詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

福田拓也「その言語はどこの天体のものともつかない顆粒状の……」

2014-01-12 10:59:14 | 詩集
福田拓也「その言語はどこの天体のものともつかない顆粒状の……」(「hotel 第2章」33、2014年01月10日発行)

 福田拓也「その言語はどこの天体のものともつかない顆粒状の……」は何を書いてあるのかわからない。--と書きながら、それは「わからない」のではなく、私がわかりたくないだけなのだとわかっている。「意味」がわからなくたっていい、と開き直って、私はそのことばのなかへ入っていく。

その言語はどこの天体のものともつかない顆粒状の土や砂粒や鉱物
質のものたちの浮游する中で微かに動かす息吹きがどこから来るの
かそれは誰にもわからない、

 これが冒頭の3行(行でいいのかどうか、わからないが)。主語は?「その言語」? 違うね。文の終わりの「誰にもわからない」の「誰にも」が主語であり、述語は「わからない」。じゅあ、冒頭の「その言語は」というのは何? あ、これも「主語」。じゃあ、「主語」がふたつ? 違うなあ。「それは誰にもわからない」の「それは」という「形式主語」もある。そしてそれは「補語(目的語?)」でもあって……。
 こんな読み方では、なにもわからないね。何が間違っている? 簡単。私の書いた文章はなぜ混乱し、間違いに踏み込んでしまったか。理由は一つ。「誰にもわからない」という文の終わり(?)の部分をおさえて、そこからことばを理解しようとしたから。「意味」を探ろうとしたから。結論(正解?)は最後にあるのではない。日本語は最後に結論をいうことばではないのだ。
 日本語は最初に結論がある。結論があるくせに、相手の反応を見ながら、結論を変更しつづけるのが日本語なのだ。最初に自分の言いたいことを言ったから、あとはその言い分に対して相手がどう反応してくるかを見ながら、こういう見方もありますよとつづけることでごまかせばいいというのが日本人の処方術なのだ……という見方がないわけではないのかもしれない、というのは的確な例文になりきれていないというわけでもないといえないこともない。えっ、どっち?
 最初の文章は、

その言語はどこの天体のものともつかない顆粒状の土や砂粒や鉱物
質のものたちの浮游する中で

 まで一気に読んでしまいそうだが、そこに「罠」がある。日本語はだらだらとどこまでもつながっていくのである。つながりながら、ことばのなかでことばが往復する。往復しながら意味を変えつづける。
 この文章は、「その言語はどこの天体のものともつかない」でひとまず区切られている。そして、それは「顆粒状の土や砂粒や鉱物質のものたちの浮游する中で」何かをするのではなく、その前に「顆粒状の土や砂粒や鉱物質のものたち」と同じもになる。そして同じものとして、同じように「浮游する」。その浮游、その動きは自発的な動きではなく、それを「微かに動かす息吹き」がある。「息吹き」が「その言語/顆粒状の土や砂粒や鉱物質」を微かに動かす。でも、それではその「息吹き」はどこから来るのかと問われれば「誰にもわからない」……。
 「……のものたちの浮游する中で」という部分がいちばん日本語らしいおもしろいところだ。「……のものたちが浮游する」と終止形でいいはずなのに、動詞の終止形はそのまま名詞を修飾してしまう(修飾することができる)という特質(?)を利用して、ここでは「動詞」が「動詞」でなくなる。「動詞」でなくなりながら「動詞」の痕跡(エネルギー?)を抱え込んで次のことばへ侵入していく。次のことばと一体になる。
 「主語」が「融合」するのである。融合し、変化し、融合することで別なものになる。「息吹きが/来る」の主語は「息吹き」であるけれど、その「息吹き」は「その言語」という「主語」が存在しないことには発生する(生まれる)はずがないことばなのである。「その言語」という主語のなかに、すでに「息吹き」は含まれているし、その言語について考える「だれ(か)」もすでに含まれている。すでに含まれているものが、ことばの運動によって少しずつ浮かびあがってくる。
 「浮游する中で」は「浮游の中で」と言い換えても「意味」はかわらない。「浮游する中で」と「浮游の中で」はどう違うかといえば、違わない。一方は動詞が修飾節になり、他方は動詞派生の「名詞」として次のことばとつながる。ことばには動詞派生の名詞、名詞派生の動詞(科学する--という奇妙な動詞など)がある。そのごちごちを突ききって進むには、あらゆる瞬間を「動詞」の存在する一瞬(何かが動く瞬間)と同化するしかない。常に「動詞」になりながら、ことばのなかを進んで行く。そうすると、「名詞」ではなく「動詞」がもっている何かと合体しながら先へ進むことができる。動詞の中で「主語」が融合しながら動いていく。
 こういうとき、動詞となって動くということが大事なのであって、そのときどきの「名詞」は「動詞」によって統一される「仮の姿」だと考える必要がある。「主語」が「仮の姿」であるからこそ、私たちはそこに「私」を容易に投入することができる。そして、「動詞」のなかで、そこに起きていることと一体になり、「わからない」ままそこにあることを受け入れてしまう。

 あ、こんな書き方では何のことがわからないね。何のことかわからないけれど、「意味」がありそうにみえるね。きっとこのまま暴走すれば「意味」になるのだけれど、それはうさんくさいね。ことばのいちばんうさんくさい何かにつかまってしまうことになるね。
 私は「意味」について語る替わりに、こんな感想を書く。以下のように。

 福田はなにやらいろいろなことを書いてるが、私はその中の「動詞」(動詞派生のことば)につながりながら、自分の「肉体」を動かしてみる。「肉体」と「動詞」を重ねてみる。そうすると、福田の書くことばのなかで「主語」が変化しても、その変化とは関係なしに「私の肉体」が動く。言い換えると、「主語」が複数に、次々に変わるのを無視して、私の「肉体」は「私の肉体」で追うことができる「動詞」を追いかけながら、福田が書こうとしていることとは無関係な「私の肉体」を「主語」にしていることになる。
 これは奇妙な現象のようであって、実は、そうではないのかもしれない。
 福田の詩に限らず、ひとは何かを読むとき、そこに書かれている「主語」を第三者として眺めるだけではない。「主語」になりかわって、「私(の肉体)」を主語(主人公)にしてしまうものなのだ。たとえば「源氏物語」。それを読むとき、だれだって「光源氏」になって読むのである。「ゴッドファーザー」を見るとき誰もがマーロン・ブランドになって見るのである。いや、私はアル・パチーノになって見たという人がいるかもしれないが、だれになろうとかまわない。だれであろうと「私」ではない人間に「私の肉体」のまま、融合する。
 「主語」が存在するのではなく「動詞」が存在する。「動詞」のなかで、ひとは、そこにおきている「こと」をつかみとる。「わかる」。「頭」でわからなくても「肉体」でわかる。主語を不要とする日本語で育った日本語人(日本人)は、特にそういうことが得意である。
 で、福田の詩。
 つづきを引用し、主語を次々と放棄しながら、動詞そのものになって別な主語へと移っていくことをていねいに書いた方がいいのかもしれないが、私は目が悪いのでそういうことを省略してしまう。
 ただ、次のことだけは書いておく。
 福田のことばは主語を放棄しながら動詞をたよりに変化しつづけるが、その動詞の登場するタイミング(リズム)がとてもいい。そのために動詞をコピーする肉体は自然に動く。音楽を感じながら動く。
 ことばの「音楽」には音韻の音楽と、動詞の音楽がある。肉体を動かす、その動かし方を誘う音楽がある。リズム、文体と呼ばれるものがそれになるのかもしれないが、私には、まだそれをどう呼んだらいいのかわからない。だから「感覚の意見」として書いておくのだが、こういう「音楽」の聞こえることばというのは、私は好きである。「意味」は「わからない」、けれど信じてしまう。読み通してしまう。
尾形亀之助の詩―大正的「解体」から昭和的「無」へ
福田 拓也
思潮社
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西脇順三郎の一行(56

2014-01-12 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(56)

 「最終講義」

またミミナグサの坂をのぼる                    (68ページ)

 「ミミナグサ」を私は知らない。どんな草なのだろう。読者の何人が知っているだろうか。そして、そのことばを読んだ何人が調べただろうか。私は調べない。植物図鑑を調べても、きっと忘れるだけである。図鑑で見たからといって「わかる」わけではない。
 私はただ「ミミナグサ」という音を楽しむ。そして、「また」ということばを楽しむ。そうか、西脇は何度もその坂をのぼったのだ。そうして何度もミミナグサを見たのだ。そのとき体のなかに「風景」ではない、別なものがあらわれる。坂をのぼる肉体のリズムがあらわれる。ミミナグサはそのリズムを飾るメロディーだ。
 と、書いて、私は何か間違えたと感じる。
 「ミミナグサ」よりも「また」の方が私は好きなのだ。西脇は何度も「また」ということばをつかっているが、この「また……する(した)」という繰り返し、繰り返すしかないもののなかに、何か「永遠」というものを感じる。
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