破棄されたの詩のための注釈(35)
私を追い越した男が、路地を曲がったところで脇の階段をのぼっていく
のぼり口に水道の蛇口が星の光を集めて滴をたらしている
それは誰の光なのだろう
あれは誰の階段なのだろう、もう誰もいないし、誰かがのぼった気配もない
一行目。「追い越した男」は「前を歩く男」の方がよかったかもしれない。前を歩く男の絶望というものはいつでも刺戟的である。「前」というのは実際の通りであることもあれば、その人の人生でもある。ある男色家の手紙によると「絶望は背後から見ると、まるで人を誘っているかのようにまっすぐである」。いつか剽窃して詩に書いてみたいと思うが、「まっすぐ」が伸びていかない。この詩でも「曲がる」という動詞が動き、絶望が奇妙な欲望に変わってしまった。
二行目。ことばは存在しないものに輪郭を与えるという哲学のために書かれた一行。形而上学的な意味を含まないと詩ではないと考える詩人のために、そういう注釈をつけたくて書いた。「たらしている」ということばのあとに、意識のなかでは「音が響く」と書いてあったのだが、それはやはり意識のなかで消されてしまった。ことばがねじれすぎるのを避けるためと、つぎの「光」への移行が、ことばの飛び越しになってうるさいからである。
三行目。「誰の」ということばは「ひと」を近づける。そこに誰もいなくても、「誰の」ということができる。「誰の椅子だろう」「誰の窓だろう」と書くだけで、椅子や窓といっしょに、そこにいただろう人間の人生が見えてくる。斧で叩ききった木を荒縄で結んだだけの椅子。路地から見上げると顔の下半分だけが見える窓。そう書くと、「誰の」はさらに濃密になる。
「誰の」と書くことで、私は「前を歩く男」に自分を近づけるのである。
四行目。「誰の階段だろう」は意識のなかで「あの男の階段なのか」から、肉体を動かすことで「私の階段」にかわり、その変化のなかで私は私ではなくなる。「階段をのぼる男は誰の肉体なのだろう」と言い換えることができる。私が私ではなくなる。その「裏切り」。それをことばにしたい欲望にとらわれる。欲望が私を裏切っている。そうことばを動かしていくとき、人間のいちばん大きな欲望とは絶望することである、ということばがどこからともなくやってくる。
*
「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
購読ご希望の方は、谷内修三(panchan@mars.dti.ne.jp)へお申し込みください。1800円(税抜、送料無料)で販売します。
ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
「リッツオス詩選集」も4400円(税抜、送料無料)で販売します。
2冊セットの場合は6000円(税抜、送料無料)になります。
私を追い越した男が、路地を曲がったところで脇の階段をのぼっていく
のぼり口に水道の蛇口が星の光を集めて滴をたらしている
それは誰の光なのだろう
あれは誰の階段なのだろう、もう誰もいないし、誰かがのぼった気配もない
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二行目。ことばは存在しないものに輪郭を与えるという哲学のために書かれた一行。形而上学的な意味を含まないと詩ではないと考える詩人のために、そういう注釈をつけたくて書いた。「たらしている」ということばのあとに、意識のなかでは「音が響く」と書いてあったのだが、それはやはり意識のなかで消されてしまった。ことばがねじれすぎるのを避けるためと、つぎの「光」への移行が、ことばの飛び越しになってうるさいからである。
三行目。「誰の」ということばは「ひと」を近づける。そこに誰もいなくても、「誰の」ということができる。「誰の椅子だろう」「誰の窓だろう」と書くだけで、椅子や窓といっしょに、そこにいただろう人間の人生が見えてくる。斧で叩ききった木を荒縄で結んだだけの椅子。路地から見上げると顔の下半分だけが見える窓。そう書くと、「誰の」はさらに濃密になる。
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リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 | |
ヤニス・リッツォス | |
作品社 |
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