監督 黒澤明 出演 三船敏郎、志村喬、藤原釜足、加東大介、木村功、千秋実、宮口精二、小杉義男
午前10時の映画祭で「4K版」の上映をやっている。フィルムとどう違うだろうか。それが気になって見に行った。
全体の印象でいうと「遠近感」が弱くなった。映像のエッジというのだろうか、ものとものとの境目がくっきりしすぎて「遠く」が「うるさい」。「見えすぎる」のである。どの強い眼鏡をかけされた感じといえばいいかもしれない。「近く」も「生々しすぎる」。見ていて、ちょっと見るのがめんどうくさくなる。目をつぶりたくなる。
その結果(?)。
志村喬のスクリーン全体へ「気迫」が広がっていく感じがそこなわれた。「気」が志村喬の、すぐそばには確かにあるのだけれど、スクリーン全部を支配するという感じにならない。いや、全体を張りつめさせる力はちゃんとあるのだが、支配されているものたちの存在も、妙に「くっきり」とした印象なのである。
逆に、三船敏郎の存在感が強烈になった。スクリーンを飛び出す感じ。特に「野武士が来たぞ」と騒ぐところ。一気に農民を引きつけるところが、役どころの「本性/正直」があらわれていて、気に入った。これまでの印象では「演技」をしている、という感じだったが、今回は「地(正直)」をむき出しにして、その力で人を引きつける、という感じがとてもよく出ていると思った。
他の、「野性」むき出しのシーンも、デジタル4Kの方がフィルムのときよりも、生々しく感じられた。
もっとも、これは私の三船敏郎「見方」がかわっただけで、「映像」そのものの変化ではない、という意見もあると思うが。
他のシーンでいうと、クライマックスの雨と合戦のシーンは、「何が/だれが」主役なのか、わからない感じはデジタル4Kの方が強烈になった。雨も、馬も、野武士も、百姓も、みんなが「主役」のままぶつかり合う。フィルムのときよりも「個」というか「細部」の衝突が激しく、映像が「音」になる感じ。フィルムのときは「ひとかたまりの音」だった「映像」が、デジタル4Kでは一つ一つの「音」になっている。「和音」を「一つ一つの音」が突き破る感じといえばいいだろうか。
何回か見ているはずなのに、思わずからだが「ぐい」っと前につんのめりになる。もっと見たいという気持ちになる。
しかし、静かなシーンでは、逆効果。たとえば風が吹いて土埃が舞う。その「荒々しさ」が嘘っぽい。人工っぽい。刈り取りのときの麦の穂の輝きは日光と調和し美しいが、山の中の野の花の白は人工っぽい。山の緑(?)と調和していない。木漏れ日と調和していない。
それと、気になったのが「かつら」の処理。
フィルム版では、かつらのつなぎ目が「露骨」に見えた。いまならとてもあんなかつらはつかわないのに、とがっかりするくらい「露骨」だった。それがデジタル4Kでは意外と目立たない。デジタル化するとき、処理をしたのだろうか。「改良」なのかもしれないが、あれっ、と思った。
どうせ処理をするなら、三船敏郎の「セリフ」を聞きやすくしてもらいたい。とはいっても、聞きやすくしてしまうと三船敏郎ではなくなるかな? 聞き取れない(洗練されていない)というのが、三船敏郎の役どころ。
うーん、むずかしいなあ。
(フィルムの保存、あるいはデジタル化は、かなりむずかしい問題を含んでいると思う。「ゴッドファザー」はフィルム版はフィルムが劣化して、漆黒の黒が、使い古した安ものの喪服の色に見えてがっかりした。デジタル版では漆黒の黒が再現されていた。
「七人の侍」は、私は公開年には見ていない。最初に見たのは公開から20年近くたったころ。フィルムはすり切れ、粗かったのだが、美しいと感じた。
デジタル4Kも美しいのだが、何か違った美しさである。
私は目も悪いし、製作当初のフィルムも見ていないので、見当外れの感想かもしれない。昔のフィルムを見ている人の感想が聞きたい。)
(天神東宝ソラリアスクリーン7、2016年10月27日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
午前10時の映画祭で「4K版」の上映をやっている。フィルムとどう違うだろうか。それが気になって見に行った。
全体の印象でいうと「遠近感」が弱くなった。映像のエッジというのだろうか、ものとものとの境目がくっきりしすぎて「遠く」が「うるさい」。「見えすぎる」のである。どの強い眼鏡をかけされた感じといえばいいかもしれない。「近く」も「生々しすぎる」。見ていて、ちょっと見るのがめんどうくさくなる。目をつぶりたくなる。
その結果(?)。
志村喬のスクリーン全体へ「気迫」が広がっていく感じがそこなわれた。「気」が志村喬の、すぐそばには確かにあるのだけれど、スクリーン全部を支配するという感じにならない。いや、全体を張りつめさせる力はちゃんとあるのだが、支配されているものたちの存在も、妙に「くっきり」とした印象なのである。
逆に、三船敏郎の存在感が強烈になった。スクリーンを飛び出す感じ。特に「野武士が来たぞ」と騒ぐところ。一気に農民を引きつけるところが、役どころの「本性/正直」があらわれていて、気に入った。これまでの印象では「演技」をしている、という感じだったが、今回は「地(正直)」をむき出しにして、その力で人を引きつける、という感じがとてもよく出ていると思った。
他の、「野性」むき出しのシーンも、デジタル4Kの方がフィルムのときよりも、生々しく感じられた。
もっとも、これは私の三船敏郎「見方」がかわっただけで、「映像」そのものの変化ではない、という意見もあると思うが。
他のシーンでいうと、クライマックスの雨と合戦のシーンは、「何が/だれが」主役なのか、わからない感じはデジタル4Kの方が強烈になった。雨も、馬も、野武士も、百姓も、みんなが「主役」のままぶつかり合う。フィルムのときよりも「個」というか「細部」の衝突が激しく、映像が「音」になる感じ。フィルムのときは「ひとかたまりの音」だった「映像」が、デジタル4Kでは一つ一つの「音」になっている。「和音」を「一つ一つの音」が突き破る感じといえばいいだろうか。
何回か見ているはずなのに、思わずからだが「ぐい」っと前につんのめりになる。もっと見たいという気持ちになる。
しかし、静かなシーンでは、逆効果。たとえば風が吹いて土埃が舞う。その「荒々しさ」が嘘っぽい。人工っぽい。刈り取りのときの麦の穂の輝きは日光と調和し美しいが、山の中の野の花の白は人工っぽい。山の緑(?)と調和していない。木漏れ日と調和していない。
それと、気になったのが「かつら」の処理。
フィルム版では、かつらのつなぎ目が「露骨」に見えた。いまならとてもあんなかつらはつかわないのに、とがっかりするくらい「露骨」だった。それがデジタル4Kでは意外と目立たない。デジタル化するとき、処理をしたのだろうか。「改良」なのかもしれないが、あれっ、と思った。
どうせ処理をするなら、三船敏郎の「セリフ」を聞きやすくしてもらいたい。とはいっても、聞きやすくしてしまうと三船敏郎ではなくなるかな? 聞き取れない(洗練されていない)というのが、三船敏郎の役どころ。
うーん、むずかしいなあ。
(フィルムの保存、あるいはデジタル化は、かなりむずかしい問題を含んでいると思う。「ゴッドファザー」はフィルム版はフィルムが劣化して、漆黒の黒が、使い古した安ものの喪服の色に見えてがっかりした。デジタル版では漆黒の黒が再現されていた。
「七人の侍」は、私は公開年には見ていない。最初に見たのは公開から20年近くたったころ。フィルムはすり切れ、粗かったのだが、美しいと感じた。
デジタル4Kも美しいのだが、何か違った美しさである。
私は目も悪いし、製作当初のフィルムも見ていないので、見当外れの感想かもしれない。昔のフィルムを見ている人の感想が聞きたい。)
(天神東宝ソラリアスクリーン7、2016年10月27日)
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