川越文子『ときが風に乗って』(思潮社、2015年04月20日発行)
川越文子『ときが風に乗って』は三つの章に分かれている。私は「Ⅱ」の作品が好きだ。特に具体的な地名、人名が出てくる作品がいい。
「木次線から」を読む。
「亀嵩駅」というのは松本清張の『砂の器』に出てくる。私は映画で知っているだけだが、川越は小説で知っている。その小説で知っているだけの駅には、川越の知らないひとの人生が深く関係している。そのひとを実際に知っているというわけではなく、本で知っている。それは「ほんとう」の人生ではないかもしれないけれど、そしてそれは他人の人生なのだけれど、何か実際の人生のように懐かしく感じてしまう。本のなかで動いたこころが、現実の駅にきて、ふたたび動いている。
知っていること(知識)が、現実に触れて、動きはじめる。そのとき、「知識」が「知っている」から「わかる」に変化する。『砂の器』の主人公、あるいは駐在所員の人生が「わかる」というとおおげさすぎるが、あ、ここに生きていたひとがいたのだということが「知識」ではなく、現実として実感できる。「ここが亀嵩駅なんだ」ということを全身で味わう。
このことを、二連目の「三段スイッチバック」で言いなおしてみる。「出雲坂根駅」から始まるその鉄道(線路)のことを川越は、やはり「本のなか」で知ったのだろう。特に「全国屈指の美しさ」というのは川越自身が他のスイッチバック式鉄道と比較して感じたことではなく、「本」のなかの「主張」だろう。それは「本のなかの知識」だ。それを実際に体験する。電車に乗り、風景を見る。そして、それが確かに「全国屈指の美しさ」であることが「わかる」。実感する。
まずことばがあって、そのことばを自分の「肉体」で追いかける。そうすると「知っている」が「わかる」にかわる。この変化を川越は「懐かしい」と呼んでいる。これが、とてもいい。「懐かしい」は「亀嵩駅」についてのことばなのだが、「三段スイッチバック」でも川越は「懐かしい」という気持ちになっていると思う。その「懐かしい」という気持ちが
という一行になる。平凡な感慨かもしれない。この一行がなくても詩は成り立つし、もしかするとない方が詩の「完成度」が高まるかもしれない。しかし、詩の完成度なんて、どうでもいい。「知っている」が「わかる」に変わったその瞬間に、川越自身が、その変化に驚いて、つい、そういうことばが出てきたのだ。その自然な感じが、それこそ「懐かしい」感じで響いてくる。
他の乗客もまた川越のように、「知っている」ものを振り返り、実際の風景として見つめなおし、それを「懐かしい」と感じているのだろう。具体的な「地名」を「地名」のまま受け入れて、それを受け入れるだけではなく大切なものとしてことばにするとき、川越が大切にしてきた何かが「懐かしい」ものとして現われてくる。
「雨の高松城跡」は、「秀吉の水攻めで墜ちた城」を書いている。自刃した城主清水宗治の人生と、歴史が書かれたあと、
父はなぜ、そんなことを言ったのか。たぶん清水宗治の人生を思って、そう言ったのだろう。自分を犠牲にした清水宗治の人生を「懐かしい」気持ちで追体験しているのだろう。そのときは川越にはその父の「懐かしい気持ち」がわからなかったが、いまはわかる。あのとき聞いて「知った」父のことばが、いま「懐かしい」ものとして思い出されている。「肉体」がおぼえていたものが、いま「肉体」に甦ってきている。だから書かずにいられない。父のことばが「懐かしい」だけではなく、父そのものが「懐かしい」。
川越文子『ときが風に乗って』は三つの章に分かれている。私は「Ⅱ」の作品が好きだ。特に具体的な地名、人名が出てくる作品がいい。
「木次線から」を読む。
初冬
山陰本線宍道駅から木次線に乗った
川沿いの坂道や山裾の小笹を払うようにして走る電車
亀嵩駅では懐かしい気がした
本のなかで訪ねただけの駅なのに
電車は出雲横田駅を出ると本格的な山越えだ
登り勾配がつづく
やがて出雲坂根駅に着き即
全国でも屈指の美しさという三段スイッチバック式の登り
行きつ、戻りつ
鉄道ジオラマのように浮世ばなれして見える駅を見おろす
--人生もこんなふうだった、急な坂道で見てきたものは
「亀嵩駅」というのは松本清張の『砂の器』に出てくる。私は映画で知っているだけだが、川越は小説で知っている。その小説で知っているだけの駅には、川越の知らないひとの人生が深く関係している。そのひとを実際に知っているというわけではなく、本で知っている。それは「ほんとう」の人生ではないかもしれないけれど、そしてそれは他人の人生なのだけれど、何か実際の人生のように懐かしく感じてしまう。本のなかで動いたこころが、現実の駅にきて、ふたたび動いている。
知っていること(知識)が、現実に触れて、動きはじめる。そのとき、「知識」が「知っている」から「わかる」に変化する。『砂の器』の主人公、あるいは駐在所員の人生が「わかる」というとおおげさすぎるが、あ、ここに生きていたひとがいたのだということが「知識」ではなく、現実として実感できる。「ここが亀嵩駅なんだ」ということを全身で味わう。
このことを、二連目の「三段スイッチバック」で言いなおしてみる。「出雲坂根駅」から始まるその鉄道(線路)のことを川越は、やはり「本のなか」で知ったのだろう。特に「全国屈指の美しさ」というのは川越自身が他のスイッチバック式鉄道と比較して感じたことではなく、「本」のなかの「主張」だろう。それは「本のなかの知識」だ。それを実際に体験する。電車に乗り、風景を見る。そして、それが確かに「全国屈指の美しさ」であることが「わかる」。実感する。
まずことばがあって、そのことばを自分の「肉体」で追いかける。そうすると「知っている」が「わかる」にかわる。この変化を川越は「懐かしい」と呼んでいる。これが、とてもいい。「懐かしい」は「亀嵩駅」についてのことばなのだが、「三段スイッチバック」でも川越は「懐かしい」という気持ちになっていると思う。その「懐かしい」という気持ちが
--人生もこんなふうだった、急な坂道で見てきたものは
という一行になる。平凡な感慨かもしれない。この一行がなくても詩は成り立つし、もしかするとない方が詩の「完成度」が高まるかもしれない。しかし、詩の完成度なんて、どうでもいい。「知っている」が「わかる」に変わったその瞬間に、川越自身が、その変化に驚いて、つい、そういうことばが出てきたのだ。その自然な感じが、それこそ「懐かしい」感じで響いてくる。
終点備後落合は乗り換えの駅だというのに
人の気配がしない
山に囲まれたちいさな空と
深い緑だけの無人駅
ここまでの乗客は 誰もはしゃぐことなく
向かいの線路で待つ芸備線新見行きに乗り換える
他の乗客もまた川越のように、「知っている」ものを振り返り、実際の風景として見つめなおし、それを「懐かしい」と感じているのだろう。具体的な「地名」を「地名」のまま受け入れて、それを受け入れるだけではなく大切なものとしてことばにするとき、川越が大切にしてきた何かが「懐かしい」ものとして現われてくる。
「雨の高松城跡」は、「秀吉の水攻めで墜ちた城」を書いている。自刃した城主清水宗治の人生と、歴史が書かれたあと、
平成の高松城跡は
青田より約一メートル高いだけの公園
数本の松に囲まれて宗治の首塚が座る
そしてこの地より東へ歩いて二、三十分の山裾には
使者の末裔たちが建てた一基の墓
七十代後半の父と
この地を歩いたことがある
そのとき父は
--もしお墓を拭いてきれいにするという仕事があるならやってみたい。ボ
ランティアでもいい。
--自分の係累の墓じゃなくて?
--ああ、どこの誰の墓でもかまわん。
--気味がわるいと言われるよ、やめといて。
私は私の身を守りたかったのだろう、そう答えた
父はなぜ、そんなことを言ったのか。たぶん清水宗治の人生を思って、そう言ったのだろう。自分を犠牲にした清水宗治の人生を「懐かしい」気持ちで追体験しているのだろう。そのときは川越にはその父の「懐かしい気持ち」がわからなかったが、いまはわかる。あのとき聞いて「知った」父のことばが、いま「懐かしい」ものとして思い出されている。「肉体」がおぼえていたものが、いま「肉体」に甦ってきている。だから書かずにいられない。父のことばが「懐かしい」だけではなく、父そのものが「懐かしい」。
ときが風に乗って | |
川越文子 | |
思潮社 |