木村恭子「箸」「遮断機」(「くり屋」49、2011年02月05日発行)
木村恭子「箸」のことばには新しいものがあるわけではない。そこに書かれていることは、むしろ、古いことばである。古いことばであるけれど、何かしら初めて見る(読む)印象がある。
ここに書かれていることは「伝聞」の形をとっている。ある人が、「私(木村、と仮定して読んでいく)」が住んでいた「二〇六号室」に以前住んでいたひとのことを語る。「二〇六号室に住んでいたことがあったでしょう」というくらいだから、このことばを語っているひとと「私」は親しいわけではない。親しい間柄なら、あなたは「二〇六号室に住んでいたことがあったでしょう」などとは言わない。ふと出会ったひとが、「私」に、「私」とは無関係なひとのことを語る。
なぜだろう。そんなことを話しても、何の関係もない。「私」がしたことについて何か言われるならわからないでもないが(たとえば、あなたはいつも大声で歌っていて、近所のひとが迷惑をしたんですよ、とか)、知らないことを言われても困るだろう。
でも、ここに書かれている「私」からは困っているふうな感じは伝わってこない。だれかが語ったことをそのまま書いているのは、そのことばのなかに、「私」とつながる何かがあるからだ。
だれかが語ることば、そのことばが描写するのは「私」ではない。だけれど、そこには「私」も含まれる。「暮らし」というものは、どこかでつづいているからだ。個人のなかで暮らしは完結するようだが、個人をはみ出していくものもあるのだ。
たとえば、「小首をかしげ鍋の中の音を確かめながら 柳箸で天婦羅を揚げ」るというのは、そっくりそのままとはいかないまでも、誰もがすることなのだ。「鍋の音を確かめながら」天ぷらをあげる。そのことばは、知らないだれかを描写しているにもかかわらず、同時に「私」をも描写する。
その不思議。--これが新しいのだ。「不思議」な感じが新しいのだ。
それは、次の部分でもっと大きくなる。
「あなたが取りはずした棚に 小さなお鍋を置いていたので 夕日が差し込むとそれがわずかに光り」
「私」の暮らしには、棚はない。鍋はない。そうであるはずなのに、そんなふうに語られると、「私」にも同じ体験をする機会があったことがわかる。けれど--それは、「私」の経験? そうではない。鍋にあたる夕日、その光りを見たのは、そのことを語ったひとであり、そこに住んでいたひとではない。
論理的には、ここには3人が登場しているのだが、語られる暮らしが具体的になるにしたがって、その3人の区別がなくなる。3人の区別がなくなると同時に、そこに存在した「もの」の所有の区別もなくなる。天ぷらも油も(その音も)棚も鍋も夕日の光りも、だれのものでもないものになる。3人のものになる。
と、ここまで書いてきて、木村の書いていることばの新しさがわかった。
木村は、3人の、そして、くらしにあるあらゆるもの(夕日の光さえ)の区別を消してしまって、「共有された」くらしをことばにしているのである。
そして、この「共有」を生み出しているのは「小首をかしげ鍋の中の音を確かめながら」や「夕日が差し込むとそれがわずかに光り」という丁寧で具体的な描写(ことば)なのである。くらしのなかで、ひとは「ていねい」を身につける。その「ていねい」がことばを結びつける。
木村の詩は、このあと「柳箸」をどんな具合に大切につかっていたか(あるいは、たいせつというよりもなんでも区別をせずにいいかげんにつかっていたともいえるのだけれど)を描いていく。
あ、箸と人間が、ここでは「いっしょ」になっている。箸を人間としてつかい、いたわっている。箸と人間をいっしょにするなんて、「ていねい」はていねいだけれど、いいかげんといえばいいかげん(厳密ではない)。ていねいといいかげん(厳密ではない)は、たぶん、どこかでつながっている。厳密ではないこと(いいかげん)が、ある不思議な距離をつくり、その距離にむりがないとき、それがていねいになるのか。あるいは、いいかげんな距離を距離のまま存在させ、距離をたもつことがていねいなのか。
あれこれ思うと、いろいろなことが言える。
でも、こういうことは、面倒くさいからいわなくていいのだ。
私が言いたいのは、木村が「伝聞」として書いていることば、そのことばのていねいさが、いまの時代はとても新しく見えるということだ。だれもかれもを区別しないことば、くらしのなかに生きていることばのていねいさ、ていねいであることが、何か、古い記憶を過去からすくいだし、それを光らせる。まるで、鍋を光らせた「夕日」のように。
それは古いものではあるけれど、いま、ここに、まっすぐに出てくるとき、不思議に新しい。
ここから、どのことばを抽出すれば、木村の「思想」にいちばん近いだろうか。どのことばがキーワードになるだろうか。「真面目」「よく」……いや「実際」だろうなあ。
うまく説明できないが、ていねいにくらしを描写するとき、そのていねいさのなかで、そこにあるものが「実際」になるのだ。「まこと」になるのだ。
木村は、この詩では、くらしを「まこと」にかえることばの運動を再現しているのかもしれない。それがなんであれ、対象を「まこと」にかえることばは「思想」である。
「遮断機」も、くらしの美しさが「まこと」になっている。
「名前は忘れたけれど わたしらぁは しかきい豆いよる」このくらしのなかの不思議なていねいさ。ほんとう(?)の名前を忘れたら、そのかわりに自分たちが覚えやすい名前をつけなおして、しっかり記憶する。名前をつけて、ていねいにとりあつかう。
そういうことのすべてを「思い出す日がくるといい」。
ああ、そうだ、かならず思い出す日がくるといいうそのとき、木村のことばがどんなに美しいかがあらためてわかるに違いない。
木村恭子「箸」のことばには新しいものがあるわけではない。そこに書かれていることは、むしろ、古いことばである。古いことばであるけれど、何かしら初めて見る(読む)印象がある。
二〇六号室に住んでいたことがあったでしょう あな
たの前 その部屋に住んでいた人を知っています
十二月がくると その人は四人分の柳箸を買ってきま
した お正月 一膳の新しい柳箸をおろします それ
からは食事の時は勿論 炊事の時もその箸を使います
小首をかしげ鍋の中の音を確かめながら 柳箸で天婦
羅を揚げていた姿を覚えています あなたが取りはず
した棚に 小さなお鍋を置いていたので 夕日が差し
込むとそれがわずかに光り 流しの隅には 時折てい
ねいに重ねられた卵の殻が ちょこんと置かれていま
した
ここに書かれていることは「伝聞」の形をとっている。ある人が、「私(木村、と仮定して読んでいく)」が住んでいた「二〇六号室」に以前住んでいたひとのことを語る。「二〇六号室に住んでいたことがあったでしょう」というくらいだから、このことばを語っているひとと「私」は親しいわけではない。親しい間柄なら、あなたは「二〇六号室に住んでいたことがあったでしょう」などとは言わない。ふと出会ったひとが、「私」に、「私」とは無関係なひとのことを語る。
なぜだろう。そんなことを話しても、何の関係もない。「私」がしたことについて何か言われるならわからないでもないが(たとえば、あなたはいつも大声で歌っていて、近所のひとが迷惑をしたんですよ、とか)、知らないことを言われても困るだろう。
でも、ここに書かれている「私」からは困っているふうな感じは伝わってこない。だれかが語ったことをそのまま書いているのは、そのことばのなかに、「私」とつながる何かがあるからだ。
だれかが語ることば、そのことばが描写するのは「私」ではない。だけれど、そこには「私」も含まれる。「暮らし」というものは、どこかでつづいているからだ。個人のなかで暮らしは完結するようだが、個人をはみ出していくものもあるのだ。
たとえば、「小首をかしげ鍋の中の音を確かめながら 柳箸で天婦羅を揚げ」るというのは、そっくりそのままとはいかないまでも、誰もがすることなのだ。「鍋の音を確かめながら」天ぷらをあげる。そのことばは、知らないだれかを描写しているにもかかわらず、同時に「私」をも描写する。
その不思議。--これが新しいのだ。「不思議」な感じが新しいのだ。
それは、次の部分でもっと大きくなる。
「あなたが取りはずした棚に 小さなお鍋を置いていたので 夕日が差し込むとそれがわずかに光り」
「私」の暮らしには、棚はない。鍋はない。そうであるはずなのに、そんなふうに語られると、「私」にも同じ体験をする機会があったことがわかる。けれど--それは、「私」の経験? そうではない。鍋にあたる夕日、その光りを見たのは、そのことを語ったひとであり、そこに住んでいたひとではない。
論理的には、ここには3人が登場しているのだが、語られる暮らしが具体的になるにしたがって、その3人の区別がなくなる。3人の区別がなくなると同時に、そこに存在した「もの」の所有の区別もなくなる。天ぷらも油も(その音も)棚も鍋も夕日の光りも、だれのものでもないものになる。3人のものになる。
と、ここまで書いてきて、木村の書いていることばの新しさがわかった。
木村は、3人の、そして、くらしにあるあらゆるもの(夕日の光さえ)の区別を消してしまって、「共有された」くらしをことばにしているのである。
そして、この「共有」を生み出しているのは「小首をかしげ鍋の中の音を確かめながら」や「夕日が差し込むとそれがわずかに光り」という丁寧で具体的な描写(ことば)なのである。くらしのなかで、ひとは「ていねい」を身につける。その「ていねい」がことばを結びつける。
木村の詩は、このあと「柳箸」をどんな具合に大切につかっていたか(あるいは、たいせつというよりもなんでも区別をせずにいいかげんにつかっていたともいえるのだけれど)を描いていく。
二月になると 箸は淡く灰色に染まってゆきます 二
月半ば 中程から少々たわみ始め それからはゆっく
り矯めながら使います 「腰が痛むかね」誰もいない
けれどそう言います
あ、箸と人間が、ここでは「いっしょ」になっている。箸を人間としてつかい、いたわっている。箸と人間をいっしょにするなんて、「ていねい」はていねいだけれど、いいかげんといえばいいかげん(厳密ではない)。ていねいといいかげん(厳密ではない)は、たぶん、どこかでつながっている。厳密ではないこと(いいかげん)が、ある不思議な距離をつくり、その距離にむりがないとき、それがていねいになるのか。あるいは、いいかげんな距離を距離のまま存在させ、距離をたもつことがていねいなのか。
あれこれ思うと、いろいろなことが言える。
でも、こういうことは、面倒くさいからいわなくていいのだ。
私が言いたいのは、木村が「伝聞」として書いていることば、そのことばのていねいさが、いまの時代はとても新しく見えるということだ。だれもかれもを区別しないことば、くらしのなかに生きていることばのていねいさ、ていねいであることが、何か、古い記憶を過去からすくいだし、それを光らせる。まるで、鍋を光らせた「夕日」のように。
それは古いものではあるけれど、いま、ここに、まっすぐに出てくるとき、不思議に新しい。
いつも真面目な顔つきで柳箸を使っていた あなたと
入れ替わりに町を出て行った 私がその人をよく覚え
ている ですから その人は実際にいたのです
ここから、どのことばを抽出すれば、木村の「思想」にいちばん近いだろうか。どのことばがキーワードになるだろうか。「真面目」「よく」……いや「実際」だろうなあ。
うまく説明できないが、ていねいにくらしを描写するとき、そのていねいさのなかで、そこにあるものが「実際」になるのだ。「まこと」になるのだ。
木村は、この詩では、くらしを「まこと」にかえることばの運動を再現しているのかもしれない。それがなんであれ、対象を「まこと」にかえることばは「思想」である。
「遮断機」も、くらしの美しさが「まこと」になっている。
自転車を降り
ハンドルを握って待つ間
横長に広がった畑を眺める
それはなんといいますか
夏には綺麗な花をつけていましたが
作業をしている人に大声でたずねる
名前は忘れたけれど わたしらぁは しかきい豆いよる
莢がしかきいんじゃ
ははあ 四角い豆ですね
ほうよね なかなかおいしんよね
思い出す日がくるといい
豆の蔓を倒す人がいて
よく片付いた庭先では
蕾をつけたばかりの皇帝ダリアがなびき
鰯雲は踏み切りの上にも浮かび
そこを渡って仕事に通った日々のことを
「名前は忘れたけれど わたしらぁは しかきい豆いよる」このくらしのなかの不思議なていねいさ。ほんとう(?)の名前を忘れたら、そのかわりに自分たちが覚えやすい名前をつけなおして、しっかり記憶する。名前をつけて、ていねいにとりあつかう。
そういうことのすべてを「思い出す日がくるといい」。
ああ、そうだ、かならず思い出す日がくるといいうそのとき、木村のことばがどんなに美しいかがあらためてわかるに違いない。
六月のサーカス―木村恭子詩集 (エリア・ポエジア叢書) | |
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