詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎「こころ」再読(6)

2013-08-02 23:59:59 | 谷川俊太郎「こころ」再読
谷川俊太郎「こころ」再読(6)

うざったい

好きってメール打って
はーとマークいっぱい付けたけど
字だとなんだか嘘(うそ)くさいのは
心底好きじゃないから?

でも会って目を見て
キスする前に好きって言ったら
ほんとに好きだと分かった
声のほうが字より正直

だけど彼は黙ってた
そのとたんほんの少し私はひいた
ココロってちっともじっとしていないから
ときどきうざったい

 何の断り書きもないのだけれど、これは少女が書いたもの--じゃなくて、谷川が少女の気持ちを書いたものだとわかる。
 でも、そうなんだろうか。
 なぜ、谷川のことじゃないのだろうか。谷川が自分の気持ちを書いたっていいのに、と書いてしまうと、違った感想になってしまうけれど、今回の「目的」は最初に読んだときのままの感想を、「批評」にせずに書くことなので、最初にもどる。

 女の子っぽい。ハートマークが出てくるから? いや、そのあとの「字だとなんだか嘘(うそ)くさいのは/心底好きじゃないから?」の変化の激しさの方が、そうか、なるほど女の子って、こんな具合にこころが動くのなか、と思う。心底好きではなくても、好きとメールを打つ。
 2連目の「キスする前に好きって言ったら/ほんとに好きだと分かった」もいいなあ。こころが動いている。3連目の「彼は黙ってた/そのとたんほんの少し私はひいた」も動きが速いなあ。「ひいた」というのは、こういうことか。女の子だなあ。
 谷川さん、誰かに聞いたことを書いたの?
 そう質問したくなる。

 でも、よくみると(って、その瞬間の感想ではなく、少し批評が入った感想になるけれど--読み返すと感想は感想のままでは終われないのかなあ)、「声のほうが字より正直」は少女には言えないかも。谷川が整えないと、ことばにならなかったかもしれない。少女をつきやぶって、ことばで生活を整えてきた谷川が顔をのぞかせている。「頭」をのぞかせている、のかな?
 3連目の「ココロってちっともじっとしていないから/ときどきうざったい」も少女には言えないかもしれない。少女は「(ココロは)うざったい」とは言っても、その「理由」を「ちっともじっとしていないから」とはことばにはできないだろうと思う。ことばにしても、意識的ではないので、正確に(整えて)書き留めるということはできないだろう。つまり、ここにも少女を突き破って谷川が登場していることになる。
 少女のふりをして、谷川はきちんと谷川のことば(肉体)を見せている。

 でも、自分を見せるのなら、どうして同性の少年ではないのだろう。少年を主役にしてことばを動かさないのだろう。現代は、少年よりも少女の方がことばを一生懸命動かしているのかな? 少年の方が「奥手」なのかもしれない。少女を選んでいるところに、もしかしたら「メール」「ひいた」「うざったい」以上に「いま/ここ」があらわれているのかもしれない。



こころ
谷川俊太郎
朝日新聞出版
コメント
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