詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之を読む(50)

2015-04-25 09:39:48 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
嵯峨信之を読む(50)

88 続・小品

 この作品にも死が登場する。死は生と同時に書かれている。

死がそこに在ることを誰も信じない
それでも透明な死の幕にふれてひとびとは大きくよろける
鋭い叫び声をあげてその場に昏倒したものが
あるときは一本の青い麦を掌の中にしつかりと掴んでいる
熱い石壁と
夜明けの冷たい雷雨に育てられた純粋な麦の穂だ
ああ その麦は誰にも瞶められない土壌の中から伸びあがるのだ

 死は倒れたひと。生は青い麦。「瞶められない」は読み方がはっきりしないが「みつめられない」と読んでみた。
 一行目の「死がそこに在ることを誰も信じない」の「そこ」とはどこだろう。「そこ」ひとのすぐそばを指す「直喩」かもしれない。「信じない」は「知らない」かもしれない。「知らない」は「見つめない」(見ない)ということかもしれない。「信じない」を「見ない」と読むと、最終行の「瞶められない」と呼応する。
 ひとは「死」がどこにあるのか「見つめない/見ない」。同様に「生」がどこにあるか(どこからはじまるか)「見つめない/見ない」。麦の場合、「生の始まり」は「土壌の中」。だから、それは誰も「見つめない/見ない」。「見ない/見つめない」けれど、そこから生は始まっている。
 死と生は、その秘密(どからはじまり、いつ完結するか)は、だれも「見つめない/見ない」つまり、知らない、ということで「ひとつ」になる。
 「知らない」を「気にしない」と言い換え、「信じない」と言い換えると一行目にもどるのだ、もどったところから、その一行目の「在る」という動詞を見つめなおしてみる。
 死は「在る」けれど、ひとはそれを「見つめない/見ない/見えない」。生もまた「在る」のだけれど、私たちが見ている生はほんの一部で、その始まりは「見えない/見ない/見つめない」。麦の場合、土中に始まりがあるが、それは当然「見えない」。そういうふうに「見えない」ものが「在る」ことを忘れてはいけない。
 死は「在る」ことが見えないけれど、それは生が「在る」こと(生に始まりが「在る」こと)が見えないのと同じことである。
 こんな「理屈」は書いていておもしろくないし、読んでもおもしろくない。「続・小品」は、「理屈」を分析しても味気ないだけである。

 この詩でおもしろいのは……。

熱い石壁と
夜明けの冷たい雷雨に育てられた純粋な麦の穂だ

 この二行だ。「熱い」と「冷たい」が向き合って、その間にあるものを洗い流していくような感じ、余分なものを剥ぎ取るような強さがある。「熱い石壁」も「冷たい雷雨」もやさしくはない。むしろ厳しい。そういう厳しいものに育てられて(そういう厳しい環境を潜り抜けて)生きるものが「純粋」なのだ。
 「純粋」は厳しさのなかで磨かれる。この「純粋」に「青い」という表現が響きあう。「共通感覚」の美しい響きあいがある。「意味」を忘れて、一瞬、インスピレーションを与えられたと感じる。それまで見えなかった何かが輝いて見える。輝きが見える。その瞬間が詩なのだと思う。

嵯峨信之全詩集
嵯峨 信之
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破棄されたの詩のための注釈(34)

2015-04-25 01:35:04 | 
破棄されたの詩のための注釈(34)

「咳」ということばがあった。部屋の隅で、はっきりと自己主張した。それが前後の沈黙を分けた。
薄暗い部屋のなかで少しずつたまってきた沈黙が、ゆっくりと距離を測っている。近づいてそろそろ手を取り合おうとする瞬間だった。
誰かが見張っている。
どう動いていいのか、だれもわからない。わからないまま、沈黙が固くなった。

椅子がガタンという音を立てた。
「咳」ということばが、さっきとは反対の部屋の隅で動いた。振り向かずに、肉眼ではない眼で見ているひとの、のどのやわらかさを感じさせる「咳」だ。(そのように描写しようとして、何度も書き直した様子がノートに残っている。)
けれど、一度変化してしまった沈黙はもとにはもどれない。

「咳」ということばがあった。
ひとりが立ち上がり、そっと歩きはじめる。抑えても、抑えても、足音がはみだしてしまう。そのひとの内部の沈黙は、それ以上に荒らされている。荒れている。
足音が、一呼吸、とまる。
その一呼吸を消すようにして「咳」。
だれのものかは読者の判断に任された、その「咳」ということば。
形容詞はついていない。

「咳」ということばがあった。
はばかることなく足音を響かせ、ドアを締めるときに、合図をするように発せられたその咳ではなく、
「のどにつまったままの」という修飾語が「咳」ということば。
「沈黙でさえない」沈黙の孤独ということばに沈んでいく。



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