詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

スティーブン・フリアーズ監督「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」(★★+★)

2016-12-14 21:37:35 | 映画
監督 スティーブン・フリアーズ 出演 メリル・ストリープ、ヒュー・グラント、サイモン・ヘルバーク

 メリル・ストリープ、ヒュー・グラント、サイモン・ヘルバークの三人が、それぞれ巧みな演技をしている。サイモン・ヘルバークがいちばん「もうけもの」かもしれない。「事実」を知っている。そのうえ、「ピアニスト」という夢を追いかけている。「嘘」に加担すればピアニストのキャリアに傷がつく。だから「振幅」がいちばん大きい。メリル・ストリープ、ヒュー・グラントの影に隠れているけれど。
 この映画で疑問に残るのは、マダム・フローレンス(メリル・ストリープ)が自分は音痴であるとほんとうに知らなかったのかということ。知っていたのではないだろうか。歌っているだけでは音痴に気づかないということはあるけれど、自分のレコードを聞いて、それでも自分の歌がすばらしいと思うかどうか。レコードを聞いても音がずれているとわからないのだとしたら、彼女自身が聞いていた「音楽」は何だったのか。だれそれの歌はすばらしいと言うとき、判断の基準が何だったのかわからなくなる。
 私はマダム・フローレンスはすべてを知っていたと思う。知っていながら、あえて「音痴」なのに歌を歌った。それは、すべての人の愛を確かめるための、さびしい方法(手段)だったのである。
 だれもが彼女の資産を狙っていることに気づいている。だれに資産を譲るべきか、相手を探していた。「おべんちゃら」を聞きながら、「おべんちゃら」の奥にある「ほんとう」を探していたのだと思う。
 こういうとき、相手役がイギリス人(ヒュー・グラント)というのはなかなかおもしろい。イギリス人はどんなことであれ、本人が「告白」しないかぎり「嘘」を追及しない。本人が自分のことばで語ることが「ほんとう」。語らない限り「秘密」もない。この映画で言えば、ヒュー・グラントがメリル・ストリープは音痴だと言わない限り、ヒュー・グラントは嘘をついていることにはならない。浮気していても言わない限りしていることにはならない。
 さすがイギリス人だけあって、この「ことばにしていないことは事実ではない」「ことばにしていることだけが事実である」という雰囲気をヒュー・グラントが前面に押し出し、他人を説得していくシーンは迫力がある。
 語らないことばのなかにある「真実」という点から思い返すと、マダム・フローレンスが追い求めたものはそれだったかもしれない、とも思う。悪評を新聞で読み、マダム・フローレンスが倒れる。自宅で眠る。そのあと、家政婦(?)に「奥様は眠りました」と促され、ヒュー・グラントが「日常」の浮気に出かけようとする。メリル・ストリープが起きてきて「そばにいて」と頼む。ヒュー・グラントが毎晩出かけることを知っていて、眠ったふりをしていたのかもしれない。ヒュー・グラントが言わないのなら、そこには「秘密」はないのだ、というイギリス風の「個人主義」をメリル・ストリープは受け入れて生きてきたことになる。
 で、最後に「知っているのよ」と態度で語りかける。アメリカ人は「ことば」よりも「態度(肉体)」で真実を語る。この「肉体」と「ことば」の交錯するシーンが、この映画のほんとうのクライマックス。ヒュー・グラントは、ここで初めて「真実」を知る。いままで自分が「わかっていた」ものはイギリス(ヒュー・グラント)から見た「真実」であって、アメリカ(メリル・ストリープ)から見た「真実」ではない、と知る。「真実」は彼が考えているところ以外にあったのだ。
 「ことばはすべて真実である」と考えるイギリス人は、ここではしかし、それを「ことば」にしない。アメリカ人になって、メリル・ストリープによりそう。このあたりの「呼吸」が、とても上手い。ヒュー・グラントの、ちょっとわざとらしい顔が、アメリカ人になろうとしていて、とてもいい。
 私はこういう「愛の物語」は面倒くさい感じがして好きではないのだが、ヒュー・グラントの「味」に、ときどき映画であることを忘れた。
 メリル・ストリープの「音痴」は怪演。最後にきちんとした歌声も聞ける。正確に歌えるひとが、わざとらしさを感じさせずに「音痴」を演じるというのは大変なことだと思う。泳げるひとが入水自殺するとき、体が自然に浮いてしまうのでむずかしいというが、歌の上手いひとは自然に音程が合ってしまうだろう。それを外すのは至難の技だと思う。自然な表情で演じるのだから、すごい。あるいは、自然に歌ったあと、アフレコで音を重ねているのだろうか。製作現場の秘密を知りたい気持ちがする。
 サイモン・ヘルバークは、二人に比べて誇張が多いのだが、その結果、この映画がコメディーであることがよくわかって、これはこれでいいなあ、と思った。サイモン・ヘルバークがいなければ、きっとシリアスになっていた。先に私が書いたことにつながるが、とても面倒な恋愛映画になっていたと思う。深刻にならなかったのは、サイモン・ヘルバークのにやけた顔の手柄である。
                  (天神東宝スクリーン4、2016年12月14日)


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なぜ「一代限り」なのか。

2016-12-14 20:30:00 | 自民党憲法改正草案を読む
なぜ「一代限り」なのか。
               自民党憲法改正草案を読む/番外53(情報の読み方)

 2016年12月14日読売新聞夕刊(西部版・4版)のトップ記事。見出しは、

退位「一代限り」で一致/有識者会議 制度化は「困難」

 有識者会議後、御厨貴が記者会見している。「退位を制度化することはむずかしいとの認識でおおむね一致した」という。

来年1月にもまとめる論点整理で、現在の天皇陛下に限り退位を認める方向を示すことを大筋で確認したものだ。
 御厨氏によると、この日の会合では、退位について「時代により国民の意識や社会情勢は変わる。将来にわたって判断できるような要件を設けることには無理がある」「将来にわたる制度化をした場合、硬直的なものとなり、恣意的な退位や、退位の強制が可能となり、象徴天皇と政治のあり方をかえって動揺させることもあり得る」などの意見が出た。

 この記事をどう読むかは非常にむずかしい。
 私は「邪推/妄想」するので、これは今の天皇をなんとしても退位させたいという安倍の意向に沿った「結論」と読んだ。なぜ「邪推/妄想」するかというと「などの意見が出た」と書いているのに、そのふたつの「意見」は対立していないからである。いくつかの意見があるなら、当然「対立意見」があるはず。「対立意見」がないということは、最初から「対立意見」を排除する形で会議が動いているという証拠。
 で。
 「一代限り」は、ともかく今の天皇を退位させることが「先決事項」ということだろう。「制度化」すると、その「制度」にしばられて、次の天皇のとき、さらにはその次の天皇のとき、「自由」がきかなくなる。
 次の天皇がやはり安倍の気に食わない存在になったらどうするか。「退位」の条件に「高齢」を限定すると、その年齢になるまでは次の天皇を「退位」させることができない。これでは「不都合」ということだろう。
 次の天皇が気に入らないときは、またそのときで「特例法」を考えるべきであるということだろう。
 「時代により国民の意識や社会情勢は変わる。将来にわたって判断できるような要件を設けることには無理がある」は、

時代により権力者の意識や、権力者が望む社会の形が変わる。恒久的な制度にしてしまうと、権力者の思うような働きかけができない。今回、官邸側は天皇に対して「摂政」の設置を持ちかけたが、天皇が拒否したという経緯がある。そういう働きかけが、いっそう困難になる。だから「制度化」しない。

 という具合に、私は読んでしまう。
 「将来にわたる制度化をした場合、硬直的なものとなり、恣意的な退位や、退位の強制が可能となり、象徴天皇と政治のあり方をかえって動揺させることもあり得る」というのは、論理的におかしい。「制度化」した場合、「硬直的」になるというのはそのとおりだが、「硬直的」であるかぎり「恣意的」なものが入ることはできない。また「制度化」されているなら、それは「強制」ではないだろう。「制度化」されていないのに、思惑で退位させることを「恣意的」「強制的」というのではないのか。
 だからこの部分は、

将来にわたる制度化をした場合、硬直的なものとなり、権力者の思惑を反映させることができない。権力者による恣意的な退位や、退位の強制が「不可能」となり、権力者にとってつごうのいい政治ができなくなる。象徴天皇が政治の邪魔をし、かえって政治を動揺させることもあり得る。

 ということではないのか。
 で、そういうふうに読み替えてみると、今起きていることがより鮮明にわかる。
 安倍は、天皇が「象徴としてのつとめ」を果たして、国民と触れ合い、国民の信頼を得ていることが「邪魔」なのである。天皇は、どうみても「護憲派」である。「憲法を守れ」と言っている。いまの天皇の下では憲法を改正し、戦争へ突き進むことはなかなかむずかしい。
 天皇が安倍の政治を邪魔し、政策を動揺させている。安倍にとって、天皇は都合が悪い。
 とりあえず、いまの天皇を「退位」させる。
 そのあと、どうなるか。それは次の天皇の動きを見てみないことには判断しようがない。だから、将来的には何も決めないでおいておく、ということだろう。

 特例法で、退位を「一代限り」とするのなら、次の天皇のときは「生前退位」は不可能だから、権力者(安倍)の思惑は反映されない--ということになるかもしれないが、私にはとてもそんなふうには思えない。
 「退位」がだめなら「譲位」させるという方法がある。「摂政」を設置するという方法もある。安倍は、今回はあきらめようとしているのかもしれないが、次はぜったい「摂政」を設置したいと狙っている。
 「退位」と「譲位」は同じか。天皇がかわるわけだから同じに見えるかもしれないが、きっと違う。政治は「同じこと」を違うことばで言うときもあれば、「違うこと」を同じことばで言うときもある。「理屈」はどうとでも言える。
 「摂政」の場合は、どうか。前面に出てくるのは天皇ではなく「摂政」なのだから、国事行為においては「摂政」と天皇の権能の差はない。
 ことばは、そのことばがどんな「意味」でつかわれているか、さまざまな文脈のなかで動かしてみないとわからない。
 夕刊の情報は少なすぎて判断できない部分が多いが、安倍の思惑をどう隠して天皇を「退位」させるか、有識者会議の動きと安倍の動きを関係づけながらみつめる必要があると思う。


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プーチンインタビュー(2)

2016-12-14 09:09:01 | 自民党憲法改正草案を読む
プーチンインタビュー(2)
               自民党憲法改正草案を読む/番外52(情報の読み方)

 プーチンインタビューの詳細な記事が2016年12月14日読売新聞(西部版・14版)に掲載されている。一面の見出し。

4島交渉「別の問題」/共同経済活動 露の主権下で

 ポイントがわかりやすくなっている。きのうの夕刊の一面の見出し、

平和条約「条件整備を」/北方領で共同経済活動/「4島」は交渉応じず

 では、何がポイントかわからないだろう。(だから、きのう感想を書いた。)
 で。
 ポイントはわかったが、なぜ、読売新聞と日本テレビがインタビューを公表したか。きょうの朝刊の見出しなら、推測できる。
 プーチンは「強引」である。安倍との会談で一歩も譲る気はない。それを読者に「鮮明に」伝えるためである。首脳会談で安倍の「望み」が実現されないのは、プーチンが強引だからであるということを「事前」に伝えているのである。
 ここからさらに推測できること
(1)北方領土問題は「継続協議」になる。「継続」ということばを引き出すことで、北方四島の問題を日本が放棄した(あきらめた)という印象を消すことができる。
(2)「共同経済活動」はロシアの主権下(法の下)でおこなわれる。ただし、「ビザなし渡航」を拡大することができれば、これまでの「法」の拘束ががゆるんだことになる。つまり「成果」である。
 北方領土への「熱意の継続」と「ロシアの法の拘束をゆるめた」を安倍は強調するだろう。その「強調」を影から支えるのが今回のインタビュー。手ごわい相手に対して「よくやった」という称賛の「前準備」なのだろう。

 一面には東京本社編集局長の文章が同時掲載されている。そのなかでは、次の部分が印象に残る。

 来年1月に大統領に就くトランプ氏は、プーチン氏を「有能な指導者」と評し、米露間系の修復を図る姿勢を示している。政治地図の変化によっては、北方領土問題解決への契機を見いだせるのではないか。

 これはきのうの感想で書いた次の部分に対応する。

 「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどのくらい実現できるのか、我々は見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか」

 米露関係が変われば、当然、アメリカが日本に対して要求してくることも変わる。それによって、日露の関係も変化してくる。
 つまりは、アメリカ次第だ。
 安倍は、アメリカの言うことを聞かなければならない。(日米同盟は「日米地位協定」を隠すための方便。)日露首脳会談が安倍の望む形にならないとしたら、それはアメリカのせいでもある。アメリカとロシアの関係が改善しないから、日露の関係も改善しない、という「言い訳」の準備である。

 読めば読むほど、あすからの「日露首脳会談」の無意味さがわかる。
 
 安倍の真珠湾慰霊は、では中国、韓国をはじめとするアジア諸国への慰霊はどうするのか、という問題を呼ぶだろう。日本はアメリカとだけ戦争したわけではない。
 景気は年金を引き下げないといけないところまで悪化している。「カジノ解禁」くらいで景気がよくなるはずがないのに、「景気対策」の目玉としてアピールしようとしている。



*

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このブログで連載した「自民党憲法改正草案を読む」をまとめたものです。
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プーチンインタビュー

2016-12-14 00:49:46 | 自民党憲法改正草案を読む
プーチンインタビュー
               自民党憲法改正草案を読む/番外51(情報の読み方)

 プーチンの訪日を前に、読売新聞と日本テレビがクレムリンでプーチンにインタビューしている。その記事が読売新聞夕刊(2016年12月13日、西部版・4版)に載っている。15、16日の安倍・プーチン会談を前にしてのインタビューである。内容は安倍・プーチン会談での「テーマ」(報道されている予測)に重なる。先の外相会談が失敗したから、読売新聞と日本テレビが、安倍のかわりに「探り」を入れているという感じだ。いや、事実上の安倍・プーチン会談ではないか。
 そのことにも驚くが、首脳会談がおこなわれる前にインタビューの内容を公表していることにも驚いた。もう安倍・プーチン会談は必要がない。なぜ、公表したのだろう。

 公表されている内容の、次の点がポイント。
 プーチンは「北方四島」について、「日ソ共同宣言」(1956年)を基礎とすると主張している。平和条約締結後に、歯舞と色丹を「引き渡す」。国後、択捉を加えて問題化することは「共同宣言の枠を超えている」と拒否している。
 記事の言い方だと、歯舞、色丹の「引き渡し」はまだ可能かもしれないと感じられるが、絶対にない。安倍が「国後、択捉については返還要求をしません」と言ってしまえば「北方四島は日本の領土」という主張を否定することになる。そんなことは安倍にはできない。
 3面に「インタビューの詳報」が載っている。次の部分が印象的だ。

 --北方領土の問題はロシアから見ても、唯一残された国境線の問題だというふうに認識している。
 ロシアには領土問題は全くないと思っている。ロシアとの間に領土問題があると考えているのは日本だ。

 痛烈である。あたりまえだが、北方四島をロシアは実効支配している。日本の自衛隊が北方四島でロシア軍と戦っているわけでもない。「国境」は安定している。
 さらに「北方四島」での「共同経済活動」についての「問い」と「答え」もおもしろい。

 --(北方四島での共同経済活動は)ロシアの法律の下でなのか、日本の法の下でなのか、第三の機関を作って、その法の下でなのか。大統領の考えは?
 日本人は非常に創造的で頭のいい国民だと思う。いまあなた方は、議論に値するアプローチのすばらしい例を示した。日本の主権下、島々で経済活動を展開する問題が提起された。しかし第一歩がそうだと第二歩は必要ないことになってしまう。

 「ロシアの法律の下で」に決まっていると主張している。これは当然のことなのだが、その直前の「日本人は非常に創造的で頭のいい国民だと思う。いまあなた方は、議論に値するアプローチのすばらしい例を示した。」が実におもしろい。私は笑いだしてしまった。私の言い方で言いなおすと、このプーチンの「ほめことば」は、「日本が秘密裏に考えていることを教えてくれてありがとう(そんなととは知っているけれどね)」と言っているのに等しい。「日本から見れば、それはすばらしいアプローチだけれど、そんなことをしたらロシアの存在意義がなくなる。するわけないだろう」と叱り飛ばしているのである。でも叱り飛ばすだけでは申し訳ないから「第一歩がそうだと第二歩は必要ないことになってしまう」と少し「夢」をちらつかせている。「第一歩」はロシアの方の下で、それがうまくいけば「第二歩」を考えてみることはできる、と。でも、これは「第一歩」の段階で日本からしぼれるものは何でもしぼる。しぼれるものがなくなったら「第二歩」として歯舞、色丹は「引き渡し」してもいいかも、と言っているにすぎない。どの段階でロシアが満足する? 保障は全然ない。「第一歩」しかロシアは考えていない。
 日本からどれだけ「経済協力」を引き出すか。プーチンの首脳会談の目的はそれだけである。
 で、それが次の主張になる。2014年のウクライナへの軍事介入以降、ロシアに対してG7が経済制裁をしている。日本も制裁に参加している。

 「制裁を受けたまま、日本と経済関係をより高いレベルに上げられるのか」「ウクライナやシリアの問題を、なぜ日本は露日関係に結びつけるのか」「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどのくらい実現できるのか、我々は見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか」

 アメリカの「承認」なしには何もできないだろうに、と見透かしている。「アメリカの承認をとったのか、ちゃんと承認を取っておけよ」と言われたようなものである。

 こんな内容のインタビューをなぜ事前に公表したのだろうか。「日露会談」では日本が期待しているようなことは何も起きない、と事前に知らせることで国民の失望をやわらげるためなのか。あるいは、プーチンの考えていることを公にし、「世間」から「反論」の仕方を募集でもするつもりなのか。安倍の「知恵袋」に、この問題も考えないといけないと「提言」したいのか。
 あるいは安倍が頼りないから、読売新聞と日本テレビがプーチンの「回答」を引き出してみました、ということなのか。  

 社会面では、秋田犬の「ゆめ」とプーチンの写真、柔道への熱い思いと、プーチンがいかに日本を愛しているか、みたいなことが書かれているが。
 こんなのポーズじゃないか。
 こんなことで日本から「経済協力」(経済投資)を獲得できるなら、とても「安上がり」。安倍が「愛読書はトルストイとドストエフスキー。ボリショイバレエは世界の最高峰」と言えば、「北方四島」は返還される? 返還されない。それなのに「柔道は私の初恋」とリップサービスし、愛犬と遊んで見せるだけで、プーチンは「経済協力」を引き出せるのだ。プーチンは感じのいいひとだ、「経済協力」をとおして、日露の新時代がはじまる、という「幻想」をばらまいている。
 いったい、誰のための、何のための報道なのだろう。



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このブログで連載した「自民党憲法改正草案を読む」をまとめたものです。
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