詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

千人のオフィーリア(メモ26)

2016-12-18 22:04:23 | オフィーリア2016
千人のオフィーリア(メモ26)

先に恋したのは
ロミオだったかしらジュリエットだったかしら
先に死んだのは
ジュリエットだったかしらロミオだったかしら
綴じ糸がほどけた本みたい
正気ではいられない。
でも素敵ねえ、両親が敵対しているなんて

気づいたのは
私が先だったかしら、
--傷物にされたらどうしよう
お父さまが心配したから
私がその気になったのかしら。
ああつまらない。
お父さまは家臣。言われるがまま。
私にその気がなくっても、
--おおせのとおりに。
手に負えないドラマなんて
燃え上がる血、凍える血なんて
どこにもないなんて。
気づいていないわ、
お父さまは。
そう気づいたのはオフィーリアが先。

先に恋したのは
オフィーリアだったかしらロミオだったかしら
先に死んだのは
ハムレットだったかしらジュリエットだったかしら
先はどっち?
殺し合いをグローブ座の芝居がまねたのだったかしら
座付きの男が殺し合いを横取りしたのだったかしら





*

詩集「改行」(2016年09月25日発行)、残部僅少。
1000円(送料込み/料金後払い)。
yachisyuso@gmail.com
までご連絡ください。
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ペドロ・アルモドバル監督「ジュリエッタ」(★★★)

2016-12-18 20:16:07 | 映画
監督 ペドロ・アルモドバル 出演 エマ・スアレス、アドリアーナ・ウガルテ、ダニエル・グラオ

 アルモドバルの映画を見ていると、スペイン人はみんなドン・キホーテなのか、と思ってしまう。個人(主義)のあり方が、イギリスやフランスとは明らかに違う。スペイン人は、私の個人的な印象ではとても気さくで人なつっこい。しかし、その対人的な印象とはまったく逆に不思議な狂気を持っている。みんなが「個人のストーリー」に固執する。ドン・キホーテが「遍歴の騎士」というストーリーに固執して周囲をひっかきまわすのと同じように、登場人物が「自分のストーリー」に夢中。他人と触れ合っても「自分のストーリー」でしか世界を見ない。
 最初のエピソード。アドリアーナ・ウガルテが列車に乗っていると、男が「席は空いているか」。男は女と話したいのだが、女は拒む。そのあと、男が列車のいったん停車を利用して(?)飛び込み自殺をする。女は「男が自殺したのは、自分が会話を拒んだからじゃないだろうか」と思い悩む。思い悩んでも、まあ、別にかまわないのだけれど、その「空想のストーリー」に別な男をひきずりこむ。この強引さが、ドン・キホーテがサンチョ・パンサを「遍歴の騎士」というストーリーに引きずり込むのとそっくりである。
 男は男で「女のストーリー」に引き込まれながらも、「女のストーリー」を「女を求める男」という「ストーリー」に転換する。「男が女を求める(女を求めることを我慢できない)」というストーリーには、雪野を走る雄鹿のストーリーも重なる。雄鹿は列車に並走して走る。それは「雌」の匂いを列車の中にかぎつけたからだ、というストーリーが。そして、実際にセックスがはじまる。
 このセックスシーンが、とてもいい。アルモドバルならではの「幻想」が美しい。騎乗位の女の裸体が列車の窓ガラスに映る。外が暗いから。半透明の裸の向こう側の荒野が動く。不鮮明な映像が、雄鹿が列車の内部をのぞきながら並走しているよう見え。
 ここで、この映画に、夢中になってしまう。
 このあと、映画は「男は女を求めることをやめることができない、だれとでもすぐにセックスをしたがる」というストーリーを狂言回しのように利用しながら、女の別のストーリーが語られる。女の本質に迫るストーリーが。
 「男が女を求めずにいられない」というストーリーを生きるのだとしたら、女の「定型ストーリー」は何だろうか。「こどもを愛さずにはいられない」というストーリーである。女は男なしでも生きられるが、女はこどもなしでは生きられない。
 主人公ジュリエッタは男に誘われてリスボンへ引っ越す予定だったが、昔わかれた娘の話を聞き、娘がもどってくるとしたらマドリッド以外にない。そう思い、マドリッドを離れるのを拒む。詳しい事情は話さず、ただかたくなに「自分だけのストーリー」を生きる。
 こんなに娘を愛しているのに、なぜ、娘は私を捨ててどこかへ消えてしまったのか。さびしくてたまらない。娘の「ストーリー」のなかで私はどんな人間なのか。
 娘の「ストーリー」のなかで、母親はどんなふうに生きているか。父親は漁に出て嵐の日に死んだ。事故死だが、原因は母親が父とけんかしたからだ。けんかの原意は父の女癖にあるのだが、娘は父親の女癖の被害者(?)ではないので、女(母親)には同情しない。死んでしまった父を愛するがゆえに、母を憎み、離れていく。「母が父を殺した」というのが娘の「ストーリー」。
 食い違う「ストーリー」をどうやって「統合」するか。
 ここからがアルモドバル味かなあ。母と娘が直接あって「和解」するわけではない。ここがアメリカ映画と大きく異なる。マドリッドの自宅に娘から手紙が届く。娘は息子を事故で失う。こどもを失って、母の悲しみを知ったと書いてある。同じ「ストーリー」を生きることで、母のことを思い出した。「愛する」という行為のなかで「和解」する。母は手紙の住所を頼りに娘に会いに行く。
 この「ストーリー」を「女は愛するときに女になる(そして女同士和解する)」というふうに読み変えると、映画のなかで繰り広げられた「三角関係」の「克服」がわかりやすくなる。
 男(父)は主人公のジュリエッタ(エマ・スアレス、アドリアーナ・ウガルテ)とは別に恋人(インマ・クエスタ)がいた。二人は男を失った悲しみのなかで「和解」する。友人になる。愛するがゆえに、なんでも受け入れてしまうという人間に生まれ変わる。だからこそ、こんなに愛しているのに、なぜ娘は自分のもとから離れていくのか、という悲しみが強烈になるのだけれど。
 そう気づいた瞬間に、この映画は記憶のなかで、強烈に動き始める。「結論/結末」に感動するというよりも、「結末」がそれまで見てきたものを鮮やかに思い出させるという映画である。見ながら楽しむというよりも、見終わったあと思い出し、語るための映画といえるかもしれない。「文学的」である。その「文学味」を強烈な色と絵で隠すのがアルモドバルの、もうひとつの個性だね。

 最初に書いたスペイン人の人なつっこさと「個人のストーリー」への固執という「矛盾」のような問題を考え直してみると……。
 「個人ストーリー」に固執するからこそ、他人の「個人ストーリー」と自分の「個人ストーリー」の重なる部分を見つけ出し、「私たちは同じ人間」という気持ちになろうとしているのかもしれない。「共通項」を探し求める熱心さが「人なつっこさ」になっているのかもしれない、と思ったりする。
 スペイン人を評価することばに「シンパティコ/シンパティカ」ということばがある。「シンパシー」と語源が重なるかもしれない。「共感」。「共」は「個人的ストーリー」の「共通」の「共」。「個人的ストーリー」を積極的に語り合い、「共通するもの」を探そうという思いから生まれているのかもしれない。
                     (KBCシアター2、2016年12月18日)

 *

「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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「北方領土」の行方

2016-12-18 01:06:32 | 自民党憲法改正草案を読む
「北方領土」の行方
               自民党憲法改正草案を読む/番外57(情報の読み方)

 安倍・プーチン会談が、プーチンの大勝利に終わった。
 その「原因」と、北方四島の行方について、「妄想」を書いてみる。
 失敗の原因は12月初めの岸田・ラブロフの外相会談で岸田が「根回し」に失敗したからである。外相会談後の記者会見で、ラブロフは「共同経済活動は安倍が5月に提案した」と内幕を暴露した。なぜ、こんなことを暴露したのか。
 私は、こう「妄想」した。
 岸田が「日本は金を出資するのだから、ロシアは見返りに歯舞、色丹くらいは返還すべきである。資金を受け取る側は、それくらいして当然だろう」と言ってしまったのだ。「本音」だろう。
 これに対してラブロフは怒った。「ロシアが金を恵んでくれ、と言ったのではない。安倍がプーチンに共同経済活動(金の出資)を持ちかけた。ロシアで日本が金稼ぎをしたいのだろう。ロシア側から見返りを提供する必要はない。むしろ、ロシアで金稼ぎをさせてやるわけだから、見返りは日本が提供すべきである」。
 ここまで言ったかどうかはわからないが、ともかく「共同経済活動(金の出資)」は安倍が言いだしたことなのだから、それに対して「見返り」を要求される筋はないと突っぱねた。突っぱねるだけでは腹の虫が収まらず、「内輪話」をばらすことで、安倍があとへ退けない状況をつくりだした。
 ここで「共同経済活動はやめた」と言い出せば、日本は自分から提案したことも守らないということが「国際的な評価」として広がってしまう。「他人の顔色」を見て行動することしかできない安倍は「国際的評価の低下」を気にして「やめた」と言えなくなった。この段階でラブロフの作戦に負けてしまった。

 首脳会談まで10日以上もある。正直に「会談しても、平和条約締結の見込みはない。だから会談は延期する」と言えばよかったのに、そうしなかったことが、「大失敗」に拍車をかけた。
 何かできることはないかと画策しているうちに、アメリカ主導の対露経済制裁に参加している日本は、本気でロシアと「共同経済活動」をする気持ちがあるのか。アメリカから「自立」して活動できるのか、と「難問」を投げかけられた。直接ではないが、読売新聞・日本テレビのインタビューに、そういう発言がある。日本の「自立」性を問題視する発言がある。読売新聞・日本テレビは岸田の失敗を挽回するために何ができるかを探ろうとしたのかもしれないが、逆に押し切られた。岸田と同じように、ロシアの主張をより明確に浮かび上がらせることしかできなかった。
 見栄っ張りの安倍は、ここでも引き返す機会を逃した。読売新聞・日本テレビが聞き出したプーチンの「本音」を踏まえ、日露関係よりも日米関係の方が重要である。だから今回の「共同経済活動」の提案は白紙に戻すと言えばよかったのに、そうしなかった。
 なぜか。「白紙に戻す」と言ってしまうと、「経済協力」と引き換えに歯舞・色丹を取り戻すという「作戦」も捨ててしまうことになる。安倍は歯舞・色丹の「返還」を手柄に衆院の解散、選挙をもくろんでいた。(と、噂されている。私と同じように、多くの人が「妄想」するのである。)「白紙に戻す」と言えば「2島返還」は完全になくなる。国民の期待を裏切ることになる。あらゆることで「嘘つき」呼ばわりされている安倍は、北方四島でも「嘘つき」のレッテルを貼られることになる。それが、見栄っ張りの安倍には耐えられないということなのだろう。
 安倍は、絶対に、引き返せない。
 見透かしたように、以後はロシア主導で「共同経済活動」計画が動いていく。安倍は「特別な制度」の下での経済活動と言いたいみたいだが、ロシアの法の下での活動を譲らない。「互いの主権を害さない」ということばも途中で出てきたが、これは「経済活動」をするとき「主権」の問題には触れない、「棚上げ」にするということ。しかし、「棚上げ」にするといったって「活動」の「場」がロシアの実効支配の島なのだから、どうしたってロシアの方の下での活動になってしまう。
 こんなことでは、いくら「協力関係」を築いても、北方四島の返還になどなるはずがない。むしろ北方四島がロシア領土であるということを「確定的」にするだけだろう。

 では、永久に北方四島は日本に返還されないのか。返還されるとしたら、どういう条件が考えられるか。
 私は、「妄想」してみる。
 「沖縄形式」なら、北方四島は「返還」される。北方四島にロシアの基地がある。その基地つきで、そしてそのとき「日米地位協定」のように「日露地位協定」が結ばれるなら、「返還」はあると思う。
 2016年12月17日の朝日新聞(西部版・14版)の1面の「細い糸つなぎ 相互理解を」という意味がよくわからない見出しの「解説」に次のくだりがある。

プーチン氏は、1956年の日ソ共同宣言に従っていずれは歯舞、色丹の2島を引き渡すにしても主権までは渡すかは分からないという「0島返還」の立場から一歩も動かなかった。
 浮き彫りになったのは、プーチン氏の日米同盟への根強い不信感だ。共同会見では、日米安保条約に言及。ロシア海軍の太平洋での活動が制約されることに懸念を示した。将来米軍基地が置かれる可能性があるならば、島の返還などとんでもない、という主張だ。

 北方四島に米軍基地ができ、それが「北の沖縄」になるなら、とんでもないことだ。そんなことは許せない、というのは逆から見れば、ロシアは北方四島を「ロシアの沖縄」にしたいということである。ロシアの基地を置き、ロシアの基地が日本の法律の適用外になるなら返してもかまわない、ということだ。
 これはアメリカと手を切れ、ロシアと同盟を結べ、ということでもある。
 「平和条約」ではなく「日露安保条約」なら、プーチンは歯舞・色丹は「引き渡す」。そして「引き渡し」と引き換えに基地をつくる。もちろん日米の動き次第では、歯舞・色丹をはじめ4島に基地をつくるだろう。いまある施設をさらにら強力なものにするだろう。

 今回の安倍・プーチン会談は「ロシアの思想」を明確にしただけの会談だった。ロシアの主張の前に、安倍は何一つ主張できなかった、ということだけが明らかになった。
 このままでは絶対に北方四島の返還などありえない。
 朝日新聞の書いている「細い糸」がもしあるにしても、それは「つなぐ」ことはできない。完全に切れてしまった。
 「金さえ出せば何でもできる」という安倍の思い込みが、岸田に感染し、そこから失敗がはじまっている。
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