谷川俊太郎『こころ』(15)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
「道」という詩はとてもとても変な詩である。
この書き出しは有名な高村光太郎の「道」とは逆。だいたい道なんて動かないのが常識。「やって来た」がおかしい。ま、おかしくてもいいけど。詩、なんだから。事実じゃなくてもかまわない。
だから、ほら。3連目。
詩は事実ではない。「心が納得」すればいい。これを「心の事実」と呼んでみるのもいいかも。
問題はそのあと。
びっくりするなあ。まったく予想外の展開だ。1、2連は、どちらかというと「孤独」の匂いがする。ロマンチック、センチメンタル。だから3連目の「自分だけ」「心が納得した」がすんなりと読める。いわば「流通詩」の範疇にいれて読んでしまう。
それが突然、激変する。
こんな展開は谷川に詩か書けないなあ。
「やって来た」というひとつのことばを動詞(述語)にするということは、道と言葉には共通する何かがあるんだね。
これを考え始めると、うーん、哲学になるぞ。「言葉=うるさい他人」という関係も見えてくる。
ことばのうしろには「他人」がいる。そして「他人」はがやがやとうるさい。
この問題を考え始めると、ややこしくなる。批評(?)はしない、思いついた「感想」だけを書くというのが、私自身のテーマなので、
そうか、
谷川は自分だけの静かなことばがほしいのか、と思った。
「道」という詩はとてもとても変な詩である。
歩いてもいないのに
どこからか道がやって来た
この書き出しは有名な高村光太郎の「道」とは逆。だいたい道なんて動かないのが常識。「やって来た」がおかしい。ま、おかしくてもいいけど。詩、なんだから。事実じゃなくてもかまわない。
だから、ほら。3連目。
これは自分だけの道だ
心がそう納得したとたん
詩は事実ではない。「心が納得」すればいい。これを「心の事実」と呼んでみるのもいいかも。
問題はそのあと。
これは自分だけの道だ
心がそう納得したとたん
向こうから言葉がやって来た
がやがやとうるさい他人を
ぞろぞろ引き連れて
びっくりするなあ。まったく予想外の展開だ。1、2連は、どちらかというと「孤独」の匂いがする。ロマンチック、センチメンタル。だから3連目の「自分だけ」「心が納得した」がすんなりと読める。いわば「流通詩」の範疇にいれて読んでしまう。
それが突然、激変する。
こんな展開は谷川に詩か書けないなあ。
道がやって来た
言葉がやって来た
「やって来た」というひとつのことばを動詞(述語)にするということは、道と言葉には共通する何かがあるんだね。
これを考え始めると、うーん、哲学になるぞ。「言葉=うるさい他人」という関係も見えてくる。
ことばのうしろには「他人」がいる。そして「他人」はがやがやとうるさい。
この問題を考え始めると、ややこしくなる。批評(?)はしない、思いついた「感想」だけを書くというのが、私自身のテーマなので、
そうか、
谷川は自分だけの静かなことばがほしいのか、と思った。
これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫) | |
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