谷川俊太郎『こころ』(31)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
詩の話者はだれか。「午前四時」という作品。
谷川自身とも読むことができる。ところが、私は、谷川自身よりも、谷川ではないだれか、若い女性を思い浮かべてしまう。若いといってもティーンエイジャーではない。18歳くらいから20代の後半くらいまでの女性を思い浮かべてしまう。
さらに電話をかけてきた相手は男で、彼とは恋愛関係にあったのだが、いまは関係がややこしくなっている、というようなことまで思い浮かべてしまう。
そして、そういう状況にある若い女性が、こころを凍らせているところを想像する。
なぜだろう。
最近(といっても、数か月というよりは、ここ 2- 3年)、ストーカーなどが話題になっているからだろうか。「無言電話」がいやがらせとして社会的に「認知」されているからだろうか。
そうだとして。
どうして谷川は若い女性を「話者(主人公)」にして詩を書くことにしたのだろうか。いや、どうして私は谷川が若い女性を「話者」にしていると感じたのだろうか。
どこかで、私は若い女性を「枠」にはめてとらえているのだろうか。
この疑問は疑問として、そのまま保留して。
次の展開に私は驚く。
これが、若い女性のことばとは思えない。--というのは、私が若い女性をある一定の「枠」でとらえているという証拠であり、谷川は、「流通女性像」にとらわれず、自在にことばを動かすことで、そこに新しい女性を産み出していることになる。
「宇宙へと散乱する無音の電波が」の「宇宙」は、私には「谷川語」に見える。その「谷川語」をかかえたまま、谷川は若い女性になっていく。若い女性と「ひとつ」になる。この「融合」の仕方が、なんともすごい。
自在とは、こういうことをいう。谷川以外に、こういうことばの展開はできないと思う。「私の心はフリーズする」というようなことばをつかったあとでは、どうしたって「やばくない?/やばいっすね」というような、「若者ことば」を動かすことで「話者」を浮かび上がらせがちだが、そういう「読者」の想像力(流通想像力)を谷川は、すばやく裏切って、詩をさらに別次元へと切り開いていく。
詩の話者はだれか。「午前四時」という作品。
枕もとの携帯が鳴った
「もしもし」と言ったが
息遣いが聞こえるだけ
誰なのかは分かっているから
切れない
無言は恐ろしい
私の心はフリーズする
谷川自身とも読むことができる。ところが、私は、谷川自身よりも、谷川ではないだれか、若い女性を思い浮かべてしまう。若いといってもティーンエイジャーではない。18歳くらいから20代の後半くらいまでの女性を思い浮かべてしまう。
さらに電話をかけてきた相手は男で、彼とは恋愛関係にあったのだが、いまは関係がややこしくなっている、というようなことまで思い浮かべてしまう。
そして、そういう状況にある若い女性が、こころを凍らせているところを想像する。
なぜだろう。
最近(といっても、数か月というよりは、ここ 2- 3年)、ストーカーなどが話題になっているからだろうか。「無言電話」がいやがらせとして社会的に「認知」されているからだろうか。
そうだとして。
どうして谷川は若い女性を「話者(主人公)」にして詩を書くことにしたのだろうか。いや、どうして私は谷川が若い女性を「話者」にしていると感じたのだろうか。
どこかで、私は若い女性を「枠」にはめてとらえているのだろうか。
この疑問は疑問として、そのまま保留して。
次の展開に私は驚く。
言葉までの道のりの途中で
迷子になった二つの心を
宇宙へと散乱する無音の電波が
かろうじてむすんでいる
朝の光は心の闇を晴らすだろうか
これが、若い女性のことばとは思えない。--というのは、私が若い女性をある一定の「枠」でとらえているという証拠であり、谷川は、「流通女性像」にとらわれず、自在にことばを動かすことで、そこに新しい女性を産み出していることになる。
「宇宙へと散乱する無音の電波が」の「宇宙」は、私には「谷川語」に見える。その「谷川語」をかかえたまま、谷川は若い女性になっていく。若い女性と「ひとつ」になる。この「融合」の仕方が、なんともすごい。
自在とは、こういうことをいう。谷川以外に、こういうことばの展開はできないと思う。「私の心はフリーズする」というようなことばをつかったあとでは、どうしたって「やばくない?/やばいっすね」というような、「若者ことば」を動かすことで「話者」を浮かび上がらせがちだが、そういう「読者」の想像力(流通想像力)を谷川は、すばやく裏切って、詩をさらに別次元へと切り開いていく。
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