監督 吉田大八 出演 宮沢りえ、池松壮亮、大島優子、小林聡美
映画だけのことではないのだが、作者(作り手)の「声」を聞くと、途端に作品がつまらなくなるときがある。吉田大八監督は「桐島、部活やめるってよ」がとてもおもしろかった。宮沢りえも舞台を見てから突然大好きになってしまった。それで、見にいったのだが……。
映画のあと、吉田大八監督と池松壮亮の舞台あいさつがあった。知らずに見にいって(なぜ、この回だけ満員なのだろうと不思議に思っていたのだが)、偶然、二人の「声」を聞くことができた。
で、そのとき吉田大八監督が、映画と小説の違いを説明し、「大島優子、小林聡美の役は小説にはなくて、映画のためにつくった。宮沢りえのこころの声を代弁するためにつくった」と語った。これは、その通りなのだろうけれど、それを聞いた瞬間に、おもしろかった映画が途端につまらなくなった。
映画を見ながら、大島優子と宮沢りえ、小林聡美と宮沢りえの「かけあい」の部分がおもしろくて、うーん、うまい。りえに台詞を言わせず、他人に言わせて、それにりえの表情を重ねる(同居させる)ことで、他人の台詞をりえの「こころの声」に変えてしまう。これはは映画でしかできない。
傑作誕生!と思った。
そして、横領が発覚したとき、大島優子の台詞を流用してアデランスの上司と向き合うところでは、楽しくて声を上げて笑ってしまったのだが……。
そうか、このいちばんおもしろい部分は吉田大八監督の創作だったのか。
それはそれでいいのだけれど、こういう部分は観客が自分で発見してこそおもしろい。映画の楽しさを発見したと喜んでいるところへ、「あれは、私の工夫です」と言われたら、なんだか手品の種明かしをされたようでがっかりする。「わかりやすく」なったのだけれど、そういうことってわからない方が楽しいんじゃないかねえ。
どうしても言いたいんなら「映画には小説に登場しないキャラクターが登場しています。興味のある人は小説を読んで探してみてください」くらいで止めておけばいいのに。
で、私は、映画の感想を書く気持ちが半分以上萎えてしまったのだけれど、宮沢りえが大好きなので、気持ちを奮い立たせて、感想を書いている。
りえは、うまい。
先に書いたが大島優子、小林聡美との「かけあい」の表情の変化がいい。やっぱり美人はすごい。ほんの少しの動きで「こころ」が顔に出る。乱れた顔(?)では、顔に「こころの乱れ」が反映のしようがない。(私は、美人大好き、ブスは嫌いという人間だから、こういうことを平気で書くのである。)
相手役が画面に登場しないシーンでもおもしろい。ニセの書類をつくっているときコピー機が故障して紙がつまる。そこへ夫から電話がかかってくる。電話でやりとりしながらコピー機と格闘する。そのときの一人芝居がすばらしい。「おいおい、芝居だろう。ほんとうにコピー機が故障したわけじゃないのに、そんなに真剣になるかよ」と思わず言ってしまいそう。「脚本、読んだ? 単なる紙詰まりでしょ?」と。そのあと、ちゃんとコピーできるんでしょ?
この全身の演技は舞台で鍛えた成果だねえ。
全身の演技といえば……追い詰められて、窓を破って、走って逃げるシーン。カメラは途中からりえの顔だけを写しているんだけれど、そのときの「全身」感がいい。写っていない部分もちゃんと走って逃げる演技をしていて、その肉体のリズム(肉体の連続感)が顔にあらわれている。
いいなあ。
バックに流れる賛美歌(?)の嘘っぽい響きもいい。「桐島、部活……」でもラストのブラスバンドが効果的だったが、同じ曲を何度もつかいながら、違う場面とシンクロさせる手法がとてもおもしろい。音楽のなかには音楽鳴り響いていたときの「時間」が残っていて、音楽が流れるたびに「過去」の時間が甦ってくる。「過去」が「いま」を突き破って「未来」へと動いていく。
りえの「逃走」にぴったり。
いいなあ。ほんとうに、いいなあ。
でも、映画はどうしてここで終わらないのだろう。ここで終わればいいのに。
途中で空白のスクリーンがあるのだけれど、その空白で終わってしまえばいいのに。
一呼吸おいて東南アジアのどこからしい街が映る。りえは、そこに逃亡している。そこで出会う果物屋の男は、もしかするとりえが小学生(中学生?)のときにお金を送っていた少年かもしれない。--これは現実ではなく、りえの夢かもしれない。現実ではりえは逮捕されているのかもしれない。どうとでも解釈できる。だったら、ない方がすっきりするだろうと思う。りえの行く末は観客がかってに考えればいい。監督に教えてもらわなくても(暗示されなくても)、かまわない。いや、暗示されたくない。舞台あいさつでの発言といい、吉田大八監督は、少し観客に対しておせっかいすぎるかもしれない。
吉田大八監督の発言を聞かなかったら最低でも★4個をつけていたと思う。映画が賛美歌をバックに、りえが走るシーンで終わっていたら、絶対★5個だな。
(2014年11月23日、ソラリアシネマ7)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
映画だけのことではないのだが、作者(作り手)の「声」を聞くと、途端に作品がつまらなくなるときがある。吉田大八監督は「桐島、部活やめるってよ」がとてもおもしろかった。宮沢りえも舞台を見てから突然大好きになってしまった。それで、見にいったのだが……。
映画のあと、吉田大八監督と池松壮亮の舞台あいさつがあった。知らずに見にいって(なぜ、この回だけ満員なのだろうと不思議に思っていたのだが)、偶然、二人の「声」を聞くことができた。
で、そのとき吉田大八監督が、映画と小説の違いを説明し、「大島優子、小林聡美の役は小説にはなくて、映画のためにつくった。宮沢りえのこころの声を代弁するためにつくった」と語った。これは、その通りなのだろうけれど、それを聞いた瞬間に、おもしろかった映画が途端につまらなくなった。
映画を見ながら、大島優子と宮沢りえ、小林聡美と宮沢りえの「かけあい」の部分がおもしろくて、うーん、うまい。りえに台詞を言わせず、他人に言わせて、それにりえの表情を重ねる(同居させる)ことで、他人の台詞をりえの「こころの声」に変えてしまう。これはは映画でしかできない。
傑作誕生!と思った。
そして、横領が発覚したとき、大島優子の台詞を流用してアデランスの上司と向き合うところでは、楽しくて声を上げて笑ってしまったのだが……。
そうか、このいちばんおもしろい部分は吉田大八監督の創作だったのか。
それはそれでいいのだけれど、こういう部分は観客が自分で発見してこそおもしろい。映画の楽しさを発見したと喜んでいるところへ、「あれは、私の工夫です」と言われたら、なんだか手品の種明かしをされたようでがっかりする。「わかりやすく」なったのだけれど、そういうことってわからない方が楽しいんじゃないかねえ。
どうしても言いたいんなら「映画には小説に登場しないキャラクターが登場しています。興味のある人は小説を読んで探してみてください」くらいで止めておけばいいのに。
で、私は、映画の感想を書く気持ちが半分以上萎えてしまったのだけれど、宮沢りえが大好きなので、気持ちを奮い立たせて、感想を書いている。
りえは、うまい。
先に書いたが大島優子、小林聡美との「かけあい」の表情の変化がいい。やっぱり美人はすごい。ほんの少しの動きで「こころ」が顔に出る。乱れた顔(?)では、顔に「こころの乱れ」が反映のしようがない。(私は、美人大好き、ブスは嫌いという人間だから、こういうことを平気で書くのである。)
相手役が画面に登場しないシーンでもおもしろい。ニセの書類をつくっているときコピー機が故障して紙がつまる。そこへ夫から電話がかかってくる。電話でやりとりしながらコピー機と格闘する。そのときの一人芝居がすばらしい。「おいおい、芝居だろう。ほんとうにコピー機が故障したわけじゃないのに、そんなに真剣になるかよ」と思わず言ってしまいそう。「脚本、読んだ? 単なる紙詰まりでしょ?」と。そのあと、ちゃんとコピーできるんでしょ?
この全身の演技は舞台で鍛えた成果だねえ。
全身の演技といえば……追い詰められて、窓を破って、走って逃げるシーン。カメラは途中からりえの顔だけを写しているんだけれど、そのときの「全身」感がいい。写っていない部分もちゃんと走って逃げる演技をしていて、その肉体のリズム(肉体の連続感)が顔にあらわれている。
いいなあ。
バックに流れる賛美歌(?)の嘘っぽい響きもいい。「桐島、部活……」でもラストのブラスバンドが効果的だったが、同じ曲を何度もつかいながら、違う場面とシンクロさせる手法がとてもおもしろい。音楽のなかには音楽鳴り響いていたときの「時間」が残っていて、音楽が流れるたびに「過去」の時間が甦ってくる。「過去」が「いま」を突き破って「未来」へと動いていく。
りえの「逃走」にぴったり。
いいなあ。ほんとうに、いいなあ。
でも、映画はどうしてここで終わらないのだろう。ここで終わればいいのに。
途中で空白のスクリーンがあるのだけれど、その空白で終わってしまえばいいのに。
一呼吸おいて東南アジアのどこからしい街が映る。りえは、そこに逃亡している。そこで出会う果物屋の男は、もしかするとりえが小学生(中学生?)のときにお金を送っていた少年かもしれない。--これは現実ではなく、りえの夢かもしれない。現実ではりえは逮捕されているのかもしれない。どうとでも解釈できる。だったら、ない方がすっきりするだろうと思う。りえの行く末は観客がかってに考えればいい。監督に教えてもらわなくても(暗示されなくても)、かまわない。いや、暗示されたくない。舞台あいさつでの発言といい、吉田大八監督は、少し観客に対しておせっかいすぎるかもしれない。
吉田大八監督の発言を聞かなかったら最低でも★4個をつけていたと思う。映画が賛美歌をバックに、りえが走るシーンで終わっていたら、絶対★5個だな。
(2014年11月23日、ソラリアシネマ7)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
紙の月 (ハルキ文庫) | |
角田 光代 | |
角川春樹事務所 |
桐島、部活やめるってよ(DVD2枚組) | |
クリエーター情報なし | |
バップ |