監督 デイミアン・チャゼル 出演 マイルズ・テラー、J・K・シモンズ
あ、まいってしまったなあ。予告編のときも感じていたのだが、わからない。私は音痴。リズム感もない。で、J ・K ・シモンズが「1、2、3、4」バシーン、とマイルズ・テラー平手打ち。また「1、2、3、4」バシーン。「おれのテンポ(平手打ちするタイミング)が速いか遅いか、言え」。うーん、わからない。
一分間に八部音符が388個(?)、400個(?)。その違いは? わからない。「388」と「400」は数字(デジタル)でなら「わかる」が、音そのもの(アナログ)では区別がつかない。「わからない」。どれが「間違い」で、どれが「正しい」か、さっぱりわからない。
「わからない」けれど、引き込まれていくなあ。J・K・シモンズの黒いTシャツ、黒いズボン。それで「1、2、3、4」バシーン。「おれのテンポが遅いか、速いか」「1、2、3、4」バシーン。気持ちいいだろうなあ。やってみたいなあ。人格を否定し、ひたすら「正確」を要求する。人間的じゃないね。その人間的じゃないところが、とても人間的。たぶん人間だけが、人間に対して残酷(冷酷)になれる。自分を絶対化して他人を排除できる、他人に暴力を振るっても平気なんだろうなあ。--という意味での「人間的」。あまりにも「人間的」。
それにつられてマイルズ・テラーも「人間的」になっていく。旧友を平気で見下す。ガールフレンドに音楽(ジャズ)の邪魔と平気で言ってしまう。そして「人間的」になればなるほど「絶対」に近づいていく。それを「正しい」と思い込む。
うーん。
ここには「音を楽しむ」という意味での「音楽」はない。ただ「絶対的音楽」、いや「全体的プレーヤー(有名人)」を欲望する「人間」の強欲のようなものだけがある。これが「音楽」映画だとしたら、これは怖いぞ。
そして、実際に怖くて、冷酷でもあるのだが……。
最後がすごいなあ。
大学教授を首になったJ・K・シモンズは、いっしょに演奏しようとマイルズ・テラーに誘いかける。しかし、それはほんとうの誘いではなく、マイルズ・テラーを二度と音楽ができないようにするための「わな」である。彼を首にしたのはマイルズ・テーラーの密告である。それを許せない。だから、スカウトの大勢いる大会で演奏を失敗させる。一度失敗すれば、誰もマイルズ・テラーを誘わなくなる。間接的な音楽会からの追放である。なじみの曲を演奏すると誘いかけ、実際は新曲を演奏する。当然、マイルズ・テラーはうまくプレイできない。失態を演じる。マイルズ・テラーは負けたのだ。
しかし二曲目、マイルズ・テラーはJ・K・シモンズの曲紹介をまたずに自分がなじんでいる「キャラバン」を演奏しはじめる。他のプレイヤーを巻き込む。主導権を握る。曲がおわる、はずのところで、突然「ソロ」を始める。
それはマイルズ・テラーの、J・K・シモンズへの反逆(挑戦)なのだが、その演奏の熱さ(そして正確さ)にJ・K・シモンズの「音楽」が反応する。「これが、おれの求めていたものだ」という喜びがわいてくる。二人の激しい憎悪が、一瞬「音楽(音の喜び)」に変わる。あ、すごいなあ。
あ、このすごいなあ、というのは、私が「音楽(ジャズ)」がわかって言っていることではない。音楽はわからないが、「映像(映画)」なら、わかる。マイルズ・テラーのドラムに合わせてJ・K・シモンズの手が反応する。指揮するように手が動く。顔が動く。目がいきいきと輝く。その表情が、いま、絶対的な(理想の)音楽がここにある、ということを教えてくれる。
わあ、いいなあ。「1、2、3、4」バシーンもいいが、この恍惚の表情の指揮もいいなあ。これ、やってみたい。憎しみを忘れて、「そう、それなんだ、少しずつゆっくり、ゆっくり、今度は徐々に速く、もっと速く、さらに速く……」と酔ってしまう。「これが、おれの音楽だ」と恍惚とする。
マイルズ・テラーの「成功」よりも、このJ・K・シモンズの「敗北」の美しさ。マイルズ・テラーを音楽界会ら追放できなかった、マイルズ・テラーを音楽界に認めさせてしまった、その「敗北」のなかで「音楽」が勝利する。それは「人間的」ではない。「音楽的」だ。そして「音楽的」であることによって、「人間」そのものに到達する一瞬でもあるなあ。
完璧な耳をもっているひとには、この映画の「アラ」が見えるかもしれない。聞こえるかもしれない。けれど、音痴の私には、その「アラ」がまったく見えないので、最後はとても興奮した。
★4個なのは、もし私の耳がもっと敏感なら★5個になったかもという「期待」をこめた評価。一種の保留。耳のいいひとの感想を聴きたい。最後の演奏は超一流のプレー? それとも映像の魔術? 感動しただけに、気になってしまう。音痴の私は。
それにしてもなあ、やってみたい。ジャズドラムをではなく、J・K・シモンズを「音楽狂人」の愉悦を、どこかでまねしてみたい。そういう欲望がむらむらとわいてくる。アカデミー賞にふさわしい名演だ。
(天神東宝3、2015年04月18日)
*
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映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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あ、まいってしまったなあ。予告編のときも感じていたのだが、わからない。私は音痴。リズム感もない。で、J ・K ・シモンズが「1、2、3、4」バシーン、とマイルズ・テラー平手打ち。また「1、2、3、4」バシーン。「おれのテンポ(平手打ちするタイミング)が速いか遅いか、言え」。うーん、わからない。
一分間に八部音符が388個(?)、400個(?)。その違いは? わからない。「388」と「400」は数字(デジタル)でなら「わかる」が、音そのもの(アナログ)では区別がつかない。「わからない」。どれが「間違い」で、どれが「正しい」か、さっぱりわからない。
「わからない」けれど、引き込まれていくなあ。J・K・シモンズの黒いTシャツ、黒いズボン。それで「1、2、3、4」バシーン。「おれのテンポが遅いか、速いか」「1、2、3、4」バシーン。気持ちいいだろうなあ。やってみたいなあ。人格を否定し、ひたすら「正確」を要求する。人間的じゃないね。その人間的じゃないところが、とても人間的。たぶん人間だけが、人間に対して残酷(冷酷)になれる。自分を絶対化して他人を排除できる、他人に暴力を振るっても平気なんだろうなあ。--という意味での「人間的」。あまりにも「人間的」。
それにつられてマイルズ・テラーも「人間的」になっていく。旧友を平気で見下す。ガールフレンドに音楽(ジャズ)の邪魔と平気で言ってしまう。そして「人間的」になればなるほど「絶対」に近づいていく。それを「正しい」と思い込む。
うーん。
ここには「音を楽しむ」という意味での「音楽」はない。ただ「絶対的音楽」、いや「全体的プレーヤー(有名人)」を欲望する「人間」の強欲のようなものだけがある。これが「音楽」映画だとしたら、これは怖いぞ。
そして、実際に怖くて、冷酷でもあるのだが……。
最後がすごいなあ。
大学教授を首になったJ・K・シモンズは、いっしょに演奏しようとマイルズ・テラーに誘いかける。しかし、それはほんとうの誘いではなく、マイルズ・テラーを二度と音楽ができないようにするための「わな」である。彼を首にしたのはマイルズ・テーラーの密告である。それを許せない。だから、スカウトの大勢いる大会で演奏を失敗させる。一度失敗すれば、誰もマイルズ・テラーを誘わなくなる。間接的な音楽会からの追放である。なじみの曲を演奏すると誘いかけ、実際は新曲を演奏する。当然、マイルズ・テラーはうまくプレイできない。失態を演じる。マイルズ・テラーは負けたのだ。
しかし二曲目、マイルズ・テラーはJ・K・シモンズの曲紹介をまたずに自分がなじんでいる「キャラバン」を演奏しはじめる。他のプレイヤーを巻き込む。主導権を握る。曲がおわる、はずのところで、突然「ソロ」を始める。
それはマイルズ・テラーの、J・K・シモンズへの反逆(挑戦)なのだが、その演奏の熱さ(そして正確さ)にJ・K・シモンズの「音楽」が反応する。「これが、おれの求めていたものだ」という喜びがわいてくる。二人の激しい憎悪が、一瞬「音楽(音の喜び)」に変わる。あ、すごいなあ。
あ、このすごいなあ、というのは、私が「音楽(ジャズ)」がわかって言っていることではない。音楽はわからないが、「映像(映画)」なら、わかる。マイルズ・テラーのドラムに合わせてJ・K・シモンズの手が反応する。指揮するように手が動く。顔が動く。目がいきいきと輝く。その表情が、いま、絶対的な(理想の)音楽がここにある、ということを教えてくれる。
わあ、いいなあ。「1、2、3、4」バシーンもいいが、この恍惚の表情の指揮もいいなあ。これ、やってみたい。憎しみを忘れて、「そう、それなんだ、少しずつゆっくり、ゆっくり、今度は徐々に速く、もっと速く、さらに速く……」と酔ってしまう。「これが、おれの音楽だ」と恍惚とする。
マイルズ・テラーの「成功」よりも、このJ・K・シモンズの「敗北」の美しさ。マイルズ・テラーを音楽界会ら追放できなかった、マイルズ・テラーを音楽界に認めさせてしまった、その「敗北」のなかで「音楽」が勝利する。それは「人間的」ではない。「音楽的」だ。そして「音楽的」であることによって、「人間」そのものに到達する一瞬でもあるなあ。
完璧な耳をもっているひとには、この映画の「アラ」が見えるかもしれない。聞こえるかもしれない。けれど、音痴の私には、その「アラ」がまったく見えないので、最後はとても興奮した。
★4個なのは、もし私の耳がもっと敏感なら★5個になったかもという「期待」をこめた評価。一種の保留。耳のいいひとの感想を聴きたい。最後の演奏は超一流のプレー? それとも映像の魔術? 感動しただけに、気になってしまう。音痴の私は。
それにしてもなあ、やってみたい。ジャズドラムをではなく、J・K・シモンズを「音楽狂人」の愉悦を、どこかでまねしてみたい。そういう欲望がむらむらとわいてくる。アカデミー賞にふさわしい名演だ。
(天神東宝3、2015年04月18日)
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