北村真『キハーダ』(ボートハウス、2016年12月07日発行)
北村真『キハーダ』の巻頭の「鳥よ」は印象に残る作品。
「問い」が繰り返され、「鳥よ」と呼びかけて終わる。
「鳥よ」の一行は左ページの最終行。ページをめくってつづきを読もうとするが、つづきがない。
次の作品になっている。
この突然の「中断」に、私のことばは宙づりになる。どこへ行っていいのかわからなくなる。
何か書きたい。
でも問いが向き合っている、という最初の印象以上に動かない。
読み進むと「約束」という詩に出会う。
「しまいこむ」という動詞が「鳥よ」を思い出させる。あの鳥も何かを「しまいこんでいる」。「問い」が発せられたのだから「答え」がしまい込まれているのか。
さらにページを開き続けると「遡上」。
また「問い(疑問)」から詩がはじまる。そして、
という「反語」のような問いになる。
というのも「反語」の問いだったかもしれない。「ひとつ」のことを反対側から問い直す。
反対側から問い直すとは、自分に向き合うことだ。一方的に、ある方向へ問いを投げつけ、答えを切り開いていくのではなく、いま動いた問いそのものをみなおす。問いの中に何か隠れていないか。
問いの中に、何かを「しまいこんで」いないか。すでに何か存在していないか。
それを「知らずに」ひとは問いかけるのか。それとも「知っていて」問いかけるのか。あるいは問いかけた瞬間に「知る」のか。
「約束」のなかでは「じゃあ」ということばがしまい込んでいるもの(隠しているもの)が「またね」であったり「そのうち」だったりすることを「知っている」。いまの「じゃあ」がどちらを隠しているのかは、はっきりとは「知らない」がどちらかでありうることを「知っている」。どちらであると、断定することはできない。どちらかは、わからない。
わからない。
わかることを、考えるよう。わかることのなかへとことばを動かしていこう。
「反語」で向き合う。それは「表面」に出てきた動きである。そうであるなら、そこにほんとうに隠れていたもの(しまいこまれていたもの)は「向き合う」という姿勢、「向き合う」という動詞ということにならないか。
「またね」「そのうち」は「ことば」になって表に出てきた「みかけ」。その「みかけ」のものがさらに隠し、しまいこんでいるのが「向き合う」はという動詞。
「向き合う」ということを、その「動詞」を北村は書こうとしている。「向き合う」ことが北村の「思想/肉体の基本」なのだ。
「答え」は「ことば」にならない。「またね」も「そのうち」もことばにはなるけれど、「確かさ」にはならない。
「向き合う/向き合った」という「動詞」だけが、いま、ここに、確かなものとして「ある」。
「鳥よ」にもどってみる。
「待つ」という動詞が出てくる。「カーテンを閉じたまま」という動き、「隠す」「しまいこむ」という動きといっしょに出てくる。
いくつかの詩を読み続けると、そこから隠されたもの、しまいこまれたものと「向き合う」という動詞が自然に出てきた。それが自然に出てくるまで、それに向き合い、「待つ」ということなのかもしれない。
私は、「向き合う」ということばが出てくるのを待ち続けていたのだろう。詩を読むことで、北村が「肉体」として見えてくるまで待っていたのだと思う。
探すことは大事だ。だが、探しても見つからないことがある。そういうとき、どうするか。「待ち続ける」。ただ「待ち続ける」のではなく、自分と「向き合う」ように、最初に発した問いと「向き合い」ながら「待ち続ける。
ときには、そばにいる何かに「自分自身」を投げ出して、自分を空っぽにして、言い換えると「問い」そのものへの固執を捨てて、「待つ」。
「無になる」といえば、言い過ぎだろうか。「答え」を求めすぎて、間違えることになってしまうだろうか。
「鳥よ」の最後の「鳥よ」という呼びかけは、北村自身が、それまでの「問い」が「無」なって、ただそこにある「現実」になったような、強い手触りがある。「鳥」、「鳥よ」という「呼びかけ」は「無の象徴」なのだ。
その「強さ」が「印象(に残る)」ということばとして、最初に私を動かしたのだ。
北村真『キハーダ』の巻頭の「鳥よ」は印象に残る作品。
あのとき 草の葉は なにに ふれ
なにに ふれることができなかったのか
あのとき 樹木は なにを 聴き
なにを 聴きとることができなかったのか
問いのことばだけが
休耕田に こぼれおちている
あれから 水たまりは なにを 映し
なにを 映していないのか
あの日から 雲は
どこへ 帰ろうとしているのだろう
窓は カーテンを閉じたまま
だれかを 待ち続けている
見てしまったものと
見ることのできなかったもののあわいから
激しく 空を打ち
狂おしく 空を抱きよせ
鳥よ
「問い」が繰り返され、「鳥よ」と呼びかけて終わる。
「鳥よ」の一行は左ページの最終行。ページをめくってつづきを読もうとするが、つづきがない。
次の作品になっている。
この突然の「中断」に、私のことばは宙づりになる。どこへ行っていいのかわからなくなる。
何か書きたい。
でも問いが向き合っている、という最初の印象以上に動かない。
読み進むと「約束」という詩に出会う。
じゃあ
それだけいって 別れた
じゃあ またね とも
じゃあ そのうちに ともいわず
じゃあ のなかに
しまいこんでいた いくつもの約束
「しまいこむ」という動詞が「鳥よ」を思い出させる。あの鳥も何かを「しまいこんでいる」。「問い」が発せられたのだから「答え」がしまい込まれているのか。
さらにページを開き続けると「遡上」。
セイタカアワダチソウの群生する休耕田のなか
舟はどこへ
漕ぎだそうとしているのか
ながれゆくものと
とどまろうとするものとがこすれあい
ほこりっぽい風がふく草むら
家に戻れないシマノさんが
突っ立っている
なにもしらずにやってくるのか
なにもかもしってやってくるのか
また「問い(疑問)」から詩がはじまる。そして、
なにもしらずにやってくるのか
なにもかもしってやってくるのか
という「反語」のような問いになる。
あのとき 草の葉は なにに ふれ
なにに ふれることができなかったのか
というのも「反語」の問いだったかもしれない。「ひとつ」のことを反対側から問い直す。
反対側から問い直すとは、自分に向き合うことだ。一方的に、ある方向へ問いを投げつけ、答えを切り開いていくのではなく、いま動いた問いそのものをみなおす。問いの中に何か隠れていないか。
問いの中に、何かを「しまいこんで」いないか。すでに何か存在していないか。
それを「知らずに」ひとは問いかけるのか。それとも「知っていて」問いかけるのか。あるいは問いかけた瞬間に「知る」のか。
「約束」のなかでは「じゃあ」ということばがしまい込んでいるもの(隠しているもの)が「またね」であったり「そのうち」だったりすることを「知っている」。いまの「じゃあ」がどちらを隠しているのかは、はっきりとは「知らない」がどちらかでありうることを「知っている」。どちらであると、断定することはできない。どちらかは、わからない。
わからない。
わかることを、考えるよう。わかることのなかへとことばを動かしていこう。
「反語」で向き合う。それは「表面」に出てきた動きである。そうであるなら、そこにほんとうに隠れていたもの(しまいこまれていたもの)は「向き合う」という姿勢、「向き合う」という動詞ということにならないか。
「またね」「そのうち」は「ことば」になって表に出てきた「みかけ」。その「みかけ」のものがさらに隠し、しまいこんでいるのが「向き合う」はという動詞。
「向き合う」ということを、その「動詞」を北村は書こうとしている。「向き合う」ことが北村の「思想/肉体の基本」なのだ。
「答え」は「ことば」にならない。「またね」も「そのうち」もことばにはなるけれど、「確かさ」にはならない。
「向き合う/向き合った」という「動詞」だけが、いま、ここに、確かなものとして「ある」。
「鳥よ」にもどってみる。
窓は カーテンを閉じたまま
だれかを 待ち続けている
「待つ」という動詞が出てくる。「カーテンを閉じたまま」という動き、「隠す」「しまいこむ」という動きといっしょに出てくる。
いくつかの詩を読み続けると、そこから隠されたもの、しまいこまれたものと「向き合う」という動詞が自然に出てきた。それが自然に出てくるまで、それに向き合い、「待つ」ということなのかもしれない。
私は、「向き合う」ということばが出てくるのを待ち続けていたのだろう。詩を読むことで、北村が「肉体」として見えてくるまで待っていたのだと思う。
探すことは大事だ。だが、探しても見つからないことがある。そういうとき、どうするか。「待ち続ける」。ただ「待ち続ける」のではなく、自分と「向き合う」ように、最初に発した問いと「向き合い」ながら「待ち続ける。
ときには、そばにいる何かに「自分自身」を投げ出して、自分を空っぽにして、言い換えると「問い」そのものへの固執を捨てて、「待つ」。
「無になる」といえば、言い過ぎだろうか。「答え」を求めすぎて、間違えることになってしまうだろうか。
「鳥よ」の最後の「鳥よ」という呼びかけは、北村自身が、それまでの「問い」が「無」なって、ただそこにある「現実」になったような、強い手触りがある。「鳥」、「鳥よ」という「呼びかけ」は「無の象徴」なのだ。
その「強さ」が「印象(に残る)」ということばとして、最初に私を動かしたのだ。
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