詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

佐川亜紀『さんざめく種』

2017-09-07 11:32:00 | 詩集
佐川亜紀『さんざめく種』(土曜美術出版販売、2017年08月15日発行)

 時代、現実とどう向き合うか。どうことばにするか。むずかしい問題である。時代、現実の方がことばより先に動くからである。それをただ追いかけるのではなく、突き破るようにしてことばを動かし、見落としている「時代」「現実」を「いま」「ここ」として提出する。見落としているものは、すでにあるも、つまり「過去」でもある。「過去」を引っ張りだし、「未来」として噴出させる、露呈させる。そういうことができたとき、時代、現実をとらえることができたといえるかもしれない。
 「ルージュ」にその「手がかり」のようなものを見た。

津波に襲われた町で 黒い泥の中から 黒い箱
思いがけなく なまなましくきらめくものが
たくさん出て来た
ローズピンク オレンジアミューズ
レッドセダクション クリスタルベージュ
まだ生きている肉片みたいに

 津波の被災地で、だれかがつかっていた口紅の箱が出てきた。そこに書かれている「色」を私は具体的には知らない。だからこそ、そこに「肉体」を感じる。私の知らない「色」を知っていて、その「色」に願いをかけていたひとがいる。
 それは「まだ生きている」。
 この口紅、この色で、きょうはこういう生き方をする。生き方をしたい。欲望が生きている。津波以前、つまり「過去」にその女性は、そういう風に生きていた。(私の想像は「誤読」だが、つまり間違いを多く含んでいるだろうけれど。)ひとは生きる欲望をもっている。そして、それを自分にできる形で実現する。口紅にも、そういうものが含まれている。
 それを奪ったのが津波。それにともなうさまざまなことがら。
 それは「過去」であるだけではない。これからも起きるかもしれないこと、つまり「未来」でもある。
 だから佐川は書くのだ。
 「未来」をふたたび津波や原発事故で奪わさせてはいけない。ひとのいのち、生きる欲望を奪わさせてはいけない。
 その叫びを、

ローズピンク オレンジアミューズ
レッドセダクション クリスタルベージュ

 と、具体的に書く、その口紅の色に感じた。佐川はそれを識別できる。つまり、それをつかっているひとの欲望を「共有」している。
 こういうことばが、私は好きだ。
 
 「聖なる泥/聖なる火」には、こういう行がある。

死者たちの川があふれる
ヒロシマの元安川の腕が流れてきて
釜石の足が流れてきて
南相馬の腹が流れてきて
仙台の胸が流れてきて
水に書く 消えても 何度も泥水に書く

 「川」は「流れる」という動詞になって「世界」を結びつける。「東京電力福島第一原発」が広島と福島を結びつけるだけではなく、「川(水)」が「流れる」という動詞が、水といっしょに「流す」ものを結びつけ、さらに離れたいくつもの「土地」を結びつける。
 この「結びつき」は「書く」という動詞で強くなる。「現実」になる。
 この「現実」を「水」は消そうとする。「泥水」も覆い隠そうとする。けれども、何度でも「書く」のである。「消えても」「書く」のである。
 「消えても」は「消されても」でもある。
 「消そうとする/水」は、「泥水」よりも、もっと暴力的かもしれない。「泥水」には奪われた「過去」がびっしりとつまっている。「消そうとする/水」は「未来」を奪っていく。
 この畳みかけるようなリズムも、私は好きである。
 一方、同じ詩の中の、次の部分。

泥の中に
骨が 箸が 乳が
泥の中の子宮 生まれる時
死ぬ時の 泥になる時の官能
そうしたものもすでにクラウド化されていて

 ここに出てくる「クラウド化(される/する)」ということばは、どうつかみ取るべきなのか。私は困惑する。
 それまでのことば、たとえば「死ぬ時の 泥になる時の官能」というのは、強烈な矛盾であり、個人によって(肉体によって)つかみとられる「事実」である。さまざまな口紅の色や、破壊された肉体の、腕、足、腹に通じるものである。
 「クラウド化(される/する)」は、どうか。
 個人というよりも、個人を否定する力によって動いている。私たちがそういう力によって支配されているということは理解できるが、理解できるからこそ、そういう力と向き合う別のことばがほしいと私は思う。
 詩の中にふいにまぎれこむ「意味」。それも「個人」を否定する力が押しつけてくる「意味」というものを、ときどき感じてしまう.「現実」を描くにしろ、そういう「意味」をたたき壊しながら書かないと、せっかくの「肉体」が奪われしまう、と私は感じる。

 「青い馬」と「魚をみごもった日」は、いのちを引き継ぐものの「力」を感じさせてくれる。いのちを引き継ぐのは力がいることなのだと教えてくれる。


さんざめく種
クリエーター情報なし
土曜美術社出版販売
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藤井貞和『美しい小弓を持って』(26)

2017-09-07 10:17:55 | 藤井貞和『美しい弓を持って』を読む
藤井貞和『美しい小弓を持って』(26)(思潮社、2017年07月31日発行)

 「メモへメモから--友人たちへ」は、友人たちの詩に触れている。あるいは「詩にならない詩」(6行目)について書いている。詩なのだが、詩になりきれていない。だからこそ、詩であるという部分に。
 「悲し(律詩)」に触れたとき、「出来事は遅れてあらわれる/ことばは遅れてあらわれるということについて書いたが、それは多くの人の「実感」なのだと思う。
 ということを書けば繰り返しになる。何度でも繰り返して書かなければならないのこともあるのだけれど、違うことを書いておきたい。

秋の虫たちは涸れて、編集後記のなかで、
鳴いています。 鈴虫……

 あれは、何という「同人雑誌」だったろうか。私も「編集後記」のなかで秋の虫が鳴いているという文章にであったことがある。最近だったと思う。その編集後記を書いた「友人」のことを藤井は思っているのかもしれないが。
 ただそれだけではなく、たぶん藤井は「編集後記」ということばを詩の中に書きたかったのだ。
 「確信」はないが、私の「直感」はそう言っている。
 ふつうは詩の中に入ってこないことば。「編集後記」なのだから、編集したあと、「奥付」の近くに置かれることばだ。しかも、「編集後記」というのは「内容」のことではなく、その「入れ物」のことである。
 うーん、「編集後記」か。美しいことばだなあ。音楽があるなあ、と私は思う。「意味」をとおりこして、「音楽」を感じてしまう。
 似たようなことばに、「物語」がある。藤井の詩には「物語」ということばがしばしば出てくる。

鳴く声ぞ する」。 すると物語から、
立ち上がる兵部卿宮。 私の魂、
私の魂。 草むらがどんなに悲しい
物語に濡れても、と思いながら

 ここでも「物語」は「意味/内容」というよりも「入れ物」である。「物語」のなかで別のことばが動いている。「編集後記」のなかで別のことばが動いているように。
 藤井は、こういう「ことば」同士の関係に強く動かされる性質を持っていると思う。
 こういう例もある。

「ぼくの地方では
せんそうのような有様で
じつにしずかに放射能がはびこっている
そしてその放射能さえ上書き更新されて
いつも新しい」と高坂さん。

 ここに出てくる「上書き更新」。高坂の書いている「内容」にももちろん反応しているが(それを問題にしているが)、藤井がこの数行を引用しているのは「内容」よりも、そこに「上書き更新」ということばがあるからだ、と私は感じる。「編集後記」と同じように「上書き更新」ということばを書きたかったのだ。

 これは、いったい、どういうことだろう。
 「編集後記」「物語」「上書き更新」。ここには、いったい何が隠れているのか。
 「名詞」ではなく、「動詞」に書き直してみると、わかることがある。
 「編集後記」は「編集を終わったあとで書き記す」、「物語」は「もの(ひと)が動いたあとで、その動き(こと)を語る」、「上書き更新する」とは「あることが書かれたあとで、さらに書く」。
 どのことばで、「あとで書く/語る」という動詞が隠れている。「あとで、ことばにする」という行為が隠れている。「あとで、書く(ことばにする)」ということのなかに、藤井は人間の「思想」をつかみとっているのだと思う。「あとで、書く(ことばにする)」という行為のなかにある人間性に直感的に触れて、そのことを書きたいと思っているのだろう。
 タイトルの「メモへメモから」というときの「メモ」は作品として整えられる前の「ことば」。そはれ「あとで、書く(ことばにする)」ということを含んでいる。
 あることが「ことば」になり、それがさらに語りなおされる。書き加えられる。それは「引き継がれる(語り継がれる)」ということでもある。
 そういう「動詞」を、藤井は読み取っているのかもしれない。

 詩は、こう閉じられる。

「無味無臭無色で降ってくる怒り」、五十嵐さん。
五月のブルガリアでは、タクシーの運転手が、
降りようとする私どもに小さな声で、
心配そうにひと言、「フ、ク、シ、マ」。

 語り継ぎ方はいろいろある。「小さな声」「心配そうなひと言」。それは「作品」にならずに消えていく「声」かもしれない。その「声」を引き継ぐ。
 あの運転手の声も、何かを引き継いでいる。

 この作品のあとに、藤井はいわゆる「あとがき」を書いているが、この詩そのものが「あとがき(編集後記)」のようにも読むことができる。



美しい小弓を持って
クリエーター情報なし
思潮社
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