詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『こころ』(15)

2013-08-10 23:59:59 | 谷川俊太郎「こころ」再読
谷川俊太郎『こころ』(15)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)

「道」という詩はとてもとても変な詩である。

歩いてもいないのに
どこからか道がやって来た

この書き出しは有名な高村光太郎の「道」とは逆。だいたい道なんて動かないのが常識。「やって来た」がおかしい。ま、おかしくてもいいけど。詩、なんだから。事実じゃなくてもかまわない。
だから、ほら。3連目。

これは自分だけの道だ
心がそう納得したとたん

詩は事実ではない。「心が納得」すればいい。これを「心の事実」と呼んでみるのもいいかも。
問題はそのあと。

これは自分だけの道だ
心がそう納得したとたん
向こうから言葉がやって来た
がやがやとうるさい他人を
ぞろぞろ引き連れて

びっくりするなあ。まったく予想外の展開だ。1、2連は、どちらかというと「孤独」の匂いがする。ロマンチック、センチメンタル。だから3連目の「自分だけ」「心が納得した」がすんなりと読める。いわば「流通詩」の範疇にいれて読んでしまう。
それが突然、激変する。
こんな展開は谷川に詩か書けないなあ。

道がやって来た
言葉がやって来た

「やって来た」というひとつのことばを動詞(述語)にするということは、道と言葉には共通する何かがあるんだね。
これを考え始めると、うーん、哲学になるぞ。「言葉=うるさい他人」という関係も見えてくる。
ことばのうしろには「他人」がいる。そして「他人」はがやがやとうるさい。
この問題を考え始めると、ややこしくなる。批評(?)はしない、思いついた「感想」だけを書くというのが、私自身のテーマなので、
そうか、
谷川は自分だけの静かなことばがほしいのか、と思った。

これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)
谷川 俊太郎
集英社
コメント
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