詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池井昌樹「未知」

2016-10-29 09:10:57 | 詩(雑誌・同人誌)
池井昌樹「未知」(読売新聞夕刊、2016年10月28日)

 池井昌樹「未知」は、少し変わっている。「主役(主語)」がガリレオである。

ガリレオは街に出た
へんてつもない中世の街
いまはないいつもの街

 ただガリレオが主役といっても、中世のガリレオをそのまま書いているわけではない。評伝ではない。「いまはないいつもの街」の「いま」は現在の池井の生きている街。そこには「中世」はない。3行目を中心に考えると、池井がガリレオを追体験している。「いま」、「ここにはない」中世の街をガリレオになって歩いている、という具合に読むことができる。
 でも、ほんとうかな?
 ガリレオが中世の街を歩くとき、やはり「中世(いま)」にはしばられない「いつもの(永遠の)」街を歩くということがあるのではないか。
 池井が「いまはないいつもの(永遠の)街」を歩くことと、ガリレオが「いま(中世)はないいつもの(永遠の)街」を歩くことは、「いつもの(永遠の)」ということばのなかで溶け合い、ひとつになる。
 だから「主役」がガリレオか、池井か、と区別することは、意味がない。「いつもの」こそが、この詩の「主語」なのだ。
 その証拠(?)に、大切な「いつもの」は繰り返される。

天動説の空が展(ひら)け
眉間に深い皺(しわ)を寄せ
だからといって不機嫌でもなく
漆黒帽子に漆黒外套
おやガリレオさんごきげんよう
あいもかわらず錬金術かね
まいどおなじみのひやかしだって
なにくわぬ顔のガリレオは
タバコと燧(ひうち)を切らしましてな
いまもむかしもかわらない
空には雲が
頬には風が
あしたのことなどだれもしらない
あさって獄死することだって
ガリレオはまた空を見上げる
ああいい
いいなあ
それでも地球はまわっているか
へんていもないあとかたもない
いまもむかしもだれもしらない
未知なる未知なる未知なる未知へ
ガリレオは
眉間に深い皺を寄せ
空ゆく雲の下をゆく

 「いつものようにガリレオは」は文字通り「いつも」。ほかにも「まいどなじみ」「いまもむかしもかわらない」も「いつも」を言い換えたもの。そして、その「いつも」を「永遠/普遍」と読み替えるならば「あしたのことなどだれもしらない」の「だれもしらない」も「いつも」なのである。だからこそ「いまもむかしもだれもしらない」とも言いなおされる。「いまもむかしも」区別なく、「いつも」「だれもしらない」。それが「永遠」。それが「普遍」。あるいはガリレオに敬意をあらわして「真理」といってもいいかもしれない。
 「いつも/永遠/普遍/真理」は「へんてつもない」とも言い換えられている。かわったことではない。かわったことではないからこそ、人を支える。全ての人を支える。ガリレオを支え、池井を支え、ガリレオに挨拶し、冷やかす人をも支える。
 その「いつも/永遠/普遍/真理」を池井は、さらに「未知」と言い換える。「未知」、いまだ知らない。「だれもしらない」。知っているけれど、「未知/しらない」としか呼べないもの。
 禅問答みたいだけれど。
 で、何も知らないのだけれど、知らないといいながら知っていること。

空には雲が
頬には風が

ああいい
いいなあ

 この4行がすべて。
 空の雲を見つめ、頬に風を感じ、「ああいい/いいなあ」と思わず声が出る。そのときの「声」ってだれの声? もちろん、それを発した人の声だけれど、その人だけにとどまらない。どこか「肉体(いのち)」が引き継いでいるDNAの声という感じがするなあ。
 「いま」なのだけれど「いま」ではない「いつもの」声。だれの遺伝子が肉体のなかを動いて「ああいい/いいなあ」という声になっているのか、だれも知らない。けれど、だれもが「わかっている」。
 こう読むと、「いつも」の池井があらわれてくるね。


池井昌樹詩集 (ハルキ文庫 い 22-1)
池井昌樹
角川春樹事務所
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「袋」って、どんな袋?

2016-10-29 08:00:00 | 自民党憲法改正草案を読む
「袋」って、どんな袋?
               自民党憲法改正草案を読む/番外36(情報の読み方)

 2016年10月29日読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面。「シベリア抑留死/DNA鑑定検体 誤焼却/61人の歯 身元確認不可能」という見出しの記事がある。厚生労働省が遺骨収拾中にDNA鑑定検体用の歯を61人分間違って焼却した、という。
 その記事中の、次の部分。(便宜上、1、2の番号をつけて引用する。)

(1)同(厚生労働)省職員が21日までに74柱の遺骨を収容。このうち68柱から歯を採取した。ミスが起きたのは22日。職員は同日朝、保管庫から遺骨と61柱分の検体を出し、焼かずに持ち帰る検体は一つの袋に入れて休憩用テントのテーブルに置いたが、遺骨を焼く儀式の後、検体がなくなっていることに気付いた。
(2)近くのたき火から焼けた歯の一部が発見されたことから、ロシア人作業員が暖をとるためのたき火に誤っていれたと見られる。

 まず(1)。ここで驚くのは、「袋」ということば。どういう「袋」? それがわからない。遺骨から歯を採取するとき、どんな形で採取したのだろうか。ひとりひとりの遺骨(歯)が混ざらないように、箱(瓶)に入れる、目印の日付、番号を記入するという形で採取したのだろうか。それを「袋」に入れていたのか。「袋」には何も記入していなかったのか。もし、検体の歯がそれぞれのケースに入っていて、なおかつそれを入れか「袋」に何かが明記してあれば、その「袋」を持ち上げた瞬間に、何か感じるはずである。簡単に燃やしていいとは、日本語が読めないロシア人でも気づきそうである。
 記事には、「厚生労働省は28日」「発表した」とある。「発表した」のなら、そのとき記者はその場にいたはずである。「その袋はどんなものか」「検体はそれぞれ個別に区分けされ、保存されていたのか」などの質問が出そうなものである。だれも、質問しなかったのか。
 ここから、厚生労働省の「ずさん」な検体の収集方法が浮かび上がる。私の想像(妄想)だが、それぞれの歯を個別ケースに入れる、識別の文言を書くというようなこともなく、無造作に「一つの袋」に入れて収集したのではないのか。収集時から「ずさん」だったから、こういうことが起きたのではないのか。

 (2)は、私にはロシア人に対して失礼な言及だと思う。ロシア人作業員なら「テーブルの上に置いてあるもの(袋)」を勝手に燃やす。たき火の材料にする、ととらえている。床の上(部屋の隅っこ)に無造作に置いてあるものなら「ごみ」と判断するかもしれない。それだって、ふつうは「これを燃やしてもかまわないですか」くらいは聞く。それが人間の常識。まして、テーブルの上に「きちんとした袋」(包装してあるとわかる状態)のものなら、勝手に燃やすということはありえないだろう。
 これは、厚生労働省が、この記事をロシア人が読まないということを想定して、でっちあげたものだろう。もしかするとロシア人ではなく、厚生労働省の職員が、ずさんな収集、ずさんな管理の果てに、間違って焼却してしまったということかもしれない。

 「袋」という一語から、私は、そんなことを読み取った。
 「袋」でごまかす厚生労働省もひどいが、「袋」ということばに反応しない(問題点を指摘しない)記者もひどい。単に発表されたことをそのまま伝えるのが記者の仕事ではないだろう。



 これに通じる別の記事を読んだ。36面に「「土人」発言受け抗議決議/沖縄県議会「県民に深い傷与えた」という見出し(記事)につづき、「「見下す認識なし」/答弁書を閣議決定」という見出しと記事がある。

 政府は28日の閣議で、沖縄県の米軍訓練場周辺に派遣されていた大阪府警の機動隊員が「土人」などと発言した問題について、「府警によると、感情が高ぶるなどした結果であり、沖縄の人を見下したとの認識は(隊員には)なかった」とする答弁書を決定した。民進党の長妻昭衆院議員の質問主意書に答えた。

 これも「責任転嫁」(自分の責任を放棄した)考え方である。大阪府警では、人権に対する教育が行われていないということだろう。「権力者(警官、機動隊員)」が市民と接触するとき、絶対にしてはいけないことが、きちんと教育されていない。「肉体的接触」「精神的接触」の両面で、何をしてはいけないか。それが教育されていない。そして、教育されていないとしたら、それは教育を受ける側の人間(警官、機動隊員)の責任というよりも、教育る立場にある人間に責任がある。隊員に「認識がない」から問題ではないのではなく、隊員に「認識がない」からこそ問題なのだ。隊員に「認識がない」のは教育する人に「認識がない」からだ。

 シベリアでの「遺骨」問題に戻る。
 ロシア人に「遺骨/検体」という意識がなかったこと(なかったからたき火にしたということ)が問題なのではない。それが貴重な「検体」であるという意識があれば、当然、周辺にいる人物(ロシア人作業員)に対して、「これは貴重なものである」と伝える。貴重なものであると「認識させる」はずである。
 たとえロシア人がたき火にして燃やしたとしても、それはロシア人に「認識がなかった」からではなく、そもそも厚生労働省の職員に「貴重なもの」という「認識がなかった」のである。
 そういう「認識不足」の職員を育てているのが安倍内閣なのだ。そういう安倍内閣のもとで「戦争」が始められようとしているだ。









*

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千人のオフィーリア(メモ4)

2016-10-29 00:00:00 | オフィーリア2016
千人のオフィーリア(メモ4)

イルミネーションとエッジの強いミュージック、
まばゆいもの汚れた傷を隠すしかない船の客たちが、
さかのぼってくる潮が喫水線をゆするよう叫ぶ。
--八百九十七人目のオフィーリアを見つけたぞ。
--どこだ、右舷か、左舷か。
--どれだ。スカートの裾が破れたやつか、あれならもう見たぞ。
--どれだ。乳房を水にひからせているやつか、そいつは七百三十二人目だ。

黒い水。銀の波。排水のけだるさとつながる水の、
粘るようなぬるさのなかに閉じ込められて、
流される私たち。千人のオフィーリア。
こんな夜中にカモメが飛んでくる。高みから降りてくる。何を見つけた?
こんな夜中に、橋のためもとコンクリートの階段で
千人のオフィーリアと船を見比べている男。何をみつけるために?

オフィーリアよ、私は捨てられた女の亡霊、
あるいはハムレットの父の亡霊だ。
未来へ向けてさまよい流れていく運命だ。




*

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