谷川俊太郎『こころ』(16)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
「アタマとココロ」はアタマとココロの対話である。ひとりの人間が自問するとき、それはアタマとココロの対話?
よくわからないが、
アタはコトバを繰り出すけれど
割り切るコトバにココロは不満
これは論理的なことば、論理にココロは不満を持つということ。論理はアタマに属している。ココロはアタマに不満を持っている。それをコトバで言わないといけないからややこしいんだね。アタマのコトバの方が論理的だから。
ココロは論理になっていないことを言いたいのだけれど、そんなコトバはない。
コトバで言えない気持ちに充電されて
突然ココロのヒューズが切れる!
で、そういうとき、ココロはどうする? 何をする。何かを殴ったり蹴ったり・・・
殴る拳と蹴飛ばす足に
アタマは頭を抱えてるだけ
あ、コトバのかわりに、肉体(手、足、頭)が出てきた。ココロは肉体をあばれさせる。肉体を振り回す。そうすると肉体はココロの代弁者?
でも、同じ肉体でも、頭は振り回せない。
アタマは頭を抱えてるだけ
は何だかおやじギャグみたいだけれど、うーん、わたしはつまずくなあ・・・ことばがあふれてくる。
そうか、手足は動かせても頭は振り回せない、というところから考えていけばいいのか。
でも、今回の感想は、そういうところへ踏み込まない、批評は書かない、「意味」は書かないと決めたのだ。
おやじギャグへ引き返して、
アタマが頭を抱えるのなら、ココロは何を抱えればいいのだろう、と私はつっこみたくなったのだ。
だれに?
あ、谷川にじゃないのだ。
ことばに対してつっこみたくなったのだ。
もしかすると、アタマが頭を抱えるようには、ココロは心を抱え込まない(抱え込めない)ということをことばは知っているかもしれない。抱え込むという動詞とは違うことばがあって、それがかってに動いているのかも。
で、その動詞って何?
ふいに私は「爆発」というととばを思いつく。爆発させる。
あ、それは谷川のことばでいえば「ヒューズが切れる」。
いやだなあ、谷川は私のつっこみなんかはとっくの昔に知っていて、先回りして、ことばにしてしまっている。書いてしまっている。私は何かを感じたり考えたりしたつもりになってしまうけれど、それは間違いだね。
「アタマとココロ」はアタマとココロの対話である。ひとりの人間が自問するとき、それはアタマとココロの対話?
よくわからないが、
アタはコトバを繰り出すけれど
割り切るコトバにココロは不満
これは論理的なことば、論理にココロは不満を持つということ。論理はアタマに属している。ココロはアタマに不満を持っている。それをコトバで言わないといけないからややこしいんだね。アタマのコトバの方が論理的だから。
ココロは論理になっていないことを言いたいのだけれど、そんなコトバはない。
コトバで言えない気持ちに充電されて
突然ココロのヒューズが切れる!
で、そういうとき、ココロはどうする? 何をする。何かを殴ったり蹴ったり・・・
殴る拳と蹴飛ばす足に
アタマは頭を抱えてるだけ
あ、コトバのかわりに、肉体(手、足、頭)が出てきた。ココロは肉体をあばれさせる。肉体を振り回す。そうすると肉体はココロの代弁者?
でも、同じ肉体でも、頭は振り回せない。
アタマは頭を抱えてるだけ
は何だかおやじギャグみたいだけれど、うーん、わたしはつまずくなあ・・・ことばがあふれてくる。
そうか、手足は動かせても頭は振り回せない、というところから考えていけばいいのか。
でも、今回の感想は、そういうところへ踏み込まない、批評は書かない、「意味」は書かないと決めたのだ。
おやじギャグへ引き返して、
アタマが頭を抱えるのなら、ココロは何を抱えればいいのだろう、と私はつっこみたくなったのだ。
だれに?
あ、谷川にじゃないのだ。
ことばに対してつっこみたくなったのだ。
もしかすると、アタマが頭を抱えるようには、ココロは心を抱え込まない(抱え込めない)ということをことばは知っているかもしれない。抱え込むという動詞とは違うことばがあって、それがかってに動いているのかも。
で、その動詞って何?
ふいに私は「爆発」というととばを思いつく。爆発させる。
あ、それは谷川のことばでいえば「ヒューズが切れる」。
いやだなあ、谷川は私のつっこみなんかはとっくの昔に知っていて、先回りして、ことばにしてしまっている。書いてしまっている。私は何かを感じたり考えたりしたつもりになってしまうけれど、それは間違いだね。
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