詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金田久璋『賜物』

2016-12-15 09:47:24 | 詩集
金田久璋『賜物』( 100人の詩人・ 100冊の詩集)(土曜美術社出版販売、2016年10月20日発行)

 金田久璋『賜物』にはいくつかの種類(?)の詩がある。前半の、「語り口調」の濃厚な作品がおもしろかった。
 巻頭の「サテュロス」。

口をすぼめて吹けば 北風凩虎落笛(もがりぶえ)
ぽっかり開ければ そよ吹く春風となり
時に熱いうどんを冷まし
凍える指先を温めては

ひとりの口元から
思い思いの風が吹く

 「意味」よりも「ことばの調子」が聞こえてくる。「のど」の中を息が通るときの快感がある。
 一連目には動詞の終止形がない。ことばが「息」のままにつづいていく。「息継ぎ」のたびに「意味」が飛躍していく。つながっているのは「リズム」であり、「意味」ではない。「温めては」という「条件提示」のような形で一連目が終わり、二連目へ飛躍していく。
 一連目に語られたことが「思い思い」という「無意味」なことばで統合される。「思い思い」だから、統一されていなくていい。でも「息(肉体)」がつながる。それが「リズム」ということになる。

口をすぼめて思いっきり吹けば 
矢も飛ぶ 飛ぶ鳥を仕留めることも
すぼめた口を歪めれば おのずと火男(ひょっとこ)のひと踊り
一座の座興の喝采カッさらい

 「思い思い」の「思い」を「思いっきり」で引き継いで、しりとり、語呂合わせのよう。「意味」というよりも口の動き、のどの動きが反復される。「音」そのものが動く。「とぶとぶとり」「ひょっとこ/ひとおどり」「いちざのざきょう」「かっさいかっさらい」。金田に言わせれば「意味」があるということになるかもしれないが、聞く方は「意味」など聞いていない。次にどんな音が出てくるか待っている。
 「読む」のではなく「声」をとおして「聞きたい」詩集である。
 後半、

馬の耳と尾 蹄と脚を持つ 山野の精霊
サテュロスにはとんと気に食わない
「友情もここまでだ。同じ口から、熱いものも冷たいものも
 吐きだすような奴とはな」
「性格のはっきりしない人との友情は避けねばならぬのだ」

『イソップ寓話集』はお馴染みの教訓を垂れるが

そこはそこ
臨機応変ってこともある
北風と太陽を按配よく使い分け
そこそこ方便交え 世間と折り合いをつけて
人生ほどよくしたたかに
時には鼻息荒く
嘯(うそぶ)いて

 「意味(あるいは教訓)」が出てくるが「方便」というものだ。「意味」は「音」(息)の「リズム」をつないでみせる「方便」にすぎないだろう。「意味」は「方便」であってほしいと思う。
 「同じ口から、熱いものも冷たいものも/吐きだす」の「同じもの」は「息」のことであり、「風」のこと。「現実的」にいえば「うどんを冷ます息」も「指先を温める息」も「同じ息」。「違い」はない。「吐き方」が違う。「名詞」ではなく「動詞」が違う。
 「息/風」を「ことば」と読み直すこともできるかもしれない。「同じことば」が「熱いもの」にもなれば「冷たいもの」にもなる。それもこれも「方便」ということになる。「臨機応変」「折り合い」「したたか」と言ってしまえば、身も蓋もないが、「それはそこ」、ここに書かれたことばを「書きことば」ではなく「話しことば」として受け止めればいい。「話しことば」は消えていく。そして、「意味」ではなく話したときの「口調」がなぜかいつまでも「肉体」に残る。もう一度聞いたとき、「意味」ではなく「口調」から、これはだれそれのことばと受け止める。
 そういうところまで、ことばがいってしまうとおもしろいと思う。

 「前と後」には「節操がない」ということばが出てくるが、「ない」ように見えて「ある」ところがちょっと困る。

立ちバックなんてラーゲもあって
咬み合う野生へと退行する
性愛の前向きな貪欲にたじろぐ
「イク」のか「シヌ」のか
それとも「クル」のか
それが問題だ

 とか

ちなみに あなたは
前つき それとも後つき いずれであれ
そこから未来が
過去世を背負い
天使の梯子を伝って 降りてくる

 のあと、

空前絶後 前後不覚
後ろの正面だーれ

 と終わるのは、「詩」を「形」にしてしまっていないだろうか。
 でも、これは私が詩を「黙読」しているからかもしれない。「語り」をきけばまた違った印象になるかもしれない。
賜物
金田久璋
土曜美術社出版販売
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生前退位「一代限り」の根拠は?

2016-12-15 08:46:08 | 自民党憲法改正草案を読む
生前退位「一代限り」の根拠は?
               自民党憲法改正草案を読む/番外53(情報の読み方)

 2016年12月15日読売新聞(西部版・14版)に天皇の生前退位問題に関する記事がある。見出しは、

退位 特例法提言へ/有識者会議 世論の支持重視

 この見出しは「注意」が必要だ。記事には、こうある。

 有識者会議が陛下の退位を実現するようもとめる方針を固めたのは、報道各社の世論調査で一貫して多くの国民が退位を支持している点を重視したからだ。

 国民の多くが支持しているのは天皇の生前退位であって、「特例法」ではない。生前退位をどうやって実現するか。皇室典範を改正すべきなのか、特例法なのか、特例法の場合「一代限り」なのか。そういうことを「世論調査」したのか。
 国民が天皇の生前退位を支持している。だから退位を実現するように法整備を考える、というのは「論理的」。しかし、国民が支持しているから「特例法」で対応するというのは、論理的に飛躍がある。

 こういう論理の飛躍の背後には、飛躍を求める「声」が隠されている。「特例法」を求めているのは安倍であって、国民ではない。国民がそれを求めているというのなら、その「証拠」を出すべきだろう。
 生前退位を国民の多くが求めているということは各種の世論調査で明らかになっている。
 もし「特例法」での生前退位を国民の多くがもとめているというデータがあるなら、有識者会議はそれを前面に出して論理を補強するだろう。データがないから、データを出さない。かわりに「特例法」そのものとは無関係なデータを出して、論理を装っている。
 この偽装をもっと問題にする必要がある。
 報道機関は、オスプレイの事故を見ても、政府の見解通りの表現しかしない。

 野党は、戦前退位について、どう考えているのか。

 最大の焦点は民進党の対応だ。同党の細野豪志代表代行は14日、「国民の代表樽国会の意思として、皇室典範で恒久的な制度と位置づけるべきだ」と述べた。

 そう考えるなら、どうしてもっと積極的にその考えを国民に訴えないのか。安倍が主導している「有識者会議」の専門家のヒヤリングでは、「条件付きを含め退位を容認した9人のうち、4人が皇室典範改正による制度化を求めた」という。
 人選次第では皇室典範改正を求めることはもっと多いかもしれない。安倍が「特例法」を持ち出す前に、民進党は「皇室典範の改正」をなぜ打ち出さないのか。「皇室典範改正」の方が憲法と整合性がある、というような主張をするために「有識者会議」をなぜ設置しないのか。「特例法」では憲法違反にならないか、という問題をなぜ提起しないのか。
 安倍を相手にするのではなく、国民を直接相手にして「議論」をつくりだしていくという姿勢が欠け過ぎている。
 「カジノ法案」にしても、自民党の法案をそのまま鵜呑みにしたのではない、修正を加えたから民進党の役割は果たしたと考えていないか。


詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
クリエーター情報なし
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