詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

なぜ違う?

2016-12-01 16:03:29 | 自民党憲法改正草案を読む
なぜ違う?
自民党憲法改正草案を読む/番外44の追加(情報の読み方)

天皇の生前退位をめぐる専門家の意見の集計が新聞社によって違う。
いずれも西部版・14版を参照。

朝日新聞 賛成8人 反対7人 慎重1人
毎日新聞 賛成8人 反対6人 慎重2人
読売新聞 容認9人 慎重7人

読売新聞は「賛成」という表現を使っていない。「反対・慎重」を「慎重」とひとくくりの見出しにしている。

ひとの意見は、こんな具合に「捉え方次第」。
だからこそ、自分のことばでとらえ直さないといけない。
全紙を比較する時間がないけれど。
記事は慎重に読まないと、情報を読み落としそう。

前の書き込みで問題にした「生前退位」か「退位」かは、毎日新聞が「足並み」をそろえてきた。「生前退位」という表現は消えた。
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殿岡秀秋『胎内電車』

2016-12-01 11:51:51 | 詩集
殿岡秀秋『胎内電車』(秀文社出版、2016年11月25日発行)

 殿岡秀秋『胎内電車』を読む。「秋の日のぬくもり」はとても美しい。感想を書けるかどうかわからない。書く必要がないかもしれない。引用する。

あるけるけれど
おぶってちょうだいと
おかあさんに
おねがいしたの

いいわよといって
おかあさんは
おぶい紐をだして
せおってくれた

秋の日よりも
あたたかい
おおきなせなかに
ほおをつけた

これでおぶってもらうのを
おわりにしよう
おねがいをきいてくれて
ありがとう

つらいときがあると
おもいだす
おかあさん
あの秋の日のぬくもり

 四連目が美しい。ほんとうはもっとおぶっていてもらいたい。でも、それではおかあさんに負担をかける。重いだろうなあ。おかあさんを気づかっている。甘えたいけれど、もう甘えてはだめ。こころのなかで決める。そして、これもまた「声」には出さずに、こころのなかで「ありがとう」と言っている。
 五連目の「おかあさん」は「おかあさんを/おもいだす」という意味なのだけれど、なんだか、「おかあさん」と呼びかけている「声」そのものに聞こえる。
 「おぶい紐」は「六歳のこころ」という作品にも出てくる。

おぶい紐で背中にしょわれた
赤ん坊のころまで
時計の針をもどす

 「秋の日のぬくもり」は、六歳のころの殿岡なのかなあ。ふつう、六歳の子供を背負うために「おんぶ紐(おぶい紐)」を持ち歩く母親はいないと思うが、殿岡は甘えん坊で、いつもおぶってもらっていたのかもしれない。甘えん坊であることを母は許していた。甘えさせることが、自分にできる最後のこと、と思っていたのかもしれない。殿岡は、そんな母の気持ちがわかったのかもしれない。ふと、自分がしなければならないことに気がついたのかもしれない。六歳なりに。
 というようなことは、はっきりと書いてあるわけではない。私がかってに想像したこと。「誤読/捏造」したこと。

 「ありがとう」ということばは、なかなか言えない。あのとき言えなかった「ありがとう」が、それ以外には言えない「響き」で書かれている。



記憶の樹―殿岡秀秋詩集
殿岡 秀秋
ふらんす堂
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「要約」の奥に何があるか

2016-12-01 11:43:28 | 自民党憲法改正草案を読む
「要約」の奥に何があるか
               自民党憲法改正草案を読む/番外44(情報の読み方)

 天皇の生前退位問題を巡る「有識者会議」の「ヒアリング」が2016年11月30日に「終了」した、と2016年12月01日の読売新聞(西部版・14版)は伝えている。
 いくつかの記事があるのだが、一番気になったのが3面の「公的行為 見解分かれる」という見出しの記事。次の部分。天皇の「活動」を三種類に大別している。(番号はついていないのだが、便宜上、つけくわえ、箇条書きの体裁にした。)

 天皇の活動は、
(1)首相の任命などの国事行為、
(2)被災地訪問や戦没者慰霊などの「象徴」としての公的行為、
(3)宮中祭祀などの私的行為の3種類に大別される。
憲法が天皇の活動として規定するのは国事行為のみだ。

 (1)は憲法に確かに書いてある。「国事行為」の定義は憲法に従っている。
 だが(2)と(3)は、誰の定義? これがわからない。

 (2)の問題。
 8月8日の天皇のことばは、「象徴としてのつとめ」をどう考えているかに力点が置かれていた。国民との触れ合いを重視していることが、ことばからつたわってきた。だから、天皇の「意図」をくみ取った表現のように見えるけれど……。
 「公的行為」とは何か。
 現行憲法には「公的行為」という表現はない。「国事行為」とは定義されていないけれど、天皇が国民の目に触れる場所でおこなう行為をそう呼んでいるのだろう。
 「公的行為」は、自民党の憲法改正草案には、第6条第5項目(改正草案は、現行の第6条と第7条を統合している。第5項目は新設項目)に出てくる。

(略)天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。

 この定義に従えば「戦没者慰霊」はだれかが主催しているだろうから「公的行為」になるが「被災地訪問」はどうか。あるいは海外の戦跡慰問などは何になるか。
 自民党改正草案は、いまの天皇が力を入れてやってきたことを「公的行為/象徴的行為」から除外しようとしている「意図」が見えないか。天皇が「象徴性」を封じようとする「意図」が見えないか。(2)だけに「象徴」をつかうのは奇妙ではないか。
 (1)の国事行為も「象徴」としてつとめているのではないのか。

 (3)の「私的行為」の定義も、私にはよくわからない。
 現行憲法第7条は「国事行為」として10項目かかげている。その10番目に

儀式を行ふこと。

 と明記している。改正草案では「儀式を行う」という形で引き継がれている。「儀式」の説明は憲法には書かれていないが、「宮中祭祀」を指すのではないのか。そうであるなら、それは「私的行為」ではなく「国事行為」である。(3)も「象徴」としてのつとめなのではないのか。
 (3)の表現は、とても不自然

 そう思うからこそ、なぜ、(2)にだけ、「象徴」ということばを挿入しているか、疑問なのである。(1)と(3)は「象徴」としての行為ではないと、判断しているというよりも、(2)の行為を天皇が「象徴のつとめ」と呼んだことに対する批判がこめられているのではないのか。
 言い換えると、この分類と表現のあり方は、(2)の行為をとおして、天皇が国民とふれあうことを嫌うひとの「意図」をくみ取っていないか。国民と触れ合い「国民統合の象徴となる」という行為を「特別視」して除外しようとする「意図」がどこかに動いていないか。

 天皇の「公務(役割)」についての触れた13面の記事は、この問題と微妙に関係している。

 陛下は自らの務めを「まず祈ること」「日本各地への旅も大切なこと」と述べられた。「国事行為」の範囲外の「公的行為」も全身全霊で果たされてきたが、公的行為を欠かせない天皇の公務とまで定義した意見はなかった。

 これは(2)、つまり天皇が「象徴のつとめ」と定義している行為、その定義に賛同する意見はヒアリング対象者の中からは聞かれなかったということだろう。しかし、言わなかったからといって、それを否定したとは言えないだろう。
 有識者は、「天皇が日本各地への旅を象徴としてのつとめと定義しているが、この定義は正しいか(あるいは、この定義に従った行為は正しいか)」とか、「天皇が日本各地を旅することは、象徴としての行為として欠かせないものかどうか」と質問したのだろうか。そうした質問に対して「天皇の公務ではない」という明確な答えが返ってきたのだろうか。
 「言わない」ことを、どう解釈するかは、とてもむずかしい。
 さらに、

所氏は、天皇が祈る「宮中祭祀」も、次世代に引き継がれるべき公務に挙げた。「私的行為」に分類される祭祀を第一の公務に挙げた平川氏は、それ以外と義務ではないとの見解を示した。

 (3)は、平川によれば「私的行為」ではなく「公務」。いったいだれが「私的行為」と呼んでいるのか、ますますわからない。どのような視点で(1)(2)(3)という分類をしたのか。「象徴」ということばを(2)にだけつかったのはなぜなのか、に注目すると、これからの動きが見えてくるかもしれないと思う。

 それにしても、(とここからは、きのうのつづき)、野党はなぜ大声で主張しないのだろう。読売新聞の社説によると、

民進党の野田幹事長は、意見聴取の項目に「摂政」が入っていた点などに関し、「陛下のお言葉とは全く違う項目を検討している」と批判した。

 とある。もっと「大声」で批判すべきだろう。民進党が「天皇」「皇位継承」についてどう考えているか言うべきだろう。
 憲法改正問題なら、現行の憲法が最善である、変える必要はないから対案はない。対案を出さず、今の憲法を守るのが「対案」である、という主張はできるが、天皇の生前退位については何も言わないとき「案」を持たないということになる。
 安倍が「案」を出してきたとき、「対案」を出すのではなく、まず「案」を固めることが大事。先に「案」を出し、安倍が出してくるものを民進党の「対案」に位置づける工夫が必要。国の将来について(あるいは皇室の将来についてでもいいが)、民進党はこんなふうに考えていると訴える絶好のチャンスなのに、安倍の出方を待っているというのは政治家失格/政党失格といえないだろうか。

 私は、天皇という制度が民主主義に反していると思う。天皇は廃止すべきであると考えている。
 で、そう考える人間が、なぜ天皇制にかかわる動きに関心を持つかといえば。
 天皇を利用しようとする動きを感じるからだ。天皇を利用しようとする考え方がある限り、天皇はなくならない。天皇を利用して、民主主義が破壊されるに違いないと思うから、何が動いているかをみつめつづける。自分のことばで言いなおしてみる。
 安倍の動き(有識者会議やヒアリングへの反応)は報道されていないが、報道されていないからといって安倍が動いていないわけではない。(これは、先に天皇の発言を積極的に支持する「意見」がヒアリングで出なかったからといって、そういう「意見」がないというわけではない、に通じる。)一回一回の「ヒアリング」、そこで出てきた「意見」について検討しているはずである。「有識者会議」に意見の集約、提言をまかせるといっても何もせずに待っているわけではない。どう対応できるか、対応するべきか、そのつど考えを深め、周囲と検討しているはずである。この検討は「公表」されない。この「公表」されない検討を、報道のどこに読み取っていくか、どう読み取っていくか。
 記者は自分だけの「考え」で記事を書くわけではないだろう。一人を取材して、それだけを書くわけではない。複数に取材もするし、記者同士が情報を交換するだろう。記事の中には、そういうものが隠れている。安倍の「反応」は直接書かれていなくても、安倍の「反応」の一部、あるいは目指しているものの「情報」が動いているはずである。
 「象徴」ということばが、分類の中で一回だけつかわれている。そのことに注目して、私はきょう考えたことを書いた。







*

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このブログで連載した「自民党憲法改正草案を読む」をまとめたものです。
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