詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田代田「二月尽」

2015-04-03 11:00:33 | 詩(雑誌・同人誌)
田代田「二月尽」(「孑孑」73、2015年04月01日発行)

 田代田「二月尽」は何やら病気(?)をして手術を受けることになったときのことをことを書いている。書きながら、ずれてゆく。ずれながら戻ってくる。それが「だらだら」とつづく。その「だらだら」がおもしろい。その「だらだら」は、どうやってつながっているのか。これが、きょうの「テーマ」。(と、書いて始めることにする。)

長いのだ
大腸内視鏡的ポリペクトミー、大腸内視鏡的粘膜切除術
読んでいて
ポリペクトミーのクトミーあたりで何度も舌をかみ切りそうになる
あわわ
けっこうみんな経験しているようで
うなずく
一日二泊という作業がめんどうくさい
ジャージーで出向いてじゃジーで眠ってジャージーでそのまま帰りたい

 私は初めて見るカタカナは読めない(カタカナ難読症?)ので、はなからカタカナは読まないことにしているのだが、その前の「大腸内視鏡的」の「的」が中国語っぽいなあと思う。これだって読みづらい。「大腸内視鏡的粘膜切除術」の方が目がもつれて舌がおいついていかない。
 これって、わたしのことばでいうと「めうどうくさい」。
 その書かれていない「めんどうくさい」が「一日二泊という作業がめんどうくさい」へずるりとつながっていく。「めんどうくさい」というのは「長い」何かがずるずるとつながっていくことなんだなあ。「つづける」というのが「めんどうくさい」。
 「ポリペクトミー」というのも「ポリペ」まで読んでしまうと、あとをつづける(正確に発音する)のが「めんどうくさく」なって、意識と肉体がずれて、舌がもつれる。
 「めんどうくさい」は「文法」で言うと何になるのかな? 「面倒」という「名詞」に「くさい」という「形容詞」がくっついている? うーん、よくわからないが、この「めんどうくさい」のなかには「肉体」があるね。「肉体」をていねいに動かすのが「めんどうくさい」。だれだって、なれないことをきちんとこなすのは「めんどうくさい」。このあたりの「肉体感覚(肉体がおぼえている感覚)」が、詩の最初の部分をつないでいる。
 「大腸内視鏡的ポリペクトミー」を正確に読み、日本語で言いなおすと「大腸内視鏡的粘膜切除術」なんて考えるのは「めんどうくさい」。それは「一日二泊」の手術を受けるのがなんとなく「めんどうくさい」という感じにつながる。もっと簡単ならいいのになあ。
 で、この「めんどうくさい」は、次のように言い換えられている。

パソコン
を8.1 に変えひらくたびにつぎつぎあらわれるポップアップ広告で苦渋
難渋しているハシモトさんは
ずっと
前立腺肥大でも苦渋難渋していて
隣町の
市民病院で手術を受けることになった

 「めんどうくさい」は「苦渋」。ポップアップ広告を処理する(?)のは、うーん、「めんどうくさい」。こんなものなければいいのに。「難渋」というにはおおげさかもしれないが、「難渋」。「大腸内視鏡的ポリペクトミー」を正確に読むのも「難渋する」。「舌をかみ切りそうになる」。ハシモトさんも前立腺肥大で、日々の小便に時間がかかり「めんどうくさい」。時間のかかるしっこに難渋している。
 ちょっと前へ戻ることになるが、「正確に読むのが難しい(難渋する)」と言わずに「舌をかみ切りそうになる」という方が「肉体」が動く感じがする。この「肉体」が動くという感じが、私は田代の詩の重要なところだと思う。「意識」が「難渋する」と同時に「肉体」も「難渋する」。それが「舌をかみ切りそう」という「常套句」となって近づいてくる。前立腺肥大も「病名」ではなく、小便をするときの「肉体」そのものの「動き」。「時間がかかる」「なかなか小便がでない」という具体的に「肉体」の実感。
 「苦渋」も「難渋」も「名詞」だけれど、「苦渋する」「難渋する」という動詞としてことばを動かすこともできる。で、ハシモトさんは「前立腺肥大でも苦渋難渋して」いるとつながっていく。
 ここからさらに詩は変化して行く。

いやすでに終わって静養中だ
ハシモトさんは年寄りになったらみんな患う病気と断言していたがまだ
来てないアタシには
前立腺肥大
精管切紮術というのを施したアタシにはこんなものが
案外功を奏しているのかもしれない
わからない
わからない人体の不思議と社会の仕組み
パソコンの中身も

 「難渋する」のは「わからない」からである。たまたま田代は「大腸内視鏡的ポリペクトミー」を受け、ハシモトさんは「前立腺肥大」で手術を受ける(受けた)。ふたりの病気の違いはなぜ起きたのか。まあ、そんなことは「わからない」。「人体の仕組み(中身)」がどうなっているか、わからないが、そのわからないことのために「難渋している」。
 「わからない」と言えば、また元に戻るのだがパソコンの8.1 の「中身(仕組み)」も「わからない」。なぜ、開くたびにポップアップ広告があらわれるのか、「わからない」。「わからな」くて「めんどうくさく」て、「難渋している」。
 動詞(肉体)が、何か共通した感じのことろを動きながら「大腸内視鏡的ポリペクトミー」(病気そのもの/手術の呼び方)「パソコン」「前立腺肥大」、さらに「アタシ」「ハシモトさん」「年寄り」というものを、そのたびに「目の前」に呼び出している。これをふつうは「分節する」と簡単に言ってしまうのだけれど、私は「分節する」ではなくて、「肉体が生み出している」と言えばいいのだと、最近気がついた。「肉体」というのはだれにとっても「ひとつ」である。その「ひとつ」が動きながら、「肉体」から「必要な何か」を「分娩する」。たとえば「大腸内視鏡的ポリペクトミー」ということばで、「肉体」のなかにあるものを「肉体」の外に取り出して、それを「他者」と「共有する」。「粘膜を切り取る」という「手術」を「共有する」。そのとき、その手術をしてくれる先生というのも、実は「アタシ」の「肉体」が必要にせまられて「生み出した(分娩した)アタシ」なのだ。「生み出す(分娩する)」ということで、世界はそのつど、連続している。「手術を受ける/手術をする」という「こと」が「ひとつ」になっている。
 あ、これは、ずいぶん脱線してしまったが「分節する」というのは、そういうことだなあと私は考えている。
 詩に戻って……。
 「動詞/用言」が動くというのは「肉体」が動くということであり、「肉体」が動くたびに、その動きを受け止めるものとして「もの」が生み出されていく。「もの」が最初にあってそれに「肉体」が反応するのではなく、「肉体」の動きに合わせて「もの」がたちあらわれてくる。そんな動きで、田代の詩のことばは動いている。
 「動く」というのは「変化」なのだけれど、その「変化」は全部「アタシ(田代)」につながっていて、その動きを追っていくと「アタシ(田代)」という「肉体」が詩を読む前よりも鮮明に見えてくる。「もの」はかわっても「アタシ(田代)」の「肉体」はかわらない。生み出した「もの」(分娩された「子ども=比喩ですよ」)は「アタシ」から離れていったり、いつまでも絡み付いてきたり(まるでほんとうの子どものよう)にして「アタシ」をひっかきまわす。そこで、ああでもない、こうでもないと動く人間の肉体。
 「肉体」と「動詞」、「もの(対象)」は、「動詞」によって「生み出される」。人間はどうしても動く。動くたびに何かが生み出され、つながってくる。これが「だらだら」の原因であり、人間のおかしさであり、悲しさなんだなあと思う。

 詩はまだつづいていて、私が書きたいこともまだあるのだけれど、きょうはここまで。詩のつづきは「孑孑」で読んでください。

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破棄された詩のための注釈(22)

2015-04-03 01:22:27 | 
破棄された詩のための注釈(22) 

「明滅」ということばで、人が感じるのは明るさの方だろうか、暗さの方だろうか。坂を上ったところにある街灯は、何度取り換えられてもすぐに明滅する。そばの桜が咲いた日は、街灯が繰り返し光の花びらを開き、また散らしているようにも感じられた。

「明滅」ということばは、桜に驚き吸う息を止めたときの女の輪郭の揺れに似ていた。しずかに膨らむ胸のまるみの内側に少しくらい翳りが、吐く前の息の形であらわれる。そのことを書きたくて、詩人は「明滅」ということばをつかっている。

「明滅」ということばは、ある批評家に「桜のはなやぎと女の暗さの対比である」と遠回しに批判された。街灯のつくる花びらの影に支えられ桜はなやぎ、光が暗くなる一瞬、女のからだから悲しみがほのかな光のようににじむ。あまりにも安直な感情ではないか。

「明滅」ということばは、なぜ「明」が先で「滅」があとか。あらわれることばによって意識はつくり出されるものである。ことばが、ことばの順序によって、感情を生み出していく、と反論は書いたが、それも詩といっしょに破棄された四月の雨の日。






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