詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

そうかな?

2016-12-08 19:18:15 | 自民党憲法改正草案を読む
そうかな?
自民党憲法改正草案を読む/番外51(情報の読み方)

 2016年12月08日朝日新聞(西部版・14版)一面。「退位 特例法推す方針/有識者会議 今の天皇限定」という見出しで、天皇の生前退位問題の「予測」が書かれている。
 ポイントの部分の記事は、

退位を強くにじませた天皇陛下のお気持ち表明を受けて、政府が退位を可能とする法制化を図れば憲法に触れる恐れがあると判断。退位を「高齢化時代の天皇像」をめぐる普遍的な課題として捉え、退位の理由として「高齢化による退位」を強調する方針だ。

 これは4面の記事で再度強調される。「高齢化による特例 強調/有識者会議 退位違憲論に配慮」という見出しで一面の記事をほぼコピーしている。

天皇陛下のお気持ち表明を受けて政府が退位の法制化を図れば、「天皇の政治的権能を否定した憲法に違反する」との批判を受けかねない。そこで、有識者会議は「高齢化による退位」を柱に据えて、天皇のお気持ち表明とは切り離して理論構築を図る方向だ。

 さて。
 私は「邪推/妄想」が大好きだから、「天皇のお気持ち表明とは切り離して」に引っ掛かる。確かに8月8日の天皇は「象徴の務め」を語り、全国を訪問したことを丁寧に語った。その部分はとても魅力的なことばだった。
 だが、すでに何度か書いたことだが、私は天皇の「ことば」で何か所かつまずいた。なぜ、こんな言い方をするのだろうと思う部分がある。テレビで聞いて変だなと思い、新聞で読みなおしてさらに変だと思った。
 きょうの朝日新聞で話題になっている「高齢」に関してだが、天皇は2度「80歳を超えた」と言っている。誰もが知っていることを、わざわざ2度言っている。ここが、とても奇妙。
 だから、天皇の「ことば」は自発的なものではなく、籾井NHKの特報から始まる「圧力」によるものだと考えている。
 安倍が天皇の高齢を理由に「摂政」を迫った。それに対して天皇は「摂政ではだめ。天皇には象徴の務めがある」と拒否した。安倍は、この拒否をどう「乗り越え」、天皇を追放するか。いまの天皇は、とてもリベラル。安倍の政治と真っ向から対立している。天皇を除外しないことには「憲法改正」が進められない。
 有識や会議では「象徴としての務め」だけが「天皇の気持ち」と受け止められているが、「高齢化した天皇が退位する」という考えも天皇の「ことば」。「気持ち」ではなく「考え」。そうだとすると、

天皇陛下の「考え」表明を受けて政府が退位の法制化を図れば、「天皇の政治的権能を否定した憲法に違反する」との批判を受けかねない。

という論理が成り立つのに、誰もそれを言っていない。「論理構築」として奇妙ではないだろうか。
国民が感動した(同情した)天皇のことばの一部を取り上げ、一部を故意に隠している。私にはそう思える。安倍の視点で見るとどうなるのか、を考えて情報を読む必要があると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神尾和寿「三銃士」、大橋政人「吹き溜まり」ほか

2016-12-08 08:53:59 | 詩(雑誌・同人誌)
神尾和寿「三銃士」、大橋政人「吹き溜まり」ほか(「ガーネット」80、2016年11月発行)

 神尾和寿「三銃士」は10の詩群から構成されている。というのは私の読み違いかもしれないが。⑤がおもしろい。

新婚時代は

急激に運動不足になったように感じたため
夕暮れになったらキャッチボールをしようではないかと提案した

野球のことなんか全然知らないままに いいよと答えた妻
のことなんか全然
知りたくない
ままに

とっては投げ
とっては
投げの
おおらかで 泣きたくなるような時代であった

 特に「感想」を書きつらねることもないのだが。
 最後の「泣きたくなるような」というのは「笑いたくなるような」とどう違うかなあ、とふと考えた。
 私は笑いだしてしまったから。
 神尾は「泣きたくなる」のだが、私は「笑いたくなる」。「他人」というか、「人間」というのは、これくらい違う。神尾が「泣きたくなる」と書いても、私は「同情」しない。「わがまま」なのである。「あまのじゃく」なのである。
 だから、もし最終行が

おおらかで 笑いたくなるような時代であった

 であったなら、私は逆に「泣きだしてしまう」かもしれない。
 ちぐはぐで、行き違いがある。生きているというのは、そういうことかもしれない。そして、この「行き違い」こそが「共感」という「錯覚」かもしれない。
 私は「誤読」とひとくくりにしてしまうけれど。



 大橋政人「吹き溜まり」。

空っ風で
空の雲が
吹っとんだ

庭の落ち葉も
吹っとんだ

小さな庭が
少し
広くなった

落ち葉は
ブロック塀の隅や
犬走りの下あたりで
吹き溜まっている

枯れた身を寄せ合って
吹き溜まっていられる奴はいい

 ここまで読み進むと、何となく「枯れ葉」に「身」を重ねてしまう。「身」は大橋でもあるし、私でもある。大橋は、枯れ葉になって、庭に散った。「比喩」だけどね。しかし「安住の地」ではない。風が吹いて、吹き飛ばされて「あっ、庭が広くなった」なんて喜ばれるだけの枯れ葉。そういう「身」が「身を寄せ合っている」。ちょっとした「悲哀」。
 「吹き溜まっていられる奴はいい」は「波瀾」を含んだことばだけれど、うーん、吹き溜まりからはぐれた「一枚の枯れ葉」が大橋なのかなあ、などとかってに「悲劇」を想像する。
 私が、いわば「枯れ葉(落ち葉)」の年齢だから、そう読んでしまうのだろう。
 ところが、詩はここから急展開する。
 思わず、「えっ」と声をあげてしまう。

空は
いつだって
必要以上に広すぎる

囲いがないので
雲の
吹き溜まる場所がない

 うーん。確かに一連目は「空の雲」の描写からはじまるから、この最後の連は詩を閉じるにはふさわしいのかもしれないが、まさか「空/雲」にもどってくるとは思わなかった。一連目は「落ち葉」と「吹っとんだ」を導き出すための「序」だとばかり思っていたので、びっくりしたのである。
 で。
 私は、ここで神尾の詩を読んだときと同じように笑いだした。
 大橋のことばを笑ったのではなく、私自身を笑った。私の「思い込み」を笑ってしまった。
 こういうときも、「詩」を感じるなあ。
 「詩」は「思い込み」を裏切る、「思い込み」を破ってしまう、壊してしまう「ことばの動き」なのだろう。
 神尾の「泣きたくなる」が「なつかしくなる」だったら、きっと「ありきたり」と感じただろうなあ。
 神尾、大橋の「思い込み」の「破壊」の仕方は、しかし「破壊」というおおげさなことばはにつかわしくない。くすぐってみる、という感じかも。
 こういう詩を「ライトバース」と呼ぶ。(ほんとうかな?)



 「ガーネット」には8人の詩人が作品を書いているのだが、嵯峨恵子とやまもとあつこが「認知症」の親のことを書いている。そうか、そういう年代になったのか、と思った。
 高木敏次は、少し若い人かもしれない。詩とは全然関係のないことなのだが、ふと思った。その高木の「再現」。

地図の裏に空があれば
傘は持たない

 この書き出しはとても魅力的だ。けれど「空」が大橋の詩と重なり、「傘」が高階杞一の「雨、みっつよつ」と重なる。

雨が
恋人になった
その日から傘がさせなくなった

 たまたまそうなったのかもしれないが、不思議な「通い合い」が気になって、「感想」を切り離して書くのがむずかしい。
 一人の詩集なら「重なり」から「個性」のようなものを感じ取るのだけれど、複数の人のなかでことばが重なると、私は、書き手をつかみきれない感じになる。「同人誌」を読むのはむずかしい。

アオキ―神尾和寿詩集
神尾和寿
編集工房ノア
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千人のオフィーリア(メモ24)

2016-12-08 00:00:00 | オフィーリア2016
千人のオフィーリア(メモ24)

「こと。ば。の甘い苦痛。すみれの、ことば。花(ことば)。と。カーブのかげり。つたう。した。グラスが。たり。たとえば、雨の日。甘い舌。したた、るるるる。ひみつの、み、つ。み。の。罪の蜜。ことば。」
手紙の、穴。雨が開けた穴。雨に滲む文字。

雨って「比喩」なんだけれど。

「わかっている。
おんなの気持ちはみんな同じだ。弱いもの、それがおんなだ。
気持ちは書く必要がない。
気持ち以外のこと、気持ち以上のことを知りたい。」
どういう意味だろう? 
手紙の中の、このひとは誰?
「髭を剃るとき、ガラスの扉のマグネットが結合する硬い音を聞いた。」

いまでは鏡に映った顔をのぞきみるように感じてしまうオフィーリア。
のぞきみられているようにも。




*

詩集「改行」(2016年09月25日発行)、残部僅少。
1000円(送料込み/料金後払い)。
yachisyuso@gmail.com
までご連絡ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする