詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之を読む(53)

2015-04-28 10:33:51 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
嵯峨信之を読む(53)

94 文学修行

 「文学」(詩)を「帆船」という比喩にして語っている。

大きな白い帆がだらりと重くたれさがつている
空を突き刺したまま帆柱は少しも動かない
その船は忘れられてしまつた言葉の港に入つてから
もう幾日も停泊つている
船といつしよに内海をそつくりそのまま抱いて
どこか別の世界に移したら
文学の海がきゆうに明るく広くなるだろう

 「船といつしよに内海をそつくりそのまま抱いて」という一行が魅力的だ。どう読むべきか。
 船が停泊している港、その内海という空間を、そのまま抱え込んで(抱いて)外洋(外海)へ、というのだろうか。
 それとも、船が船の内部(記憶)に抱え込んでいる海(内海とは、地理的な「内海」ではなく、船の内部の海)をという意味で、その記憶を抱えたまま船を外洋へ、ということだろうか。
 私は後者と読んだ。
 外洋に出て、そのひろがりに触れて、帆船のなかの記憶の海が、新しい光と風と呼応する姿を思い浮かべた。
 ことばを書く(文学を書く)とき、人間のなかにあることばの海(内海)は、どんなふうに広がるのか。書きたいことがある。けれどそれはまだことばにならない。ことばになるきっかけを探して、外(外洋)へ出て行く。外と触れ合って、内部のことばに変化が起きる。そうすると、その変化がそのまま「風」や「光」になって、ことばをさらに突き動かす。風や光が「帆船(文学)」を誘い出す。
 こういうことが起きるためには、まず人間の内部にことばが存在しないといけない。「内部のことば」と「外部のもの/ことば」が触れ合って、「内部」が「外部」に向かって開かれる。そこから始まる広がり--そのなかへ進んでゆく帆船の豊かな帆を思った。

95 夜の頂上で

闇の中
レモンのつよい匂いで
ぼくは急にわれにかえつた

 「闇」と「レモン」は、「黒」と「黄色」を連想させる。強い色彩の対比がある。これを色ではなく(闇なのだから色は見えない)、「匂い」と対比させている。このとき「闇」は「無」、どんな匂いもない。匂いのないところに、突然、レモンの鮮烈な匂いが広がってくる。無と有の衝突。その瞬間、見えないはずの黒と黄色の対比が、また浮かび上がる。「強い匂い」が「黄色い匂い」として輝く。視覚と嗅覚が、混乱する。
 こういう「混乱」こそが人間の「覚醒」の瞬間なのかもしれない。「われにかえつた」というのは、「われ」という存在が、そのまままるごと、存在として自覚されたということだろう。「われ」としかいいようがない「かたまり」。「色を見るわれ」「匂いをかぐわれ」になる前の、感覚が生まれる前のわれ、感覚が肉体の中にあると気づく前のわれ。その「われ」はまだ「われ」以外の何かに触れていない。「われ」という感じ以外の何も生み出していない。「匂い」とか「色」とかのことを書いたが、それが「匂い」や「色」であるとわかる前の、すべてが融合した感じ(未分節の感じ)が「われ」なのだ。
 だから、この「われにかえつた」は「わからない(世界が分節されていない)」ということばと結びつき、次のような行になる。

人間はじぶんの声がわからなくなつたとき
その声は大きな編みで捕らえられるのか

 「じぶんの声がわからない」とは「世界」をどのように描写していいのか「わからない」、世界を描写する(世界を分節する)前の、「未分節」の状態(「色がわかるわれ/匂いがわかるわれ」の前の、ただの「肉体」としてのわれ)。そういう「われ」(われという意識)は、どんなことば(声)のなかにいるのか。
 ふと、さっき読んだばかりの「文学修行」の「帆船」を思い出す。
 自分の内部に「海(ことば)」を抱えて、世界に飛び出す。そこには「内海(自分が抱え込んできたことば)」を超えるものがあふれている。それをどうことばにすればいいのか、わからない。その「わからない」という瞬間に、つよく自覚する「われ」というものがある。
 何かを書く(書けたと思うとき、結論が見つかったと思うとき)の、その前の「時間」。それまでのことばでは書き表わすことができないと困惑した瞬間の、興奮。それが「われにかえる」であり、また、それは「無」になる。「無我になる」ということにも通じるように思う。
 「われにかえる」と「無我になる」は、文法上の意味(?)は正反対のものだが、私の実感としては「おなじ」もの、おなじというと語弊があるなら、「表裏一体」のもののように感じられる。
 嵯峨が書いている「われにかえつた」を読みながら、そう思った。
コメント
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