谷川俊太郎『こころ』(30)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
谷川はときどき少女(女性)を「話者」にして詩を書く。私はその詩がとても好きだ。「絵」も、その一篇。
地平線を画用紙の上に移動させたのは、地平線によってできる野原(?)にふたりの姿を描きたかったからだ。頭が地平線の上にあるのではなく、あくまで地平線の下。地平線は遠く、その向こうは見えないのだけれど、そこにあるものを一緒に信じて歩いてゆくふたり。
3連目が、突然世界を変える。「夫」は「男の子」と同じ人物だろうか。違う人物だろうか。同じ人物だとしても、むかしとは「雰囲気」が違ってしまったのだろう。「手をつないで」ではなく「背をむけて」という具合に。
で、その突然の変化が、分裂になるのではなく「ひとつ」になる。「起承転結」の「転結」が一気におしよせた感じで、最初の「絵」を切なく浮かび上がらせる。楽しい、ほほえましい絵が、一気にせつなくなる。
うーーん、短編小説のようだ。
そう思うと同時に、あ、このこころの急激な変化は女そのものだ。男はこういう急展開の変化をしないなあ、とも思う。女が、くっきり、見える。
ジョイスの「ダブリン市民」のなかの「死者たち」のラストのようでもある。
すごい変化なのに、女はかわらないんだなあ、とも思う。かわらないから「せつない(かなしい)」ということも起きる。
こういうことを10行で書いてしまうのはすごいなあ。
谷川はときどき少女(女性)を「話者」にして詩を書く。私はその詩がとても好きだ。「絵」も、その一篇。
女の子は心の中の地平線を
クレヨンで画用紙の上に移動させた
手前には好きな男の子と自分の後姿(うしろすがた)
地平に向かって手をつないでいる
地平線を画用紙の上に移動させたのは、地平線によってできる野原(?)にふたりの姿を描きたかったからだ。頭が地平線の上にあるのではなく、あくまで地平線の下。地平線は遠く、その向こうは見えないのだけれど、そこにあるものを一緒に信じて歩いてゆくふたり。
何十年も後になって彼女は不意に
むかし描いたその絵を思い出す
そのときの自分の気持ちも
男の子の汗くささといっしょに
わけも分からず涙があふれた
夫に背を向けて眠る彼女の目から
3連目が、突然世界を変える。「夫」は「男の子」と同じ人物だろうか。違う人物だろうか。同じ人物だとしても、むかしとは「雰囲気」が違ってしまったのだろう。「手をつないで」ではなく「背をむけて」という具合に。
で、その突然の変化が、分裂になるのではなく「ひとつ」になる。「起承転結」の「転結」が一気におしよせた感じで、最初の「絵」を切なく浮かび上がらせる。楽しい、ほほえましい絵が、一気にせつなくなる。
うーーん、短編小説のようだ。
そう思うと同時に、あ、このこころの急激な変化は女そのものだ。男はこういう急展開の変化をしないなあ、とも思う。女が、くっきり、見える。
ジョイスの「ダブリン市民」のなかの「死者たち」のラストのようでもある。
すごい変化なのに、女はかわらないんだなあ、とも思う。かわらないから「せつない(かなしい)」ということも起きる。
こういうことを10行で書いてしまうのはすごいなあ。
すこやかにおだやかにしなやかに | |
谷川 俊太郎 | |
佼成出版社 |