小谷松かや「春の布」(「妃」18、2016年09月22日発行)
小谷松かや「春の布」は「棒立ちのまま過ぎていった日のこと」という「詩群」の一篇。どの作品もおもしろくて、どれについて書こうか目移りがしてしまう。こういうときは最初に読んだ作品に限る、と思い「春の布」。
何が書いてあるのか、うーん、わからない。
と、書いて、この「わからない」というのは「意味」のことだな、と思う。何を書こうとしているか、「結論」が見えてこない。
と、書いてしまうのは、私のこの感想が、きのうの広田修の詩をひきずっているからである。広田の詩には「結論」があった。「抒情」が「結論」として浮かびあがった。そして、そこには「論理」というものもあった。
小谷松の詩には?
「論理」がない。
そのかわりに(?)、「暮らし」がある。
あ、そうだ、昔は布で「ふきん」も「おしめ」もつくった。「開襟シャツ」というような立派なものを私の母はつくれなかったが、ふきん、おしめ、雑巾は、つくっていたなあ。それはつかいまわしというか、古い布が、ふきん、おしめ、雑巾になるということでもある。
「暮らし」のなかで「布」の「肉体」が変化していくのを、私は見ていた。みんな、つながっている、という感じがあった。
この「つながり」というのは、「布」だけではない。
その「書き置き」の「単語」は、私には「つながり」には見えないけれど、小谷松がそれを読んだとき、そこには「つながり」があった。そのことばで母(たぶん)が何を言おうとしているか「わかった」はずである。
「米、調味料、麸菓子 さば一尾、布を買ってきておきなさい」か「買ってあるから、それで夕食の準備をしておきない」か。「布を用意してあるから、それでふきんをつくっておきなさい」かもしれない。
それは「わからない」のに、何かが小谷松には「わかった」ということは「わかる」。「わからない」のに「わかる」。私は最初に「わからない」と書いたのだが、これは「わかる」と書いてしまうと何がわかるか書かなければならないので、それがいやで「わからない」と書いたということ。
あ、こういうことを書いていると「めんどうくさくなる」のだが、その「めんどうくささ」へと誘い込むことばの「肉体」が、私は好きなのである。そういうものを信じてしまうのである。あ、小谷松がいる、と思ってしまう。小谷松という人間を知らないのに。
小谷松は、そういうことが気になる人なのだ。「布」は乾いていてほしいのかもしれない。「濡れている」「湿っている」には、何か、それにつきまとうような形で人間が動いている。「暮らし」が動いている。つながっている。「濡れている」「湿っている」は、書き置きのことばのように、母や父の「肉体」の動きを小谷松に語りかけてくる。布の変化で、小谷松は母や父が「わかる」。私は、先に書いたように小谷松を知らない。当然、彼女の母も父も知らない。それなのに、小谷松が母や父の「肉体」を「わかっている」ということが「わかる」。
ことばを読むまでは、小谷松のことも、彼女の母、父のことも知らない(わからない)はずだったのに、いまは、何かが「わかっている」。
そして、この「わかる」は広田のことばのように「論理」として何かをめざして動くものでもない。
何だろうなあ。
ここに書かれていることも、「意味」がわからない。
「意味」がわからないのに、「事実」が「わかる」。あるいは「存在」が「わかる」。
ふきんになったり、おしめになったりと、「暮らし」のなかで、他人とつながっていく「布」ではなく、自分自身だけでつかいきってしまう「布」がほしい。「濡れている布」「湿っている布」ではなく、乾いている布、何かから断絶した布がほしいんだろうなあ。そして、この断絶/切断の欲望が「外国」というのことなんだろう。
でも、どんなに遠くへ行こうと「つながり」は見つかる。「つながり」を見つけてしまうのが人間というものなのか。
この唐突な二行は「外国の」と書かれているにもかかわらず、なじみのある「日本の」波を呼び寄せてしまう。
あ、これだな。
私たちは(私だけかな)、どんなに知らない(わからない)ものに出合っても、その「知らない/わからない」はずのものから「知っている/わかっている」もの(事実/存在)を見つけ出し、それと「つながる」のだ。
この「つながりの哲学(思想)」とでも呼ぶべきものが、「布」という「事実/存在」として書かれている。それは「意味」とか「象徴」ではない。そういうものにならないまま、「事実(暮らし)」そのものとして、手触りのように、ことばになっている。
だから、「わからない」と突っぱねたくなる。
だって、いやでしょ? ぜんぜん知らない人の「暮らし(肉体)」と自分が突然つながってしまうのは。
たとえばこの詩を書いたのが「テス」のナスターシャ・キンスキーなら、わっ、なんとしてもつながりたい、「わかる」「とてもよくわかります」と書きたくなるけれど。
そうじゃない。
いつも濡れているふきん(母の暮らし/肉体)、いつも湿っている開襟シャツ(父の暮らし/肉体)が、小谷松のまわりで波のように「寄せては返す」を繰り返している。それは、いままで自分が見てきた「世界」とぜんぜんかわらない。せっかく他人と出会うのに、まるで自分の「過去」(記憶)へ引き返していくみたいじゃないか。
文学(詩)なんて、絵空事。嘘っぱち。そうであるはずなのに、ずぶずぶと「事実(現実)」へ引き込まれていく。
いやだなあ。
「わかりません!」と突っぱねることができれば、楽だろうなあ。
「なつかしい」端切れ布だけでなく、「新しい」カーテンの「新しい」さえもが、「わかる」なんて、うーん、困ってしまう。「新しい」というのはいままでなかったもののことだから「わかる」はずがないのに、「新しい」ものにするという「動き」が「わかる」のである。
小谷松かや「春の布」は「棒立ちのまま過ぎていった日のこと」という「詩群」の一篇。どの作品もおもしろくて、どれについて書こうか目移りがしてしまう。こういうときは最初に読んだ作品に限る、と思い「春の布」。
おかさん
布をみつけました
ふきんにもおしめにもなりそうです
おとさん
春の市で布を買いました
開襟シャツを仕立てましょう
テーブルの上に一葉の書おき
米、調味料、麸菓子 さば一尾、布
ふきんになった布はいつも濡れています
開襟シャツになった布は湿っています
何が書いてあるのか、うーん、わからない。
と、書いて、この「わからない」というのは「意味」のことだな、と思う。何を書こうとしているか、「結論」が見えてこない。
と、書いてしまうのは、私のこの感想が、きのうの広田修の詩をひきずっているからである。広田の詩には「結論」があった。「抒情」が「結論」として浮かびあがった。そして、そこには「論理」というものもあった。
小谷松の詩には?
「論理」がない。
そのかわりに(?)、「暮らし」がある。
あ、そうだ、昔は布で「ふきん」も「おしめ」もつくった。「開襟シャツ」というような立派なものを私の母はつくれなかったが、ふきん、おしめ、雑巾は、つくっていたなあ。それはつかいまわしというか、古い布が、ふきん、おしめ、雑巾になるということでもある。
「暮らし」のなかで「布」の「肉体」が変化していくのを、私は見ていた。みんな、つながっている、という感じがあった。
この「つながり」というのは、「布」だけではない。
テーブルの上に一葉の書おき
米、調味料、麸菓子 さば一尾、布
その「書き置き」の「単語」は、私には「つながり」には見えないけれど、小谷松がそれを読んだとき、そこには「つながり」があった。そのことばで母(たぶん)が何を言おうとしているか「わかった」はずである。
「米、調味料、麸菓子 さば一尾、布を買ってきておきなさい」か「買ってあるから、それで夕食の準備をしておきない」か。「布を用意してあるから、それでふきんをつくっておきなさい」かもしれない。
それは「わからない」のに、何かが小谷松には「わかった」ということは「わかる」。「わからない」のに「わかる」。私は最初に「わからない」と書いたのだが、これは「わかる」と書いてしまうと何がわかるか書かなければならないので、それがいやで「わからない」と書いたということ。
あ、こういうことを書いていると「めんどうくさくなる」のだが、その「めんどうくささ」へと誘い込むことばの「肉体」が、私は好きなのである。そういうものを信じてしまうのである。あ、小谷松がいる、と思ってしまう。小谷松という人間を知らないのに。
ふきんになった布はいつも濡れています
開襟シャツになった布は湿っています
小谷松は、そういうことが気になる人なのだ。「布」は乾いていてほしいのかもしれない。「濡れている」「湿っている」には、何か、それにつきまとうような形で人間が動いている。「暮らし」が動いている。つながっている。「濡れている」「湿っている」は、書き置きのことばのように、母や父の「肉体」の動きを小谷松に語りかけてくる。布の変化で、小谷松は母や父が「わかる」。私は、先に書いたように小谷松を知らない。当然、彼女の母も父も知らない。それなのに、小谷松が母や父の「肉体」を「わかっている」ということが「わかる」。
ことばを読むまでは、小谷松のことも、彼女の母、父のことも知らない(わからない)はずだったのに、いまは、何かが「わかっている」。
そして、この「わかる」は広田のことばのように「論理」として何かをめざして動くものでもない。
何だろうなあ。
わたしは大人になったので、
自分の布が欲しくなりました
それから
すこし長い旅にでました
外国の海の波も寄せては返すを
繰り返します
波の泡は白布のようにひろがり
ひき千切れます
ここに書かれていることも、「意味」がわからない。
「意味」がわからないのに、「事実」が「わかる」。あるいは「存在」が「わかる」。
ふきんになったり、おしめになったりと、「暮らし」のなかで、他人とつながっていく「布」ではなく、自分自身だけでつかいきってしまう「布」がほしい。「濡れている布」「湿っている布」ではなく、乾いている布、何かから断絶した布がほしいんだろうなあ。そして、この断絶/切断の欲望が「外国」というのことなんだろう。
でも、どんなに遠くへ行こうと「つながり」は見つかる。「つながり」を見つけてしまうのが人間というものなのか。
外国の海の波も寄せては返すを
繰り返します
この唐突な二行は「外国の」と書かれているにもかかわらず、なじみのある「日本の」波を呼び寄せてしまう。
あ、これだな。
私たちは(私だけかな)、どんなに知らない(わからない)ものに出合っても、その「知らない/わからない」はずのものから「知っている/わかっている」もの(事実/存在)を見つけ出し、それと「つながる」のだ。
この「つながりの哲学(思想)」とでも呼ぶべきものが、「布」という「事実/存在」として書かれている。それは「意味」とか「象徴」ではない。そういうものにならないまま、「事実(暮らし)」そのものとして、手触りのように、ことばになっている。
だから、「わからない」と突っぱねたくなる。
だって、いやでしょ? ぜんぜん知らない人の「暮らし(肉体)」と自分が突然つながってしまうのは。
たとえばこの詩を書いたのが「テス」のナスターシャ・キンスキーなら、わっ、なんとしてもつながりたい、「わかる」「とてもよくわかります」と書きたくなるけれど。
そうじゃない。
いつも濡れているふきん(母の暮らし/肉体)、いつも湿っている開襟シャツ(父の暮らし/肉体)が、小谷松のまわりで波のように「寄せては返す」を繰り返している。それは、いままで自分が見てきた「世界」とぜんぜんかわらない。せっかく他人と出会うのに、まるで自分の「過去」(記憶)へ引き返していくみたいじゃないか。
文学(詩)なんて、絵空事。嘘っぱち。そうであるはずなのに、ずぶずぶと「事実(現実)」へ引き込まれていく。
いやだなあ。
「わかりません!」と突っぱねることができれば、楽だろうなあ。
故郷へ還りました
春のこと
家のタンスからなつかしい端切れ布が
みつかりました
ふと見れば
庭の古木の蝋梅は枯れています
わたし好みの
新しいカーテンをつけましょう
「なつかしい」端切れ布だけでなく、「新しい」カーテンの「新しい」さえもが、「わかる」なんて、うーん、困ってしまう。「新しい」というのはいままでなかったもののことだから「わかる」はずがないのに、「新しい」ものにするという「動き」が「わかる」のである。
詩誌「妃」18号 | |
瓜生 ゆき,後藤 理絵,管 啓次郎,鈴木 ユリイカ,田中 庸介,月読亭 羽音,仲田 有里,長谷部 裕嗣,広田 修,中村 和恵,小谷松 かや,細田 傳造,尾関 忍,宮田 浩介 | |
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