谷川俊太郎『こころ』(29)(朝日新聞出版、2013年06月30日発行)
「ココロノコト」という作品に私は驚いてしまった。
たどたどしい日本語でその大男は
「ココロノコト」と言ったのだ
「ココロノコトイツモカンガエル」
ほんとうのことなのだろうか。何語かわからないが、「ココロノコト」の「コト」を、たとえば英語ではどういうのだろう。外国語に、この文脈でいう「コト」はあるのだろうか。
私の印象(直観)では、「こころのこと」の「こと」は日本語特有のものに思える。「こころのこと」は単なる「こと」ではなく、こころななかで「起きている」こと、つまり、「こと」は名詞だけれど、問題の焦点は「起きている」という動詞なのではないか。
翻訳は、時々、その国語によって、動詞派生の名詞を動詞に活用させて訳したり、動詞を名詞化して訳したりすると文脈が落ち着くことがある。
ちなみに、「私は心の中で起きていることをいつも考える」をgoogleに翻訳させると「I think all the time what is happening in the mind.」、「私はこころのことをいつも考える」は「I think always that of the heart.」である。
心事という言葉は多分知らない男の
心事より切実に響く<心のこと>
柔和な目をした大男は言う
「カミサマタスケテクレナイ」
世界中の聖地を巡る旅を終えて
妻子のもとへ帰るという
故郷の町で不動産業を営むとか
「心事」ということばは、私は知らなかった。漢字なので読めば「意味」の見当はつくが、聞いたことがない。初めて知った私が言うと変かもしれないが、
心事より切実に響く<心のこと>
これって、「大男」にとって「切実」じゃないよね。知らない人間は、比較のしようがない。谷川にとって「切実に」響いた。
その「切実さ」は、大男の切実さと「ひとつ」かなあ。よくわからないのである。
「ココロノコト」という作品に私は驚いてしまった。
たどたどしい日本語でその大男は
「ココロノコト」と言ったのだ
「ココロノコトイツモカンガエル」
ほんとうのことなのだろうか。何語かわからないが、「ココロノコト」の「コト」を、たとえば英語ではどういうのだろう。外国語に、この文脈でいう「コト」はあるのだろうか。
私の印象(直観)では、「こころのこと」の「こと」は日本語特有のものに思える。「こころのこと」は単なる「こと」ではなく、こころななかで「起きている」こと、つまり、「こと」は名詞だけれど、問題の焦点は「起きている」という動詞なのではないか。
翻訳は、時々、その国語によって、動詞派生の名詞を動詞に活用させて訳したり、動詞を名詞化して訳したりすると文脈が落ち着くことがある。
ちなみに、「私は心の中で起きていることをいつも考える」をgoogleに翻訳させると「I think all the time what is happening in the mind.」、「私はこころのことをいつも考える」は「I think always that of the heart.」である。
心事という言葉は多分知らない男の
心事より切実に響く<心のこと>
柔和な目をした大男は言う
「カミサマタスケテクレナイ」
世界中の聖地を巡る旅を終えて
妻子のもとへ帰るという
故郷の町で不動産業を営むとか
「心事」ということばは、私は知らなかった。漢字なので読めば「意味」の見当はつくが、聞いたことがない。初めて知った私が言うと変かもしれないが、
心事より切実に響く<心のこと>
これって、「大男」にとって「切実」じゃないよね。知らない人間は、比較のしようがない。谷川にとって「切実に」響いた。
その「切実さ」は、大男の切実さと「ひとつ」かなあ。よくわからないのである。
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