稲田の靖国参拝(美しいことばには罠がある)
自民党憲法改正草案を読む/番外61(情報の読み方)
稲田防衛相が靖国神社を参拝した。2016年12月29日。安倍の真珠湾慰霊につきそってアメリカを訪問した翌日である。2016年12月30日読売新聞(西部版・14版)は2面で中国、韓国、アメリカの反応を書いている。
韓国、中国が抗議した。韓国は在韓日本大使館公使を呼びつけている。中国はやはり在北京日本大使館の次席公使を呼びつけている。
アメリカの反応は「慎重な対応/米が求める」という1段見出しで紹介されている。ワシントンの小川聡の記事である。
これは、とても変。これでアメリカの対応を紹介したと言えるのか。単に匿名の「米国務省当局者」が読売新聞の取材に答えただけ。正式発表ではないだろう。正式発表ではないものを、中国、韓国の発表とつづけて紹介するのは、稲田への「批判」を薄めようとしているとしか思えない。
私が注目するのは、「非公式コメント」と同時に書かれている次の部分。
末尾の「みられる」は推測を意味する。だれが「推測」したのか。記者の小川である。これが「事実」かどうかは、わからない。「和解ムード」が高まっているから、稲田の行動は見過ごされる、と読売新聞の記事は読者誘導をしている。
ここから感じ取れるのは、アメリカの「思惑」というよりも、記者の稲田へのおもねりと、稲田の思惑であり、安倍の思惑である。真珠湾慰霊で「和解」を強調した。その直後なら、アメリカは「和解」ムードをこわすような発言はするはずがない、と稲田(安倍)は思い、靖国を参拝した。真珠湾慰霊を「利用」するために、稲田は安倍についてゆき、安倍は稲田を連れて行った。最初から仕組まれていたのだろう。オバマは利用された。オバマの花道を飾るために真珠湾慰霊に行ったのだから、それくらいの「恩返し」はしろ、ということだろう。このことを、記者は「よくやったね」と評価しているように、私には感じられる。
安倍は人をだますのがうまい、という批判かもしれないけれど。
安倍は誰に対しても「嘘」をつく。「嘘」が通じなかったのはプーチンくらいか。
また、こういう記事もある。そこから、稲田が、どんなに嘘つきかをみてみよう。
一見「美しく」響くことばである。私はこういう「美しい」ことばを信じない。抽象的にことばを連ねるのではなく、そのことばを「具体的」に考え直す。
稲田の言っていることは「正しい」か。
「戦争で家族と古里と国を守るために出撃した人々」を「真珠湾攻撃」にあてはめるとどうなるか。(「真珠湾慰霊」のあとなので、「真珠湾」にかぎって考えてみる。)
彼らは「家族と古里と国を守るために」出撃したの。そうではない。アメリカの兵士は真珠湾を攻撃され、戦争を布告された。だからアメリカの家族と古里、国を守るために、出撃した。「反撃」した。自衛行為をした、と言える。
だが「真珠湾攻撃」は「防衛」ではない。先制攻撃である。アメリカが参戦してきたら(アジアの諸国と連合し、日本に攻撃をしてきたら)負けてしまう。そう思って、先制攻撃をした。戦争さえはじめなければ、そういう事態に至らなかった。
だから、稲田の言っていることは「嘘/虚言」である。「命の重み」とか「今の平和な日本」ということばを導き出すために語っている「嘘」である。
さらに考えてみる。稲田が語るときの「家族」「古里」「国」とはどういうものか。どんな国家体制になろうと、「家族」はある。両親がいて、兄弟がいて、子供がいる。愛する人を「守る」というのは「美しい」し、「正しい」。
しかし、そのときの「国」はどうだったのか。「国」は「国民」に対して何をしていたか。「戦争」のとき「国」はどんな「国」だったか。天皇を頂点にして、その下に軍部がいた。国民の自由を圧迫していた。国民には自由がなかった。そんな「国」を守るために「出撃した」と言って、「論理」敵に「正しい」と言えるのか。
「国民のため」ではなく「国民の自由を圧迫する国のため」に、なぜ、国民は出撃しないといけないのか。
むしろ、国民は「自由を圧迫する国」と戦わないといけない。戦う相手はアメリカではなく、そのときの「日本政府」である。
こういう反省があるから、日本国憲法は、
と「前文」ではっきり言っている。「戦争」は「政府の行為によって」「起る」。
「今の平和な日本」があるのは、「戦争で家族と古里と国を守るためと名目で出撃させられた人々の命の積み重ね」があるからだけではない。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と決意し、それを実践している国民がいるからだ。
稲田は、戦争を反省し、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と定めた国民をないがしろにしている。
今の日本の平和は、かつての日本を牛耳っていた政府と断絶しているからこそ成り立っている。
稲田の発言は、日々を生きて、平和を築いてきた国民を否定するものである。美しいことばで、戦後を生きてきた国民の努力を否定している。
国民を戦前のように、「政府に従属する奉仕者」にしようとしている。そのとき「国のため」とは「安倍や稲田の金儲けのため」「軍需産業の金儲けのため」と同義である。
戦争で多くの兵士が犠牲になった。尊い命を失った。そのことは「忘れてはならない」。同時に「誰が」その命を奪ったのかということも忘れてはならない。戦った敵が奪っただけではない。(兵士は、殺さなければ殺される、とうい「防衛」本能で動いている。)本当に命を奪ったのは「戦争」を引き起こした「政府」である。「政府」が戦争さえ起こさなければ死なずにすんだのである。
稲田はそれを知らないのか。知っているけれど、「嘘」をついているか。
稲田は、日本国民も、アメリカ政府も、嘘でごまかせると思っているらしい。真珠湾を慰霊すれば「平和を愛する稲田(安倍)」を印象づけられる。「嘘」がばれても、「和解ムード」が高まって直後は直接批判されない。そう思っているらしい。
オバマはもう引退が決まっている大統領だ。トランプが、この稲田の嘘(安倍の嘘)に対して、どう行動するかは、まだどこにも書かれていない(私は読んでいない。)
自民党憲法改正草案を読む/番外61(情報の読み方)
稲田防衛相が靖国神社を参拝した。2016年12月29日。安倍の真珠湾慰霊につきそってアメリカを訪問した翌日である。2016年12月30日読売新聞(西部版・14版)は2面で中国、韓国、アメリカの反応を書いている。
韓国、中国が抗議した。韓国は在韓日本大使館公使を呼びつけている。中国はやはり在北京日本大使館の次席公使を呼びつけている。
アメリカの反応は「慎重な対応/米が求める」という1段見出しで紹介されている。ワシントンの小川聡の記事である。
米国務省当局者は28日(日本時間29日)、稲田防衛相の靖国参拝について読売新聞の取材に「米政府は、歴史に起因する問題や癒しと和解を促進するように取り組む重要性を、引き続き強調する」とのコメントを出し、歴史認識を巡る問題には慎重に対応するよう改めて求めた。
これは、とても変。これでアメリカの対応を紹介したと言えるのか。単に匿名の「米国務省当局者」が読売新聞の取材に答えただけ。正式発表ではないだろう。正式発表ではないものを、中国、韓国の発表とつづけて紹介するのは、稲田への「批判」を薄めようとしているとしか思えない。
私が注目するのは、「非公式コメント」と同時に書かれている次の部分。
米政府は2013年末に安倍首相が靖国神社を訪問した際、「失望した」とする談話を発表し、日米関係はぎくしゃくした。ただ、今回は記事志井批判は控えている。首相の真珠湾訪問で内外に示した日米の「和解」ムードに、影響を及ぼしたくない考えとみられる。
末尾の「みられる」は推測を意味する。だれが「推測」したのか。記者の小川である。これが「事実」かどうかは、わからない。「和解ムード」が高まっているから、稲田の行動は見過ごされる、と読売新聞の記事は読者誘導をしている。
ここから感じ取れるのは、アメリカの「思惑」というよりも、記者の稲田へのおもねりと、稲田の思惑であり、安倍の思惑である。真珠湾慰霊で「和解」を強調した。その直後なら、アメリカは「和解」ムードをこわすような発言はするはずがない、と稲田(安倍)は思い、靖国を参拝した。真珠湾慰霊を「利用」するために、稲田は安倍についてゆき、安倍は稲田を連れて行った。最初から仕組まれていたのだろう。オバマは利用された。オバマの花道を飾るために真珠湾慰霊に行ったのだから、それくらいの「恩返し」はしろ、ということだろう。このことを、記者は「よくやったね」と評価しているように、私には感じられる。
安倍は人をだますのがうまい、という批判かもしれないけれど。
安倍は誰に対しても「嘘」をつく。「嘘」が通じなかったのはプーチンくらいか。
また、こういう記事もある。そこから、稲田が、どんなに嘘つきかをみてみよう。
稲田氏は参拝後、「戦争で家族と古里と国を守るために出撃した人々の命の積み重ねの上に、今の平和な日本があることを忘れてはならないし、忘恩の徒にはなりたくない」と記者団に強調した。
一見「美しく」響くことばである。私はこういう「美しい」ことばを信じない。抽象的にことばを連ねるのではなく、そのことばを「具体的」に考え直す。
稲田の言っていることは「正しい」か。
「戦争で家族と古里と国を守るために出撃した人々」を「真珠湾攻撃」にあてはめるとどうなるか。(「真珠湾慰霊」のあとなので、「真珠湾」にかぎって考えてみる。)
彼らは「家族と古里と国を守るために」出撃したの。そうではない。アメリカの兵士は真珠湾を攻撃され、戦争を布告された。だからアメリカの家族と古里、国を守るために、出撃した。「反撃」した。自衛行為をした、と言える。
だが「真珠湾攻撃」は「防衛」ではない。先制攻撃である。アメリカが参戦してきたら(アジアの諸国と連合し、日本に攻撃をしてきたら)負けてしまう。そう思って、先制攻撃をした。戦争さえはじめなければ、そういう事態に至らなかった。
だから、稲田の言っていることは「嘘/虚言」である。「命の重み」とか「今の平和な日本」ということばを導き出すために語っている「嘘」である。
さらに考えてみる。稲田が語るときの「家族」「古里」「国」とはどういうものか。どんな国家体制になろうと、「家族」はある。両親がいて、兄弟がいて、子供がいる。愛する人を「守る」というのは「美しい」し、「正しい」。
しかし、そのときの「国」はどうだったのか。「国」は「国民」に対して何をしていたか。「戦争」のとき「国」はどんな「国」だったか。天皇を頂点にして、その下に軍部がいた。国民の自由を圧迫していた。国民には自由がなかった。そんな「国」を守るために「出撃した」と言って、「論理」敵に「正しい」と言えるのか。
「国民のため」ではなく「国民の自由を圧迫する国のため」に、なぜ、国民は出撃しないといけないのか。
むしろ、国民は「自由を圧迫する国」と戦わないといけない。戦う相手はアメリカではなく、そのときの「日本政府」である。
こういう反省があるから、日本国憲法は、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
と「前文」ではっきり言っている。「戦争」は「政府の行為によって」「起る」。
「今の平和な日本」があるのは、「戦争で家族と古里と国を守るためと名目で出撃させられた人々の命の積み重ね」があるからだけではない。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と決意し、それを実践している国民がいるからだ。
稲田は、戦争を反省し、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と定めた国民をないがしろにしている。
今の日本の平和は、かつての日本を牛耳っていた政府と断絶しているからこそ成り立っている。
稲田の発言は、日々を生きて、平和を築いてきた国民を否定するものである。美しいことばで、戦後を生きてきた国民の努力を否定している。
国民を戦前のように、「政府に従属する奉仕者」にしようとしている。そのとき「国のため」とは「安倍や稲田の金儲けのため」「軍需産業の金儲けのため」と同義である。
戦争で多くの兵士が犠牲になった。尊い命を失った。そのことは「忘れてはならない」。同時に「誰が」その命を奪ったのかということも忘れてはならない。戦った敵が奪っただけではない。(兵士は、殺さなければ殺される、とうい「防衛」本能で動いている。)本当に命を奪ったのは「戦争」を引き起こした「政府」である。「政府」が戦争さえ起こさなければ死なずにすんだのである。
稲田はそれを知らないのか。知っているけれど、「嘘」をついているか。
稲田は、日本国民も、アメリカ政府も、嘘でごまかせると思っているらしい。真珠湾を慰霊すれば「平和を愛する稲田(安倍)」を印象づけられる。「嘘」がばれても、「和解ムード」が高まって直後は直接批判されない。そう思っているらしい。
オバマはもう引退が決まっている大統領だ。トランプが、この稲田の嘘(安倍の嘘)に対して、どう行動するかは、まだどこにも書かれていない(私は読んでいない。)
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載 | |
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