を書くようなふりをしながら、実は自分の近況--自分がいま考えていることを書いているだけである。)。
 語るというのはとても変なことで、だんだん逸脱していく。香港へ行った。マンゴーが好きになった。そこまでは、まあ、わかる。でも「ポトスを育てている」は?
 私は実は、最初これを「ポストを育てている」と読んだ。「ポトス」なんて見たことがないから、想像できなかったのだ。
 でも、「それまで」と壺が言ったので、あ、ポストじゃないのだ、と気がついた。「ポストを育てている」ならきっと壺はまだ話を聞いてくれたはずである。ポストをそだてるなんていうことはできない。嘘である。けれど、その嘘には、嘘をついているんだもん、という軽さがある。それが「ポトス」となると、違うなあ。「意味」になってしまう。それではナンセンスが無意味になる。(変な文章だね)。
 それでは、だめなのだ。「意味」では「もの」に対抗できない。
 「壺」が「わたし」のことばを制したのは、「ポトス」などといってしまうと、「わたし」が「もの」になって「壺」と正確に向き合えなくなるからである。「頭」になってしまってナンセンスが疾走しなくなるからである。それじゃあ、つまらないねえ。
 「ポトス」などと言ってしまうと「間違える」ということができなくなるからである。それでは生きている楽しみがない。喜びがない。

 なんでもいい。平気で間違えて、開き直る。ことばにする。そのときこそ、ひとは生きるのである。
 壺のそばにすわって「模様がきれいですね」と言って、壺の気取った笑いを聞きながら、自分自身が壺になっていく--こんなふうに生き方を間違えるなんて、なんて楽しいんだろう。
 私の家のどこかに壺がないかなあ。隣に座って、和田に負けずに壺になってしまいたいなあ、と思うのだ。

 「魚たちの思い出」という作品。魚屋の魚と交信(ことばをかわすことを交信というのだと思う)できなくなった「わたし」が、かつて魚と交信していたときのことを思い出している。

海の揺らぎに
身をまかせているときの心地よさ
捕獲されたときの苦しみ
切り身にされたときの
バラバラになる意識
店頭で腐りつつあるときの身もだえ
わたしは魚たちと語り合ったことを覚えている
魚たちはてらてらと輝き
日の光におぼれて
わたしはほれぼれと魚たちに見とれた
よろこびは記憶しているもののなかにある

 あ、とてもいいなあ。和田はほんとうは魚だったのかもしれない。きっと現代詩手帖の投稿欄から姿を隠していたときは魚屋の店頭に並んでいたのだ。切り身にされて、腐って、身もだえしていたんだ、ひとりだけ、誰も知らない体験をしていたんだ。いいなあ。うらやましいなあ。魚になって腐ってみたいよ、と思わずにはいられない。
 魚になって、「わたし」を捨てて(なくして?)、「記憶」ということばを和田はつかっているが、きっと「わたし」でも「魚」でもない「未分化」の「もの」になって、そこから、あらゆる「心地」をつかみだしてくる。そして、ことばにする。もう一度生まれ、もう一度生きるのだ。それもおおげさな決意なんかもたつず、ただありふれた退屈をぼんやりやりすごすように。
 こんなことをできるのは天才だけである。

 「金魚」も大好きな作品だが、書いているとほんとうに悔しくて悔しくて悔しくてたまらなくなるので、書かない。好きで好きで好きで、好きと書いたらあとは何も書きたくなくなるので、もう書かない。

 しかし、ほんとうに誰なんだ。和田まさ子を隠していたのは。一生恨んでやるぞ。

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塚越祐佳『越境あたまゲキジョウ』

2010-11-14 00:00:00 | 詩集
塚越祐佳『越境あたまゲキジョウ』(思潮社、2010年09月30日発行)

 塚越祐佳『越境あたまゲキジョウ』には独特の「間」がある。「花」。

坂の上と下の間はつながってなくて
坂がおりるのか
わたしたちがのぼるのか

 この「間」である。
 「坂の上と下の間はつながってなくて」という1行自体が、とても独特である。坂がある。坂には上と下がある。上と下とを結んだ「距離」が「間」ということになる。それがつながっていない、ということはどういうことだろう。「間」だけがどこかにあるのか。そんなことはありえない。「間」というのはある一点と別の一点の「距離」に等しいからである。そうすると、その「間」がつながっていないというのは、「間」が存在しないということである。つまり、坂の上と下は「一点」に凝縮してしまう。「一点」のなかにそれでも上下があるとすれば、それは何か。
 エレベーターである。
 エレベーターは「坂」を超越した「上下」をのぼりおりする。水平方向の「距離」ではなく垂直方向の「距離」。塚越は「花」では、水平に動くものを垂直に動かして、その視点で世界を見つめなおしていることになる。
 「わたる」はどうだろう。

隠れていた距離が
かたつむりのように
ふやけたかかとを
這っていく

 「距離」と「間」はどこかで重複する「もの」である。隠れていた距離とは、意識されなかった距離(間)ということになるだろう。ここでおもしろいのは、その隠れていた「距離」をかたつむりが這っていくのではなく、「距離」が這っていくことである。主語は「距離」なのだ。--この構造は「花」に通じる。「わたしたち」が動くのではない。「坂」が動くのだ。「わたしたち」が動くのではなく、「坂」そのものがエレベーターのように動く。そして、「わたしたち」がもし動かないのだと仮定したとき、動いているのはエレベーターであるともいえるし、逆にエレベーターは動いていなくて、その他の世界が上下に動いているととらえることもできる。
 視点はどのようにも相対化できる。そして、そういう相対化を考えるとき、そこに「間」(距離)をもちだしてくるのが塚越の「肉体」である。「思想」の基本である。「肉体」を相対化の中心にもってくると、世界は突然ぐらつく。塚越のことばを借りていえば「ふやける」ということになるだろうか。つまり、あいまいになる。強固なものがなくなる。なぜか。「肉体」はそもそも動くことを前提としいてる。「肉体」が生きるということは、細胞が次々に生まれ、次々に死んでいくということである。「肉体」はじっとしているときでさえ、動いている。「起点」そのものが動いているのである。そこでは科学的な「間(距離)」は存在しながら同時に存在しない。
 「それはそれは」には、次の行がある。

走り去っていく車
ネオン

いつだって走り去っていき
わたしはのこされ
同時にたどりついている

 「肉体」はいつでも矛盾するのである。動いているから相対化すると矛盾を平気で抱え込んでしまうのである。矛盾を平気で抱え込みながら、その矛盾をあるときは感情にしてしまうのである。(俗な表現でいえば、悪いのはおれの方であり、女は少しも悪くはない。あるいは逆に悪いのは女の方で、おれは悪くはない、という両方の見方を当たり前のこととして受け入れてしまうの「間」が「肉体」なのである。)

 少し先走りすぎたかもしれない。「間」にもどる。「ウルウ」という作品の書き出し。

裏鳥
見ていた
見ていない
の間に雪のような紙ふぶきが散り
膜のように閉じた 背中
誰かの
たぶんわたしの

 「裏鳥」って何? 「裏取引」? まあ、なんでもいいのだけれど、「見ていた/見ていない/の間」はおもしろい。「見ていた」にしろ、「肉体」は「見ていない」と「主張」できるのである。「見ていた」と「見ていない」の「間」は存在しないのに、それを存在させることもできるのである。
 「膜」は閉じたのか、それとも「膜」は開いたまま「背中」を向けただけなのか。「背中」を向けるということは、見ていながら見ないふりをすることであり、それは見ないことによってさらに見ることでもある。
 こういう状態を言い換えると、

シャッターの内側が外側なのか
シャッターの外側が内側なのか
青年にはもうわからない

 ということになる。「間」は凝縮し、反転するのである。反転する「間」を塚越は書いているのだ。反転した瞬間、「間」が成り立たないので、世界はぐらつく。ふやける。何かなんだかわからなくなる。それでも、「肉体」が存在するとき、同時にそこに存在している。
 だからこそ、塚越は、「間」を反転させつづける。そうすることで世界をとらえなおす。このときの「間」の反転を、塚越は「越境」と呼んでいるのかもしれない。

 「見た」ものだけを「肉体」は「見ていない」といえるのである。つまり、否定できるのである。「見ていない」ものなど「肉体」にとっては存在しない。否定しようにも、「見ていない」ものは存在しない、つまり「肉体」との「間」をもっていないから、そこでは「間」の反転も存在しえない。
 「見た」ものだけを「見ていない」と言い張って、その瞬間に「肉体」は動くのである。「間」を動かし、「見ていない」と主張することで、いま、ここにないものを「見る」のである。出現させるのである。
 「破片」の冒頭。

遠く水面にのしかかる夜に
昼を見た
湿気でにじむとがったはすの花のような
(いや見ていない)

 「見ていない」と主張しない限り、「夜に/昼を見」るということが「肉体」にとって存在しない。「見ていない」ということで「見た」ということが刻印されるのである。「見た」だけでは「間」が存在せず、「見た」ことは忘れ去られてしまう何かになってしまう。
 「見た」を「見ていない」とことばにするとき、そこに「間」が出現し、その「間」が「肉体」に刻まれる。いや「間」をつなぐものとして「肉体」が出現するといえばいいのかもしれない。「見た」「見ていない」は「坂」の上と下である。そして「間」が「肉体」であり、「間」を反転しつづけるとき、世界は自在に相対化する。

明るい方角が闇だ

 矛盾が、矛盾ではなく「真実」になる。
 この「真実」は常識からは「誤謬」である。だからこそ、「見た」ものを「見ていない」と言ったとき、それは「見た」と逆に人に知らせるのと同じ意味をもつ。「見ていない」ということばの「間」、そのなかで「意味」が反転していることを人は感知してしまうのである。
 「誤謬」としての「真実」は、人間の祈りようなものかもしれない。

 この「間」の反転は、逆の形であらわれたときの方が印象が強いかもしれない。「石段、橋」には多くの人が経験する「間の反転」が書かれている。あ、その気持ち、とてもよくわかる、という感じの行がある。

石段をあがるたび
頂上の神社は遠のき

 「物理的(科学的?)」にはこういうことはありえない。けれど、「肉体」はそれを実感する。

捨てられた旅館の向こう側
には橋があって
渡りたいのに
おんなはビョーキで
鹿のようにビョーキで
でも橋は来てくれなくて

 「橋」がくるなんてことはありえない。けれど来てほしいと思うことがある。そうすればどんなに楽だろう。「肉体」は平気で矛盾というか、無理なことを夢見るのである。しかし、その無理なこと、矛盾したことの中には、「肉体」が知っている「真実」がある。これが「あたま」とぶつかったとき、そこにことばの「ゲキジョウ(劇場)」が展開する、それが詩である--と塚越はいいたいのだろう。



雲がスクランブルエッグに見えた日
塚越 祐佳
思潮社

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