谷川俊太郎『こころ』(32)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
「心よ」という詩は「矛盾」している。
比喩にしてつかまえると、それは「標本」のようになってしまう。だから、それはつかまえたとこにはならない--ということは、動いたままの心をつかまえたいということなのだけれど、
うーん、
動き回っていたらつかまえたことにならないよね。
で、思わず「矛盾している」と書いてしまうのだが、実は、それが矛盾とは感じられない。
こういうところが詩の不思議なところ。
そして谷川の詩の不思議なところ。
比喩をつかって、あることをつかみとる。ふつうは、そこで詩が完結する。ところが谷川は、そういう完結を自分で否定して、つかみとったものを捨て去る。
矛盾したもの、というよりも、矛盾する力に詩の秘密を見ているだ。
かけ離れたもの(日常ではであうはずのないもの、いわば「矛盾」に通じるようなもの)の出会いに詩があるというけれど、その詩は固定してしまうと、もう詩ではなくなる。手術台の上でミシンとこうもり傘が出合ったときに詩が生まれたとしても、その出会いを繰り返してしまうと、もう詩ではなくなる。繰り返せば、もう「矛盾(新鮮な出会い)」ではなくなる。
矛盾する力とは、でも、何だろう。
「矛盾する力」とは「私を否定する力」と言いかえることができるかもしれない。「私」を否定するとき「私」が存在する--という矛盾の中から生まれてくる「真実」とは、この世には「宇宙」があるということかもしれない。「私」を産み出す宇宙--それと谷川の詩はつながるのだ。
「心よ」という詩は「矛盾」している。
心よ
一瞬もじっとしていない心よ
どうすればおまえを
言葉でつかまえられるのか
滴り流れ淀み渦巻く水の比喩も
照り曇り閃き翳る光の比喩も
おまえを標本のように留めてしまう
比喩にしてつかまえると、それは「標本」のようになってしまう。だから、それはつかまえたとこにはならない--ということは、動いたままの心をつかまえたいということなのだけれど、
うーん、
動き回っていたらつかまえたことにならないよね。
で、思わず「矛盾している」と書いてしまうのだが、実は、それが矛盾とは感じられない。
こういうところが詩の不思議なところ。
そして谷川の詩の不思議なところ。
比喩をつかって、あることをつかみとる。ふつうは、そこで詩が完結する。ところが谷川は、そういう完結を自分で否定して、つかみとったものを捨て去る。
矛盾したもの、というよりも、矛盾する力に詩の秘密を見ているだ。
かけ離れたもの(日常ではであうはずのないもの、いわば「矛盾」に通じるようなもの)の出会いに詩があるというけれど、その詩は固定してしまうと、もう詩ではなくなる。手術台の上でミシンとこうもり傘が出合ったときに詩が生まれたとしても、その出会いを繰り返してしまうと、もう詩ではなくなる。繰り返せば、もう「矛盾(新鮮な出会い)」ではなくなる。
矛盾する力とは、でも、何だろう。
音楽ですらまどろこしい変幻自在
心は私の私有ではない
私が心の宇宙を生きているのだ
高速で地獄極楽を行き来して
おまえは私を支配する
残酷で恵み深い
心よ
「矛盾する力」とは「私を否定する力」と言いかえることができるかもしれない。「私」を否定するとき「私」が存在する--という矛盾の中から生まれてくる「真実」とは、この世には「宇宙」があるということかもしれない。「私」を産み出す宇宙--それと谷川の詩はつながるのだ。
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