監督 イ・ジュヒョン 出演 キム・ユミ、チョン・ウ、ソン・ビョンホ、パク・ソヨン
北朝鮮の工作員(四人)が偽装家族となって韓国で活動する。隣の家は、いがみ合うだらしない家族。最後の指令は、その南の家族を殺すこと--という設定にひかれて見たのだが。
映画というよりも芝居。舞台劇ならとてもおもしろいと思うが、映画ならではの「情報」がなくて、脚本以外に見るべきところはない。安易に北に残っている工作員の家族を映像で見せないというのは、それはそれでいいのだけれど、すべてが「ことば」だけなので想像力が刺戟されない。
舞台だと常に役者の肉体が「全身」でそこに存在するので、その肉体が抱え込むものが「情報」となってつたわるのだが、映画は「肉体」がフレームのなかでとらえられ、そこには「カメラ」の演技が入ってきていて、役者の「肉体」そのものが疎外される。うまくいけば、クローズアップはとても効果的だが、こんなに「ことば」の情報にたよっていてはカメラワークの効果がない。
唯一おもしろいのはラスト。工作員が北の上部工作員につかまって、船上で処刑される寸前(自殺を強要される寸前)。四人が隣の家族喧嘩を再現する。罵詈雑言が飛び交う。そんなふうにして感情のままにことばを発してみたい。こんな家族でありたかった。そういう「夢」が芝居のなかで生き生きと動く。まあ、これにしても「芝居」の方がはるかにおもしろいと思う。映画だと、どうしてもカメラが観客の感情を誘導するように役者の「肉体」を切り取ってしまうので、そういうことばが飛び交う「場」の全体が見えにくい。
実際の家族の喧嘩が庭であったとき、隣の家族の四人の「位置関係」が「情報」としてあるのに、船上の工作員四人には「位置関係」の「情報」がない。横に一列に並べられて、不自由な場(拘束されて不自由な肉体)で「ことば」で「家族」を再現することになり、やっぱり「ことば、ことば、ことば」の芝居にならざるを得ない。
で、唯一おもしろいこのシーンでは、「映画」であることがまた邪魔にもなっている。四人の芝居がいったい何を再現しているものか、観客にはわかっても上部工作員たちはわからないのだが、そのわからない工作員の姿を映画は映し出してしまう。その瞬間、「ことば、ことば、ことば」の芝居が映像によって途切れてしまう。緊張感がなくなる。舞台なら、観客はそこに上部工作員がいても、それを無視して四人の芝居に集中できる。映画ではカメラが勝手に演技して上部工作員をとらえるので、それが邪魔になってしまう。表現媒体の選択を間違えたようだ。
(2014年11月16日、KBCシネマ1)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
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映画というよりも芝居。舞台劇ならとてもおもしろいと思うが、映画ならではの「情報」がなくて、脚本以外に見るべきところはない。安易に北に残っている工作員の家族を映像で見せないというのは、それはそれでいいのだけれど、すべてが「ことば」だけなので想像力が刺戟されない。
舞台だと常に役者の肉体が「全身」でそこに存在するので、その肉体が抱え込むものが「情報」となってつたわるのだが、映画は「肉体」がフレームのなかでとらえられ、そこには「カメラ」の演技が入ってきていて、役者の「肉体」そのものが疎外される。うまくいけば、クローズアップはとても効果的だが、こんなに「ことば」の情報にたよっていてはカメラワークの効果がない。
唯一おもしろいのはラスト。工作員が北の上部工作員につかまって、船上で処刑される寸前(自殺を強要される寸前)。四人が隣の家族喧嘩を再現する。罵詈雑言が飛び交う。そんなふうにして感情のままにことばを発してみたい。こんな家族でありたかった。そういう「夢」が芝居のなかで生き生きと動く。まあ、これにしても「芝居」の方がはるかにおもしろいと思う。映画だと、どうしてもカメラが観客の感情を誘導するように役者の「肉体」を切り取ってしまうので、そういうことばが飛び交う「場」の全体が見えにくい。
実際の家族の喧嘩が庭であったとき、隣の家族の四人の「位置関係」が「情報」としてあるのに、船上の工作員四人には「位置関係」の「情報」がない。横に一列に並べられて、不自由な場(拘束されて不自由な肉体)で「ことば」で「家族」を再現することになり、やっぱり「ことば、ことば、ことば」の芝居にならざるを得ない。
で、唯一おもしろいこのシーンでは、「映画」であることがまた邪魔にもなっている。四人の芝居がいったい何を再現しているものか、観客にはわかっても上部工作員たちはわからないのだが、そのわからない工作員の姿を映画は映し出してしまう。その瞬間、「ことば、ことば、ことば」の芝居が映像によって途切れてしまう。緊張感がなくなる。舞台なら、観客はそこに上部工作員がいても、それを無視して四人の芝居に集中できる。映画ではカメラが勝手に演技して上部工作員をとらえるので、それが邪魔になってしまう。表現媒体の選択を間違えたようだ。
(2014年11月16日、KBCシネマ1)
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