詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

そとめそふ『卵のころ』

2016-12-17 10:49:43 | 詩集
そとめそふ『卵のころ』(ミッドナイト・プレス、2016年11月27日発行)

 そとめふそ。五月女素夫、という名前の方が私にはなじみがある。久しぶりに、そとめの詩に出会えてうれしい。
 『卵のころ』は横書きの詩と縦書きの詩から構成されている。横書きの方は「poem essens 」というタイトル通り「詩のエッセンス」が断章とし書かれている。  

考える ということ そのことがもう
ずいぶん 淋しい行為だったのかもしれない             (24ページ)

 文字が「中央揃え」で組まれている。引用は「頭」を揃えた。
 どの「断章」もとても短い。引用した2行は「思考/精神」と「感情」をぶつける。どちらが「主役」なのか、わからない。「精神/理性」と「感情/感性」は「相対的」なものではないのかもしれない。「特定」できないものかもしれない。
 「精神/理性」と「感情/感性」を区別しないで「こと」に向き合っているそとめがいる、ととらえるべきなのだろう。
 「こと」というのは、そとめが「ということ」「そのこと」と呼んでいる「こと」である。学校文法ではその「こと」を「考える」という「動詞」を指していると「分類」するかもしれない。
 でも、私は、そうしたくない。
 「ということ」といったん言って、もう一度「そのこと」と言いなおしている。この重複はことばの経済学からいうと「むだ」。どちらかひとつでいい、と「学校作文」は指摘するかもしれない。「こと」が「考える」を指し示すなら、たしかにそうなるだろう。
 しかし、それなら、そとめは繰り返さないだろう。
 目を向けなければならないのは「こと」そのものよりも「という」「その」という「指し示し」かもしれない。「という」「その」というあいまいな、何か身振りのようなもの。「具体的」には指し示せない、「ことば以前」の何か。「未分化/未分節」を経由することで「考える」という「精神の運動/理性の運動」が「淋しい」という「感情/感覚/感性」へと変わる。
 この不思議な「運動」をそとめは形を変えながら「断章」にしていると感じた。

指さきから 本へ 入っていく                   (26ページ)

 「断章」のなかでは、この一行がいちばん印象に残った。「指」は「その」とか「あれ」とか指し示す身振りといっしょにある。「ことば」を「頭」で読むのではなく、「頭」で整理する前の「肉体」で読むときの「感覚」(非論理/未分節の論理)が、「淋しい」感じで動いていると思った。

 縦書きの詩の中からは、どの作品を引用しようか。何について語ることができる。「砂丘」について書いてみよう。

砂丘
見えてはいるが だれにも見えはしないもの

 「見えてはいるが」「見えはしないもの」。これは「矛盾」。学校作文(文法)なら、どっちなんだ、と怒りだすかもしれない。
 しかし、こういう「矛盾」は世界にはあると思う。
 「見えている」は「存在している」。「見えていない」は「存在とは意識されていない」ということ。「見る/見える」は「目(肉体)」には「見える」が、「頭(意識)」には「見えない」と読み直すならば、その「存在」は「未分節」のなかにある。「混沌」のなかにある。
 ただし、このときの「見る/見えない」「目(肉体)/頭(意識)」というのは、相対化し、固定化できない。
 時には「頭(意識)」には見えているが、「肉体(目)」には見えないというものもある。素粒子の運動とか、宇宙の天体の法則とか。
 これが現実の「砂丘」について起こりうるか。わからない。けれど、「砂丘」が「比喩」ならば、いつでも起こる。
 「砂丘」という「比喩」とはは何か。
 私は、先に「断章」で触れた「それ」とか「という」とか、あるいは「こと」を思う。「身振り」では指し示すことができる。けれど、「頭」で整理して、論理的に提示することはできない。
 そういう「何か」。
 これをそとめは、こう言いなおす。

ずっと忘れないでいる言葉のように
たたずんでいる

 「言葉」は「対象」とイコールで結びついていない。むしろ「対象」になる前の何か、「未分節」の何か、混沌のなかにある「未生」の何かと結びついて、何かが生まれてくるのを待っている。この「待つ」をそとめは「たたずんでいる」と言いなおしているように思える。

だれかであると同時に だれでもない
きみの知らない夏が また一つ越えていこうとしている

 「だれかである」「だれでもない」という「矛盾」をつなぎとめる「同時に」がこの詩の「核」かもしれない。「矛盾」とは「同時(同じ時間)」であるから「矛盾」。「時間」が違えば、あるいは「場所」が違えば、正反対のものは存在しうる。
 「同じ」ところから「違う」もの、言い換えると「矛盾」したものが、生まれる。「言葉」は「矛盾」を生み出してしまう。
 「矛盾」を生み出してしまうことばの運動--それが、そとめの詩の「現場」ということになる。

境界をうしなっていくまま

言葉よりも とおくを見つめていた
砂丘

 「同時」という瞬間に「境界」はない。「境界」はうしなわれ、そこから「新しい何か」が生み出され、それが「境界」をつくる。「言葉」が「存在」を生み出し、同時に「境界」をつくる。
 この運動を、しかし、そとめは私のように「結論」として語るのではなく、最後の2行でたたき壊す。「砂丘」にもどってしまう。

砂丘
見えてはいるが だれにも見えはしないもの

 書き出しでは「砂丘」は「対象」。ある人には「見えてはいる」。同時にしあるひとには「見えはしない」。「見る/見えない」の主語は「ひと」である。
 最後の二行では「主語」は「砂丘」。倒置法によって、書かれている。ふつうの文章にすると「砂丘は、言葉よりもとおくを見ていた」ということになる。
 もちろん「私」を補い、「私は言葉よりも とおくを見つめていた」。そしてそこに「砂丘」があった。「私は砂丘にいた」と読むこともできる。「特定」はできない。
 「砂丘」と「人」が、ことばを生み出していくとき、入れ替わってしまう。どちらが「砂丘」、どちらが「人」という「固定」がなくなる。(境界がうしなわれる。)

 大きなストーリーが書かれていないのでわかりにくいが、小さな何かにこだわりながら、そういうことを書いていると感じた。


月は金星を釣り
クリエーター情報なし
ミッドナイトプレス
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「互いの主権害さず」とはどういうことか。

2016-12-17 10:30:09 | 自民党憲法改正草案を読む
「互いの主権害さず」とはどういうことか。
               自民党憲法改正草案を読む/番外56(情報の読み方)

 安倍・プーチン会談が終わった。2016年12月04日の「日記」に書いたが、事前に行われて外相会談(根回し会談)の記者会見で、ロシア外相が「共同経済活動は安倍が5月に提案した」と内幕を暴露した。このときからプーチン勝利、安倍大敗北の結末は見えていた。プーチンが失ったものは何もない。
 
 読売新聞の見出しの変化で何があったかを見て見る。
 2016年12月16日読売新聞(西部版・14版)1面。

4島「特別な制度」協議/日露首脳 山口で会談/共同経済活動で/「事務レベルで議論」合意

 「特別な制度」が安倍の獲得したポイントのように書かれている。しかし「特別な制度」とは何なのか、具体的になっていない。これについては16日の「日記」に書いたので省略。

 16日夕刊(西部版・4版)

日露「互いの主権害さず」/4島経済活動 文書に/平和条約へ「重要な一歩」

 「特別な制度」を言いなおしたものが「互いの主権害さず」。だが、やはり「意味」がわからない。「日露首脳による文書のポイント」の2項目めに

「特別な制度」に基づく共同経済活動を実施。日露双方の「主権を害さない」ことを確認。詳細は実務者で協議

 とある。
 「詳細は実務者で協議」というのは「何も決まっていない」ということ。「特別な制度」は「詳細」というよりも「最大のポイント」だと思うが、それをこれから協議する、というだけ。
 問題は「主権を害さない」。これは、私の感覚では「どんな主権を主張しようと勝手だが、相手の主張を認めるわけではない」ということ。つまり「領土問題は棚上げ」。日本が「北方四島は日本の領土」と主張するなら、どうぞしてください。ロシアも「四島はロシアの領土」と主張する、ということ。
 それが「特別な制度」?
 「領土問題」は棚上げにして、共同で経済活動をするというのでは、単に日本が金をロシアに渡すだけという感じがする。

 このあと、どうなったか。17日朝刊(西部版・14版)の1面の見出し。

北方4島 共同経済活動/平和条約へ「一歩」/「特別な制度」協議合意/領土 進展見られず

 「領土問題」がどうなるか。「2島先行返還」があるかどうかが最大のポイント(選挙向けの目玉商品)だったのに、「進展見られず」。つまり、大失敗した。これで平和条約締結へ「一歩」進んだと言えるのか。
 それを押し隠すために「経済活動」を前面に出しているのだが……。
 「共同経済活動」も、どうやって行うのか、あいかわらずわからない。
 「特別な制度」の下で行うと言うが、その「特別な制度」がどういうものか、これから「協議」することに「合意」したというのでは、何も決まっていないということになる。「互いの主権を害さず」は、先に書いたように「棚上げ」というにすぎない。

 「表向き」(?)のことしか書いていない1面の記事では何もわからないのだが、2面におもしろいことが書いてある。「特別な制度」協議合意という1面の「合意」を補足した部分。

 合意は「あくまで方向性」(外務省関係者)だ。首相が言及した「特別な制度」との文言は声明には入らず、制度設計は今後の協議に委ねられた。ロシア側は、ロシアの法律に基づくと説明するなど、食い違いもあり、早期の決着は見通せていない。

 この部分が、きょう読んだニュースの一番のポイント。
 外務省関係者(実務者)が何も決まっていない。協議するということが決まっているだけ、つまり協議を打ち切りにしないということが決まっているだけ、と言ったのだ。「協議の継続」が決まっただけなのである。
 「特別な制度」は安倍が言っているだけ。ようするに「嘘」。「進展があった」と見せかけるだけの「嘘」。
 ロシア側から言わせれば、いろいろ協議はするが、それはロシア側の法を日本側に守らせるための協議ということになる。日本側が「特別な制度」を持ち出したしたとしても、「声明」の「文言」にない。協議する必要がない、と突っぱねられる。

 このことをさらに「裏付ける」のが、「日露政府が発表した声明のポイント」という4項目。夕刊段階の「日露首脳による文書のポイント」を整理しなおしたもの。こう書いてある。

▽共同経済活動の協議では国際的な約束の締結を含む法的基盤の諸問題を検討
▽共同経済活動は平和条約問題に関する両国の立場を害さないことを確認

 「ポイント」から「特別な制度」が抜けている。
 1面の「共同記者会見のポイント」には確かに

▽北方4島での共同経済活動の実施のための「特別な制度」について交渉を開始することで合意

 とあるのだが、これは安倍が勝手に言っているだけ、ということを逆に「照明」している。
 私は「共同記者会見」を見ていないのだが、プーチンは「特別な制度」に言及したのか。していないはずだ。言及していれば、1面に書いてあるだろう。(詳報を読んだが、プーチンの発言部分に「特別な制度」ということばはなかった。)

 10面に「プレス向け声明の全文」というのも掲載されているが、ここにも「特別な制度」ということばはない。「特別な制度」というのは安倍が日本国民についている「嘘」である。プーチンがこのことばを気にしないのは、安倍が日本国民に対してどんな「嘘」をつこうが、そんなことはプーチンとロシア国民の「信頼関係」に関わらないからだ。

 「特別な制度」という安倍のでまかせ(嘘)が、「主権を害さず」というあいまいなことばを引き出し、わけのわからないことになっている。
 安倍の「嘘」のために、何が起きたのか、わからない状態になっている。

 この会談は、日本にとって何か利点があったか。
 2面に、こう書いてある。

両首脳は、元島民が4島間を往来しやすくする仕組みの検討でも合意した。4島への出入域手続き地点は現在、国後島沖の1か所にかぎられており、これを他の島にも増やす方向だ。

 これだけである。しかも、これも「仕組みを検討」することで「合意」したにすぎない。「検討」の結果、いままで通りということもある。
 ロシアの「主権」は侵害されない。日本の「主権」はあいかわらず制限されている。これでは「互いの主権害さず」どころの話ではない。ロシアの「主権」の主張を、そのまま追認しているだけである。

 一方、ロシアはどうか。3面に、

露 譲歩引き出す/G7制裁網に風穴

 の見出し。ロシアが日本から譲歩を引き出した、ということ。

プーチン大統領は今回の訪日で、北方領土での「共同経済活動」に関する協議をはじめるという譲歩を日本から引き出した。対露経済制裁をつづける日本との間で経済分野を中心に80件以上の成果文書をまとめ、事実上、先進7か国(G7)の制裁網に風穴を明ける目標を達成した。(略)
 日本が米国主導の制裁網に加わりながらも、プーチン氏の訪日に合わせ、総額3000億円規模の経済プロジェクトに関する契約や覚書が結ばれた。(略)ロシアの国営メディアは「80件以上のさまざまなレベルでの協力に関するかつてないほどの文書」が調印されたと報じた。

 3000億円の「見返り」が「4島出入域手続き地点の増設の検討」である。
 日本が北方4島を「領土」と主張するのは勝手。島に入るときは、ロシアの「入国手続き」を経た上で、というのではロシアにとって失うものは何もない。「手続き場所」が増えるのは「人件費」がかさむかもしれない。しかし、日本からの訪問者が4島で金を使ってくれるなら、それくらいのことはがまんするだろう。


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